虹色になって世界に拡散した


 瞬身の術で戦場の最前線に到達したモモカは、この世のものとは思えない光景を目にした。
 真っ黒な、そして巨大なチャクラの塊だ。それを吐き出そうとしているのはこれまた巨大で、何とも形容しがたい歪な生き物だった。周囲には連合軍の中でもとりわけ精鋭の忍達が数多く集結している。世界の終わりを告げるような強大で破壊的なチャクラの塊を前に、ちっぽけな忍達は一つの方向を向いて必死に忍術を繰り出していた。
 禍々しい濃密なチャクラの塊が土遁の壁を乗り越え世界を飲み込まんとする。ばりばりとけたたましい音を立てて崩れ始めた土遁壁は、忍連合軍の一人一人が練り上げたものだ。一人の力は微々たるものでも、合わせれば巨大なものとなる。彼らは必死に破壊を食い止めようと、この土遁壁を作り上げていたのだ。
 しかしそれすらも無慈悲に飲み込み、超巨大なチャクラの塊――尾獣玉と言われる、尾獣あるいは尾獣を完全にコントロールした人柱力のみが放つことのできる破壊のみを目的としたエネルギー体だ――は人間の結束など何の意味を持たぬのだと嘲笑うかのように威力を衰えさせることなくその悪意を拡散する。
 意味などないのか――人間のちっぽけな希望など――些細な抵抗など――生まれたばかりの結束など――ただ終わりの時を遅らせただけで――いや――……。

 モモカは刮目した。
 時間稼ぎにはなったのだ。横並びで飛んでいた歴代火影達のうち、四代目が一際強く地を蹴り、抜きんでる。彼が到着するまでの時間稼ぎになったのだ。意味はある。一人一人が、役目を果たしたのだ。そうモモカは黄金色に輝く偉大な背中を見て確信した。

「遅かったか?」
 ミナトがナルトの目の前に降り立つと同時に尾獣玉が消失した。
 ナルトがニヤリと笑う。
「いや……ピッタリだぜ父ちゃん!!」
 数拍ののち、海岸線の向こう側で爆発が起こる。爆発は津波を引き起こし、高波が一気に陸地に押し寄せ振動が内陸の方まで伝わった。戦闘の真っただ中までは津波は到達しなかったものの、脳天まで揺らすような地震に忍達は足元を取られた。
 揺れが収まる間際、初代、二代目三代目火影と、そしてモモカが前線に降り立った。
「ミナト……相変わらず速いの」
「四代目ワシ以上の瞬身使いよの」
「よーし、始めるぞ!!」
「くそぅ……やっぱり速い」
 口々に感想を述べた火影達だが、悔しそうに肩で息をするモモカに一同は虚を突かれる。誰も、まさかモモカが自分達に付いてこれるなど思わなかったのだ。
「……お主も十分すぎるほど速いぞ。ワシらとほぼ同時に着いたのだからの」
 柱間が面白いものを見るような目でモモカを眺めていた。
「それなりの実力者ってのは、あながち嘘ではなさそうだな」
 扉間はモモカを見る目が明らかに変わった。
「ミナトと比べるのが間違いじゃ。あやつは特別だからの」
 苦笑するヒルゼンに、モモカは悔しさを押し込んで頷く。そして周囲に目を向けた。
 まず目に入るのは奇妙な形をした巨大な化け物――あれが、十尾だろう。小高い丘程もある薄灰色の体躯から、歪に長い二本の腕と、太い根のような十本の尾を生やしている。尾は――そのチャクラの性質から伺い見るに――恐らく尾獣のひとつひとつで、怒り狂ったように天を衝いている。その背には遥か南国の食虫植物のようなグロテスクな花が口を開けていた。
 周囲には幾人もの連合軍の忍達が集結していたが皆満身創痍だ。前線に最も近いところではナルトが膝をつき、サクラの治療を受けていた。彼の自信に溢れた顔を見るに、仙術で火影達の到来が分かっていたみたいだった。十尾の斜め前方には、長い黒髪を背に垂らした写輪眼の男が立っていて、彼が新たに現れたマダラなのだとモモカは直感した。
 もちろん、連合軍の忍達は歴代火影達の登場にどよめき、歓声さえ起こったが、最も嬉々とした表情と興奮を見せたのはマダラかもしれなかった。そしてその喜びを感じ取り、以前からマダラを名乗っていた仮面の男ではなくこの長髪の男こそが、本物のマダラなのだろうとモモカは思った。
「……カカシさんは?」
 ぽかんと口を開けたままのサクラにモモカは問いかける。こんな大事な局面で、個人的な理由により誰か一人を気にかけているような時ではないのは重々承知の上なのだが、やはり気になるのはそこで、火影達の動向に皆が着目している隙にこっそりと問いただした。
「あ……えっと、神威空間に」
 サクラは火影達に目を白黒させながらも答える。
「マダラだと思ってた奴が、実はオビトって奴だった。カカシ先生はそいつと一緒に――」
 ナルトがサクラに代わり答える。
 モモカは耳を疑った。息が止まる心地がした。
 オビト? オビト、だと? あの、うちはオビト? 会ったことは、ない。モモカが生まれる前に死んだはずの人間だ。人から聞いて、あるいは、それこそ、カカシ本人から聞いて、知っているだけだ。カカシのかつてのチームメイト。死なせてしまった仲間。その写輪眼を譲った男。しかしモモカは会っていたのか――あの仮面の男がオビトだとすると会っていたのだ――そしてそれは彼を死なせてしまったと、生涯悔やみ続けるカカシもまた同じだ――……。

「火影達……行くぞ!!」
 柱間が飛び出て、モモカはハッと我に返る。火影達が臨戦態勢に入っていた。自分も呆けている場合ではない――遅れを取っていいわけがない――。
「二代目、三代目、私の前へ」
 ミナトの体が黄金色に輝いた。馴染みのある生命エネルギーをモモカはどこか他人事のように眺めた――九尾化だ――ミナトは自らにもまた九尾のチャクラをその身に宿し、使いこなしているのだ。
 扉間とヒルゼンが姿を消したかと思うと、瞬身の術で十尾の向こう側に現れる。ちょうど四人の火影で十尾の四方を囲む形となった。
「行くぞ忍法――――四赤陽陣!!」
 十尾の周囲を囲むように赤い結界が現れる。さらに、鳥居が宙より出現し、十尾から触手のように伸びる十本の尾を捕え抑え込んだ。歴代火影による、強力な結界と封印術だ。これでそう簡単には動けまい。
 連合軍の忍達が呆気に取られているところに更に驚きがもたらされた。新たに二人の忍が現れたのだが――それがサスケと、重吾だったから、彼らの動揺はひとしおだ。彼らは火影達の瞬身の術にやや遅れを取ったものの、これだけのわずかな時間差で追いついたものだから、やはりその実力は申し分ない。
 呆然とした顔で、サクラがサスケを凝視する。サクラだけじゃない。シカマルも、キバも、ヒナタも、いのも、シノも、チョウジも、皆がサスケの登場に度肝を抜かれていた。そして、サスケが木の葉を守ると、そして、その為に火影になると宣った時の、一同の動揺は滅多に見れるものではなかった。
 驚き、怒り、そしてこれまでの悔恨の念を滲ませ、サスケを罵倒する。皆気持ちが追いついていないのだ。しかしだからといって敵が待ってくれるわけでもなく。サスケの宣言によってかえって連合軍の――とりわけ彼と同期だった木の葉の忍達の――士気が上がったのはなんと皮肉なことだろうか。
 モモカは酷く他人事のように喧噪を眺め、いがみ合いをぼんやりと聞き、単純に恨めしく思った。別れた仲間が生きて戻ってくることを。味方として、共に戦える今を。それが許されない、孤独なただ一人の男のことを想って、泣きたくなった。
(――無駄な感傷に浸っているような時じゃ、ない)
 モモカはぐっと唇を結び敵を睨みつけた。身動きの取れない十尾は小さな――と言っても成人男性くらいはある――分身体をいくつも生み出し、反撃に出ている。木の葉の若き忍達が、巧みなコンビネーションで叩き潰していく。
 柱間が結界の四隅に忍達が出入りできるような出入口を作ったことで、効率的に敵を叩くことが出来た。十尾の生み出す分身体はおぞましいほどの数に上り、きりがないと思われたが、忍達の勢いが削がれることはなかった。モモカも攻撃に加わり、奇妙な形をした分身体を次から次へと捻りつぶしていく。頭上で甲高い鳥の声がして、上空からイクルが見守っているのが分かった。彼は大きな鷹の背に乗り頭上を旋回しながら、連合軍の攻撃の補佐をしている。イクルの補佐は的確で、鋭い。イクルが近くにいなくて良かったと、モモカは不謹慎にも考えてしまった。イクルが近くにいたらきっと、モモカの微妙な心境の変化に気付いていたはずだ。そして、無鉄砲過ぎると、その戦い方を諫めていたはずだ。
 モモカは自らの無鉄砲を、自覚していた。けれど仕方がないのだ。神威空間にオビトと共に飛んで一対一の対決をしているカカシを追いかける術がないのだから。ただ少しでも敵の数を減らし、力を削ぎ、待つしか、今の自分には出来ないのだから。
 十尾の分身体は、個体によって出来にかなりのばらつきがあった。ほとんど人間に近い重厚な血を流す者もいれば、ゼツのように灰褐色の液体が飛び散るだけの者もおり、中にはほぼ水に近い液体だけの者もあった。それは十尾の力が完全ではなく、不安定であることを示している。
 哀しい、生き物だ。
 モモカはなるべく一瞬で、何の感情も、痛みすらもないうちに葬り去ってやりたいと思い、ただひたすらに力を振るい続けた。目の前の不完全な生命体の存在を滅し続けながらも、モモカは思い至った。マダラと名乗っていた男が――本当はうちはオビトだったのだが――彼が、大して面識もないモモカにあれだけの濃縮した殺意と、それとは対極にあるような、途方もない寂しさを向けたのは、それは、当たり前のことだったのだ。
 唯一無二の仲間だったカカシ。そして大好きだったリン。二人を助けてオビトは一度死んだ。うちはの存在証明とも言える写輪眼を譲り、息絶え、しかししぶとく生き残り、その末に、親友が愛した女を手にかける残酷な現実を突きつけられる。自らの授けた命と力によって。全てに絶望し、破壊にしか目的を見いだせず、過去の遺物として消し去りたいカカシが、未来への希望の光を見ているのだ――モモカを通して愛しき光を手に入れたのだ――……。その憎悪と、やるせない哀惜の念は、誰にも責められるものではない。
 だからこそ、モモカはカカシが心配でならなかった。
 カカシは、過去の後悔をずっと引きずり歩んできた男だ。彼が闇に落ちずにいられたのは彼の気高い魂があってこそなのだが、その一方で、それだけしか選択肢がなかったこともまた、モモカは知っていた。
 里に裏切られ自害した父親の罪。自分に愛する女を託した友の信頼。守るべき仲間の願い。尊敬してやまない師の未来への希望。それら全て、どれ一つとして捨てることが出来ないから、彼は歩むことを辞めずに、鎖に繋がれた囚人のように、半ば無理矢理引きずられながら、戦い続けてきたのだ。里は裏切れない。友の想いを捨て去ることは出来ない。かといって父のように自ら死を選ぶことなど許されない。ただ贖罪の道を歩むことしか出来ず、立ち止まることなど許されず、カカシは、緩やかな自殺のような生を、これまで歩んできたのだ。

(静めろ、心を。鎮めろ、殺意を)
モモカは自分自身に言い聞かせた。怒りたくて泣きたくて悔しかったけれど、それを発散する術が目の前の敵を叩き潰すことしかなくて、自らの感情のままに、不完全とはいえいくつもの生命体を摘み取るのは大層惨めであった。そこには何の大儀もなく、ただただモモカの癇癪のために死する命があるだけだ。

 そんな精神状態だったから、再びオビトが姿を現したことに気が付くのにモモカは遅れを取った。
 空間が、集約する。
 そして吐き出されるように一人の男が転がり落ちてきた。仮面の男――うちはオビトだ。痛みに激しい呻き声を上げるオビトに、モモカに限らず誰も気づかなかった。うめき声が苦痛の色を濃くさせ、まるで地獄の業火に焼かれているような叫びが聴こえて、ようやく皆の意識がそちらを向いた。
 モモカは地面に這いつくばる男を凝視した。これが、この男が、うちはオビト。モモカの知っている写真の少年とは随分とかけ離れていたが、確かにその面影はあった。
 オビトは数本の黒い槍に磔にされている。血が止めどなく流れ、胴体の中心にはぽっかりと何者かに貫かれた穴が開いていた。
 モモカは無意識に唇を噛みしめる。
 あの穴は、もしかして雷切によるものではなかろうか。もしそうならカカシは再び友をその手で貫いたのだ。リンに続いてオビトまでも――。そしてオビトは現れたのにカカシが一向に姿を見せないのはどういう訳か――……。
「少年たちよ! お前たちが近い! 今すぐ十尾の上の者の術を止めてくれ!!」
 柱間の叫びにモモカはハッと顔を上げた。のたうち回るオビトから高みの見物とばかりに丘の上の方で座する本物のマダラに目を向ける。マダラは印を結び、その体は不思議なチャクラに覆われていた。輪廻転生の術だ、とモモカが気が付いたのと、ナルトとサスケ、そして火影の影分身たちがマダラに向かっていったのは同時だった。しかしどう足掻いたって間に合いそうにない。マダラの口元がにやりと笑みを作り、揺らぐ炎のようにチャクラが立ち上がる。
 マダラの揺らぐチャクラはそのまま離れた場所で這いつくばっているオビトを覆い、オビトの体は槍に貫かれた右半身からみるみる黒く変色していく。今まさに、別の魂に乗っ取られようとしているのだ――駄目だ――間に合わない――マダラが完全復活してしまう――……。
 誰しもが最悪の状況を覚悟した瞬間、オビトの目の前に突如として黄色い閃光が出現した。
 鮮血が飛び散る。
 黄色い閃光と、真っ赤な鮮血と、オビトの黒い半身が見事なコントラストになって網膜に焼き付く。

(……せん、せい……)

(お前……、だったのか……)

 まさかこれだけ距離のあるモモカが二人の呟きなど聞こえるはずもないが、それは確かに耳に届いた。

 血飛沫を上げてオビトはうつ伏せに倒れた。暗澹とした覚悟と余りある寂しさを持ってミナトはオビトを見下ろした。その瞳が無念だと、横たわるオビトの背中に語り掛けている。
「飛雷神のマーキングは決して消えない。それは教えてなかったね……オビト……」
 哀しい目をして、ミナトがかつての教え子を見下ろす。穢土転生された者特有の濁った眼であるし、そもそも死体には同化できず何も読み取れないはずだ。だが寂しい風がミナトの目に吹き付け、その止めどない悲しみと悔恨はモモカの心をざわつかせた。
「あっけなかったな。後は生き返り損ねたマダラを封印すればこの戦争も終わりだ。後このデカブツもな」
 オビトへの攻撃態勢に入っていたサスケが、ミナトの傍に静かに降り立つ。火影達の結界と封印術によって身動きの取れない十尾を冷めた目つきで見上げた。

「何を持って終戦と決めつける。……裏切り者の同胞よ」

 地の底から響くような声が聴こえて、先ほどまでとは種類の違う動揺が戦場に走った。モモカは横たわるオビトの口元が笑んだのを認めて、全身から総毛立つ。
 次の瞬間、封印術によって捕らわれていた十尾が爆発を起こしたかのように膨らみ、拡散した。強風に辺り一面の土砂やらが巻き上げられ、視界は一時消える。ようやっと土煙が晴れて状況が確認出来るようになると、十尾は忽然と姿を消していた。代わりに立っていたのはオビトであるが、先ほどまでとはかなり様子が違う。皮膚は白ゼツに近い血の気のないうすら寒い灰褐色で、背中から棘のような八本の鋭い尾が突き出ている。さらに背中の中心部には小さな勾玉が九つと、大きな勾玉一つを模した紋様が浮かんでいた。何より不気味だったのは、オビトの眼は依然として写輪眼と輪廻眼が一つずつなのだが、そこには生命的な輝きも、憂いも、怒りすらも消え失せて、まるで人形の目のような無機質さを持っていたことだった。
 オビトが十尾の人柱力になってしまったことは、その姿を見れば疑いようがなかった。
 柱間がすかさず、先ほどまで十尾を捕えていた封印術を再発動させる。多数の鳥居が出現し、幾重にも折る重なるようにオビトを囲む――が、安心したのも束の間、鳥居はヒビが入ったかと思うと崩壊してしまった。無機質な眼で、何の感慨もなく人柱力になったオビトがそれを眺める。さらに十尾を閉じ込めていた四赤封尽までもが、破壊されてしまった。ただ十尾の力を取り込んだだけではなく、人柱力になるとその威力も桁違いに跳ね上がるみたいだ。
 構えて攻撃態勢になる火影達――音もなくオビトが消え、気付いた時には柱間と扉間の体が切りつけられていた――唖然とするナルト達――残るヒルゼンとミナトが両脇に飛び――オビトの手脚から爆発が起こった――扉間が切られる最中に仕掛けたのだ――爆撃が止んだと思ったら次から次へと起爆札が連続してオビトへ飛んでいき、一点集中の超爆発を引き起こした――しかしそれでもオビトは倒れず何事もなかったかのように立っている――続いてヒルゼンの手裏剣影分身が数千にも上るかと思われる数でオビトめがけて飛んでいく――オビトは両の掌から真っ黒な物質を生み出すとその得体の知れない黒い物体で手裏剣を切り刻んでいく――いや違う――切っているように見えるが、その正体は、触れた箇所を瞬時に塵化させる性質にある――とうとうヒルゼンまでオビトは到達し、その黒い物体による攻撃でヒルゼンの片腕は消失した。
 これだけの歴代火影達の怒涛の攻撃にも傷一つ付かないオビトを目の当たりにし、奇妙な沈黙が流れた。その沈黙は一瞬のことだったが、誰の頭にも“敗北”の二文字が過る。
 その一瞬の沈黙を破って突撃したのはナルトとサスケだ。ある意味不死である体だからこそ火影達は先陣切って攻撃を仕掛けたわけだが、ナルトとサスケは生身の人間だ。攻撃されて、死んだらそれでお終いだ。モモカもほとんど反射的に後に続く。
 オビトの攻撃がガマ吉の足元から出現するのを、モモカは見逃さなかった。モモカは得意の瞬身の術ですぐさまガマ吉を引っ張り上げる。ガマ吉を振り返ったナルトがオビトに蹴り上げられ、その体が宙を浮いた。サスケの須佐能乎をオビトの黒い槍が貫く。サスケが睨みを利かせるも、オビトは瞬時に距離を詰めてサスケとナルト、二人の頭をそれぞれ左と右の手で鷲掴みにした。その手の甲には全てを塵化させるあの黒い物体が出現していた。
「ナルト!! サスケ!!」
 モモカが叫ぶ。
 間に合わない――しかし次の瞬間、ナルトとサスケの二人はミナトとともにモモカとガマ吉のすぐ目の前に姿を現した。ミナトによる飛雷神の術だ。どうやらナルトの九尾のチャクラを介して、間接的にサスケとも繋ぎ合わせることで飛べたらしい。モモカは安堵の息を吐くとともにその最大まで極めた技の精度に感嘆した。
 まだ上手く力を制御できていないらしいオビトは十尾とも人間とも付かない不完全な体をまるで蛇のようにくねらせて呻く。ぼこぼこと皮膚が盛り上がり、ぽっかり口を開けたかと思うと尾獣玉を吐き出した。尾獣玉は全く見当違いのオビトの上空へ飛んでいき、誰を傷つけることもなく爆発した。いや、オビトの膨れ上がった体の一部が抉れている。
「自分の技を喰らってやがる……」
 哀れなものを見る目つきで、しかし警戒は怠らずにサスケが呟く。
「大きすぎる十尾の力にオビトの意識がどうにかへばり付いているだけで……まるでコントロールできていない」
 ミナトが力強く、ナルトとサスケに目配せした。
「隙を作るから間髪入れずにお前たちのコンビ技を叩きこむんだよ!」
 きっとミナトはナルトとサスケにしっかり協力するよう暗に言っているのだろう。ミナトが構えた特製のクナイを振りかぶって投げる。ナルトとサスケが飛び出す。オビトは相変わらず呻いている。モモカも負けじと飛び出した――……。

(……リン、)

 突然、頭がずきりと痛んで、モモカは立ち眩みに見舞われた。
 目の前が真っ暗になって、平衡感覚を失ったモモカはたまりかねて膝を付く。まるで脳みそを引きちぎられるような痛みに一瞬にして何もかもが分からなくなった。
 苦しい。痛い。苦しい。苦しい。痛い。息が、できない。
 真っ暗闇に突き落とされ、きらきらと輝かしい過去の一瞬が、あっという間に引きはがされていく。べりべりと、無慈悲に剥がされていく想いは、モモカのものではなかった。
 太陽のように真っ直ぐ導いてくれる師。いけ好かないけれど本当は誰よりも尊敬して負けたくない相手。そして何にも代えがたい、眩しい笑顔の大好きなあの子。戦火の最中において、ゆるぎない輝きを放つ想いは、大切な仲間を守り抜きたいからこそ、褪せることはない。褪せることなどないのだと、そう信じていたはずだった。
 べりり。太陽のような師が引き剥がされる。脳を割るような痛みにモモカは叫んだ。
 べりべりべり。世界で一番憎くて、世界で一番目標にしていた友が引き剥がされる。この苦痛と比べたら、生きたまま目玉をくり抜かれた方が、まだましかもしれない。
 べりばりべりりりり。あの子が――誰よりも守りたかったあの子までもが――引き剥がされていく――……。心臓を直接握る潰されるような苦しみにモモカは泣き叫んだ。
 いいの? 本当に、それでいいの?
 これは自分の想いではなく、そこから生まれる苦しみもモモカのものではなく、オビトの苦痛なのだと、もう分かっていた。
(……リ、ん)
 オビトの唇が弱弱しく動く。
(……リ……ン……リン……)
 次第にその魂は自我を取り戻し、力強く脈動する。咽び泣くモモカの声に反応するかのようにオビトが目を開いた。
 何もかも、忘れて、本当にそれでいいの?
 オビトの虚ろな瞳はモモカを捕え、その刹那、光が宿る。光は強い憎しみを取り戻し、爆発的な星の光の如く辺りを覆いつくす。憎しみは終わらない。悲しみは尽きない。夜は、明けることはない。また絶望を見るくらいなら、夜は明けないままでいいのだと、オビトは心の底から願っていた。


 頬に冷気が差して、モモカは目を開けた。夜は、やっぱり明けていない。ぽつぽつと針で刺したように光る星と煌々と照る月。いつもと変わらぬ夜空を背景に、真っ青な顔をしたイクルがモモカを覗き込んでいた。
「モモカ?! 大丈夫かい、酷い顔だよ……」
 心配そうに声をかけるイクルは、それでもモモカの意識が戻ったことに安堵の表情を浮かべていた。長引く戦闘にイクルもだいぶやつれた顔をしていたが、手早く医療忍術によるモモカの処置にかかる。
 イクルは上空を旋回しながら、連合軍の攻撃の補佐をしていたはずだ。モモカは頭をわずかに起こして周囲を見回した。頭は重く、動かすと鈍い痛みがあった。
「ほら、まだ動いちゃだめだ……」
 まず見えたのは天に向かって伸びる太く、巨大な樹の幹。先端には開花の時を待ちわびるこれまた巨大な花の蕾があった。麓にはまっすぐに立つオビトがいたが、先ほどまでとは様子が違う。不完全な半獣の姿ではなく、人の形を保っていて、目の焦点もはっきりしている。何より、チャクラの質が先ほどまでの不安定で歪で、量こそ多いものの拡散するだけのそれとは明らかに違っていた。
「……あれが神樹というものらしい。そしてオビトが、十尾の人柱力として完全体になった。十尾をコントロール化においたんだ」
 モモカの目線の向く先に気付いてイクルが説明した。モモカが何故か意識を失っていた間に、物事は何段階も悪い方向に進んでいたみたいだ。
「歴代火影の誰よりも強く……しかしどうも仙術は効くみたいで、ナルトが攻撃の軸になっている」
 モモカは体を起こしてチャクラによる治療を行うイクルの手を退かそうとしたが、逆にその手を彼に力強く握り返されてしまった。モモカは同化の力で鋭くモモカの中に入り込むイクルの想いを感じ取った。
「だめだよ。確かにモモカも仙術が使えるけれど、こんな満身創痍の状態で行っても足手まといになるだけだ」
 確かにその通りだろう。だからと言って、イクルが付け焼き刃の治療をしてくれたところで戦えるところまで回復できるとも思わなかった。何故意識を失ってしまったかは分からないが、モモカはオビトの苦痛を諸に浴びて、酷く参っていた。一般的な医療忍術で回復できるようなものではなく、根本的に、力を削がれた気がしていた。だからどうせ回復はしないのだから気休めの治療を受けるよりも、このまま戦いに赴く方がよっぽどいいと思えた。
 この考えをどうイクルに説明したらよいか重い頭で考えあぐねている間に、場のチャクラに大きな変動があった。
 ぎゅっと濃縮した凶悪なチャクラの塊がオビトの頭上に出現していた。尾獣玉だ。とてつもなく大きい。そして何と、この場の忍達を囲うように結界が張り巡らせられ、鼠の一匹も通れないようになっていた。尾獣玉から避けられないようにオビトが張った結界に連合軍の忍達には焦燥と恐怖のどよめきが起こる。先ほどとまるで立場が逆だった。
 諦めの声、怒りの声、悲しみの声、恐怖の声。種々の声が聞こえてきて、モモカの疲れた脳を鈍く殴っていく。隣のイクルをちらと見上げれば、彼は絶望的な状況に真っ青な顔をさせながらも、モモカの手を強く握りしめたままで、きつく唇を結んでいた。
(トウキだって、きっと諦めない)
 状況を把握しようと忙しなく動く視線と、同化で伝わってきた様々な策と、そしてモモカをどうにかして守り抜くのだと強い意志から、イクルは最後の時まで諦めることなどないのだろうと分かった。前方を見やるとナルトとミナトが何かしようと、並んで印を結んでいる。
 モモカはふ、と口元に笑みを作った。守り抜く力をくれるのは、いつだって守りたいと思う仲間たちだ。
 イクルの手を握ったままで目を閉じる。視界を遮ると人々の喘ぎがより鮮明に聞こえた。嘆き、悲しみ、怒り。それらの声はまるで蛍の光のように淡く無数に光り、光っては消え、消えては現れる。数多の淡い光の奥に一際強く輝きを放っているのはナルトだろう。そしてその横には同じくらいの輝きを放つミナト。穢土転生された者は同化で思考を読むことは出来ないが、なんだ、魂は何一つ汚されず、変わらずそこにあるのではないか。
 ミナトとナルトの光が、赤い炎のような光で繋がる。あれは、九尾のチャクラだ。そしてナルトから無数の蛍のような淡い光の一つ一つへ、光の糸が繋がる。か細くみえるがその糸はとても頑丈で、ちょっとやそっとのことでは切れることのない糸だった。これだけの数でも、ナルトはどれ一つとして諦めることなく、その全てを繋ぎとめようとしていた。ただ、全てを繋ぐには余りに時間がなかった。
 モモカは、自分の為すべきことを理解した。
 となりで優しく光るイクルごと包み、ナルトへ幾重にも折り重なる太い糸を伸ばす。ナルトがそれを掴むと、ナルトから力強く暖かな光が流れ込んできた。重かったはずの頭もクリアになり、儚く発光する蛍の光たちを、たとえどれだけ小さな光だろうと、一つとして取りこぼすことはなかった。モモカからナルトに伸ばした太い糸はばらばらに解れながら四方八方に伸び、ナルトと蛍の光たちを繋いだ。
 そしてモモカは、全ての光と繋がったことを見届けると、ナルトの想いを皆に繋げた。ぼんやりと浮かぶのは幼き日のナルトだ。里の者から理由も分からず疎まれ、孤独だった幼少時代。自分と同じ寂しい背中に声をかけられなかった後悔。
(何度も思うんだ……)
 ナルトの寂しい声が響く。
(あの時声掛けときゃ良かったって……)
 ナルトの後悔は、大きな決意に変わる。あの孤独が、寂しさが、後悔があるから、ナルトは全てを諦めないでいられるのだ。蛍の光の一つ一つがナルトの想いに共鳴していた。
 もう、誰のことも諦めない。
 どんなに絶望的な状況だって、諦めない。諦めたくない。諦められないのだ。

 やがてナルトを介して繋がる光の粒たちは一つの発光体であるかのように輝きを増していく。皆それぞれの過去も使命も信念も違う。けれど、未来を諦めないその想いだけは一緒だった。
 光は大きな渦となり、そして瞬間的に煌めく閃光となり、虹色になって世界に拡散した。




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