夏の陽射しはそれぞれの影を長く伸ばして


「それじゃあ、お疲れさまでした」
「お疲れ様っす!」
「お疲れ〜」
「お疲れ様、ゴン君」
 皆から口々に労いの言葉をかけられ、気恥ずかしさ半分、誇らしさ半分でゴンは笑う。
「乾杯ー!!」
 カチンカチン、と小気味いい音が響き、宴が始まった。天空闘技場ほど近い大衆料理店で卓を囲むのはウイング、ゴン、キルア、ズシ、そしてウタの五人である。テーブル上には既に大盛の揚げ物、ピザ、焼きそばに餃子と見ているだけでも胸焼けしそうな量の料理が並べられていた。それを男性陣は、とりわけ子供達はものすごい勢いで平らげていくのをウタは驚きの顔で見ていた。
 午前中に対ヒソカ戦の試合を終えたゴンの慰労会、およびお別れ会を兼ねた昼食会である。
「やっぱりゴンさんはすごかったっす」
 口いっぱいに頬張ったままでズシが言った。
「いや〜でも負けちゃったし……」
 後頭部を掻いてゴンは苦笑いする。
「ヒソカ相手にあれだけの戦いを出来たのですから、大健闘ですよ」
 ウイングは子供達と違いウタに合わせてゆっくりと食事していたが、それでもウタから見れば彼だってだいぶ大食いの部類だった。
「そうっすよ!テクニカルジャッジって言って、審判によっては危険な試合だと判断したらガンガン減点してく場合もあるみたいっす!だから今日の試合もそれでだいぶゴンさんに不利だって言われているっス」
 食べる手は止めずに、ペラペラと得意顔でズシが喋る。
「へえ、そういうのもあるんだな」
 キルアが感心すると自分のことのように悔しそうにズシは頷いた。
「そうなんすよ。だから本当はもっと接戦になるはずだった試合も早く終わったりして……あー、せっかくなら操作系の性格も教えてほしかったっす……」
 ズシは大袈裟に項垂れ、ウイングは呆れた目を向けた。
「……一番悔しかったのはそこですか」
 的確な指摘に皆が笑う。ズシは慌てて「違うっすよ」と両手を振った。一緒になって笑いながら平和で楽しい時間だ、とウタは素直に思った。
「前に聞いた話だと操作系は確か――“理屈屋、マイペース”だったかな」
 ヒソカの言葉を思い出し告げると「ええ」とズシはショックを受けていた。
「当たってるな」
「当たってますね」
「うん」
 他の三人も揃って肯定するものだから、いよいよズシは頭を抱える。
「自分てそんな感じだったんですね……」
 あはは、とさらに大きく一同は笑った。
「しかしよ」
 コーラをゴクゴク飲みながら、キルアがウタの方を窺い見る。
「ヒソカとそこまで仲良いなんてなぁ」
 キルアのグラスが空になったので追加のコーラと、ついでにオレンジジュース、ウーロン茶を頼んでからウタはキルアに向き直った。
「ふふ、信用できない?」
「そうじゃねえけど……いや、まあそうだわ」
 素直に認めたキルアが可笑しかったが、ゴンはそうでもないらしい。
「キルアったらまたそんなこと言って」
「だってヒソカだぜ?あの変態と対等な関係築けるなんて、絶対普通じゃない」
 ゴンの小言にキルアは両手を上げて肩をすくめた。ウェイターの運んできた飲み物を受け取り各人に渡しながら、ウタは答える。
「まあ気持ちは分かるよ。ヒソカ本人にも変わってるって言われたし」
「ひょえー、ヒソカから変って言われるってやっぱり相当変じゃん」
「もう、キルア!」
 失礼だよ、と咎めるゴンにウタは微笑んだ。
「あんた身の拠り所ないそうだけどどうやって収入得てるの?」
 ゴンのことはお構いなしに、臆せずキルアは質問した。
「ええとね、初期の頃は株とか資産運用とか色々。最近は新しいビジネスを始めたのでそっちをメインに活動するつもり」
 すっかりお腹いっぱいになったウタは紙ナプキンで口元を拭いて説明する。少年たちの食べる勢いは未だ衰えない。
「ビジネス?」
「うん、はいこれ皆さんも」
 ウタは続いて手を拭いた後に名刺を人数分取出し、皆に配った。白地の名刺の中央に細いフォントで五文字の言葉が書かれているシンプルなものだ。
「……“アマテラス”?」
 書いてある文字を読み上げゴンが名刺を裏返す。詳細は一切書かれておらず、連絡先が載っているだけだった。
「簡単に言えば、あらゆるものを直す仕事。事務所はモラダ地区に構えて、もう何人か事務の人も雇っているわ」
 少年たちは顔を見合わせた。この中でウタの能力について詳しく知っているのはウイングだけだから無理もない。前述の通り、ウタは元々借りていた部屋を一旦解約し、再び別の名義で借りて、このビジネスの事務所としたのだ。
「……随分と漠然としてるっすね」
「こんな名刺じゃどんな業務内容か分からないぜ」
 頬杖をついてウタは少年たちを交互に見つめた。
「いいのよ、それで。分かる人には分かるから」
 ふうん?とよく分からない顔でゴンが追加のピラフとカルボナーラを頼んだ。まだ食べるのかとウタは苦笑する。
「つまり、この名刺からどんな業務内容か分かる人じゃないとお呼びじゃないってことですね」
 ウイングが補足してくれたのでウタは頷く。
「そうです。たとえばそう、ハンター専用サイトなんかもその一つ」
「あっなるほど」
 ゴンが納得したように声を上げた。キルアも「へえ」と感心しながらも何かを思考しているようだ。
「でもさ」
「うん?」
「そんな始めたばかりのビジネスで、情報を制限してたら宣伝効果が薄いっつうか……最初はほとんど客なんか来ないんじゃないの?」
 キルアの指摘に賢い子だな、とウタは微笑む。
「そうね、でも世の中にはネット上の情報を操作して、自然に、あたかも知る人ぞ知る大物、みたいな印象操作を得意とする人もいるのよ」
 ウタの言葉に難しい顔をしてキルアは考え込む。
「それは……知ってるけど」
 まさにあなたが今思い描いているお兄さんに依頼したの、ということまでは無論言わなかった。ミルキのおかげで、既に闇の世界でウタの始めたビジネス「アマテラス」の知名度は上がっていた。
「ところで」
 ウタはさも今思い出したかのような顔で切り出す。
「この間、キルアのお家にお邪魔したわ」
 一瞬間が空き、キルアとゴンが同時に声を上げた。
「はあ?!」
「なんでまた」
 実にいい反応で、認めたくないけれどからかいたくなるヒソカの気持ちが分かってしまう。
「何でって言っても……たまたまなのだけれど」
 ウタは笑いを堪えて小首を傾げてみせた。
「たまたま行くような家かよ」
 すかさず入るキルアの突っ込みは尤もだ。
「お母様、すごく心配なさってたわよ」
 また一段と面白くなってきた心の内とは裏腹にウタがそれらしい表情で告げると、キルアは思い切り顔を顰めた。
「だから何だよ、帰る気なんてないぜ。まさか俺らの情報流したりしてないよな?」
 警戒した面持ちのキルアにとうとうウタは笑い出す。
「ああ?!」
「あはは、ごめんごめん。あまりにも真剣だから……安心して、君達の居場所や行動を逐一報告するような野暮な真似はしていないから――まあそうは言ってもあのお家じゃ容易く現在地くらい把握しているだろうし――もしかしたらここでのことも、キルアの試合のビデオは全部入手したりするかもね」
 どうにか笑いを鎮めてウタが言う。キルアは一瞬きょとんとした顔をした後に舌打ちした。
「……ったく、良い性格してやがるぜ」
 ゴンも不思議な生き物を見るような目でウタを眺める。ウタは悪戯っ子の顔でゴンに笑いかける。ゴンは苦笑した。
「あー、ヒソカと仲良しなのが、少し分かった気がしたよ」



 ゴン達を見送った後、ウタはヒソカと合流した。
「お別れ会はどうだった?」
 川沿いの道を並んで歩きながら、ヒソカが尋ねる。
「確かに、からかいたくなるね」
 ウタがヒソカを見上げて言うと、彼はにんまりと笑った。
「ウタも僕のこと言えないね」
 七月に入り、緯度の高いこの国でも気温はだいぶ上がっているが夏の陽射しが水面に反射して、涼し気だ。
「あら、私は“青い果実”を壊したいなんてこれっぽっちも思わないし、戦闘中に興奮する変態でもないわ」
「酷いなあ」
 さして酷いとも思っていない顔でヒソカは口の端を歪める。
 二人は川の流れに逆らうように緩やかな坂を上り、石畳の道を抜けた。右に脇道を逸れるとでこぼこの石段が小高い丘の上の方まで続いている。
 特に急ぐ用事もない二人はのんびりと石段を登った。古くからある石造りの家々からは生活の気配がする。ウタは地域の特徴が色濃く出る風景を楽しみながら、何となく箱庭の中に住まう人々の営みを思った。石段を登りきるとちょっとした見晴らし台に辿り着く。眼下には石造りの古い町並み、その奥に比較的新しいビル群、そしてもっと奥には聳え立つ天空闘技場が見えた。見晴台の石壁はウタの胸ほどの高さで、もたれかかって顔を覗かせれば下から吹き上げる風が石段に汗ばんだ前髪を散らして、心地いい。
「これからどうするの?」
 隣で同じように街の景色を眺めるヒソカに尋ねる。ヒソカは「ん−」と口の中で唸って石壁に乗せた両腕に顔を沈めた。目だけは外に向けている。
「九月のヨークシンシティのオークションまではさしたるイベントもないし、クロロの動向を追いつつオークションを待つ感じかなあ」
「クロロ?」
 聞き返すウタにヒソカは首を傾げてみせた。
「言ってなかったっけ?幻影旅団の団長さ」
 幻影旅団の団長こそ今ヒソカが一番戦いたい相手であることは何となく聞き及んでいた。その為に団員になった振りをしていることも、本人から聞いた。そんな肝心なことを軽々しくウタに喋っていいものかとも思うが、本人は大して気にしていないらしい。極悪非道の犯罪集団の頭はクロロと言うのか。
「ウタは?」
 今度はヒソカが尋ねた。
「私は資金と情報を集めつつ、残りの能力の条件を満たすために旅立つわ」
 ウタが穏やかに微笑む。七月にしては湿度の低い風がウタの長く柔らかい髪を揺らした。
「残りの能力――ダイヤとクローバーとハートだね」
 ヒソカの言葉にウタは頷く。
「一番近いのはたぶんダイヤ……条件はゲブドラの花という王国に伝わる宝石を得ること。珍しい宝石だから情報を集めるのは容易いし、宝石を手に入れるための資金も、そう遠からず集まるわ。それからクローバー……条件は一族の遺跡を全て訪れること。これは時間がかかりそうだけど、ゲブドラの花を手に入れる道中、一つずつ足を運ぶしかないわね」
 ダイヤの能力を得るためにゲブドラの花を入手する道すがら、クローバーの能力を得るため遺跡を訪れる心積もりでいた。九月のヨークシンシティも行くつもりだ。世界的なイベントだから、数多の情報が集まり、それらを得るチャンスなのだから。
 ウタにとっては、富を得ることも、秘められた情報を探ることも、今は亡き王国の歴史を辿ることも、どれも容易いことなのだと、揺れる毛先を眺めながらヒソカは思った。
「一番難解なのはハートか」
「そうね」
 ウタはぐっと伸びをする。
「条件は“愛を知ること”か――何だと思う?」
 ヒソカもつられて腕を伸ばし、ウタに聞いた。
「これはあくまで推測だけれど……たぶん、出産じゃないかな」
 小さく息を吐いてウタは答える。
「“愛を知る”だなんてとってもあやふやだもの。心の内なんて測りようがないし……、誰にとっても分かりやすいのは子をなすことだわ。それはカランマ国が女王制の国で、子を為さなければ国家の存亡が危ぶまれることからも、それを条件とするのは必然な気がする」
「なるほどねえ」
 ウタの見立ては納得のいくもので、恐らく正解なのだろうとヒソカも思う。ならやはり、すぐに実現するのは一番難しいし後回しにすべきなのだ。
「あれ」
 ふと思い立ってヒソカは呟いた。伺うような姿勢でウタが見上げる。
「君のお母さんは先代の女王として――父親は誰か分からないのかい。どうやって歴代の女王は次代の父となる人物を選んでいたんだろう」
 ヒソカの疑問にウタは肩をすくめた。
「分からないのよ。相手はいつだって優秀な遺伝子を持った者を女王自身が選び、生まれた女児の中から最も優れた子が次代の女王となった。相手が一人とは限らないし、より優秀な遺伝子をかけ合わせるために子の父親が全員違うなんてこともざらにあるらしいわ。だから、私の父親に関しても全く分からないの――…ただ王国の滅亡と重なったこともあり先代女王の子は私一人だけだったみたいだけれど」
 ウタは苦笑する。耳に髪をかける仕草が彼女とひどく大人っぽく見せていた。
「へえ、それはまた――なんていうか、種馬みたいだね」
 ヒソカの例えにウタは笑った。
「みたい、というかその通りよね」
 ヒソカも笑う。ウタは頬杖をついてヒソカの綺麗な横顔を眺めた。
「ヒソカの遺伝子なら相当に優秀な子が生まれるでしょうね」
 ウタの言葉に、さすがのヒソカも笑みを引っ込めた。まじまじと可憐な少女を見つめ、意味が分かって言っているのだろうかと一瞬訝しんだが、常人より遥かに賢いこの子が心得ていないはずなどない。
「……あー、ウタとは子作りできる気がしないね」
 迷いながら発したヒソカの言葉に、ウタは唇を少し尖らせた。
「あら、どうしてよ」
「どうしてって」
 珍しくヒソカが困ったように頭を掻く。会話の内容如何よりその様子がとても新鮮でウタには面白かった。
「あんまり僕を困らせないでよ――……たぶん、細すぎて壊しちゃうよ」
 本当にヒソカが困ったように言うものだから、ウタは思わず口元を綻ばせてしまった。
「それはゾッとするわね」
 楽しそうなウタにヒソカは少し拗ねた目をしてみせたが、あんまり楽しそうにウタが笑うものだからついつられてヒソカも笑い出す。二人はしばし笑い合い、風の流れるままに髪を揺らして初夏の匂いを楽しんだ。
「さて、そろそろ行こうか」
 ヒソカが石壁から離れ、大きく息を吸う。
「うん、それじゃあ次に会うのは……きっと九月ね」
 自分で言いながらもあと二ヶ月か、とウタは少しだけ寂しく思った。
「そうなるね。あんまり無茶をしないようにね」
「ヒソカもね」
 あまり心配しても意味はないだろうけど、ウタは微笑んだ。ヒソカは目を細めてウタを見つめ、大きな手でウタの前髪を撫でる。甘い匂いにドキッとする間もなく、ヒソカの顔が近付いてきて――あ、キスをされる――ウタがそう思ったのも束の間――想定していた唇への接触はなく、そこよりもずっと上――ウタの滑らかな丸い額にヒソカの唇がそっと触れ――離れた。
 顔を離したヒソカの表情はいつもの何を考えているか分からない顔で、何故急にキスをしたのかという疑問と、そしてそれが唇と唇のキスじゃなかったことへの落胆とで、ウタは柄にもなく狼狽える。
「なあに?」
 だから無意味な問いかけをしてしまったし、耳が熱を持って赤くなっている自覚もあった。しかしヒソカはそんなウタの様子を馬鹿にするでもなく穏やかに見つめて、微笑んだ。
「おまじない」
「……おまじない?」
 聞き返す自分の声は掠れていて、恥ずかしかった。
「そう。ウタが危険な目に遭わないように。それから、変な虫が付かないようにね」
 ウタは瞼を伏せてはにかんだ。先ほどまでとは打って変わり無垢な幼い少女のような表情がヒソカにはとても微笑ましく映った。ウタは大きくこの世界に羽ばたいていく。ヒソカが心配するまでもなく自分の力で生き抜き、王国の謎を解いて、更なる知と力を得るのだ。好きにすればいい。好きに生きればいい。ヒソカがそうするように、思うがままに生きればいいし、そうしてほしいと思った。だけれど、それとは別で、ウタが苦しんだり痛がったり、ましてや壊れてしまうのはとても嫌だと思う。相反する二つの思いはヒソカの中で溶け合うことなくそれぞれが大きな樹のように生長していた。
 顔を上げてヒソカを見つめるウタのくすぐったそうな表情を見れば、彼女も同様の思いでいることはヒソカにも分かった。
「ヒソカも、また腕を飛ばしたりしないようにね」
「せいぜい気を付けるよ」
 二人は見晴台を下り、別々に歩き出す。夏の陽射しはそれぞれの影を長く伸ばして強烈なコントラストを作った。
 思えばこの世界に来て半年、ほぼずっとヒソカと行動を共にしてきたのだ。
 ヒソカなしで生き抜く夏を、ウタは迎える。怖くなどなかった。




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