母の愛とは


 葬式の執り行われる菩提寺に姿を現したウタは冬の制服を着ていた。ウタがあっちの世界に来た時に着ていた服だな、とヒソカは思い出す。
 合澤氏の運転する乗用車からウタが降りると、注目を浴びているのがヒソカにも分かった。他の参列者にはウタと同様の制服を着ている者も多く見受けられ、ウタを目にするとヒソヒソと耳打ちし合っている。故人の亡くなった原因であるウタが現れたのだから無理もないだろうが、中には余りにも露骨に指さしている者もいた。当のウタは彫刻のような無表情を張り付けて、真っ直ぐに前を見ている。
「それじゃあ終わったら連絡するわね」
 喪服を着た合澤夫人もウタとともに車を降りて、運転席の合澤氏に話した。ヒソカは後部座席に座ったままで、おさげを垂らしたウタの綺麗な丸い後頭部が境内の石段を上り見えなくなるのを眺めていた。

 さて、葬儀に参列しない合澤氏とヒソカは会話の出来ない者同士で二人きりとなる。菩提寺から車を出してしばらく沈黙が続いた。別に苦痛ではないが葬儀にどれくらいの時間を要するか全く見当がつかない。合澤氏は落ち着かない様子で険しい顔をさせて車を走らせていた。その苛々した様子は、どうやらウタのことが気がかりだという心配から来るものらしかった。
 合澤氏が五回目のため息を吐いた後、車は郊外の大きな建造物前に辿り着いた。広大な駐車場に車を停め、合澤氏が車から降りるのでヒソカもそれに倣う。大きな建物が何の店かは分からないが、そこそこの数の車が停まっていた。
 建物前で合澤氏がヒソカに何事か話しかける。もちろん何を言っているか分からない。合澤氏は建物を指差し、左の掌を緩く開いて腰の辺りで何度か回転させる仕草を見せた。ヒソカはピンと来る。
(パチンコだ――こっちにもあるのか)
 次に合澤氏は広大な駐車場の遥か端の外れにある小さな建物を指差し、何かを飲む仕草をしてみせた。茶色い屋根のその建物の外看板にはコーヒーカップのイラストが描かれていて、一目で喫茶の類なのだと分かった。要はパチンコに付いていくか、喫茶店で時間を潰すか、選べと言っているらしい。
「暇だし、付き合うよ」
 もちろん通じないのだが、にやりと笑ってヒソカは目の前の大きな四角い建物を指差した。合澤氏は顎を引っ込めて少し怪訝な顔をした後にパチンコ屋に入っていく。
 店内は賑やかでけたたましい金属音が響き煙草臭かった。合澤氏は迷いなく進み、ある通りで少しだけ台を物色した後に一つの席に着く。ヒソカはその隣に座った。スロット台だ。
 合澤氏から紙幣を二枚受け取って、台に入れる。スロット上部のモニターにアニメーションが映し出され、凝った映像と演出にヒソカは感心した。やがてアニメーションの進行に伴いスロットが回転し、ここでボタンを押せばいいと、言葉が分からなくてもアニメーションのおかげで分かった。
 じっと見つめて三回ボタンを押す。7、サクランボ、ベル。なるほど。またスロットが回り出す。今度はさっきよりも目を凝らしタイミングを合わせてボタンを押す。7、7、7。
 盛大に音楽が流れ、アニメーションは派手な演出になった。隣の合澤氏は興奮してヒソカに何事かを話しかけている。続いてヒソカはスイカ三つで当たりを出す。先ほどよりも容易いことから、今は当たりを出しやすいボーナスタイムみたいだ。ジャラジャラと景気良い音が続き、周囲の客までもがヒソカの台を眺めていた。
 ヒソカの目の良さと反射神経を持ってすれば、この程度のスピードで規則性を持って回転する絵柄を合わせるなど訳無いことである。合澤氏の台でもそこそこに当たりは出ていたようであるがヒソカの当たりっぷりに彼は終始ご機嫌で、携帯に着信があっても気付かなかったくらいだ。
「電話、鳴ってないかい」
 身振り手振りで伝えると合澤氏は慌てて席を離れて電話を掛け直しに行った。戻ってくると恐らく葬式が終わったので迎えに行くぞ、という旨のことを彼も身振り手振りで伝えて、大変名残惜しそうに大当たりの台を後にしたのだった。

 合澤氏の当たり分は煙草に換わり、ヒソカの当たり分は現金になった。後部座席のさらに後ろのスペースに一カートンの煙草を隠すように置いた彼はヒソカに向き直り、煙草を指差しそして次に口の前でバツを作った。葬式に参列している二人には――とりわけ合澤夫人には――パチンコに行ったことを黙っておくように、ということらしい。
「オーケー、男同士の秘密だね」
 ヒソカはクスリと笑い指で丸を作って見せた。



 ごん太という人間の人柄を表すような穏やかな冬晴れであるとウタは思った。
 葬儀の間中ごん太との思い出が蘇り、そのほとんどで彼は笑顔である。真っ直ぐで暖かくて無垢な笑顔だ。気を抜いたら涙が零れてしまいそうだったけれど、耐えることが出来た。泣かないで済んだのはきっと、昨夜声を上げて泣いたからだろう。
(良かった。ヒソカがいてくれて)
 泣きじゃくるウタを静かに受け止めてくれたおかげで、ウタは感情の全てを吐き出し、今顔を上げてごん太を送ることが出来るのだ。
 葬儀が終えて外に出ると柔らかな日差しがウタを包んだ。先に電話をかけにいったおかみさんから少し遅れて石段を下る。三々五々に立ち去る人々の中で、ウタは前だけを見据えて好奇の視線や浅薄な噂話をなるべく見ないようにした。その凛と澄ましたウタの態度がさらに気に入らないらしい者は聞こえるようにあからさまな悪口さえ言っていた。元々ウタに対して良く思っていなかった者も少なからずいたのだ。特にごん太に対して特別好意を抱いていた女子にとってウタは彼の命を奪った憎い敵なのだろう。仕方のないことだ。しかし気遣わしげにウタに話しかける者達もいた。クラスメイトの女子数人だ。
「ねえ、ウタ……聞いていると思うけど――この後学校でごん太くんを偲ぶ会があるの……クラスメイトとか同じ部活の人とかで……良かったら一緒に」
 無慈悲な彫刻の顔でウタは振り向く。
「ごめんなさい。まだ体調が悪くて――今日はもう帰るわ」
 断るウタに、後ろの方で「信じられない」と批判する声が聴こえた。
「そう、仕方ないね……お大事に。また学校でね」
 話しかけてくれた女子達に「またね」とは返さずに、ウタは微笑んだ。無慈悲な彫刻の顔から一転して酷く慈悲深いその表情に、周囲にいた者は思わず息を飲む。
「ありがとう」
 空を見上げると淡い水色が高く寛厚に広がっていた。どこまでも澄んだ空。穏やかに優しくこの十数年ウタを育んだ惑星の陽だまりだ。つられて、皆が空を見上げる。
「さよなら」
 呟くウタの声は清らかな青空に吸収されて消えた。


 後部座席、運転席のすぐ後ろの席に腰掛けると煙草臭いな、とウタは思った。そしてそれはおかみさんも同様らしく、眉間に皺を寄せて怪訝な顔を見せた。合澤氏は、ここ十数年煙草を吸っていない、はずだ。
「どこに行っていたの」
 おかみさんの質問に合澤氏は「あー」と渋い声を出した。ウタは後部座席のシートの後ろに、行きは乗っていなかった袋を見付ける。見えないけれど中の品物は細長い箱の形状をしていた。
「喫茶店。ほれあそこ、国道裏のあまり人の入らない」
 妙に饒舌に、そしてバックミラー越しにヒソカをチラチラと気にしながら合澤氏が答えるものだから、ウタは助け舟を出してやることにした。
「ヒソカ、旦那さんと喫茶店に行っていたのね」
 ヒソカはゆっくりとウタを振り向き微笑む。
「コーヒーが美味しかったよ。とっても――“豪勢”な味がしたね」
 含みのある言葉に「そう」とウタは苦笑した。どうやら大勝だったようだ――ウタはパチンコの類は詳しくないが――ヒソカの目と反射神経では難しいことではないのだろう。合澤氏はヒソカの言葉が分からないし、ヒソカは合澤氏の言葉が分からない。詳細に口裏を合わせることが出来ないのだから、疑いの目を向けるおかみさんに追及されたらいとも簡単にパチンコに行っていたことがバレるだろう。助手席を見やればおかみさんが息を吐いていた。おかみさんは合澤氏がパチンコに行くことを好ましく思っていなかったが、今日は深く追求することは止めにしたようだ。


 帰宅した一同は遅いお昼を食べる。おかみさん特製の甘味の煮込みうどんで、ヒソカはこれも大層喜んで食べていた。食後テレビを見て居間でくつろいでいるとウタだけが客間に呼ばれる。ウタの母親から預かっているという手紙を、見せてもらう約束だったのだ。
 ヒソカは一瞥しひらひらと手を振ると、またすぐに言葉の分からないはずのテレビに目を戻した。

 客間の黒檀製の座卓の上には、一枚の封筒が置かれていた。合澤氏とおかみさんが揃って座り、ウタが腰掛けるのを待っていた。
「これが……」
 ウタは夫妻と封筒とを交互に見る。ぴったりと糊付けされているそれは無地で文字も書かれてなく、何の変哲もない封筒に見えた。
「あなたのお母様――つまり先代の女王から預かった手紙です」
 おかみさんは重々しく頷いた。
「先代女王からの言伝は三つです。まず、あなたが十六になれば王国のことを話しそしてこの手紙を渡すようにとのこと。二つ目は、あなたが王国と本当の世界を知った後に、本当の世界に戻るか、はたまたこの箱庭の中で暮らしていくかは好きなように選べばいいということ。そして三つめは、この手紙を読むにはあなたがそれなりの力を取得している必要があり、その頃のあなたのことを信頼していますが、王国のことを打ち明ける相手は十分選ぶように、とのことです」
 おかみさんの述べた三つの託を、ウタは頭の中で反芻した。
「ええ、分かりました」
 ざらりとした感触を確かめるようにウタは封筒を指で撫でる。打ち明ける相手は十分選ぶように、か――。
「あの男は」
 険しい顔で合澤氏が口を開いた。
「信用に足る人物なのか」
 今まさに思い描いていた男の話が上がって、ウタは目を細める。
「さあ――……どうでしょう」
 ウタにもそんなことは分からない。しかし大抵のことは理解できるウタが分からないと口にするのは大変に珍しいことだ。合澤夫妻は目を見合わせ、まだ何か言いたげではあったがウタの判断に任せることを強く誓っているらしい。ぐっと唇を結んで頷くに留まったのだ。

 合澤夫妻から手紙を受け取ってすぐにウタは少しの躊躇いもなく、ヒソカを呼んだ。
「いいのかい僕が一緒に見ても」
 家の裏手の林にあるあの祠の前で、話の成り行きを聞いたヒソカは問うた。その顔は心配というにはほど遠く、とりあえずの会話のキャッチボールとして聞いているような気楽さだった。
「そう……そうね」
 ウタは懐から手紙を取りだす。
「いいのかって聞かれると分からないけれど、一緒に見届けてほしいのよ。私が」
 けなげに微笑むウタに適わないな、とヒソカは肩をすくめた。全く、これがすべて計算であるのなら、いやこの子ならそれも十分にあり得るのだが、恐ろしい娘である。
「それでね」
 ウタは手紙を掲げる。
「開かないのよこの手紙。糊付けされているところも固くて開かないし、ハサミで切ろうにも全く刃が通らないの。無理に開けようものなら、普通なら紙が破れてお終いだけどそんな気配も全くなし」
 ウタの言葉に、ヒソカは無地の手紙をじっと見つめた。
「先代女王の言付けの――、“この手紙を読むにはそれなりの力を付けている必要がある”――これは十中八九、念能力のことだと思う――だからまずは発をしてみたらどうかな――」
 顔を上げたヒソカはにんまり微笑んだウタと目が合い思わず口を噤む。
「やっぱり、ヒソカもそう思う?」
「君も大概な性格をしているね。確信のあることをわざと聞くなんて」
「まさか」
 ウタは悪戯っ子の顔で笑った。
「聞いたのは、念能力に関しては天才的な嗅覚を持っているヒソカだからこそ、よ」
 ヒソカは反論しようとして、しかし口では到底ウタには敵わないであろうことに思い至って止めた。ウタは大きな瞳でちらりとヒソカを見上げて、再び手紙に視線を戻す。ほとんど暗茶色に見えるがオリーブグリーンの虹彩が混じって、不思議と光を集めるような瞳だ。
「それじゃあ、やってみるわね」
 ウタは大きく息を吸い、華奢な方が揺れる。手紙を手ごろな石の上に置いて両手で包むように囲った。ヒソカが凝で注目しているとウタの両手から揺蕩うオーラが発せられる。黄金色の中にわずかに薄いグリーンの混じった彼女の瞳にどこか似ている美しいオーラだ。彼女は戦闘に向いたタイプではないが、毎日欠かさず鍛練を重ねていることが滑らかなそのオーラの流れからよく分かった。
 やがて糊付けで封をされた隙間から光が漏れ出し、強烈な光を伴って手紙が空いた。光は一瞬で収まり、中から便箋がはらりと落ちる。便箋の内容は――白紙だ――そう思った次の瞬間、インクが滲むように便箋に染みができ、そこから何もない宙に向けて細い光が射す。光はみるみる間に文字となり、まるでプロジェクターで映し出したかのように宙に文章を綴り始めた。

『愛する娘へ
 あなたがこの手紙を読んでいるということは、十五年以上の月日が経っていることでしょう。よくここまで成長しましたね』

 文はすうと淡く滲んで消え、またすぐに次の文が綴られていく。
「これも念能力……?」
 文を目で追いながらウタが聞く。
「そうだと思う。恐らく、手紙の内容が残らないようにするためだろう」
 ヒソカは興味深そうに宙に浮かぶ文字を眺めていた。

『カランマ王国についての事の成り行きについては、既に合澤夫妻から聞き及んでいることでしょう。あなたはどう思ったでしょうか。無責任な女王だと思いましたか。はたまた無慈悲な母親だと思いましたか。何を感じ思考するかはあなたの自由です。しかしくれぐれも合澤夫妻を責めることのないように。死にゆく女王の無茶なお願いを快く引き受けてくれたのですから。
 さて、前述した通りあなたの想い、考え、人生はあなただけのものです。箱庭から出て元の世界に戻り自由気ままに暮らすも良し、女王として君臨し王国の復興を目指すも良し、あるいはこの箱庭の中で穏やかに暮らしていくのも良いかもしれません。
 しかし王国の復興を目指すとなるとその道のりは簡単なことではありません。箱庭の時を半世紀進めたため、当時の有力者はほとんど亡くなっているか、高齢になっています。また元の世界にも国民は残っていますが、彼らも散り散りとなり、さらに王国のあった大陸――一般的に暗黒大陸と呼ばれるメビウス湖の外側の大陸のことです――そこに辿り着くまでにも何の後ろ盾もない一人の非力な女にとっては途方もない労力を要することでしょう。個人的には王国の復興はお勧めできるものではありません。栄華を極めたカランマ王国ですが、いずれは滅びゆく運命だったのです。この先あなたが王国の運命を知ってもなお、復興を強く願うのであれば止めません。先ほども言った通りあなたの運命なのですから。
 そしてあなたに自由な選択をしてもらうために力の使い方を教えておく必要があります。この力は代々カランマ女王にその血筋を以てして受け継がれてきたものです。それを使うも使わないも、どう使うかも、あなた次第です。ただ私には先代の女王として、また母として、あなたにその使い方を教える義務があります』

 ウタとヒソカは視線を交わし合い、少しの緊張感が生まれた。ヒソカが窺うような目をしていたので、ここにいて一緒に情報を見て大丈夫、というようにウタは頷く。

『まず、カランマ女王は他の念能力者とは違い生まれながらにその能力は既に決まっています。
 空間の“切り取り”と“移動”です
 そして女王は代々次の女王へトランプを託しました。最もこれはトランプでなくても良いのですが、トランプというカードの種類と数の性質上合がいいのでトランプを用いることが多いのです。女王は本来持って生まれた能力以上の力が使えます。それはこの先代から受け継いだトランプのおかげに他なりません。
 次代へ受け継ぐこのトランプには念が込められています。先代女王が長い年月をかけて描いたものです。そしてその念の源はカランマ王国の国民全てです。国民の女王を慕い敬う気持ち、それらが強大な生命エネルギーすなわちオーラとなり、トランプに込められているのです。トランプがなければ女王など特殊能力を持ったただの人でしかありません。そしてもちろん、あなたに残したトランプも私が長い年月をかけ国民の念を込めて描いたものです』

 ウタは思わずトランプを取り出しその柄を見つめた。柄の内側は一色で塗りつぶされているわけではなく、よく見ると奇妙な文字のような柄が大変に細かく描かれているのだ。これにまさか、多くの人々のエネルギーが込められていただなんて。また次の文章が綴られ始めたので宙に浮かぶ文字に慌てて視線を戻す。

『トランプの各絵柄ごとに修得できる能力と条件が決まっています。
 スペードは力、ダイヤは富、クローバーは知、ハートは愛。
 まずスペードの能力の開花条件は、念能力を開花させること。この手紙を読んでいるということはあなたは既にその条件をクリアしているはずです。もしかしたらスペードの能力も自力で修得しているかもしれませんね。
 スペードの能力は女王の骨頂たる力、前述した通りの空間の“切り取り”と“移動”です。移動できるのは場所と時間です。もちろんこれにはいくつかの条件があります。たとえば直接見た場所にしか移動できないとかピントを合わせられる範囲でしか移動できないなどです。詳しい制限は実際に使っていくうちに分かるでしょう。
 続いてダイヤの能力です。ダイヤの能力は他人の生命エネルギー、つまりオーラの貯蓄です。これによりいつでも自分の持った限界以上の力を引き出すことができます。しかしカランマ国の国民は無条件でオーラを、各々が少しずつ差し出していましたが、王国が崩壊した今、あなたには無条件で回収できるオーラはありません。ですので少し知恵を使う必要があります。オーラを差し出してくれる相手が納得した上でなければ回収することができないのですから。つまり相手に交換条件を示す必要があるでしょう。このダイヤの能力の開花条件は富を得ること。具体的には、王国に伝わる宝石があります。通称“ゲブドラの花”というものです。これは次世代の女王が生まれるととある川に流されます。やがてどこにあるか分からない、どんな人の手に渡っているか分からない、どんな高値が付いているか分からないその宝石を自分の力で入手することが条件なのです。探す力量とお金さえあれば達成できるのでそんなに難しいことではありません。またこの“ゲブドラの花”は国民を見分ける力も持っています。カランマ国はゲブドラ民族による単一国家です。この宝石にゲブドラ族の血を垂らすと反応し黄金に発光するのです。もし今後あなたが王国民を探す必要が出てくるのならそういった使い道もあることを覚えていてください。
 次にクローバーの能力について。クローバーの能力はスペードの能力の拡張。つまり、目で見ていない範囲にも空間の移動が出来るということと、箱庭の時間を進めることです。無論この能力も万能ではなくいくつかの制限はありますが。そしてこの能力の開花条件は王国を知ること。メビウス湖に浮かぶ島――多くの人々が住まう世界です――ここには王国の遺した遺跡が点在しています。その全てを自分の足で訪れ遺跡から王国の歴史を読み取ることが条件なのです。時間はかかるでしょうが、いくつかのヒントから王国の遺跡を調べることが出来るのでこれもそう困難なことではないしょう。
 最後に、ハートの能力です。ハートの能力は箱庭への鍵を手に入れること。これにより女王は自由に箱庭へ行き来することが可能になります。開花条件は、愛を知ること。もしかすると、これが一番難しいことかもしれませんね。
 それからジョーカーのカードについてですが、二枚のジョーカーのカードは緊急避難のためのものです。まだ箱庭の鍵を手に入れる以前で箱庭内に避難する必要があれば、二回だけ避難が可能になります。そして一回目は恐らく、あなたが赤ちゃんだった頃に最初に合澤夫妻の元へ飛んだ時になるでしょう。そして元の世界に戻るためにはジョーカーのカードが必要となります。元の世界に戻るとジョーカーのカードから色が抜け、その効力は失われます。つまり、あなたが元の世界に戻ったとしてあと一回は箱庭の中に緊急避難できます。ジョーカーのカードを使って再び元の世界に戻ることも可能です。しかし二回目に元の世界に戻った後は、つまりジョーカーのカード二枚とも色が抜けた後は、自力で鍵を手に入れるしかありません。つまり先ほどのハートの能力を開花させることです。それが出来なければ二度と箱庭の中へは戻ってこれないことを、よく覚えておくように。

 繰り返しになりますが、能力を使うも使わないも、元の世界に戻るも戻らないもあなたの自由です。あなたの人生ですから、思うように生きてください。
 最後にもう一度、よくここまで生きていてくれました。合澤夫妻にあなたにこの手紙を託すように申し付けた日は、箱庭の時間を進めたことを差し引いて、あなたが生まれてからちょうど十七年目に当たります。
 ウタ、十七歳の誕生日おめでとう。あなたの人生が愛と喜びに満ち溢れたものでありますように。
 母より』

 最後の文章も淡く消え、白紙の封筒と便箋はサラサラと崩れて風に散った。ウタはしばらく文字の消えた後の宙を見つめて黙っていた。隣のヒソカも何も言わない。
 王国の詳細については、あまり得たものはなかった。この先の自分の道が示されたわけでもない。だけれど、自分の持たされた武器――能力については事細かに分かった。
 スペードの能力――空間の切取りと移動。条件は力、すなわち念能力の開花。
 ダイヤの能力――他人のオーラの保存。条件は富、すなわち“ゲブドラの花”を入手すること。
 クローバーの能力――空間の切取りと移動の能力の拡張。条件は知、すなわちカランマ王国の遺跡を辿りその歴史を見ること。
 ハートの能力――箱庭へ自由に行き来できる鍵。条件は、愛を知ること。
 それに加えて、緊急避難用の二枚のジョーカーのカード。このジョーカーのカードに頼って箱庭の外へ出られるのは後一回だけだ。――愛を知り、箱庭の鍵を得るまでは。
 正直なところ、母の愛とは何かをウタは知らない。知らないけれど、生きていくだけの知恵と能力を教えてくれた先代女王の手紙は、愛と呼んでいいのかもしれないと、ウタは漠然と感じた。
「ヒソカ……私、行くね」
 真っ直ぐ前を見据えるウタに、ヒソカは微笑む。
「そう」
 そんな気がしていたよ、とは言わずにヒソカは頷いた。ウタはヒソカに向き直って肩をすくめる。
「そもそも、私が戻らないとヒソカだって元の世界に戻れないしね」
「そういえばそうだね。見たところ“箱庭”の中には強い念の使い手もいなさそうだし、退屈そうだと思っていたところだよ」
 手紙の置いてあったはずの石を撫で、ウタは目を閉じた。再び瞼を開けて顔を上げればヒソカがまだ隣にいて、何故だか不思議な安心感に包まれる。
「さ、家に帰りましょう。おかみさんが今夜はハヤシライスだって言っていたわ。たっぷりの玉ねぎを炒めて作った優しい味でね、隠し味に味噌を入れていてとっても美味しいのよ」
 それは楽しみだ、とヒソカはウタの後ろについて合澤夫妻の待つ家へと向かった。





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