予言の詩


 午前中の日差しを浴びて、広場の噴水がきらきらと輝いている。もう八月も終わるというのに日差しはまだまだ厳しく、街も人々も燦々と照らしていた。
 それでも、つい最近までウタが滞在していたジャポンとは違い気候はカラリとしている。同じ気温でも湿度がないだけで大違いだ。気温はほぼ等しく、湿度はずっと低く、しかし日差しだけはやや強く感じるのは、ジャポンでは見ない真白い石畳の道のせいかもしれない。
 噴水の脇を通り過ぎて広場を南西に曲がる。角から二軒目に建つカフェテラスが約束の店である。すぐさま、店先から声をかけられた。
「ウタ! こっちこっち!」
 店先のパラソルが作る日陰の下で大きく手を振る女を認めてウタは笑顔を作る。彼女は鮮やかな色の髪を頭部でいくつも束にして縛り、キャミソール一枚というラフな格好で、豊かな胸元にはサングラスを引っ提げていた。ホットパンツからすらりと伸びる筋肉質な無駄のない長い脚はカフェテーブルの下で組まれ、少し日に焼けたようだ。
「メンチさん」
 駆け寄り、ウタはメンチの向かいに腰掛けた。
「久しぶりね。元気だった?」
 夏を体現したようなメンチの眩しい笑顔は相変わらずだった。彼女はウタとの再会を喜びつつも、手早く店員を呼ぶ。
「この通り、元気いっぱい。メンチさんも元気そうで良かった」
 ウタは帽子を脱いだばかりのところだというのに、もう店員が注文を取りに来た。
「ここね、ジェラートが絶品なの。オススメはピーチかヘーゼルナッツかココパイン。エスプレッソとの相性抜群よ」
 スラスラと説明するメンチのオススメに従い、ウタはピーチ味のジェラートとエスプレッソを選んだ。メンチはヘーゼルナッツと、やはりエスプレッソをダブルで注文する。
「すこぶる順調みたいじゃない」
「あなたの見繕ってくれた料理人のおかげよ」
 パタパタとハンカチで顔を仰ぎ、ウタは朗らかに笑う。
 数か月前にウタが始めたジャポン料理店ヤマト≠ヘ世界的なブームを巻き起こしていた。本格的なジャポン料理を味わえる高級ラインの店ながらも、ランチタイムのセットやテイクアウト品は価格が抑えられ、様々な層に受け入れられている。店内装飾はジャポン風情を感じられるもので、最初は物珍しさで集客したが、各大陸毎にメニューや味付けを変えることで確実に味の方でもリピーターを増やしていた。
 それもこれもウタの経営手腕、“箱庭”の中でどんな日本料理が諸外国で流行したかという言わばモデルコースがあること、そして本格的なジャポン料理とそれを自在にアレンジする腕の良いジャポン料理人をグルメハンターであるメンチに斡旋してもらったことが事業の成功に繋がっていた。九月一日からは、ヨークシンシティ店の一号店が開店する。
 特務課の男達から逃げるためにメンチから借りた四十万ジェニーは、この事業を開始する前にメンチに返済した。一ジェニーもの過不足なく返したのは、お礼の意味で色を付けてもメンチが受け取らないと分かっていたからだ。その代わりウタはメンチにジャポン料理人の斡旋を依頼した。仕事であるから、報酬は十二分に支払っている。
「ヨークシン店もすごい前評判よ」
 メンチはウタにウインクして、グルメ雑誌を見せた。ヤマトの取材記事が見開き二ページに渡って大きく取り上げられている。

 二人はしばしジェラートを楽しみながら近況報告に花を咲かせたが、一通り話し終えると不意にメンチが真剣な顔をした。
「それで、ヨークシンに来た目的は?」
 彼女は肘を付いてウタの顔を覗き込む。豊かな胸元にかけられたサングラスが鈍く、パラソル越しの弱い日差しを反射する。
「もちろんオーナー経営者としてはヨークシン店の開店を見るのが大きな目的でしょうけど……この時期にヨークシンへの進出をぶつけたってのは意味があるんでしょ? ……大商人ガネーシャ≠ニしては」
 メンチがにやりと笑い、ウタも微笑んだ。
「ええ。ヨークシンシティで開催されるオークションは世界最大規模のものだわ。当然集まる人も物も、そして情報も桁違い。店の話題性を増して集客するのと……、それから、個人的な情報収集も兼ねてるの。メンチさんは?」
「私はオークションには興味ないわよ。明日にはヨルビアン大陸東岸に移動して、黄金のトウモロコシを収穫に行くわ」
 メンチはひらひらと手を振って答えた。確かにグルメハンターのメンチにとっては金銀財宝よりも極上の食べ物の方が価値が高く、どれだけ珍しくともただの物に興味はなさそうだ。黄金のトウモロコシがどういったものか分からないが、きっとこの上なく美味なのだろうとウタは思う。
「よかった。それを聞いて少し安心したわ」
 エスプレッソカップの底に残った澱を飲み干しウタは言った。メンチがキョトンとした顔で見るので続ける。
「オークションを取り仕切るマフィアンコミュニティ界隈がね、穏やかじゃないの。何かしらの、小さくはないトラブルが起こることが予想されているわ」
「トラブルって?」
 メンチの疑問にウタは首を振る。
「分からないのよ。正確なことは何も。けれど、それは確実に起こるわ」
 ウタの説明にメンチは口をへの字にさせた。彼女の言いたいことは分かる。正確な情報はないが、何かしらの事が起こるという当てずっぽうにも似た話なのだから。しかしウタには心当たりがあった。S級の犯罪集団である幻影旅団。個々での仕事はこなしつつも、全旅団員が一堂に会することは記録上――ウタの調べた限りではあるが――ここ数年はない。それがオークションの開催時期に合わせ全団員に召集がかかったのだ。そして一月前にジャポンで出会ったクロロという名の男。彼が旅団の頭であることも、他者の能力を盗むというその能力の概要も、ヒソカから聞き及んでいた。聞いていてよかったと心から思う。事前の情報がなければ、ウタと言えど有利に立てることはなかなかに難しかった。それ程までに厄介な相手である。
「だからね、トラブルの程度は分からないけれど、オークション開催前にヨークシンシティを離れるのであれば巻き込まれることはないから、安心したの」
 九月に入るまでにあと三日ある。メンチが明日出発するならオークション史上に残るであろう大事件に遭遇する可能性は低い。メンチは納得いってない顔で鼻を鳴らした。
「私のことはともかく、あんたは大丈夫なわけ? そのオークションの真っただ中に行くんでしょ」
「十分用心するから平気よ。何とかなるわ」
 さらりとウタは言いのけて、メンチは肩をすくめた。ウタという人間の本質を知らなければ楽観的な言葉に説教し止めたかもしれない。しかし彼女の知能はメンチの想像を遥か超えて高いことを十分理解している。だから「何とかなる」の言葉もいくつもの根拠と確かな理論に裏打ちされたものであるのだ。しかしだからと言って、心配しないわけではない。メンチは大きく伸びをした。
「ま、大丈夫だろうけど気を付けなさいよ」
 ウタは自立した一人の女だ。メンチが庇護するべき子供ではない。彼女の選択を尊重したかった。
「気を付けると言えば」
 ふと思い出してメンチは伸ばしていた両腕を戻す。コロコロと変わる表情にウタは小さく笑った。
「あのトランプマンとはまだ関りがあるわけ?」
「トランプマン――ああ、ヒソカのこと。そうね、ここ数か月は会っていないけれど。オークションには来るみたいだからそのうち会えると思うわ」
 ウタの言葉にメンチが思い切り顔を顰めるのでそれがまた面白かった。ヒソカは旅団のメンバー全員に、ヨークシンに集合がかかっていると言っていた。さらに旅団の頭であるクロロは、九月に大きな仕事があると言っていた。オークションに際し世界中から集まった品々を幻影旅団が盗むことはまず間違いないだろう。
「そうそう、ヒソカって名前だったわね。じゃ、奴に会う前にさっさとここを離れないとね」
 そう言った直後、わざとらしく舌を出していたメンチの表情が瞬時に強張る。何かを察知した様子だ。一拍遅れて、ウタもピリッとした緊張感に気が付く。圧倒的な強者の鋭いオーラだ。

「……ヒソカだって?」
 声は二人の真横、テラスの面する通りからかけられた。男女の四人組が驚いた顔でこちらを見ていた。そして、その中の一人の女には見覚えがあった。ウタも思わず身を固くする。
「あっ」
 女の方もウタに気が付いて声を上げる。猫目を丸くさせウタを見つめるその女は、天空闘技場でヒソカの部屋を訪れていた女だ。名を確かマチという。彼女も旅団の一員であることを、勿論ウタは知っていた。数秒マチと無言で見つめ合った後、ウタはそろりと視線を後ろのメンバーに向けた。黒い長髪を背中まで伸ばした目付きの悪い男は猫背であるがすらりとした長身である。腰には刀を提げていた。その男と同じくらいの背の長身の女は恐ろしい美人である。鷲鼻に長い睫毛を持ち、どこか気だるげな雰囲気だ。そして最後の一人は一般的に長身の部類に入る先の二人とも比較にならないほどの大きさだった。背はウタとメンチが座るパラソルよりも大きく、筋肉隆々とした身体は小高い山のようで目の前に立つだけで圧倒されるものがある。三人ともマチと同じ旅団員であることは、その類稀なる強力なオーラの流れと雰囲気から容易く想像できた。
「マチ、顔見知り?」
 鷲鼻の女が猫目のマチに尋ねた。
「ヒソカにこの仕事を伝えに行ったときに会っただけさ。どうもヒソカの知り合いらしいけど……詳しくは知らないね」
 マチが改めてウタの顔を眺めながら言う。他の三人も自ずとウタを上から下まで観察した。
「ヒソカの知り合い……なあ」
 長髪の男が不躾な視線でウタを眺めまわして呟く。不精な中にも鋭さのある眼光には猜疑心と僅かな哀れみとが見て取れた。鋭利な刃のようなオーラがウタに向けられる。幻影旅団という犯罪者集団の中においても、ヒソカという男は異端らしいことが窺えた。
「なによ、いきなり失礼ね」
 臨戦態勢を取ったのはメンチだった。彼女は一流のハンターだけあって、肌で彼らの強さを感じ取ったようだ。威嚇するような視線を送りながらも、万が一の場合にウタを庇いながら逃げる算段を考えて通りの向こうをそれとなく探った。
「まあまあ、ねーちゃんそんな喧嘩腰になるなよ。なあ、おい。ヒソカは来るのか?」
 一番の大男がメンチを宥めながらもウタに尋ねる。その顔には不遜な笑みが浮かんでいて、場を収めたいわけではなく、ただウタとメンチに興味がないだけで機会さえあれば白昼の街中だろうと乱闘騒ぎを歓迎する雰囲気があった。
「ええ、そのはずです」
 ひりつくようなオーラの中、ウタは慎重に口を開く。
「連絡が付かないのでいつヨークシン入りをするかは分かりませんが」
 僅か目を伏せるウタに、つまらなそうに大男が鼻を鳴らした。
「ま、そうだろうな」
 ウタは伏せていた目を上げて一同を改めて見回し、最後に鷲鼻の女に目を止めた。
「あなた方は、ヒソカとお仕事ですか?」
 鷲鼻の女は表情を変えずに、じっとウタを観察する。
「ええ、そうよ」
「どんなお仕事ですか?」
 今度ははっきりと、女は眉根を寄せる。
「世の中にはね、知らない方がいいことがたくさんあるのよ。もし知っていて聞いているのなら質が悪いわね。大怪我する前に言動を改めた方が身の為よ」
 鷲鼻の女の忠告にウタは素直に頷いた。
「以後気を付けます」
 呆れたように長髪の男が鼻をため息を吐く。
「嬢ちゃん、金の為か仕事の為か知らんが、ヒソカみたいな奴とは縁を切った方がいいぞ」
 鷲鼻の女から黒髪の男に視線を移し、ウタはゆっくりと瞬いた。暗い茶色の瞳の中の緑の虹彩が乾いた日差しに反射する。
「私はそうは思いません」
 穏やかだがしっかりとしたウタの口ぶりにパクノダは怪訝な顔をした。ため息を吐いた長髪の男も、つまらなそうな顔をしていた大男も、初めてウタに興味を持ったような表情を見せた。
「ねえ、そろそろ行くよ」
 マチが顎で通りの向こうを指し示したので、彼らがそれ以上ウタに何かを追求することはなかった。わずかばかりもたげたウタへの好奇心もすぐに鳴りを潜め、意識はすでに別のところへ向いていた。あっさりと去っていく四人の目立つ後ろ姿を見届け、通りの向こうに消えてしばらくしてから、メンチが盛大に息を吐いた。
「……はあー……、ウタ、あんたねえ」
 額を手で押さえ、メンチは苛々とした目をウタに向ける。ウタは眉を下げすぐに謝った。
「ごめんなさい。こんなにも早く遭遇するなんて想定外だったわ」
 メンチは目を細めてウタを見据える。
「なんなのあいつら、只者じゃないわ。分かってるでしょうけどね、分かってる? 本当に分かってる? あれは相当にやばいわ」
 興奮気味にメンチは捲し立てた。彼らが旅団であることは知らないが、その強さを直に感じたのだろう。メンチの非難をウタは眉を下げたままで黙って聞いていた。一頻り言いたいことを言い終えると、メンチは二回目の大きなため息を吐く。
「……ま、あたしがどれだけ言ったところで、ウタのことだから全て織り込み済みなんでしょうけど」
 諦めたようにメンチは脱力した。店員を呼び、グラスワインを注文する。
「こんなに早く遭遇するのは想定外ってことは、遅かれ早かれ接触するつもりだったんでしょ。収穫はあったの?」
 メンチはウタの右手に視線をやって聞いた。旅団と対峙し警戒心を彼らに最大限向けながらも、ウタがその手に何かを握っていることに気付いていたのだから流石である。
「うん、ばっちりよ」
 申し訳なさそうな顔をしていたウタがコロッと悪戯っ子のように笑うものだから、メンチは怒る気力を失くしてしまった。
 ウタは右手の中のものをメンチに見せた。親指の先ほどの黒い小さな機械だ。
「音声レコーダーよ」
「録音してたの?」
 何の為だかさっぱり分からずに、メンチは口をへの字にさせて聞いた。
「解析が得意な知り合いがいるの」
「そのデータをどこかに売ろうってわけ?」
「違うわ。解析したデータを基に、特定の人物の音声を判定するためよ」
 いよいよ以て訳が分からず、メンチはこめかみを抑えた。ちょうど注文していたグラスワインが届いたので、細いグラスの脚をむんずと掴み、赤い液体を一口に飲み干した。
 これ以上はもう、きっと何を聞いても無駄である。ウタは不必要なことは口にしないだろうし、口にできる範囲のことでは、メンチには理解できないのだ。
「仕方ないわね、あんたが決めたことだもの」
 乱暴な飲みっぷりとは裏腹に、ナプキンで上品に口元を拭いメンチは苦笑する。
「でもね、心配くらいはさせてよね。困ったらいいなさいよ。助けられるかは別だけど」
 そんなメンチをウタは眩しそうに見つめた。
「ありがとう。助けが必要な時は、遠慮なく頼らせてもらうわね」
 有難いのはウタの本心だった。メンチもそれを分かっているからだろう。これ以上の小言は言わずに頷き、ウタの肩を叩く。彼女が助けを求めるのは余程のことがない限りないのだということもまた、分かっていたけれど、「私が困った時も頼むわね」と笑い返すのだ。



 九月一日、残暑と呼ぶには眩しすぎる日差しを避けるようにして、ウタは色とりどりのテントの屋根の下を選んで歩く。残暑という概念はそもそも日本にしかないのかもしれない。この大陸の太陽は一年の内の半分は眩しく、どこか白い気がする。その代わりに湿度が低いのは大変有難いことではあるが、目に刺さるようなこの白っぽい日差しがウタにはどうにも馴染まなかった。からりとした気候は気持ちよくて気に入っているのだが。真白い日差しは、生まれ育った日本ではどちらかというと冬の専売特許であった。
 メンチは今頃、黄金のトウモロコシなるものに齧りついている頃だろうか。

 目当ての店に辿り着いて早々に、ウタは目的の品を見つける。深緑のテントの下でしゃがみ込み、店主の太った中年男性に嫌味じゃない程度に笑いかけ、それを手に取った。青銅製の小物入れとして売られていたが、特殊な形状をしている。八角形の容器の内側にそれぞれの辺から突起が出ていて、星型のようになっていた。青錆びが浮いていることからも大した手入れもされずに扱われてきたことが窺える。案の定、値札にはまだ誰の書き込みもされていなかった。
「あのう、すみません」
 ウタが呼びかけると店主は読んでいた新聞から顔を上げた。ウタの姿は認識していたはずなのだが、初めてその顔かたちを見たとでも言うように愛らしい顔立ちを眺めまわした。
「この品物なんですけど」
 ウタが値段交渉をして間もなく、すぐ後ろの通りでどよめきが起こった。人だかりが出来ていて、何かしらの催しが行われているみたいだ。この時期の市場の競売市ではそこかしこで何かしらの騒ぎが起きている。
 無事に交渉を終え、帰りがけに人だかりを横目に見ていくと、その中心には何とゴンがいた。傍らにはキルアとレオリオもいて、手書きの「腕相撲競売」の看板を掲げている。
 彼らと過ごしたのはたった数か月前のことなのに懐かしい気持ちが胸に込み上げる。
(今はまだ、時期じゃない――)
 ゴンのあの無垢な笑顔に会いたい気持ちは有り余るほどにあったけれど、ウタはそっとその場を立ち去った。

 次にウタが姿を現したのはその日の昼過ぎ、ヨークシンシティの中心地に位置するホテルのラウンジであった。値札競売市を彷徨いていた時のジーンズのズボンにラフなシャツという出で立ちとは打って変わり、仕立ての良いネイビーのワンピースを着用している。
 地上五十階からのヨークシンシティの羨望を独占できる窓際のテーブルに座るのはウタの他に男が二人。一人は三十代半ばだろうか。高級ブランドがこの夏出した新作のジャケットを着用し、左手首にはプレミア価格の付いた腕時計が光る。彼は天空闘技場で活動する「戦闘マニアの会」の中心人物だ。最初にウタに出会った時からその容姿と聡明さに惚れこんでいる。もう一人の男はもっと年齢が上で、白いポロシャツだがそれもやはり相当に値の張るものだ。彼も時折「戦闘マニアの会」に顔を出していた男である。
 甘みの強いカクテルで乾杯をし、三人は近況を報告し合い、今期のオークションでの狙いについてお互いの腹を探り合った。
「時にロットフェリ君。気になることがあって私に聞きたいのだろう?」
 各々のグラスが残り半分程になったところで年配の男が切り出した。減り方が三人とも同程度なのは互いに自ずとペースを合わせていたからだ。若い方の男――ロットフェリは残ったアルコールをゆらゆら揺らして勿体ぶった後に一口含み、年配の男に向き直る。
「今月から評判の占い師に見てもらい始めたんですが――あなたは、古くから彼女の顧客でしたね?」
 品のある笑みを湛えながらも、予想外の話題にウタの関心は高まった。尋ねられた年配の男は意味ありげにウタに視線を寄越した後にロットフェリに笑いかけた。
「おお、ということは君もあの予言が出たんだね?」
「君も……ということは、貴方も?」
 ロットフェリが困惑した顔をしたので、男は満足そうに自らの髭を撫でつけた。
「どういうことですの?」
 愉悦に浸る男を持ち上げるようにウタが尋ねる。
「百発百中の凄腕の占い師がいてね……間違いなく当たるものだから、この業界では有名人だよ。なに、私はだいぶ昔から毎月占ってもらっていたんだが、ここ最近は特に人気が急増で新規の客を絞っているらしく――ロットフェリ君もよくねじ込めたものだ――まあ君のお父さんはあの組に大分援助をしていたからな――まあとにもかくにも、その占い師の予言は毎月四篇の詩から成っていてね、それぞれの詩がそれぞれの週に起こることを暗示しているのだ。それがね、今月は私が知る限り三人の顧客に同じ詩が現れた。一言一句違わずにね――」
 饒舌に喋る男は抑えきれない興奮が頬の紅潮に現れていた。彼はウタに携帯の画面を見せる。紙にインクで書かれた文字を写したもので、次のことが書かれていた。

 何もかもが値上がりする地下室
 そこがあなたの寝床となってしまう
 上がっていない階段を降りてはいけない
 他人と数字を競ってもいけない

 その画面を見せられた数秒の間、ウタの脳がスーパーコンピューターの如く稼働し、その意味を咀嚼し、幾通りもの未来を予測し、筋書きを見つけた。それは特殊能力によるものではなく、全て根拠と論理からはじき出す計算によるものだ。
「ああ、やはり僕のものと全く一緒です」
 ウタの隣から小さな携帯の画面を覗き込んだロットフェリが呻いた。
「この詩が出たのは君で四人目だ。そしてこの詩が出た者に共通するのは……」
「今年のオークションに参加すること……」
 ロットフェリが言葉を引き継ぐと、男はわざとらしくウインクしてみせた。
「御名答。だからね、各組の幹部の中では今回のオークションでは何か重大な――それこそ人が沢山死ぬような――事件が起こると言われているよ」
 芝居っぽく声を潜めて男は言う。死を予言されたというのにその顔は一大イベントの気配に嬉々としていた。
「か、回避する方法はあるのでしょう?」
「勿論さ。この占いは必ず当たる。裏を返せば、詩の通りの行動を避ければ、未来を変えられるということさ。簡単に済ませるなら、オークションに参加しなければいい。だが年に一度のお楽しみを奪われるのは癪だからね……オークション会場を地下から地上の階へ変えてもらうよう掛け合っている」
 得意気に男は腕を広げた。
「この占いが出たのはいつなんですか?」
 すかさずウタが尋ねる。
「まさに今日の昼前に届いたところだよ。この待ち合わせに遅れたのはそういうわけさ」
「まあ――流石の対応ですわ。でも、明日からはともかく今夜の会場をいきなり変更できるものなのでしょうか」
 素朴な疑問をぶつけるウタに、よくぞ聞いてくれたとばかりに男は身を乗り出す。
「君の言う通り、別会場を押さえて新たに万全のセキュリティを構築し、関係各所へ通達するには些か時間が少なすぎる。それに変更の根拠がただの占いというのは、説明に窮するからね。だからオークション自体は予定通り地下の会場で開催し、念の為、オークションの品を安全な別の場所に移すのさ――しかしこの占いを知っている有力者達は、今夜のオークションには出向かない。買い物なら部下に頼めばよいからな。君達も、今夜は行かない方がいいぞ」
 ヒソヒソ声で話すものだから、自然と三人は額を突き合わせるような格好になった。ロットフェリの喉がごくりと鳴る。
「ご忠告感謝します……。しかし、オークションの品を移すと言っても莫大な量だ。そんなもの運んでいたら、何かあったのではないかと噂になりませんかね」
「彼の占い師には十老頭にもファンが居る――元締めの十老頭が占い結果を信じているからこそ出来た対応であり、財宝の数々を誰にも知られずに秘密裏に運ぶことなど、彼らにとっては容易いのさ」
 ウタは驚いた表情を作りながら莫大な量の財宝を誰にも知られずに秘密裏に運ぶ方法を考えた。いくつもあるが、最も確実かつ速いのは、運ぶことに特化した念能力者の存在だろう。
 あまり気乗りしない会合だったが思わぬ収穫だった。オークション前に有力者の何人かに会っておいた方がいいだろうとの考えで彼らに会いに来たわけだが、予想以上の情報が得られたのだ。集合する旅団とその仕事。クラピカの能力。ゴン達の動向。クロロの発言。そして予言の詩。ウタの中でそれらが繋がり始めた。




back



- ナノ -