十一月二十七日


 アカデミー時代は、誕生日すら知らなかった。

 一年目、当日に誕生日ということを知る。
 おめでとうと言って、慌ててポケットに入っていた小さなお菓子を渡せば、リーは少しきょとんとした後に満面の笑みを見せた。
 ほら、ネジも。促したものの返答は概ね予想通りだった。
「何で俺が」「そんな暇があるなら修行したらどうだ」「くだらない」――肩を落としたのは本人よりもむしろ、私の方だったかもしれない。

 二年目、今度は一週間前から準備ができた。
 中忍試験で大怪我を負ったリーが綱手様の治療と何より本人の努力のおかげで回復した祝いも兼ねていた。特にガイ先生は張り切って、特製カレーを作って、でもそれがとっても辛くって。
「こんなに誰が食べるんだ」ってネジは顔を顰めてた。
 結局リーはその日に全部食べていたけど。食べきってお得意のナイスガイポーズをしてこれで早く治る!なんて笑うから、私もネジも呆れて、でもリーがあまりにも嬉しそうに笑うから、最後には二人ともつられて少し笑った。一年前より、確実にネジは柔らかくなったと思う。

 三年目、サプライズで祝ってみた。
 中忍にあがった私達はそれぞれ別の任務にあたることも増え、毎日が忙しかった。もちろん、リーの誕生日は覚えていたけれど皆すっかり忘れているフリをした。
 病院裏の公園に夜中に呼び出して、日付が変わった瞬間に花火を打ち上げた。私お手製の、色とりどりの火薬を使った花火だ。勢い余ってガイ先生は寒空の下、池に落ちた。
「後片付けが大変だな」って冷静に呟くネジの長い髪に、クラッカーから出たスパンコール付きの紐が引っかかってヒラヒラ揺れて、それが可笑しかった。
 深夜に突然上がった季節外れの花火に、病院関係者や近所の住民が駆けつけて、私達は大急ぎでガイ先生を引っ張り上げて逃げた。
 ケタケタと笑い声をあげながら走って、振り向いた時に見た花火のキラキラした輝きを、きっと私はずっと忘れない。

 四年目、初めてケーキを作ってみた。
 四人で食べきれるサイズになる予定が、ガイ先生がどんどん調子に乗るからウエディングケーキかってくらいの大きさになってしまった。そう遠くない未来に、二人の結婚式に出席することもあるんだろうなって考えると何だかくすぐったくて少し寂しくて、不思議な感覚だ。
「よく毎年こんなに色んなことが思いつくな」ってネジは言った。それは決して嫌味じゃなくて、微笑む口元を見れば素直に感心していることは、もちろん分かった。
 何でも卒なくこなすネジが、クリームを塗るのはちょっと下手くそで、四年目にして意外な弱点を発見する。ネジはバツが悪そうな顔をしていたけれど、やっぱりリーは大喜びでまたしてもその日のうちに全部食べようとしたからそれは必死に止めた。何年たっても勢いだけで行動するリーに苦言を呈するネジの鼻先にはクリームが付いていて、平和って、幸せって、たぶんこんな形なのだろうと思う。

 五年目、任務は多忙を極めて初めて当日にお祝いできないかもしれなかった。
「今年は何をすればいい?」って初めてネジの方から聞いてきた。ネジは上忍になって、私よりももっとずっと忙しいはずなのに。
 ネジにとっても、十一月二十七日は当たり前に祝う日になっていた。それがすごく嬉しかった。
 夜遅くなってしまったけど何とか皆集まって祝うことが出来た。夜にお祝いすると一昨年の花火を思い出します、なんてリーが言うからもうそんなに経ったのかって驚いて、そして感慨深かった。それだけずっと一緒にいたのだ。辛いことも苦しいことも悲しいことも、一緒に乗り越えてきた。心の底から分かり合うことは出来ないかもしれないけれど、こうしてくだらないことで笑い合う時間があるからこそ、頑張れる。肩の力を抜いて、でも強く意志を持って、明日を生き抜く力になる。

 六年目、今年はたぶん、ごめんね。祝えない。
 全世界を巻き込んだ未曽有の忍界大戦終結から、まだ間もなかった。平和は訪れたけど多くの被害者が出てまだお祝い事なんて雰囲気じゃないし、復興に奔走する日々は忙しい。それに、何よりも――……。

「ネジがいなかったら、どうやって祝ったらいいか分からないよ」
 テンテンは第三演習場の慰霊碑に向かい、一人呟いた。灰色の墓標は何も返すことなく、晩秋の風だけが他人のように通り過ぎる。冬を目前に控えた寒々しい日々の中の、憎いくらいの秋晴れの日だった。まるで天気だけは今日を祝っているみたいだ。
 ネジが、死んだ。現実として受け入れこそすれ、日々の生活の中でついその姿を探してしまう。こうして以前は当たり前に祝っていた日がやってくると、もう会うことは出来ない、目を見て話すことは、くだらないことで笑い合うことは出来ないのだと、まざまざと突きつけられた。
 テンテンは懐にしまったプレゼントに手を伸ばしそっと触れる。長年の習慣で当たり前に用意していたこれを、一体どうやって渡そう。気の利いた渡し方なんてちっとも思い付かない。変なことしたら、かえってネジと祝っていた日を思い出させてリーにも悲しい気持ちをさせるかもしれない。
 毎年どんな気持ちでこの日を迎えたか突然分からなくなってしまって、白々しい程に暖かく穏やかな秋の陽射しの中で一人途方に暮れた。
「テンテン」
 自分を呼ぶ声に、テンテンは顔を上げる。まだ涙が零れる前でよかったと思った。振り返ると、籠やら瓶やら荷物を抱えたリーが立っていた。その隣には車椅子のガイ先生もいる。リーはあの頃と変わらない真っ直ぐで純真な瞳に、大切なものを失った寂しい色を少し滲ませて、いつの間にか大人の顔をしていた。
 リーは持っていた荷物を置き、墓標の前にビニール製のシートを大きく広げる。遠足なんかで使うものだ。その上に籠を置き、中から取り出したのはたくさんのご馳走。唐揚げとか、ピザとか、カレーピラフとか、おにぎりとか――たぶん具は梅干しだろう――あとは、保温ポットからにしん蕎麦まで出てくるものだから、テンテンは呆気に取られてしまった。
「今年も祝ってくれますか」
 レジャーシートの上に並べられた料理をまじまじと見つめていると、リーがそう言った。はにかむその表情はテンテンの知っている少年の頃のままだ。
「……うん」
 テンテンは頷き、レジャーシートに腰を下ろす。
「ネジにも祝ってもらわないとな」
 ガイ先生は持ってきた瓶を開封した。酒だ。それをたっぷり墓標にかける。
「僕は下戸なので……その分ネジに飲んでもらわないと」
 リーは高い空を仰いで笑った。乾いた風がその前髪を柔らかく散らす。
 ざらついた灰色の石に液体が染みを作っていくのを眺めて、テンテンは突然理解した。ここにネジはいないのだ。分かり切っていたはずのことなのに、今この瞬間にすとんと腑に落ちた。
 ネジはここにはいない。地面の下に骨だけになって冷たく横たわっているわけではないのだ。
 でも、そこかしこにネジの息吹きは感じられる。
 たとえば、穏やかな秋の陽射しの中。それから、リーの髪を遊ばせてテンテンの頬を撫でた風の中。病院裏の公園にある池の、花火の火薬が沈んだ静かな水面。住宅街の電柱の影。戦いで荒れた地面から生える草。この土地で生命を運ぶ微生物の、細胞のひとつひとつ。その中に、ネジはいるのだ。そしていつも、自分達を見守っているのだ。冷めていて、大人ぶっていて、でも時々子供っぽくて、力強く、優しいあの瞳で。いつも見ていてくれる。きっといつも共にある。
 テンテンは静かに涙を流してリー同様に空を見上げた。不思議と悲しい涙ではなかった。大切なものを失った虚しさが消えることはないけれど、また前を向いて歩いていけるはずだ。

「ねえ、リー」
 テンテンの呼びかけにリーは穏やかな顔で振り向いた。その向こうにはネジの瞳みたいな澄んだ空が広がっている。
 ごめんね。ありがとう。そう言おうとして、そのどちらも違うと感じた。そして懐から用意していたプレゼントを取り出す。当たり前に用意していたもの。私達の日常。キラキラとあの花火のように輝いて、ネジの鼻先に付いたクリームみたいにくすぐったくて、くだらないことで笑い合える、この先も祝福に満ちた日だ。

「誕生日、おめでとう」




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