若草色のぼくら




 迷わないなんて、できるはずがない。人は迷って、悩んで、苦悩する生き物だ。
 地球が生きてきた46億年、さらには宇宙が歩んできた130億年という遥かな時間に比べたらあまりにちっぽけ過ぎる人生の中で多いに苦悩し、無意味なことに痛みを感じる。
 それでも一つの道を選び歩いていく。歩いた先で振り返ってみなくては、自分が選び取ったものがなんだったのかなどと分かりはしないのに。
 出来るかぎり痛みを和らげたくて、甘い蜜を吸いたくて、人は最善の道が何なのかを考え、悩む。
 ときに、どの道も選べずに立ち止まってしまう者がいる。暗い道の先をよく眺めようとばかりして、気付いたら後ろを歩いていたはずの人間が前を行き、見失うということが多々ある。自分で選んだ道の先にある痛みだけに思考を巡らせ、選び取った末の責任を負うのを思うと自然に足が止まる。

 滝は、どちらかというとそういう人間だった。
 思慮深い。洞察力がある。周りの空気に敏感だ。どれもよく言われる言葉だが、滝にはどうしても褒め言葉には思えなかった。
(簡単に言えば、それは)
(臆病だってことだろ)
 対して、分岐点に出た時に真っ直ぐにこれだと思う道を歩める者もいる。類い稀なる才能だ、と思う。
 顔を上げ自分が選んだからには信じてしっかりとした足どりで進んでいくことができるのだ。いや、選ぶ、というよりも迷ってすらいないのではないか。ただ真っ直ぐ歩いていった先にある道を進んでいるのではないか。まるで、道がなくても歩いていってしまうかのような。

 さわさわと心地好く揺れる芝生の中で、二つの頭が見えた。ふわふわの金色はほとんど緑の中に埋もれて見えない。
 もう片方が滝に気づくと、胡散臭い笑みを浮かべ手招きをしている。さくさくと柔らかい音をたてて近付くと金髪の方もようやく気付き頭を上げる。
「あ、たきー」
「一名さまご案内〜」
 へにゃりと笑う芥川と、ぼったくりホストのように声をかける忍足の間に腰を下ろし、滝は髪をかきあげた。
「もうすぐ休憩終わりだよ」
 珍しい組み合わせだね。そう言い目を細めると、芥川がムクリと起き上がる。
「俺達さ、今てつがくしてたんだ!」
 嬉しそうな声音の芥川に、滝は首を傾げた。
「哲学?」
「そ、俺らって悩み多き青少年じゃん?でもそうじゃない奴もいるよなーって話!」
「まあ簡単に言えば跡部はすごいなあってことや」
 抽象的な芥川の説明を補足するように、忍足はへらと笑う。
「跡部がどうしたの」
 それでも要領を得ない会話に滝は聞き返した。視線を巡らせれば、我らが部長はコートの目の前の日陰にドカリと座っていた。
 この暑さに若干苛立っているみたいだったが、やはりというかただ座ってるそれだけでも王者の風格が漂っている。
「だからさ、なんで跡部はいつも迷わないで、顔を上げて歩いて行けるんだろうな、って言ってたんだ」
 ごろりと寝返りを打ち芥川は空を仰ぐ。忍足も空を見上げ軽く頷いた。
 そういう意味か。滝は図らずもため息を吐いた。気持ちの良い風がそれを何処かへと運んで行く。
 芥川はどうだか知らないが、忍足はきっと――――――こちら側の人間だ。
「……ずるいよなあ」
 ポツリ、呟いた言葉を、今度は風はさらってはくれなかった。
 芥川と忍足が同時にこちらを向く。せやなあ。ややあって忍足が頷いたが、その顔はどことなく淋しげに見えた。
「でもさあ」
 話の本質を理解してるのかしてないのか知らないが、芥川が二人を仰ぎ見る。
「でもさあ、だからってああなっちゃダメだよ」
 芥川はニカッと笑った。
 滝と忍足は彼が指し示した方向を見る。
 日吉だった。日吉が跡部の真正面に立ち、不満そうに何かを喋ってる。
会話は聴こえてこないが、試合をしてくれと頼んでることは安易に想像できた。朝から数えて、確か今日五回目だろうか。
「…あぁー………」
 妙に納得したかのように滝と忍足が息を吐いたのは同時だった。
 次の瞬間、二人は顔を見合わせて吹き出す。ケラケラと芥川の笑いも混じり、風さえも笑っていた。
 日吉も、迷わない人間だった。
 大変珍しい人種だ。ただ彼はいつも、先のことが見えてなかった。意味は若干違うが一寸先は闇、とは彼の為にある言葉ではないか。彼の場合、手探りなどではなく暗闇の中を全速力で突っ走ってゆく。
 障害物にそのままのスピードでぶつかっても、それが壁だとさえ気付かずに走り抜けてゆくのだ。
 まっすぐ。まっすぐ。ひたすらに。それはもう、憎いほどにまっすぐに。

 すいません。しばらく笑い合った後にかけられた声。まだ笑い収まらぬままで見上げると、恐ろしく不機嫌顔の日吉が立っていた。
 もう練習始まるみたいですよ。それだけを告げると膨れっ面のまま日吉はさっさとコートに向かう。
 どうやらまた試合を断られたみたいだ。更には、いつまでも休憩を決め込んでいる三年たちを呼びに行ってこいと、部長に命じられたのだろう。
 一際大きい笑い声が、辺り一面に響いた。

 滝には、いつだって真実を掴めてしまう跡部も、不器用なほど一直線な日吉さえも羨ましく思える。
 なぜ、自分は迷う。なぜ、立ち止まる。
 なぜ、あいつらは迷わない。なぜ、何度だって立ち上がる。
 個々の人間の本質とはどこで形成されたのか。生まれ落ちた時は同じだとしても、自分が歩いてきた道を振り返れば躊躇ってばかりだった。暗い道に怯え、辿り着く場所も帰る場所さえも分からずに。途方に暮れて馬鹿みたいに突っ立てる。
 傍から見たらどれほど滑稽で笑える姿だろうかと、自己嫌悪さえ沸いてくるくらいだ。

 どうしておれたちはまようんだろうね。
 掠れた声でそう言えば、芥川はやけに大人びた顔で微笑んだ。

 ふたりとも、じぶんのことを、なかまのことを、みらいを大切に想ってるからだよ。








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