彼の目にきらりと光るものが


 温暖な木の葉にも積もるほどの雪が降った翌週、モモカ達も活動の拠点を本格的に忍連合本部に移した。長である綱手を始め木の葉の戦力のほとんどが雷の国に置いた本拠地に移動していたからだ。木の葉隠の里には十五歳以下および中忍以下の忍と、ごく少数の上忍のみが残った。他国に襲撃を受けたらひとたまりもないが、どこの里も似たような状況であった。よもや、この期に及んで他の里を出し抜いて襲おうなどと考える国はあるまい。まだお互いを深く信じることはできないものの、忍達には奇妙な一体感が生まれつつあった。

 正式に大戦での配置が発表されると、連合軍は俄かに活気づいていく。モモカが本拠地を訪れたのはこれで二度目だったが、前回よりも集結する忍の数も種類も桁違いであった。様々な装束の者が入り乱れて、聞き慣れない訛りの会話が飛び交っている。本拠地となっている広大な建物の全景を把握できていないモモカ達はキョロキョロと辺りを見回しながら本拠地内を東から西に移動して綱手を探した。
「第三部隊の指令室にいるらしいぜ」
 向こうの方で情報を仕入れてきたトウキが言った。
「第三部隊ってカカシさんが部隊長のところだよね」
 イクルが呟いて、相槌を打つと同時にそこでトウキは第三部隊の指令室がどこにあるのか分からないことに思い至ったようで舌打ちをする。彼には珍しい詰めの甘さだが、人の多さに辟易としていたのだ。それはトウキに限らずモモカとイクルも同様で、特にモモカは血気盛んな人々の心の声に参っていた。
「すみません、第三部隊の指令室はどちらですか」
 イクルがその辺にいる忍に声をかけた。浅黒い肌色の屈強な男だった。行きかう人々の中からイクルが彼に声をかけたのは、黒い肌に色素の薄い髪、そして体躯の大きさと、身体的特徴から雲の忍であると判断でき、勝手知ったる自里のこの建物にも詳しいだろうとあたりを付けたからだ。
「西棟の三階だよ」
 男は胡散臭そうにイクルたちを一瞥しながらも端的に言う。
「西棟って?」
 答えの早く欲しいトウキは苛々しながら聞き返した。男は薄い眉を寄せて不快そうな表情を見せた。
「少しは自分で調べたらどうだ? あるいは、お郷の仲間に聞いたらどうだ? その平和ボケした雰囲気は木の葉か、砂か?」
 意地悪いにやにやとした顔面にトウキが拳をお見舞いする前に、モモカが颯爽と身を翻した。
「いいよ、分かったから行こう」
 トウキはまだ不満そうな顔をしていたが、反論せずにモモカに付いていく。相手の男が小声で悪態をついたのは聞こえないふりをした。

 件の第三部隊の指令室――石造りの西棟の三階に位置するどこかうすら寒い部屋だ――に足を踏み入れた瞬間、十個の目玉がモモカ達を捉えた。
 五代目火影である綱手にシズネ、カカシ、砂のカンクロウ、霧の青という、まだ連合軍の配置を把握していないモモカでさえも、中枢を担う面々なのだろうと分かった。しかしその空気感は重くはなく、どちらかと言うとざっくばらんな雑談の延長で、重要な作戦を練っているような場面ではなかったようだ。各国を代表する顔ぶれの、その全てにそれぞれ少しずつの注意を向けながらモモカ達は綱手に任務の首尾を報告する。三人連れ立っている時は主にイクルが報告することが常で、この時もそうだったが、他里の忍の手前彼は詳細をぼやかして報告を行った。しかし綱手が構わん、と一言言い添えたので、イクルは躊躇わずにありのままを伝えた。
 イクルが報告した入手することさえ困難な情報の、詳細かつ深いそれにこの場にいる誰もが興味を示した。イクルの忍鳥、その秘術をトウキにも応用させたこと、そしてモモカの同化能力がなければ到底手に入れられない情報だから、各国精鋭の忍達が半信半疑なのも無理はない。
 報告の途中から、雲隠れの忍が部屋に入ってきた。雲隠れ特有の浅黒い肌を持つ偉丈夫だが、気だるげな雰囲気が全身から漏れ出ているような男だ。イクルは綱手への報告を中断することはなかったし彼も割って入ることはなく聞き入っていたが、報告が終わると眠そうな目でモモカ達をぐりぐりと見回し低い声を発した。
「どうやったんだ? さっきのといい」
 男は高い位置からモモカを見下ろして聞いた。不愉快そうにトウキが眉を吊り上げる。
「さっきの?」
 背の高さだけで言えばトウキの方が上であるが、体格のいい男の醸し出す強者特有の気が、そしてそれとは裏腹な不精たらしい態度がトウキは気に食わないようであった。男はまるで敵意なんてないことを示すかのように肩をすくめた。
「さっき、その辺にいるうちの忍と二、三言葉を交わしただけでここまで真っ直ぐ来ただろ? この要塞は敵の侵入を拒むために分かりづらい造りになっているんだ」
 なるほど確かに、どうりで入り組んでいるはずだとモモカは合点した。水の国といいこの国といい、中枢機関そのものが要塞となっている隠れ里は珍しくないのかもしれない。
「それをあっさりたどり着くんだもんなあ」
 モモカの同化能力のことを知らずとも、それを成し得たのがモモカだとこの男は当たりを付けているのだろう。彼は眠そうな目でモモカを注視していた。
「ま、それは企業秘密ってやつさ、ダルイ」
 まじまじとモモカを見つめる男に綱手がほくそ笑んだ。男はダルイというらしい。モモカとしてはトウキがダルイというこの忍に無礼な発言をする前に綱手が口を開いたのでホッとする。尤も、当の綱手はそんな外交的なことは一切気にしていないだろう。
「ああ……」
 ダルイは気だるげな視線をモモカから綱手に移す。
「つまり、この子が火影様の仰ってた、秘蔵の虎の子か」
 綱手がモモカのことを何と触れ回っているか若干気にはなるものの、モモカは綱手に倣い、なるべく悪戯っぽい顔を心がけて笑んだ。
「それは、企業秘密らしいので、すみません」
 モモカの言葉と表情にダルイは目を瞬いた。そして元々抜けている肩の力をさらに抜いて口の端を上げる。
「おいおい、そんな表情も出来るのかよ」
 すかさず口を挟んだのは砂のカンクロウだった。ダルイに対して言っているのではなく、どうやらモモカに向けられた言葉だ。暁の調査で砂の国を訪れた際に、彼にそっけない態度を取っていたことをモモカは思い出した。
「おい、モモカのファンなら辞めとけよ」
 トウキが苛々と口を挟む。彼の機嫌が悪いのは、疲労からだけではなさそうだった。
「はあ?」
 カンクロウもカンクロウで挑発し返すような声音を出す。トラブルの気配にイクルがモモカにだけ聞こえるようにため息を吐いた。
「なに、口説くのにも許可がいるのか? それともあんたらできてんの?」
 カンクロウの挑発にトウキが手を出さなかったのは彼の大きな成長と言えよう。トウキは至極、意地悪そうな顔でカンクロウにしたり顔をしてみせた。
「おっと、俺じゃあないぜ。けどよ、興味本位で手え出したらおっかない奴がおっかない顔で詰め寄るぜ――」
「トウキ」
 まくし立てるトウキを制したのはイクルだった。彼はとうとう見かねたといった様子で口を挟み、トウキは舌打ちをする。ここまで苛ついているトウキを止められる人間は、今やイクルとモモカの他にはいないだろう。
「ああ、分かってるよ――……。報告は済んだし行こうぜ」
 トウキは苦々しく呟いた。部屋を立ち去る間際、モモカはちらりとカカシを盗み見る。呆れた顔をしているのではないかと思ったがそうではなく、感情の読み取れないいつもの飄々とした表情だったのが、少しだけ悔しかった。そしてそんな風に思うのが、自分でも意外であった。

 速足で先頭を歩くトウキに付いていきながら、モモカは彼の不機嫌の理由にようやく気が付く。あの頃よりも広く逞しくなった彼の背を見ながら、憎しみは終わらないのだとしみじみと感じた。モモカは砂の里に足を踏み入れ彼らと触れ合っている。人となりを、少なからずとも知っている。だからといって全てを水に流せるわけではないけれど――しかし、その機会に恵まれなかったトウキには未だ、仇敵の若い忍を許すなど、到底出来やしないのだ。
「……トウキ」
 人通りの少ない棟の外れまで来て、ようやくイクルが声をかける。トウキは歩を緩めた。
「分かってる、分かってるさ」
 トウキは自分自身に言い聞かせるように繰り返した。
「あいつがハヤテを殺したわけじゃないことも、奴らには奴らにも切羽詰まった事情や正義があったことも、今はそんな昔の一つ一つの恨みつらみを持ち出すような時じゃないってことも」
 トウキの言葉は消えぬ憎しみそのもので、モモカの心に重くのしかかる。ハヤテを殺した忍である――砂のバキ、そして彼の教え子であるカンクロウだけではない――憎しみを向ける相手は、砂だけではなく、雲であり、岩であり、水でもあった。ついこの間まで憎むべき敵だと思っていた人間が、今は手を取り合う仲間なのだ。殺し合っていた里が権力者の都合で無理やりの友好を築かされることは得てしてあるが、こんなにも多くの国々を巻き込んでの共同戦線は前代未聞であり、トウキに限らず気持ちが追い付かない忍の方が普通だった。使命感とは別のところでトウキは間違いなくこの状況に嫌悪感を抱いていて、そしてそれは神妙な面持ちで眉を寄せるイクルも同様なのだろうと察しがつく。
 モモカはその事実に俄かに驚いた。モモカだって、水の国に行くまではずっと得体の知れない残虐な忍を恨んでいた。けれど一度足を踏み入れさえすれば驚くほどに過去と今とを別の次元のもとに考えられた。しかし仲間たちの複雑な顔を見れば、モモカのように考えられる方が特殊なのだろうということが分かる。
「きっと、皆同じなんだよね」
 思わず出てしまった言葉を、モモカは驚きこそすれ後悔はしなかった。どの国の忍も、使命感に燃えて士気を奮い立たせている一方で、何一つ納得はしていないのだ。心の奥底では隣人を憎み、隙あらばその寝首をかく大義名分を欲している――だから、そんな心の声を感じ取ってしまうから、連合軍の人波を縫って歩くのは大層疲れるのだった。

 忍連合軍は部隊は大きく九つに分かれていた。近から遠距離まで戦闘タイプ別に振り分けられた第一から第五部隊、それとは別に秘密裏に敵の中枢を叩く奇襲部隊、支援に特化した医療部隊、各部隊への連絡を専属とする情報部隊、いち早く各種情報を収集する感知部隊だ。モモカ達はその中の奇襲部隊に割り振られることになった。しかし部隊とは言うもののモモカ達は専属の任務を割り当てらてられ、他の部隊員と打ち合わせをしたり連携を取ることは皆無に等しかった。あの砂のカンクロウが奇襲部隊の部隊等であり、彼とトウキの衝突を避けられたのは有難かったが、同じ部隊の忍達との意思疎通はおろか、その顔ぶれさえも把握できないのは痛かった。結局開戦に至るまで、モモカ達は味方の顔さえもろくに知らないままだったのだ。
 奇襲部隊に限らずそれぞれの部隊は一つの意志の元に同じ目的を持って各忍が行動をするものだが、モモカ達クリキントンはそれとは異なる行動形態を取っていた。いわば五影の勅命を受けるような形で動いていたモモカ達は名目上、奇襲部隊に配置されているだけと言っても過言ではない。

 そんなことだから、連合軍総員を集めての決起演説があると、モモカ達に伝えられたのも集合のほんの数時間前のことだった。
 モモカ達は作戦立案の中枢を担う参謀達に任務の首尾を伝えていた。大戦開始に当たっての決起集会があると知ったのも、彼らから聞いたこの時が初耳であった。それだけモモカ達は本筋の部隊とは行動を異にしていたのだ。モモカ達にしてみれば大戦なぞとっくに始まっていたのだが、どうやら世間一般の区切りとしてはそうではないらしい。確かに全面衝突はこれからなのだが、全てが動き出している今更、改めて総員が集まる必要性がモモカにはよく分からなかった。しかし先の大戦を経験している大人達によるとこういった開戦の宣言は非常に重要な役割を持つというのだ。
「おい、お前ら」
 報告を終え立ち去ろうとするモモカ達に綱手が声をかける。彼女はすぐ隣の本部の大将格が控える指令室からモモカ達を手招きしていた。参謀に報告をした部屋の二倍ほど大きさのその部屋へ、モモカ達は足を踏み入れる。石造りのこの本部内の中でも殊更に立派な部屋だ。天井は高く、中央にはこれまた石造りの大きな円卓があった。円卓の周囲には五つの椅子があり、五影達の椅子だと、誰が見ても一目で分かる。思い思いに影達は腰かけていたが、水影の椅子だけ埋まっていなかった。室内には座する火影、土影、風影、雷影の他にも忍の姿がある。参謀の一人である奈良シカクと鉄の国の侍であるミフネ、そしてカカシだ。
 参謀のシカクや忍達の間を取り持つミフネはともかくとして、この中枢の面々の中にカカシが同席していることに、モモカは少し面食らう。モモカが思っている以上にカカシの実力は各国に認められていて顔も広く、発言力があるのだ。
「なんでしょう」
 イクルが代表して尋ねると、答えたのは綱手ではなく、土影であるオオノキだった。
「土の国北部に住まう少数民族は類まれなる感知能力を持っている」
 彼はなんの脈絡もなく話し始めた。イクルはちらりとモモカとトウキを一瞥して、怪訝な顔で土影の話の続きを待った。
「地中に潜むゼツの捜索にはおぬし等にも奮闘してもらっておるがの、その民族の力を借りることが出来れば、かなり優位に事を進められるだろう」
 モモカ達は一様に眉を寄せて、行き先の見えない話を聞いていた。
「だが彼らは争いを好まない。ひっそりと、目立たずに、隠れるようにして生きてきた者たちだ。世界の危機だろうが何だろうが、まず応じないじゃろう――そう、思っていたんだがな。それが、力を貸すと――全く、どんなからくりがあるのやら」
 土影が古狸のような顔に笑みを浮かべる。
「それが何なんだ、一体何が言いたいんだよ」
 とうとうトウキが痺れを切らして聞いた。綱手が苦笑して助け舟を出す。
「土の国を超えてさらに北上した、大陸の果てにあるような山間部にひっそりと暮らす少数民族のことだよ。忍とまるで縁のない人々だが、彼らはある一人の忍に恩があると言ったのさ。ひっそりと暮らしていたその地にも暁の魔の手が差し迫っていたんだ。二年ほど前に、その村はある一人の忍を匿った。その忍が村を発つ際に、ついでに周囲に潜伏していた暁を倒したおかげで、今も村の平和は保たれているのだそうだ」
 未だ話の掴めないぼんやりとした顔のモモカに綱手は可笑しそうに鼻を鳴らす。
「忍でもないのに印も結ばず、自然とチャクラを扱い、類まれなる感知能力と結界術を持つ――その地では、古くから稲荷信仰が根強く残っているんだと」
 やっとモモカも影達の言わんとしていることに気が付いた。四人の影達だけでなく、トウキとイクルでさえも驚いた顔でモモカを見つめていた。
「心当たりがあるだろう? その土地に。お前がしてきたことに」
 確信もって言う綱手にモモカは複雑な心持で頷く。間違いない。クラマ山の麓で暮らす――赤き心を持ったあの人たちのことだ。
 モモカからしても、遥か北の地で自然に寄り添い慎ましく生きる彼らが直接戦闘に加わらないにしてもこんな愚かな争いに手を貸すなど奇跡だと思ったし、大変有難かった。確かにモモカはあの村を発って木の葉に向かう前、周囲の忍を倒して回っていた。それがどれだけ彼らの助けになったか、あれからあの地に足を踏み入れていないモモカには分らない。ただモモカは感謝の気持ちと同じか、あるいはもっと強く、彼らを巻き込んでしまったことに罪悪感を抱いていた。自然に寄り添って生きる彼らがちっぽけな人間同士の殺し合いに加担などしていいはずがないのだ。
「……ふん、こんな小娘があの偏屈者どもを動かすとはな」
 値踏みするように自分を眺める土影を恨みがましい目つきでモモカは見つめ返した。
「なんじゃ、不満か」
 モモカの暗い心中を知ってか知らずか、土影は人を食ったような話声で詰め寄る。モモカは土影をじっとりと睨むのを辞めた。
「ま、いずれにせよ、よくやったな。お手柄だ」
 労わるように声をかける綱手の顔さえもまともに見れずにモモカは小さく頷いた。
「さ、あと小一時間で集会だ。同じ部の連中とも顔合わせして、準備をしておいで」
 
 部屋を出たモモカ達は一言も喋らずに歩いていた。トウキとイクルがモモカの暗い表情に気を使ってか、黙っていたからだ。彼らの気遣いに礼を言うのはまた後でいいとモモカはその気持ちに甘えることにした。しかし黙って歩いていたモモカ達に、後からすぐにカカシが追い付いてきた。
「よっ」
 彼はいつもの軽さでモモカ達に声をかけると並んで歩き出す。しばし沈黙が続いていたが、カカシはまるで気負いのない様子でモモカに笑いかけた。
「ちょっと前に、俺が言ったこと覚えているか?」
 モモカは首を傾げてカカシを見上げる。ちょうど本部の建物から外に出たところで、行きかう人々は少なくなるどころかより一層増えて混雑を極めていた。あちこちである一定の塊の群衆を作っているそれらは興奮気味に何かを待っているようだった。
「進んでいないように見えても少しずつ変わっているって言葉は本当だったな、ってやつ」
 モモカはカカシに向けていた視線を数多の群衆に向ける。様々な欲望と恐怖がそこにはあった。

(この大戦で役に立つんだ)
(力を見せつけてやる)
(他里の奴らには手柄をくれてやるものか)
(なぜこんなことに)
(怖い)
(死にたくない)
(あいつは信用ならない)

 胸が潰れそうになるほどの忍たちの本音に向けられていたモモカの意識は、カカシの手のひらによって引き戻される。カカシがモモカの頭に手を添えていた。モモカばかりではなく、その暖かな手はトウキの背中、イクルの肩と順に力強く触れた。急に周囲の雑音が遠くなった気がした。
「人々は隣人を疑い、どうにか有利になろうと躍起になっている」
 カカシの低い声にモモカ達は三人とも耳を澄ませた。それは雑多な喧噪の中においても、不思議と聞き漏らさないようなクリアな響きを持っている。
「……ナルトなら、きっと、もっとうまく」
 ぽつり、モモカは漏らした。それは言い訳できないほどに卑屈な色を帯びている。モモカは沈む自分とは別のひどく冷静な自分が、こんな弱音を吐くのは疲れのせいだと客観的に分析するのを感じた。
「よく自分のことが分かっていないようだな、お前らは」
 半ば呆れた声でカカシは言った。お前ら、と指したことで自分だけでなく、トウキとイクルもまた暗い顔をしていることにモモカは気が付いた。カカシはゆっくりと瞬きする。一つの里のその主力として担う、責務を持った大人としての顔をしていた。その一方で、モモカ達に向ける目線は労りに満ちていて、そんな優しさこそがカカシがカカシたる所以だった。
「連合軍の結成にはいくつもの課題があったし、何より長い歴史が作り上げていた疑心が満ちていた――だがな、イクルが大蛇丸のところに居たころ得た情報を、切り札にすらなり得るような重大なそれを、いち早く開示したことでこの里は他里からの信頼を得たんだぞ」
 イクルが驚いて小さく息を飲む。彼は唇を噛んでカカシから目を逸らした。淡々とした口調でカカシは続ける。
「それから、本来なら処されるお前らに他国の影が――それも長いこと国交のなかった水の国の影が――直々に嘆願を出すなぞ異例中の異例だからな。あの国もだいぶ体制が変わっては来ているから遅かれ早かれ協力の姿勢を示してはいただろうが――それでも、これだけ早く話がまとまったのに、お前の無鉄砲が何の関係もないとは、思わないぞ」
 カカシはおちょくっているのか褒めているのか判断のつかない表情で再度トウキの背を叩いた。トウキが前のめりにつんのめる。
「何よりさっきの――、特殊な力を持った未開の地の民族のことだ――こればかりはモモカがいなきゃそもそもあり得なかったことだ」
 歩を緩めていたモモカはとうとう立ち止まった。少しモモカを追い越したカカシも立ち止まり振り返った。
「土影があれだけ協力を仰ぐのは無理だと言っていた民族だ。それが、モモカがいたから、こんなにも心を開いて寄り添ってくれている」
「……巻き込んでしまった」
 モモカは低く呟く。いまさら言っても詮無きことと分かり切っていたから、口に出さずにいようと思っていた。それがカカシの前でこんな弱音を吐く形になって、モモカはすぐに後悔したが、止まらない。
「俗世とは離れて清らかに生きてきた人々を、こんなに醜く身勝手な争いに巻き込んだ。確かに彼らの助けは必要なことだ――でも――」
 カカシはまっすぐにモモカを見下ろしていた。
「それじゃあ、彼らの選択が、モモカの、忍達の力になろうと、そう決意して立ち上がったことが間違いだって、そう思うのか?」
 カカシの質問にモモカは首を振る。
「まさか、そんなんじゃない。彼らがそう決めたのならそれは有難いし尊ぶべき選択だ。彼らの選択をとやかく言うことは――」
 自分で紡いだ言葉にモモカははっとなった。自分自身で言っている通りだった。彼らは誰に強制されたわけでもない。まっすぐに、心のままに、自然と寄り添い生きていくあの人たちのことだ。一時の愚かな感情で、誤った道を選択することはないだろう。彼らが彼らで選び取ったものを、強者のつもりでモモカが上から目線の余計な心配をするのは、驕り以外の何ものでもなかった。
 モモカは自分の浅はかさが情けなくなった。
「いいか。モモカ達が今まで歩んできた道が、他人を動かす力になっている」
 カカシは力強く告げた。それはいつか、絶望に打ちひしがれるモモカにかけてくれた言葉でもあり、また、つい先日モモカがマダラに言った言葉でもあった。モモカはこれまで散っていった命たちのことを思い浮かべていた。そして、クラマ山の麓で過ごした日々と、雄大な自然と、自らの心に偽らずに生きていくことの尊さを想った。
 確かに、カカシの言う通りかもしれない。
「……そっか……そうだね」
 モモカはようやく肩の力を抜いて、深く息を吸った。知らない土地の知らないどこか土臭い匂いが胸を満たす。ざわついていた心が、不思議なくらい落ち着いていた。モモカたちは再び歩き出す。いくつもの石造りの建物が建ち並ぶこの国の中枢は終結した忍達によっていまだかつてない熱気に満ちていた。
「最後まで足掻いてみせるさ」
 トウキがぶっきらぼうに言う。彼は不貞腐れたような、でもどこか清々しい顔をしていた。
「……あの地獄のような日々も、今に繋がっているのなら、苦しんだ甲斐があるかもね」
 イクルも続けて口を開いたが、もうあんな地獄はご免だと、その表情から滲み出ている。カカシはトウキとイクルを見て、またモモカに視線を戻した。
「モモカの言っていた通りだよ。今まで歩んできた一歩一歩は、全て無駄じゃないんだね」
 不意に優しい口調で、カカシはにっこりと笑った。モモカの中で、最後の胸のつかえがとれるのを感じた。解れた、と言った方が正しいのかもしれない。
「うん、ルツツ達が私たち忍を信じてくれたこと、誇りに思うよ。そして私たちを信じてくれたルツツ達の選択が間違いじゃないって私も信じてるし、間違いになんかさせない」
 モモカも晴れやかな顔で空を仰いだ。もうその眼差しは迷いなく、力強さを帯びている。それはトウキもイクルも同様だった。カカシはいつだって、ここぞという時にモモカ達の前に現れては挫けそうな心を奮い立たせて、道標のように行くべき道を照らしてくれるのだ。
「ルツツって、モモカに求婚したって奴か」
 トウキも随分気楽になった様子で、ふとモモカに尋ねた。トウキもイクルも当然、モモカがクラマ山の麓の村で過ごした日々のことを聞き及んでいたから、聞き覚えのある名前だったのだ。
「求婚っていうか、家族にならないかって提案を受けたんだけど」
 あの日の、一面に広がる薄の美しさを思い出してモモカは表情を和らげた。
「それを求婚って言うんじゃないんの」
 イクルの指摘にモモカは「そっか」とのん気に笑う。カカシが歩みを止めたことに気が付いてモモカ達は振り返った。
「……は? 求婚?」
 彼は間の抜けた声で聞き返した。その顔は可笑しくなるくらいぽかんとしている。
「……え、何お前、カカシに言ってねえわけ? やーらしー」
 トウキが驚き、そしてすぐに持ち前の切れの良さでモモカを茶化した。モモカとしてはそういえば言っていなかったかもしれない程度にしか思わなかったが、カカシの表情を見ればあまり褒められたことではないことはすぐに理解できた。
「いや別に変な意味で隠してたとかじゃなく、ただ言ってなかったってだけなんだけど」
 しどろもどろで弁明するも、焦るほど言い訳じみたものになった。
「あはは、まあたまにはカカシさんを振り回して手玉に取るのもいいんじゃない」
 珍しいものが見れたとばかりにイクルが笑う。拗ねた目でモモカたちを見るカカシは確かに珍しいものだった。
「……お前らなあ……」
 とうとうカカシも苦笑いを漏らす。モモカ達に追いついた彼はわざとらしくため息を吐いた。
「前言撤回。お前らが他の連中と余計なトラブルを生まないか心配だわ」
 カカシの小言に、モモカたちはけらけらと笑った。カカシに出会った八年前からずっと、三人がどんな時も忘れなかった持ち前の明るさだった。

 本部の正面の開けた広場には大勢の忍がひしめき合うように集まっていた。興奮のざわめきと溶け込むように混じる疑心に人酔いしそうだったので、モモカは同化の感度を限りなく零に近いところまで下げる。
 ごった返す人並みの中を、モモカ達は奇襲部隊が集まっているはずの場所を目指して歩いた。途中、これまでとは種類の違うざわめきが起こり、忍達が手から手へ何かを渡しているらしかった。歓喜の声が上がるのを横目に見つつ、どうにか奇襲部隊と合流するとすぐに部隊長であるカンクロウがこちらに気が付く。モモカたちの方も、カンクロウの特徴のあるシルエットにすぐに気が付いた。
「ほらよ、あんたたちの分だ」
 モモカ達よりも少し年下の部隊長は微塵も臆することなく声をかける。彼から渡されたものは額当てだった。通常の額当てのように里のシンボルが描かれているわけではなく、ただ一文字、忍とだけ刻まれている。忍連合軍の額当てだ。
 トウキが鼻を鳴らしはしたが、モモカたちは受け取ったそれを素直に身に着ける。同じ奇襲部隊の他の忍達は遠巻きにモモカ達の様子を窺っていた。今まで本部隊とは一切合流せずに独自の任務にあたっていたのだから、まるで沸いてできたような見知らぬ忍を不審に思うのも無理はない。トウキの顔を見て驚いた顔をしていた者もいたが、きっと水の国の忍だろうと想像できた。
「揃ったし、そろそろ移動するぞ」
 カンクロウが部隊員達に声をかけた。奇襲部隊は他の戦闘部隊とは違い部隊員数は少なく、ざっと見える限りで十数人だ。
 カンクロウの後に付いていくと彼は本部が建つ切り立った崖の上の方まで登ってきた。すぐ南側には雷の国特有の高い針葉樹が生い茂る森が迫っていた。今までモモカたちが居た下方の広場にはごった返していた忍達が部隊ごとに整然と並び始めているのが見える。次第に規則正しい列を形作り、それは大きく五つの塊に分かれていった。
「あれが戦闘大連隊だ。向かって左から第一部隊、第五部隊までだ」
 カンクロウが部隊員に説明する。
「で、崖の上に立っているのはそれぞれの部隊長。戦闘大連隊長である我愛羅は第四部隊長も兼任している」
 モモカたちはちょうど五人の部隊長が立ち並ぶ崖の上の、脇に逸れた裾の方にいた。確かに第一部隊長ダルイ、第二部隊長黄ツチ、第三部隊長カカシ、第四部隊長我愛羅、第五部隊長ミフネが並んでいて、それぞれの眼下に各部隊が整列しているようである。戦闘大連隊以外は、ごく少人数の部隊だ。カンクロウ率いる奇襲部隊は崖の上の南側に、シズネ率いる後方支援医療部隊は戦闘大連隊から東側の医療テント正面に集合していた。本部内に配置されている情報部隊と感知部隊、既に偵察に発っているという先発偵察隊、そして大名の護衛に就いている者たちはその姿が見えない。
 我愛羅は戦闘大連隊の部隊長達の中で四番目に立っていたところを、カカシに何事かを耳打ちされてその立ち位置を交代した。連隊長でもある我愛羅が中央に立ったことで整列する烏合の忍達に漣のように興奮が起こる。若い忍が戦闘連隊長であることへの不安、これまでの歴史が作り上げた他国への疑心、そして何より未知の敵を挑む恐怖、それらを敏感に感じ取りながらモモカは冷静に群衆を観察した。恐怖は疑いを呼び、疑いは怒りを生み、怒りは争いを生む。小さな小競り合いの気配がそこかしこにあって、爆発が起こるのも時間の問題のように見えた。
「自国自里の利益のために……第一次から第三次までの長きに亘り忍はお互いを傷つけ憎しみあってきた。その憎しみは力を欲しオレが生まれた」
 戦闘大連隊長である我愛羅が話し始めると同時に、小競り合いの火種があちこちで鎮火されていく。人々は最初、何が起こったか分からない様子だったが、争いの波間を縫って泳ぐ砂が見えた。
「そしてこの世界と人間を憎み滅ぼそうと考えた……今“暁”がなそうとしていることと同じだ。だが一人の木の葉の忍がそれを止めてくれた」
 各所の諍いはいつの間にか消え失せ、誰もが若き風影の言葉に耳を傾けている。この広大な大地において、かき消されない響きを持った切なる声だ。モモカはおや、と思い極限まで下げていた同化の感度を元に戻す。
「その者は敵である俺のために泣いてくれた! 傷つけたオレを友だと言ってくれた!! 彼はオレを救った!! 敵同士だったが彼は同じ人柱力だった……同じ痛みを理解し合った同士わだかまりはない!」
 苦しみを思い出すかのように我愛羅は胸の辺りを握りしめる。きつく目を閉じた表情に皆が見入っている。モモカは彼の人柱力としての苦しみと、彼の師のかつての使命と、そして彼らに殺されたハヤテのことを想った。ハヤテはモモカの胸の中で今も、年齢に見合わあない不健康そうな顔で穏やかに微笑んでいる。彼はそのうち、夕顔と結婚すると言っていたのだ。それは何と尊く輝かしい未来だっただろうか。
「今ここに敵はいない! なぜなら皆“暁”に傷つけられた痛みを持っている。砂も岩も木の葉も霧も雲もない!! あるのはただ忍だ!!」
 次第に大きくなる声を、荒ぶる感情を押さえつけようともせずに我愛羅は訴えかけた。皆が固唾を飲んで見守っている。一人一人の忍から、大切にしていたもの、大切にしたい人、大切にしなければいけない信念が、感度を引き上げた同化の力によって垣間見えた。

 いつもどこかで、泣いている。
 最愛の男を失った女が、泣いている。それは夕顔でもあり、サクラでもあり、紅でもあり、かつての綱手でもあった。
「もしもそれでも砂が許せないのならこの戦争の後にオレの首をはねればいい!!」
 モモカは我愛羅の首を自らの手がはねるところを綿密に想像してみた。ちっとも気は晴れなかったし、泣いていた女たちの顔が晴れることもなかった。夕顔が、サクラが、紅が、綱手が、心の底から笑うためには、偽りのない和平がどうしても必要だった。そのために為すべきことは、ここに集結した忍の一人一人が理解していたはずのことだ。
「オレを救ってくれた友を今敵は狙っている!! 彼が敵に渡れば世界は終わる!! オレは友を守りたい、そしてこの世界を守りたい!!」
 必死さのあまり我愛羅の声が裏返っても誰一人笑うものはいなかった。モモカはここにいる忍達がようやく同じ未来を見たのを感じた。
「世界を救うにはオレは若すぎる! 浅すぎる! だから……皆の力を貸してくれ!!」
 泣いている、女がいる。最愛の人を失った女の涙は枯れることはない。ただその体の奥底に、魂の内側に、一筋の光がある。それは次の世代へと繋がる命。明日への希望。絶やしてはならぬ、眩い未来そのものだ。
 今、歩みを止めてはその未来が、絶たれてしまうのだ。
 忍達の中で雄たけびが上がる。それは最初、我愛羅の属する砂の忍から巻き起こった。
「同意するものはオレに続け!!」
 我愛羅の鼓舞に、雄たけびは伝播し、周囲を飲み込み、どんどん大きくなる。やがてそれは一つの意志として連合軍を包み込んだ。地鳴りのような振動が魂を震わせ、闘志を燃やしている。立ち上がれ。戦うのだ。勝たなければ、愛する者の涙は止まらない。愛する者が次の時代に繋ぐ、尊い命を守れない。未来は、やってこないのだ。

「立派になったな」

 トウキの呟きにモモカは振り向く。戦闘大連隊の忍ばかりでなく、ここ奇襲部隊の者たちも皆、腹が決まったようだった。過去はひとまず置いておいて、今と、そして未来のために何をすべきかは、はっきりとしていた。
「……ああ、行こうぜ」
 カンクロウが低く震えた声で言った。
 彼の目にきらりと光るものが見えたのは、果たしてモモカの気のせいだっただろうか。





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