恍惚とした色に染まるのを
明くる日の昼過ぎ、飛行船は最寄りのハンター協会支部があるザバン市へと到着した。
ザバン市はこの大陸を南北に結ぶ交通の要となっており、漁業および交易によって栄えた地方都市である。沿岸地域では昔ながらの漁村風景を残しつつも、市街地では仕事で訪れた様々な人が行き交う賑やかな街であった。
そんなザバン市の中心地に位置するハンター協会支部に、ウタは二日前から世話になっていた。
この二日間で、色々な調査が行われた。
まずは健康調査およびDNA検査。健康状態は至って良好。しかし、DNAに関してはやはり国際人民データに登録されていないことが判明した。
続いて詳しい事情聴取。これはハンター協会ザバン支部の事務方の人間によって行われたが、いかにも役所の人間といった風貌のその職員はウタの説明を話半分に聞いているようであった。無理もないだろう。ウタだって、元いた世界で仮に別世界からやってきたという者が現れれば、信じることが出来なかったはずだ。だからか、ウタも熱心に説明する気にはなれず、なんとなく背景をぼやかして説明した。
それに加えて知能テスト。まだこの世界に来て数日のウタは歴史や地理には大分疎いところがあったが、それでもわずかな期間で多くのことを吸収して平均点以上を取っていた。
なぜか話すことのできるハンター語による言語能力もなかなかの出来だったみたいだし、数学や物理についてはどちらの世界も共通の学問のようで、かなりの高得点である。
何より周囲を驚かせたのは、学習能力あるいは情報処理能力という認知能力を測定するいわゆるIQテストで高得点を叩き出し、なんとIQ200以上という結果が出たことだった。
「あんた、恐ろしく頭が良いんだってね」
ウタは読んでいた経済書から目を離し、向かいの机で頬杖をつくメンチを見た。
豊かな胸元を強調したビキニにごく短いホットパンツとかなり露出の高い服装をしているが、微塵もいやらしさを感じさせないのが彼女のすごいところだ。引き締まった二の腕も腹筋の線が見える露出された腹部もすらりと伸びる長い脚も、決して下品ではなく健康的な印象を与える。これがウタならこうはいかない。もしウタがメンチと同じ服装をしたならば、体格があまりに華奢で貧相な印象を与えることだろう。
メンチはここ1週間ほどはオフのようで、手持無沙汰な様子である。頬杖をつく彼女はせっかくの美人の顔なのに退屈そうな表情を隠そうともしなかった。
それでも、美人で意志の強い顔をした彼女のウタに対する態度が初めて会った時よりも確実に優しくなっていることにウタは気付いていた。
「ええ、そのようですね」
穏やかな口調でウタは答える。
実のところ、IQ200と言われても驚きはなかった。元の世界にいた時も自分が他人より賢いことには気付いていたし、薄々人とは違う知能を持っていると感じていたのだ。
しかしそんなウタでも、急にメンチの態度が軟化した理由は分からなかった。
「そのようですね、って……元いた世界じゃそれが普通なの?」
メンチは半分呆れたような顔で口を尖らせる。くるくる表情が変わる彼女は子供のようで、見ていて飽きない。
ウタの想像の枠内を超えるところが、面白いと思った。まるでごん太のようだ。
「いえ、まさか」
ウタは小さくクスクスと笑う。
ウタはメンチに、今までいた世界の様子を話して聞かせた。文化や世界情勢、人々の暮らし。そしてこの世界にない発達した科学があるが、逆に念能力のようなものはないこと。そして人間の知能レベルはウタの見たところあまり大差がないように思えること。元いた世界でもウタは突出して頭が良く、IQが高いであろうことも自身で予想していたこと。
ともすれば高慢な自惚れともとれる話を、ウタは過不足なく事実のみを上手に伝えるから、メンチは全く嫌味には感じなかった。
ウタのいた世界の話の中でも、グルメハンターというだけあってメンチは特に食文化に興味を示した。
「あちらの世界にはない食材も稀に見ますが、調理方法も含めてこちらとほとんど変わらないと思います。私の住んでいた国はここでいう“ジャポン”という国に酷似していますね。いくつか文献を見ましたが食文化も極めて近いようです」
小首を傾げながら話すウタはとても愛らしく、まさかIQ200の天才には到底見えない。
「ジャポン?」
メンチが目を輝かせる。
「ちょうど私の受け持つ試験内容を、ジャポンの料理から出題したとこなのよ!もちろん料理の知識について問う問題じゃなくて、ヒントから答えを導き出すのが試験の肝なんだけど……ああ、そんなことはどうでも良いわね。私あの国のスシが大好きなの!それでスシを出題したんだけど、スシも故郷にはあったの?」
嬉々としてメンチは語りだすもので、ウタは相槌を打つに徹していたが、“スシ”という単語にメンチに負けず劣らずぱっと目を輝かせた。
「まあ、お寿司ですか?この世界ではとてもマイナーな料理みたいだから美味しい日本食……どころか、美味しい白米を食べることもなかなかできないと思っていたんですけれど」
日本食とはいわゆるジャポン国の料理のようなものです、とウタは付け加える。
初めて見る嬉しそうなウタの様子にメンチは閃いた。
「じゃあ、食べる?お寿司。今晩作ってあげるわよ」
その言葉に一気に満面の笑みを浮かべるウタの顔は、まさしく花が咲いたようであった。
その日の午後は、またサトツに念の稽古をつけてもらうことになっていた。
サトツはザバン支部に着いてからも何だかんだ所用があるようでしばらく見かけなかったが、また念を教えてくれると約束してくれていたのだ。
ザバン支部がある建物はいかにもオフィス街のビルといった風で念の修行に使えそうな部屋はないので二人は二十分ほど歩いたところにある空地へと移動した。メンチも付いてきたそうな雰囲気だったが、夜の仕込みがあるからと、市場へと消えていった。
念の稽古はまずは瞑想のようなものから入り、オーラの流れを掴むことから始めていった。そして次にオーラを拡散させることと、ぴたっと止めることを繰り返し行う。これを“練”と“絶”というらしい。
念能力の知識も交えつつ、的確な表現と力量で指導するサトツは大変教えるのが上手であった。慣れないオーラの扱いに苦労しながらも、二時間も経つ頃にはウタもだいぶコツが掴めてきていた。
とは言え、サトツが言うには念能力は日頃の鍛練が何よりも大切らしい。一人でも行える練習方法を教えてもらい、その日は終わりになった。
オーラを出す修行を半日行ったおかげでウタはへとへとになっていたが、支部までの帰り道のサトツとの話も大変面白く頭はずっと覚醒していた
サトツもプロのハンターでメンチやブハラ同様今回のハンター試験監督を務めたこと。普段は遺跡ハンターとして世界中を飛び回っていること、その仕事内容。
元々遺跡なんかに興味のあったウタは色々と質問をし、サトツはその一つ一つに丁寧に説明をしてくれた。
ハンターという職業はなかなかに面白しろそうだ。
“何かを狩るもの”というのみで細かい決まりはない。それなのにライセンスを持つ者には大きな権限が与えられている。この権限を上手く使えば通常人の立ち入ることのできない場所に行き、見ることの出来ないものを見て、知ることのできないことを知れるのだ。
ウタが欲しかったものが、ほとんど全て詰まっている夢のような仕事のような気がした。
ザバン支部に付くとサトツにお礼を言い、兎にも角にも風呂に直行した。
非常に疲れていて眠たかったが、汗をかいた状態のままベッドに入ってしまうのは避けたかった。熱いシャワーで汗を流し、出る頃には窓の外は綺麗な夕焼け空になっていた。それをぼーっと眺めていたはずが数分も経たないうちに眠りこけ、次に気付いた時にはすっかり日も暮れて暗くなっていた。
起こしてくれたのはメンチだ。感覚的には完全に寝過ぎた、と焦って時計を見たウタだが、まだ夜の七時過ぎで二時間くらいしか寝ていないようだ。余程熟睡していたのだろう。
ほっとすると同時に空腹を思い出し、「スシの準備が出来たわよ!」のメンチの言葉が心底嬉しかった。
食堂に着くとサトツにブハラ、ビーン、そしてネテロ会長も席に付いていた。会長というのはやはり忙しいらしく、彼に会ったのも実に三日ぶり、ザバン市へ到着して以来である。
メンチは食堂の普段食事を提供するカウンターの向こうに立っていた。その前に椅子が並べられて皆座っており、さながら寿司屋のカウンター席のようでウタの心は浮足立った。寿司ネタをずらりと並べて得意げなメンチはねじり鉢巻きを巻いていて、それが中々様になっている。
「さあ、何から食べる?」
ウタが皆に倣い席に着くなりメンチは尋ねた。
魚の種類は分からないが並べられた寿司ネタのうちの青魚らしきものを頼んだ。
「あいよ!」と威勢よく返事をするとメンチは手際よく寿司を握る。数分も待たないうちに出来上がり、皿替わりに敷かれている笹の葉の上に置かれた。艶々としたシャリと脂の乗った生魚が美しい。
皆が注目するので、ウタは最初にいただくこととした。器用に箸で掴み、ほんの少し醤油を付ける。口に入れた瞬間、広がる青魚の旨味と、解れるシャリ。
「おいっ…しい……!」
ほう、とため息を吐いて感動するウタにメンチは満足げだった。
思えば、寿司といっても所詮高校生のウタは高級店などには行ったことなどなく、一流の寿司を味わったのはこれが初めてであった。
「でしょでしょ?これが本物のスシの味ってわけよ。あのハゲが言ってんのは形だけのスシなのよ!」
「まだメンチ根に持ってるんだ……」
あのハゲが誰を指すかは分からなかったが、メンチとブハラのその話ぶりではジャポン出身の受験者がいて、どうやらそのハゲ男にスシの作り方をバラされてしまったらしい。
やがて、皆も次々とメンチに注文する。メンチはどんどん捌いては握り、皆の胃を満足させた。彼らはライスワイン(つまり日本酒のことだ)を飲んで陽気になり、未成年だからと断るウタにもしきりに勧めた。
お酒を飲んだことのないウタは酔っぱらったらどうしようと躊躇いながらも大人たちがそれは本当に美味しそうに飲むもので、誘惑に負けて一口口付けてみることとした。
初めて飲んだお酒の味は、非常に美味しかった。香りはフルーティーで飲みやすく、口の中に残った生魚の脂ととても相性が良い。
皆大いに食べて(大食漢のブハラにはおひつで特性ちらし寿司が提供されていた)、大いに飲んで、満ち足りた食事であった。
ウタもあまり飲み過ぎないように気を付けてはいたものの、良い感じにほろ酔いとなった。
場所をラウンジに移し、食後のコーヒー(これまたメンチが淹れてくれたものだが、とびきりに香りが良く美味しかった)を飲んでいると、ネテロ会長が一本のビデオテープを取り出した。
「なんです?それ……」
巨大なマグカップに生クリームトッピングをされた特製コーヒーを飲みながらブハラが尋ねる。
「ほほほ、三次試験が終わってリッポーから映像が届いたのじゃ。今から皆で見ないかの」
ハンター試験のことだ。
メンチがニヤリとする。
「あらっいいわね」
「えー、でも会長よろしいんですか?」
ビーンはすっかり膨れたお腹をさすり、酔って眠そうな目をしばたかせてウタを見た。
確かにウタは部外者で、試験内容を見せてしまうのはよくないだろう。しかし会長は気にも留めていないようだ。
「構わん構わん。まあウタが見たければ、だがの」
「そーねえ、たぶん結構グロいわよ」
メンチの言葉に一瞬躊躇したが、ウタは力強く頷く。
「はい、差支えなければぜひ見せてください」
「よろしいよろしい。映像は抜粋されたものだから小一時間で終わるじゃろうて」
メンチの言葉通り、映像はショッキングなものだった。
三次試験をクリアした順に映像は編集されていたのだが、一番手はあのヒソカという男であった。
トリックタワーは元は巨大な刑務所であり、長期受刑者が恩赦と引き換えに、試験官として受験者の前に立ちはだかっている。そしてタワー内には数々の仕掛けが施してあり、ハンター試験受験者の行く手を阻むのだ。
ヒソカはいとも簡単にその仕掛けの数々を乗り越えていくものだから、まるで簡単なアトラクションを遊んでいるかのように見えた。どれも一歩間違えれば首が飛んだり、腕がちょん切れたり、目が潰れたりしてしまう代物だというのに。
やがてヒソカは最後の関門である小部屋に辿り着く。
部屋には屈強な男が一人待ち構えていた。
二人は会話を交わす。会話の内容もよく聴こえ、二人の背景が分かる。どうやらヒソカは彼を昨年のハンター試験で半殺し状態にした経緯を持つらしい。
ウタが固唾を飲んで見守っていると、戦闘が開始された。
相手の男が刃物を二本投げる。ヒソカがそれを避けると、男は得意げに更に二本の刃物を追加して投げた。
ぐるぐると勢いよく回転するそれをウタは必死に目で追った。動体視力には昔から自信があり、その刃物の一つ一つの回転を目で追うことが出来た。
しかし実際にこのスピードで迫ってくる刃物に身体が対応出来るかと言えばそれは全く別の話だ。案の上、ヒソカの左肩を刃物一つが掠め、少量ではあるが血飛沫が飛んだ。
普段、血の飛び散る様子など目にする機会のないウタはあっと口を覆う。
このままではヒソカという男が、命の恩人が殺されてしまう―――。
だが次の瞬間、ヒソカはなんと飛んでくる刃をいとも簡単に手で掴んでいた。
あの速度で、回転しながら飛んでくる刃をキャッチするだなんて並みの芸当ではない。動体視力が良いだとか運動神経が良いだとかそんな域を超えている。
「無駄な努力、御苦労様」
そう微笑むヒソカの顔は塔内の燭台の灯りによって逆光になってシルエットしか見えない。
それがまた一層不気味な雰囲気を醸し出していた。
ウタは、相手の男の死を悟った。
ウタがハラハラするまでもなく、最初からヒソカの勝利は決まっていた。この男が無残な死を遂げることは決まっていたのだ。ヒソカという死神の存在によって。
そこからの展開は早かった。
恐怖に叫び声をあげる相手の男の攻撃をするりとかわし、流れるような動作でヒソカは懐に入り込む。あ、と思った次の瞬間にはもう、男の首は飛んでいた。
男の首を落としたヒソカの得物は、なんと、一枚のトランプであった。ただの紙切れ一枚が人間の筋肉、血管、そして骨までも断ち切れるものか。これも念能力の一種であると、トランプを覆うオーラを見てウタは気が付いた。
首を跳ねた瞬間の、ヒソカの顔が恍惚とした色に染まるのを、確かにウタは見た。勢いよく切れる人間の首の感触をカード越しに楽しんでいるようにも見える。
しかし数秒の後、男の首がごろりと足元を転がる頃にはヒソカの顔はすっかり真顔に戻っていた。急速に熱が冷めたみたいだ。さっきまで嬉々として対峙していた頃の熱量は、もうヒソカにはない。
これがきっと、ヒソカという男なのだ。恐ろしい男なのだろう。
それ以上に、とても子供っぽいともウタは感じた。自分の欲求に忠実で、自由で、興味のあるものとないものの落差が激しい。実に子供的な言動が見て取れるのだ。
ヒソカは一番にゴール地点へと辿り着いた。
その後も他の受験者の映像が流れたが、ヒソカの映像が衝撃的だったためか、それほど印象には残らなかった。他の映像も激しい戦闘が行われ、中には命を落とす者もいた。それなのに、いまいち印象に残らないのは、ウタの感性が残酷な映像に慣れてしまったのだろうか。
最期の映像になって、ウタは再び感情が動かされた。最後の受験者は5人1組でタワーを攻略するようになっていた。その5人のうちの二人は、なんとまだ幼い子供であった。
年のころは12,3歳程度であろうか。小学生にも見える。こんな幼い子供までハンター試験を受けれるのかとウタは心底驚いた。
一人は黒髪を逆立てた髪型、明るく活発な少年だ。もう一人は見事な銀髪で猫目の少年である。銀髪の方は生意気そうな嫌いはあるが身体能力は素晴らしく、実際に一人囚人を殺していた。心臓のみを抜き取るその技は暗殺家業によって得たものらしく、つくづく恐ろしい世界だと思う。
しかしそれ以上に、ウタは黒髪の少年の方に釘付けになっていた。
ごん太に、似ているのだ。
似てると言っても見た目の話ではない。野球部であるごん太は坊主だし、この黒髪の少年よりもがっしりとした体形である。でも小学生の頃のごん太はちょうどこの黒髪の少年のような体形だった。名前も、どことなく。
何より、屈託ない無邪気な笑顔がとても似ている。周囲の人を皆味方に付けて、明るい気持ちにさせるような笑顔がウタは大好きだったのだ。
彼らは制限時間ギリギリ、すんでの所でゴールした。これも黒髪の少年の機転があったからだ。ウタの目には黒髪の少年がすっかりごん太の姿に重なって見えていた。