coda


 埋葬の為の穴を掘り終える頃には、すっかり霧は晴れていた。
 埋葬場所は、ホグズミード村の外れ、魔法使いの墓地の裏手にある林の中に決めた。彼女を魔女として弔いたいということでイギリス唯一の魔法族の村である此処に白羽の矢が立ったのだ。そしてこの林からは、“ハッシュアバイベイビー”のあの小高い丘が遠目に見える。恐らくフレイヤの短い人生の中で、母親と穏やかな時間を過ごしたであろう場所だ。無垢な赤ん坊に一身に母の愛情を注いだ時間は、確かにあったはずなのだ。
 大きく掘った穴の中に、埋葬用の棺に入ったフレイヤを納める。棺の中には開店前のゾンコの店で我儘言って仕入れたたくさんの魔法のおもちゃと、お菓子と、そして色とりどりの花束を一緒に入れた。ジェームズとシリウス、それからピーターの手は豆だらけになっていた。
「さよなら、フレイヤ……安らかに」
 掘った穴に再び土を被せ、最後に墓石を立て終わると既に日は昇りきっていた。

 いい加減リーマスを医務室に連れて行かないわけにはいかなくなり、ダンブルドアがぐったりとしたリーマスを運んだ。付き添いでシリウスも付いていき、真新しい墓石の前にはピーターとジェームズが残った。
「飯、用意しとくから遅くならないうちに戻って来いよ」
 まだここに残ると告げたピーターと、それに付き合うジェームズの肩を叩いて、シリウスはダンブルドアとリーマスと共に城へと戻っていった。

 昨晩から明け方まで出ていた鬱蒼とした霧は嘘のようになくなり、穏やかな冬晴れの日だ。
 ピーターは墓石の前に膝を抱えて座り、陽だまりの中で何を喋るでもなくじっと佇んでいた。ジェームズもピーターの心中を気遣ってか、存在感を消して一言も喋らない。冬の太陽は穏やかな日差しとなって墓石を照らし、ぼろぼろになった二人の服に、瓦礫と砂埃で汚れた頬に、俯きがちの睫毛に降り注ぐ。ピーターの色素の薄い睫毛に刺さった日差しは青色の瞳に影を作っていた。時が止まったかのような現実感のない白い穏やかさの中で、一人の幼気な少女が理不尽で惨い仕打ちの末に亡くなった事実だけが、虚しく残った。
 闇の勢力が拡大を続ける中で、それでもホグワーツはあくまで平和だったから、この世界で、この国で、こんなにも理不尽が蔓延っていることはピーターにとってどこか他人事だった。しかし実際にフレイヤという一人の少女の死を目の当たりにして、ピーターはやるせない悲しみと悔しみと怒りとを持て余していた。
 なぜこうなってしまったのか。彼女が何をしたというのだろうか。優秀な魔女になったでろう彼女が、どうして無知なマグルに理不尽な仕打ちを受けなければならない。どうして邪悪な死喰い人に利用されなければならない。どうすれば良かった?自分には何ができた?これから何ができる?この行き所のない気持ちをどうすればいい?

「……戦わなくちゃ、だめだよね」
 ぽつりと、ピーターが呟いた。ジェームズがピーターに目線を向けると、伏し目がちながらも彼は真っ直ぐに墓石を見据えていて、睫毛の作る繊細な影の中に青い瞳が光を放っていた。
「そうだね、戦わなくては何も守れない」
 ジェームズも墓石を見つめて答えた。
「でも……」
 ゆっくりとジェームズは瞬く。
「正直なところ、僕は君が消えた時、怖かった。シリウスが頭から血を流しているのを見た時も、リーマスが蹲っているのを見た時も、とっても怖かったんだ。自分が死喰い人と対峙する時は恐怖よりも奴らを許せない気持ちの方が強かったのに。仲間が傷付けられるのは、とても怖い」
 ピーターは静かに喋るジェームズを見上げた。彼の瞳は戸惑うように揺れていた。
「けれどきっと、シリウスもリーマスも僕と同じ気持ちだったはずなんだ。奴らを許せない、理不尽な暴力に屈してはいけないって。その為に戦うことは恐くなんかないって。だから僕には皆を止める権利なんかない。できるのは、皆が傷付けられないように、戦い続けることだけだ。君が戦うことを選んでも選ばなくても、それは君の自由であって誰もとやかく言うことではない」
 ジェームズは再びピーターを見た。いつも一緒にいるから気が付かなかったけれど悪戯っ子の顔はいつの間にか大人びていて、ピーターは思わず目を細める。
「ただ君らの誰にもフレイヤのようにはなってほしくない……だから僕は、戦うよ」
 ピーターはただ黙って頷いた。弱い自分が、許されたような気がした。ジェームズはさながら、今ピーターを照らす陽だまりのようだと思った。
 穏やかに風が吹き、冷たい空気が墓石と二人の間を循環し流れる。ピーターの心の中の淀みも、流されたみたいだ。少し明るくなったピーターの顔色を見て、ジェームズはにかっと笑う。
「さて、そろそろ帰ろう。シリウスが美味いものしこたま仕入れててくれているだろう。医務室に忍び込んでパーティーだ。今回の件でダンブルドアにもらった得点からどれだけマダムポンフリーに引かれるか、見ものだぞ」
 ジェームズにつられて、ピーターも笑った。笑いの力は偉大だ。ジェームズは自然と、闇に対抗する術を身につけているのだ。ジェームズのそんなところがピーターは大好きだった。

「ところでジェームズ、魔女シャイニーのコスメセットは週刊魔女の申し込み葉書から注文できるみたいだよ」
 立ち上がってお尻の辺りの土を払っていたジェームズは、ピーターの言葉にピタリと動きを止めた。
「何だって?」
 ジェームズは面食らって聞き返した。
「何って、君、リリー・エヴァンズにクリスマスプレゼントを贈る予定だろう?」
 何でもない風にピーターが言うと、ジェームズはみるみる顔をしかめた。
「ふざけるなよ、ピーター何で僕が。別に彼女の気を引きたいなんてこれっぽちも――」
「ああうん、でもどちらにしたって、この間手伝ってもらったお礼はしないとだよね」
 ジェームズは唸った。
「うーん、分かった分かった……そういうことにしておこう……」
 珍しくジェームズが折れたので、ピーターは吹き出した。ジェームズはバツが悪そうな顔をした後に、やはりケラケラと笑い出した。
「おいピーターいいか、シリウスとリーマスにはまだ内緒だぞ。喋ったらこれでもかという程の糞爆弾を君のベッドに投げるからな」
「ひえー、それは死喰い人より怖い!」
 二人の少年の明るい笑い声が物寂しい林に木霊し、冬の空に消えた。

 ピーターは最後にもう一度、小さな墓石を振り返る。
「さよならフレイヤ、また来るよ……小さな魔女がいたことを、僕は忘れない」
 既に先を歩くジェームズの背を追って、ピーターは駆け出した。
 冬の陽射しは優しく彼らを照らし、影はまだ淡く、城への帰路への何の妨げにもならない。一歩一歩踏みしめるたびに生きて共に城へ帰れる幸福がピーターを包んだ。

 願わくば、今日のような穏やかな陽だまりがずっと僕らのそばにありますようにと、ピーターはひっそりと祈った。


fin.




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