琥珀色の瞳に吸い寄せられてここまで


 それから十日と経たないうちに、ウタの念系統が本当に特質系だということが分かった。
「そろそろいいでしょう」というウイングの教え通りに水見式を行うと、水に浮かんだ葉の裏面からわずかに根が生えだしたのだ。全く、ヒソカの嗅覚には舌を巻く。
「特質系ですね」
 ウイングはさして驚きもせずに微笑む。
 今日ズシはロードワーク中でいなかった。ズシとウタは体術ではズシの方が遥かに勝り、念の方ではウタが先を行っていた。ウインズ曰く念の修行は先を急いで学ぼうとしても効率が悪いのだそうで、ズシはまだまだ纏と練をひたすらに繰り返す時期にあるのだそうだ。こればかりは持って生まれた才能や精神的な成熟度がものを言うらしい。
「ウタさんは戦闘に向いたタイプではない。もちろん努力である程度のレベルには達しますが」
 ウイングの言葉にウタは頷く。ウタ自身もズシやウイング、ハンター試験受験者のように戦えるようになるとは微塵も思っていなかった。
「しかし念の才能は確実にあります。念能力はそもそも生命エネルギーに溢れた者が、努力で体得していくものです。しかし一方で生まれ持った才能で自然と身に付けている者もいる。中にはそれを念と知らずに使っている者もいるくらいですから」
 いわゆる超能力者とか霊能力者と呼ばれる類の人か、とウタは納得する。
「そしてあなたは後者です。何かしらのきっかけで念能力を開花させたというのもあるけれど、元々それを扱える土壌があなたの中にあったのです。特質系というのもある意味腑に落ちます」
 ウイングはホワイトボードに六角形を描き、その周囲に念の系統である「強化」、「変化」、「具現」、「特質」、「操作」、「変化」と書き入れていった。
「何度か説明しましたがおさらいです。念の系統はこの六系統であり、近い系統程修得率も上がります。しかしウタさんの場合」
 ウイングは特質系に丸を付け、その下に100%と書き込み、それ以外の系統には?マークを書き入れる。
「特質系以外の能力は未知数です。基礎修行の様子を見るに、何かを強化することは出来るようですが、他の系統の能力がどの程度扱えるのかは正直今の段階では分からない。もしかしたら全く使えないかもしれない」
 ウイングの説明に、ウタは少なからずとも落胆する心の内をなるべく出さないようにした。
「それでは特質系の能力とは?どのように修得していけば良いのでしょう」
 ウタの質問にウイングは首を振る。
「特質系の修行方法というものは確立されていません。特質系は修得しようと思って使えるものではなく、遺伝による生まれ持ったものや特殊な環境下で会得するものなのです。他の系統は@念を覚え、A自分の系統を把握し、Bその系統に見合った修行をし、C系統を生かした技を修得する、という流れですが特質系は違う。最初から能力ありきなのです。元から持っている――いわば体質とでも言えばいいのでしょうか――その能力が他の系統に当てはまらないから全て特質系と一括りに呼んでいるだけで、一人一人の特質系念能力者の能力は全くの別物なのです。だからどう修得していけばいいかは人による。あなたが別の特質系能力者の技を使えるようになるわけではないし、逆もまた然りです」
 ウイングの説明はとても分かりやすかった。それこそ超能力者と呼ばれる人たちに特質系が多いのも、その人たちが念と知らずに扱っていることにも頷ずける。
 しかし修行法が分からないのでは困った。ようやく念の基礎が身に着いてきてこれからという時だ。恐らくこの世界に来てしまった原因であろうウタ自身の能力をどのように探っていけば良いのか。
「あまり不安がらないでください」
 考え込むウタを気遣ってかウイングは優しく声をかける。
「先ほども言った通り、特質系はほぼ生まれと環境で決まる特殊なものなのです。言い換えれば、あなたはすでに何かしらの能力が使えるということです。ウタさんが前話してくれたこの世界に来てしまった能力を――そう、あなたは既に使っているはずなのだから、あとはきっかけだけです」
「きっかけ……ですか」
 ウイングは深く頷いた。
「ええ、コツさえ掴めればあとは容易いはず。それまでは今まで通りの基礎修行に加え、この水見式での発の練習をしていきましょう」
 ウイングの言葉には確固たるものがあって、つくづくこの人は指導者に向いているなとウタは感じた。最初に念を教えてくれたサトツも丁寧だったが、それ以上に抜群に教えるのが上手く、さらには生徒のモチベーションをあげるのが上手いのだ。
「何事も地道に、それが一番の近道です」


 翌日の夕方には早速ヒソカにそのことを報告した。日の暮れかかった街の中央に位置する市場で落ち合った時、彼は珍しく髪を下ろしていた。そればかりか頬にはフェイスペイントもない。この背格好なので目立つことには変わりないが、髪を下ろしただけでも大分印象が違う。
「やっぱり特質系だったんだね」
 多くの人が行き交う中を二人は歩く。天空闘技場からほど近いこの市場は午前から夜遅くまで営業していて、常に賑わいを見せていた。数々の屋台から美味しそうな匂いが立ち込めていて、この人混みでもヒソカが少し前を歩いているおかげでウタは楽に歩くことが出来、余裕を持って屋台を物色していた。
「ヒソカの言った通りだったね。でも系統が分かっただけでまだ何も能力のことは分かっていないから、道のりはまだまだ遠いわ。当面の課題は自分の能力を扱うきっかけを掴むこと、だって」
 ウタは根菜と鶏肉のクリーム煮を、ヒソカはピラフのようなご飯とラムチョップを三本購入した。
 市場の屋台の間には机とベンチが置いてあって客が座って食べられるようになっている。しかしどこもいっぱいだったため二人は屋台群から少し離れた花壇の縁に腰掛けることにした。
「汚れてないかい」
「道着だから、汚れても平気」
 時折ヒソカが見せる紳士的な優しさにニッコリ返して、彼が土を払ってくれた煉瓦の上にウタは有難く腰掛けた。街には灯りが灯り始め、市場はいよいよ賑やかさを増している。
「この間の戦闘マニアの集いでは案の上ヒソカについて聞かれたわ。一緒にいるところを見たけど知り合いなのかって」
 ウタはクリーム煮に口を付け、話す。プラスチックの簡易容器に入っているから安っぽく見えるけれど、味は確かなものだった。
「戦闘マニアの集い?なにそれ」
 ヒソカはウタが三口食べる間に自身のご飯の三分の一を平らげていた。
「言ってなかったっけ?そういった集まりに顔を出しているの。それ以外にも企業の幹部が集まる意見交換会とか、趣味のサークルみたいなのにも出ているわ。いざという時のためにお金とコネクションはあって損にはならないから。それでこの間私とヒソカが一緒に試合を観戦しているところを何人かの人が見てて、ヒソカを集まりにぜひ連れてきてくれないかって頼まれて――もちろん断ったけれど――あなたってすごい人気ね」
「ふうん」
 さして興味なさそうにヒソカは相槌を打つ。ラムチョップに無心で齧り付く様は少年のようだとウタは思った。長い前髪の奥の瞳は目の前の肉しか見えていないみたいだ。
「ああそれと」
 いよいよ濃くなる夜の気配と、同時に立ち込める外気の匂いにどこか懐かしさを覚えながらウタは切り出す。
「ゴンに動きがあったわよ」
 目の前の肉に齧り付く手を止めて、ヒソカはウタを見た。
「本当かい」
 ヒソカが嬉しそうに口角を上げるものだから、思わずウタは吹き出した。
「……ウタ、君も意地が悪いね。それは一番最初に伝えるべき情報だろう。そんな焦らして面白がって――」
「ごめんなさい」
 ウタはクスクスと笑い、しかし素直に謝る。
「ゴンは昼頃にチケットを予約して、ちょうど今頃搭乗しているわ。同乗者はキルア=ゾルディック。明日の朝十時にダンカナ国際空港に着くはずよ」
 ウタの説明を聞いてヒソカは益々笑みを増した。
「明日か」
 呟くヒソカの横顔は外灯のオレンジの光に照らされ、楽しいイベントの気配に爛々と瞳を輝かせている。全く、黙っていれば良い男なものを、どうも狂気を孕んだ表情が似合ってしまう。


「天空闘技場デビューおめでとう」
 ヒソカと会った翌日、いつもの道場でウタが声をかけるとズシは緊張した面持ちで、しかし嬉しそうにはにかんだ。
「っス!!」
 お辞儀をするズシを、一方でウタはほんの少し哀れに思う。ズシは才能あふれる少年だ。念を抜きにしたってこの若さでこれだけ戦える子供はそうはいない。きっと天空闘技場は新星の如く現れた天才少年に湧くだろう――ゴンとキルアがいなければ。
 奇しくも、ゴンとキルアが来るタイミングでデビューなんて――きっとズシの才能も二人の前では霞むだろう――いやズシのこれからを考えるとその方が良いのかもしれまい。出過ぎた杭がどうなるか、ウタは元の世界でも身を持って知っていた。もしかして、あるいは、あえてのこのタイミングなのかと、ちらりとウイングを見る。
「どうかしました?」
 視線に気付きウイングは小首を傾げた。
「いえ、どうしてこのタイミングなのかなと思いまして。ズシさんならもっと早く出場していても良さそうなものを」
 ズシはウタの兄弟子という事になるので、ウタは敬意を持ってズシさんと呼んでいた。
「今が頃合いだったというだけですよ」
「そうですか」
 やはり意図的なものを感じるな、とウタは微笑む。
「自分なんか全然っス!念もあっという間にウタさんに追いこされて……」
 頭を振るズシをウタは励ました。
「念はまた特別なものだってウイングさんも仰っていたでしょう。でも体術はズシさんが圧倒的に上を行っているし、今までの練習量は裏切らないわ。私が素人目で見ても、百階くらいまではきっと楽勝よ」
 力強くウタは頷く。ズシはそれでも緊張した顔付きで、ウイングはその様子に「ははは」と軽く笑う。
「なかなか的確な見立てですねえ」

 ズシとウイングは出場登録のため天空闘技場へ向かい、ウタは最後に道場の掃除と戸締りをしてから遅れて向かった。
 天空闘技場のエントランスで数人の男が群れていて、タイミング悪くそれに捕まってしまう。男達の中の一人はウタを戦闘マニアの集いに誘ったあの男だ。
「やあ!ちょうどいいところに」
 男はお気に入りのウタの顔を認めて溌剌と声をかけた。
「夕方からの二百階クラスの試合前に、今から皆で軽く食べに出るところなんだけど一緒にどうだい?」
 男達の中には先日試合を観戦したカストロという男もいた。愛想が良い好青年で、戦闘以外興味のないヒソカとは正反対だ。
「お誘いありがとう。せっかくですけれど、今から一般試合の観戦に行くところですの」
 ウタは一度に複数の試合が行われる一階試合会場を指差す。
「ええ、一階の試合を?何でまた……君ほどの戦闘マニアだとすぐに飽きちゃうよ」
「ふふ、たまには……それに今日は、面白いものが見れるはずですわ」
 可愛らしく微笑むウタに男も興味が湧いたようだ。どうする?と周囲の男達に聞いていた。
「それでは」と立ち去る間際にカストロと目が合う。彼は男達と対等に話す年若いウタを不思議な顔で見つめていた。ウタは嫌味にならない程度にお辞儀し、カストロも首だけで会釈を返した。

 ゴンとキルア、それに加えてズシも、天空闘技場のデビューは鮮烈なものだった。子供が出場するというだけで大変に目立つのに、ゴンもキルアもたったの一撃で相手の男を倒したのだ。身の程知らずな子供へ向けた野次で溢れかえっていた観客席は、一瞬の沈黙の後に歓声へ変わった。ズシも一撃というわけではなかったけれど確実な打撃を複数与えて抜かりなく勝ち進み、瞬く間に三人は有名人となった。
 三人とも次は五十階に進むというのでウタも五十階の試合を見に移動する。ウタに限らず、珍しいもの見たさで一緒に五十階へ移動する観客が数多くいた。
 しかし五十階の試合では、なんとズシとキルアが組まされていた。ウタはズシの不幸を気の毒に思ったが、仕方がない。ウタが運営でも注目の二人をぶつけて会場を盛り上げるだろう。
 やはりキルアの勝利に終わり、しかし後半ズシは纏でガードしていたため中々にしぶとく立ち上がり、キルアは試合後も釈然としない顔をしていた。キルアからしてみれば、隙だらけの自分より遥かに格下の相手が渾身のボディブローを喰らってもなお立ち上がることが――それどころか生きていることが、不可解極まりないのだろう。

 試合観戦を終えたウタは本日もヒソカと夕食をとるべく、街中の小料理屋に足を向けた。
 二人は暖かい店内ではなく外のテラス席を選ぶ。昨日と比べてだいぶ肌寒いが、今日の目的は単に仲良く食事をとることではない。ゴンの行方を調べた代わりにヒソカからトランプのことを教えてもらう約束だったのだ。狭い店内よりも開けた外の方が会話を他人に聞かれる心配がない。
「これ」
 注文した煮込み料理が届いて程なく、ヒソカは机に一組のトランプを置いた。ウタは目を瞠る。絵柄を下向きに置かれたトランプの裏の模様は、まさしくウタが幼いころから持っていた――この世界に来ることで色が抜けてしまった――そして、ウタがこの世界に最初に現れた飛行船の中のヒソカの部屋に落ちていたスペードだけのマークのカードと、全く一緒だったのだ。念字で描かれたものだ。
「見てもいい?」
「もちろん」
 ヒソカは頼んでいた赤ワインに口を付ける。
 ウタはパラパラとトランプを捲り、すぐにあることに気が付いた。
「……スペードの絵柄がないわ」
 一見揃っているように見えるこのトランプは、1から13まで、スペードの絵柄だけ見当たらなかった。
「その通り。そしてこのトランプは元々スペードの絵柄もきちんと十三枚揃っていた。なくなったのに気が付いたのは君が現れて、バスルームにスペードのマークだけのカードが落ちていたのを発見した後だ」
 ウタは顔を上げる。ヒソカは煮込み料理を取り分けていてくれて、早速自分の皿に口を付けていた。
「ええと、つまり」
 ウタはゆっくりと瞬きする。
「その元々あった十三枚のスペードのカードがこの一枚もののスペードのカードになったってことかしら」
 ウタはポケットからそのスペードのカードを取り出す。いつも肌身離さず持ち歩いていた。そのカードは通常のトランプよりも一回り大きく、中央に大きくスペードのマークが描かれている。数字は何も描かれていない。
「そう考えるのがまあ自然だね」
 冷めないうちにどうぞ、とヒソカはウタにも料理を勧めた。ウタはスプーンで煮込み料理の中の人参を掬い、しかし口には運ばずに考え続けていた。
「十三枚のトランプのカードから一枚の大きなカードに変わったのは何かの条件があるのよね、きっと」
「例えば君のオーラに反応したとか」
「オーラ……なるほど」
 このカードの模様は念を込めて描かれたものだとサトツは言っていた。ウタは合点してようやく煮込み料理を口に運ぶ。ビーフシチューのような味が具材によく染み渡って美味しかった。
「それともう一枚、このトランプの中には足りないものがある」
 ウタは再び顔を上げた。ウタを見つめるヒソカの顔はウタの反応を楽しんでいるようであった。
「ジョーカーのカードが、一枚足りないんだ」
 ウタは食べる手を止めて、ポケットから今度は白黒になってしまったジョーカーのカードを取り出す。
「これのこと?」
「そう、まさしくそのカード」
 ヒソカは長い指でパラリとトランプを捌き、人差し指と中指で一枚のカードを迷いなく挟んだ。どこにあるのか把握しているようで、それはもう一枚のジョーカーのカードだった。ウタの持っていたジョーカーのカードと全く同じ絵柄で、しかしこちらにはまだ色が付いていた。
 ウタはしばらく考えながら料理を食べ進める。少し冷めてしまったが、それでもやはり美味しかった。
「いくつか質問していい?」
「どうぞ」
 ヒソカの二杯目のワインが来たところでウタは尋ねる。
「まず、このトランプをどこで手に入れたか。それと最初からジョーカーのカードは一枚足りなかったのか」
 ヒソカは首を僅かに傾けて嬉しそうな瞳をウタに向けた。新しいおもちゃを手に入れた子供のようにも見えた。
「その質問には同時に答えることになるね」
 ヒソカは赤ワインを口に含み、殺人鬼の笑みを湛える。
「このカードを手に入れたのはうんと昔。それが何年前だったかなんて正確には覚えていないけれど、子供の頃にサーカス団に身を置いていたことがあってね、そこで手に入れたんだ。そしてその時はちゃんと全てのカードが――もちろん二枚のジョーカーのカードを含めて――五十四枚揃っていた」
 サーカス団はヒソカには似合い過ぎるほどに似合っているとウタは思った。もしかしたら今のヒソカの奇抜な言動やファッションセンスはそこで培われたものかもしれない。
「そして君は次にこう質問するだろう。それならば、いつジョーカーのカードが一枚減ったのかって」
「まあ、そうね」
 ヒソカの生い立ちに思いを馳せていたウタは一旦そのことを頭の隅に置いて、頷いた。
「このトランプはね、サーカス団が拾ってきた赤子と一緒に包まれていたそうだよ。そのサーカス団が盗賊に襲われた時に僕が持ち出したんだけど、その赤子がジョーカーのカードをとても気に入ってたんで、一枚置いてきたんだ」
 ウタは眉を顰める。
「その赤子って……」
「たぶん、君だね」
 さらりと言い放つヒソカの顔を、ウタはまじまじと見つめた。そんな衝撃の事実を黙っていたなんて――……。
(違う。きっとヒソカは本当に忘れていたんだ。過去に執着しない男だもの)
 ヒソカを一般的な常識で推し量ることなど出来ない。忘れっぽいとかの次元の話ではなく、単純に過去を振り返るという行為をしない男なのだ。きっかけや必要があって初めて記憶を辿るのだろう。
「どうして今までこのトランプを手元に置いていたの?」
 物や過去に執着しないはずの男がこのトランプを手放さなかった奇跡をウタは不思議に思った。現にウタに聞かれるまでにこのトランプの存在を忘れていたというのに。
「どうしてって……特に理由はないけど」
 思いがけない角度からウタの質問に、ヒソカは首を傾げた。
「ヒソカはどういう経緯でサーカス団にいたの?どこで生まれたの?」
 自分の方にウタの関心が向けられ、ヒソカは少したじろぐ。
「そんな昔のこと、覚えているわけないじゃないか。気付いたらそこにいただけだよ」
「そう……」
 これ以上聞いてもヒソカは何も思い出さないだろうと判断してウタは目を伏せた。
「私とヒソカって、既に会っていたのね」
 ウタはヒソカのグラスの中の赤い液体を見るともなしに見つめながら呟く。
「そうだね」
 ウタは自身の中の感情の根源を探ろうとした。落胆?幻滅?期待外れ?妙に物憂いこの気持ちは一体何故なのだろう。赤ワインは店先の照明を反射して余所余所しく輝いている。
「というかそのトランプは元々私のものだったんじゃない」
「そうだよ」
 ヒソカは悪びれなく肯定しウタの見つめるワインを飲み干した。
「だから、残りのトランプはウタにあげるよ。いや返すといった方が正しいか」
 ダイヤとクローバースペードが十三枚ずつと一枚のジョーカー計四十枚のトランプ束をヒソカは差し出した。
「ありがとう」
 ヒソカの顔を見上げ、ウタの長い睫毛が大きな瞳に影を作る。ウタとヒソカの視線が交わる。
「気まぐれでも何となくでも、ヒソカがこのトランプを捨てずに持っていてくれて良かったわ。だって――」
 ウタは自分の中の感情の原因に気が付いた。
 ウタは、元の世界からこのトランプの元へ飛んできたのだ。これまではどこか漠然と、”ヒソカの元へ”飛んできたのだと思っていた。しかし現地は違った。たまたまヒソカがこのトランプを拾い、そしてたまたま捨てずに持っていた、それだけのことだ。
 ウタはこの琥珀色の瞳に吸い寄せられてここまで来てしまった気がしていたのに。心のどこかでヒソカと不思議な縁のような、ある種では運命的なものを感じていたウタの、単なる思い込みだったのだ。
 その事実がどうしようもなく、ただただやるせなかった。





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