飄々としてそれでいて
明くる朝、モモカとトウキ、イクルは早速五代目火影である綱手に謁見した。初冬の合間の小春日和で、昨日の凍るような寒さが嘘のような気候の日だった。
窓を閉め切っているとガラス越しの太陽光でうっすらと暑ささえ感じるほどの日差しの中で、綱手はモモカ達を順に見回す。
トウキは綱手とこれが初対面だった。イクルだって罪人として捕らえられ、彼女に会うのは数えるほどな上に、お互い肯定的な言葉を発したことはない。唯一まともな面識があるのはモモカだけなのだが、そのモモカとて直属の上司である彼女の元から、罪人であるイクルを連れ里を抜け出した身だ。
「へえ、美人じゃん、噂通り」
あの三忍の一人であることからその年齢も容易く想像出来ていたが、トウキは想定外の若々しく美しい器量に口笛を吹いた。綱手の眉が気難しそうにぴくりと動き、傍に控えるシズネは肝を冷やした顔で口を結んでいる。その顔色はペイン襲撃直後に比べると遥かに良くなっていてモモカは安堵した。
「お前も噂に違わぬ不遜な男だな」
皮肉をたっぷり込めた綱手の言葉をものともせず、「どーも」とトウキは笑ってみせた。シズネはハラハラとしていたがモモカにとってはあの綱手とトウキの対峙が面白く、一つのエンターテインメントショーを見ている心地だ。イクルは知らんぷりで鉄仮面を崩さず、不利になるような言動は一切するつもりがないみたいだった。
「……ふん、お前みたいな若造と無益な腹の探り合いをする為に呼んだんじゃあないよ」
鼻を鳴らして綱手は吐き捨てた。トウキがつまらなさそうに眉をくいと下げる。
「昨日シズネとカカシから、お前らが独自にマダラやカブトの行方を追っていると聞いた。そしてその成果も」
モモカは綱手の話の行く末を想像した。間違いなく一級の情報であるモモカ達のマダラやカブトの調査結果を彼女がどう扱うつもりなのか、分かった気がした。
「その情報をこちらに渡してくれる気はないか」
穏やかな外の日差しとは対照的なぴりりとした緊張感が室内に走る。
「それは交渉ですか命令ですか」
今まで聞くに徹していたイクルが身を乗り出した。捕らえられた状態の全てを諦めたようなイクルしか知らない綱手は眉を寄せる。それがまた、モモカには可笑しい。
「交渉であるならそれ相応の見返りが必要だ……火影ともあろう方なら情報の価値というものをよくお判りでしょう。命令であるならば、ご存知の通り僕らは里から追われている身です。その上での命令ならば何かしらの特例措置が必要なのでは」
今までの無表情はどこへやら、嬉々として語るイクルに綱手はきょとんとした後に、にやりと口の端を上げる。これが本来のこいつの姿なのだな――やはり今まで猫を被っていたのだ――そんな綱手の心の声が聞こえてくるようだった。
「その心配ならいらない。お前らの手配なら、今朝方取り下げたところだ」
予想外の言葉に、さすがのイクルも大きな南瓜の種を飲み込んだような奇妙な顔をしていた。モモカも余りに早い綱手の対応に驚いて彼女を見つめる。彼女はペイン襲撃以降ずっと意識を失っていて、つい昨日目覚めたばかりだというのに。
モモカ達の疑惑の視線を心地よさそうに浴びて綱手は微笑む。
「他国の影から嘆願書が挙がった。水影だ。モモカ、トウキ、イクルから構成されるクリキントンは各国で義を通す忍であり、多くの人々を救い、忍の世界の未来の為に邁進している。各国間の潤滑油としての役目を大いに負っている彼らを罪人として取り扱うのは木の葉ばかりでなく世界の大きな損失だ、とな」
イクルは呆気に取られた表情をしていた。トウキは大きく息を飲む。彼は拳をきつく握りしめていた。モモカはその心の内がどのようなものかは、分からなかったしあえて探ろうともしなかった。ただただ、水影の言葉が大変に有難く、身に染みた。
「水影だけではなく風影からも――嘆願とまではいかないが、抗議の意見が上がった。彼らは無益な殺生やテロ行為を働いたわけではないのに犯罪者とはいかがなものかと」
幼さの残る風影の顔を思い出す。彼だって相当に忙しく一忍を気に留める暇などないはずだ。自分より若い我愛羅という男の器の広さに、モモカは気が付く。きっとこれが、ナルトの築き上げてきたものなのだ。他国との――他人との繋がりを決して諦めなかった結果だ。
「……いくら他国の影から嘆願書がきたってよ、俺ら上役のジジババ連中に襲撃かましてんだけどそれはいいのか?」
疑いと少しの不満が滲んだ声をトウキはひねり出した。砂に借りを作ってしまったことが、そして惚れた女性に守られているという事実が、想像以上に応えているらしい。
「火影の私がいいと言うんだから問題ないね。そのお前が言うところのジジババ連中だって、他国からの嘆願書を無碍にしてまでちょっと拘束されたことをとやかく言うほど耄碌はしてないはずさ」
「そういうことなら、まあ」
さすがに勢いを削がれてイクルが息を吐く。やはり歴戦の猛者だけあって火影の機転と対応の速さには敵わないとばかりに頭を振った。
「で、無事に里の一員に戻った俺らに火影サマは何をさせようってわけ?」
トウキの減らず口にシズネがじっとりと睨む。若い忍が火影にこんな生意気な口を利くのは、うずまきナルトという例外以外に彼女は見たことがなかった。
「お前らの調査結果の中にカブトの動向と地中に潜んだゼツに関してのものがあっただろう」
「ゼツ?」
「暁に属している植物人間のことだよ。初代火影の柱間の細胞を培養して生成しているらしく、同じ個体をいくつも作り出せるんだ」
モモカが聞き返すとイクルが説明した。初代火影の細胞。培養。植物人間。どれも重要な情報だがイクルは事もなげに言ってのけた。今更火影の前で取り繕う必要はなく、無意味な駆け引きはまっぴらごめんらしい。
「あいつか」
トウキも思い当たる者がいたのか低く唸った。
「そのゼツが地中深くに数多潜んでいるんだろう……戦争の時を今か今かと待ちわびて」
綱手の言葉にシズネが神妙な顔でモモカ達を見る。
「一方、カブトは何やら怪しげな動きをしている……。カブトの動向を探りながら、地中に潜んでいるゼツの数と位置の把握を頼みたいんだが――できるか?」
その言葉尻だけ取ればあくまでお願いだが、視線の鋭さは長としての命令以外の何物でもなかった。
モモカはトウキを見る。トウキは肩を竦めてイクルを見て、イクルは目を細めてモモカを見た。やるしかないみたいだ。単に長の命だから、ではなく、モモカ達の信念に沿ったことだからだ。
「まあ、出来るかできないかで言えば」
モモカは綱手に視線を戻した。
「軽く朝飯前よ」
「わけないです」
トウキとイクルは口々に言った。
「生意気なクソガキどもめ」
綱手がにやりとする。モモカもにやりとした。どうだ、これが三人揃った我々の強さなのだ、と誇らしい気分だった。見守っていたシズネの呆気に取られた顔さえ、これからの使命を燃えたたせる要因にしかならなかった。
三人の出立は明朝となった。それまで準備を整え、里との連絡体制を確立し、作戦を十分に立てる必要がある。とはいえ、モモカ達はいつだって忍具の手入れを怠っていないからすぐにでも長旅が出来る準備はあるし、作戦と言っても元々奴らの行動を探るのにいくつかのプランの用意があった。実質準備を要するのは里との連絡手段や機密文書の暗号の取り決めくらいなものである。
里の方は依然目の回るような忙しさで、暗号班もなかなかモモカ達の為に時間を割けないようだった。一部の連絡は鳥吉の家を介すというイクルの提案が受け入れられ、暗号班の手の空く夕刻に里、鳥吉、そしてクリキントンで暗号を決め合うことで一通りの準備が整うこととなる。
それまで時間の空くことになったモモカはこれ幸いとばかりにカカシに会いに行った。火影中央塔の会議室、執務室、大戦特別準備室と除き、暗部控え室の入り口のところでようやく捕まった。暗部の部隊長クラス複数名と話をしているところだ。カカシはモモカに気付くと二、三、暗部達に指示を出す。部隊長達は控室に入っていき、カカシはモモカに向かうと軽く挨拶した。
「そっちは終わったのか?」
昨夜の余韻などまるでないような気楽さでカカシは声をかける。
「あ、まだ暗号の取り決めが残ってるんだけど……先方の都合で夕方からになりました」
カカシはモモカ達に命じられた任務のことをもう承知しているか、その反応からは分からなかった。また明日里を発つこと今告げようか迷っているうちにカカシが提案する。
「それじゃ昼過ぎになるけど、いいか?」
その忙しさはもちろん承知の上だから、正直なところカカシがモモカのために時間を割いてくれることはそれほど期待していなかった。ただ一目会えればそれで良いと思っていたが、彼が当たり前に約束を守ってくれることにモモカは人知れず感激した。
「う、うん」
「じゃまた後で」
カカシはモモカの肩をぽんと軽く叩き、目線を上げる。モモカの肩越しの後ろにいる誰かを見ていた。モモカも後ろを振り返ると医療班と書記係のくノ一達が五名ほどこちらに向かって歩いてきていた。彼女達は不審そうにモモカを一瞥するとカカシに向き直る。
「はたけ上忍、探しましたよ! もう――」
「ごめんごめん、暗部の部隊長に先に話を通しといた」
「あら、本当ですか。さすがです」
「中で奴らが待ってるから細かいとこ詰めていこう――」
カカシは暗部控室の中を指さし入っていった。くノ一達も続く。彼女たちから、忙しい業務に非日常の興奮と使命に燃えるやりがいが満ちているのをモモカは感じた。
「――平凡な顔」
通り過ぎざま、誰かが言った。くノ一たちの中でクスクスという笑いと軽く窘める声が続く。彼女達がカカシに続いて控室に入っていき、ドアが閉まった。
平凡な顔。
もちろんそれが自分に向けられた言葉だということも、好意的な意味ではないこともモモカには分かった。カカシに向けられた彼女達のあの輝いた表情から、年頃の女性にありがちな感情と悪意だということも、理解できないほどモモカは子供ではなかった。ただ、そういった類の感情を向けられた経験が乏しく、どう処理したらよいのか分からなかったのだ。
「ぽやぽやしてない方がいいわよ」
不意に背後からかけられた声にモモカは飛び上がる。
卯月夕顔だ。気配を殺してモモカに近づいていたらしく、前方に意識を向けていたモモカは全く気付かなかった。
「夕顔さん……、ぽやぽやって?」
モモカは胸を撫でおろし夕顔を見つめる。彼女は恐ろしく美しい顔で、いつもの無表情のままため息を吐いた。
「あの人、人付き合い悪いし変人だけど、たまに熱心なくノ一がいたりするのよ。天才と言われるくらい実力は文句なくある有力株だし、顔立ちだって悪くないし。変人だけど」
夕顔がカカシのことを変人だと思っていることはよく分かったが、モモカは何と返したらよいか分からず口の中で唸る。モモカは最初からカカシの美しさやかっこよさには気付いていた。ずっと好きだったし、何故他人がカカシのかっこよさに気付かないのか不思議でならなかった。ところがどうもそうではないらしい。モモカが子供だったから知らなかっただけで、カカシに異性として好意を向ける女性は多くはなくとも、確かにいたのだ。モモカだけがカカシの魅力に気付いていたわけではないのだ。カカシが恋愛沙汰に見向きもしなかっただけで――いや、もしかしたら、今までに良い人の一人や二人いたかもしれない――それこそモモカが知らなかっただけで、そんな女性がいたことがあっても何らおかしくはないのだ。
「ええと……」
尚も煮え切らない態度のモモカに夕顔は不思議そうに目を細めた。
「はっきり言った方がいいかしら? ぼんやりしてたら要領の良い女に取られるわよって――くノ一だって、いや、くノ一だからこそ、手練手管の女性は大勢いるし、大名に見初められるほどの容姿の人だっている。対してあなたは――まあ、もちろん忍としては文句なく一級だけれど――女として、どうかしら。粗はないけれど平凡な容姿に――駆け引きなんて考えていなさそうな無邪気な顔――」
夕顔は上から下までモモカを眺めまわしてずけずけと申す。彼女に悪意はこれっぽっちもなく、むしろモモカを心配しているからだと分かっているからいいものの、そうでなければ大分失礼な物言いだった。
「彼女らと張り合える? 彼と付き合っているわけじゃないんでしょう?」
モモカは目をぱちくりさせる。
「付き合って……えーっと、それは」
果たして自分とカカシの関係は何なのだろうかと、この時になってモモカは考えた。モモカはカカシが好きで、カカシも確かにモモカのことが好きだと言った。お互い同意の上でキスをする。当たり前に会う約束をして、時間を割く。
夕顔はその美しい顔を歪めてモモカを凝視した。
「……え? もしかしてあなた――」
まさかモモカとカカシの関係がそこまで進展しているなど思っていなかったのか、夕顔は彼女には珍しく口を半開きにさせた。
「あ、あの、いや、分からないんですけど」
慌ててモモカは頭を振って否定した。
「そもそも――どうなったら付き合うんですか?」
「……はい?」
まるで未知の生物と遭遇したかのような慄いた声で夕顔は聞き返す。
「あー……、なんていうか、どういう風に、付き合ってるってなるのかな……って」
聞きながらも、いい年してこんな幼稚な質問をする自分がモモカは情けなかった。
「夕顔さんとハヤテ先生はどうやって付き合ったんですか? 始まりは?」
思いがけず自分へ話の矢が飛んできて、夕顔の頬にサッと赤みが差す。
「なっ……?! 今私の話は関係ないでしょう」
彼女は急におろおろと、居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
「いやあ、他の人はどうやって“付き合う”になるのかなあって……忍って特殊ですし」
「他の人が……普通がどうかなんて知らないわよ。お互いの、こ、好意を確認したらそうなんじゃないの……。いやね、あなたの為を思って忠告したけど、この手の話は苦手なのよ、分かるでしょう」
バツが悪そうに頭を掻くモモカに夕顔はしどろもどろになった。普段は無表情な夕顔が美しい顔に焦りの色を浮かべると人形みたいな顔も人間らしく見え、親しみのある可愛らしさあった。夕顔もモモカも、己の忍道にはひたむきになって進んできたけれど、色恋沙汰には滅法弱いのだ。二人して途方に暮れていたところに、控室から先ほどのくノ一が顔を覗かせた。
「卯月分隊長、お見えになっていたのですか。皆さんもう揃われていますよ――」
夕顔は瞬時に暗部の顔に戻っていたが、まだ薄っすらと耳は赤い。一人になったモモカはようやく、カカシとの関係を言語化出来ないことに思い至った。
正午を回って一時間半後、モモカはカカシと合流する。二人は木の葉川の河川敷に来ていた。せっかく天気も良いし、外で何か食べようと提案したのはカカシだ。もちろんモモカは大賛成だった。四丁目東の昔からある商店街で買ったお弁当を提げて土手を下る。朝から変わらずよく晴れた天気に、乾いた草が足裏に心地よかった。
広い河川敷に二人並んで腰かけ、老舗弁当屋の幕の内弁当を頬張る。カカシは朝にごくわずかな軽食を取ったきり何も食べていなかったみたいで、彼には珍しく良い食べっぷりだった。
モモカは綱手から任じられた任務のこと、水影からモモカ達の指名手配を取り下げるよう嘆願があったことを報告した。
「モモカの言っていたこと、本当だな」
「何が?」
嬉しそうにモモカの話を聞いていたカカシの言葉にモモカは首を傾げた。
「ほら、進んでいないように見えても少しずつ変わっているって――マダラに言った言葉さ。モモカ達が今まで歩んできた道が、他人を動かす力になっているんだ」
そうなのだろうか。そうかもしれない。モモカはむずがゆい気持ちではにかみ頷く。
「あの、ねえ、聞きたいことがいくつかあるんだけど――」
穏やかな時間が流れる中で、モモカはつかえながら切り出した。また明日から任務で忙しくなるし、せっかくだから聞きたいことは聞いてしまおうと思った。
「どうぞ」
カカシの落ち着いた声音に背中を押され、モモカは彼をじっと見上げた。
「あの……私たちって、その、……付き合って、るのかな?」
モモカの質問が意外だったのか、カカシは目を点にさせる。
「……そういうことでいいと思うけど、なんで?」
「あー、いや、そういえばどうなのかなあ……て、今更だけど」
照れ笑いのモモカに、カカシは呆れるでもなく、軽く笑ってくれた。
「そうだな、モモカは俺のことを好きでいてくれてるし、俺もモモカが好きだから、そうだと思うよ」
「……そっか、そうだね。えへへ」
遅れてやってくる幸せな気持ちを噛み締めながらモモカは大きく息を吸い込んだ。カカシはとことん優しくて、日差しは柔らかく温かい。少しだけ緊張しながら、隣に腰かけるカカシの肩にそっと頭を預けた。カカシは驚きも狼狽えもせずに、モモカを受け入れてくれる。カカシの匂いを吸い込み、相変わらず同化で見えない思考を感じながらも、その体温の心地よさにモモカは目を閉じた。しばし穏やかな時間が流れる。
「他に聞きたいことは?」
カカシの問いかけにモモカは目を開けた。頭を動かせばすぐそこにこちらを見つめるカカシの顔があってドキリとする。
「あ、別に大したことではないんだけど」
「うん」
ドギマギしながらモモカは体を起こした。
「なんで心をずっと閉ざしているのかなあって。あ、いや、うん。心を読まれているって分かってたらもちろんそれが普通なんだけど……、でも別に私は慣れてるから色々な思考が入ってきても問題ないし――」
じっと自分を見つめる瞳からモモカはつい目を逸らす。
「もちろん、同化を拒まずに全部見せろって言ってるわけじゃなく、好きにしたらいいんだけど……ただ単に、なんでかなあって」
素直な疑問をとうとうモモカは口にした。明け透けに心を見せるトウキやイクルに慣れ過ぎていたのもあるかもしれない。しかし他にもモモカの能力を知っている綱手やシズネに比べても、あまりにもカカシが同化を拒絶せずにモモカに見せている思考やイメージは少なかったのだ。
「なんでって……そりゃ」
カカシは切り出しづらそうに口ごもる。モモカから川の流れに視線を移すカカシを、今度はモモカの方がじっと見つめた。同化で読めなくても、その様子から困っているらしいことが窺えた。
「ま、怖がらせたくないからね」
ぼんやりと川の流れを眺めたままでカカシが言う。
「怖がらせる?」
聞き返すモモカの目を再びカカシが見つめた。
「……あー、俺も男なわけで……、男が好きな子と触れ合って考えることなんてたかが知れているわけで」
カカシの言った言葉の意味を咀嚼しきれないうちに、川の向こう岸の草むらが揺れた。よく見知った気配をその中に感じたのと、笑い声が上がったのは同時だった。
「ぶあーはっはっはっは! ダメだ、我慢できねえ!」
姿を現したのはトウキだった。続いて気まずそうな顔でイクルも姿を現す。いつから居たのだろう。モモカがこんな近くで気付かないなど――いや――二人の手元をよく見れば気配を隠すための忍札が握られている。二人は気配を絶って、モモカ達の会話を盗み聞きしていたのだ。途端にモモカの顔がカッと熱くなる。気心知れた仲間と言えども、プライベートな時間をこっそり覗くなんて酷いと思った。
「二人とも……! ひどいよ、いつから?」
慌てて立ち上がるモモカに尚も笑い止まらずにトウキがモモカを指差す。
「おいおい、ひどいのはモモカだろ!」
「一応言っとくけど、こんな悪趣味な真似、僕は反対したんだからね、トウキが少し隠れようって言うから――」
「なんで私が酷いのよ!」
三者三様の言い分は全く噛み合っておらず、呆れた顔でカカシがその様子を眺めていた。
「男が考えることなんて、決まってるだろ! カカシあんたもモモカみたいな鈍ちん相手で苦労してんなあ!」
尚も腹を抱えて笑い転げるトウキに、モモカは反論しようとしてその意味に俄かに気付く。先ほどカカシが言っていた怖がらせたくない、の中身に思い至って、言葉を失った。モモカとて、男性の持つ欲望など身に染みて理解していた。これまで散々、同化の力で男性の欲に忠実なイメージを見てきたのだ。なのに何故だかカカシとそういう欲とは結び付かず、無礼な申し出をしてしまったものだ。
ものが言えなくなったモモカにますますトウキは笑い、とうとう腹を抱えて蹲った。イクルは相当に居心地が悪いのかトウキを蹴っ飛ばし、注意を促す。
「……本題だけど、暗号班に呼ばれたよ。あっちの仕事が早く終わって、予定が繰り上がったんだ」
「あ、え?! う、うん分かった」
慌てふためいたモモカは恥ずかしさで息も絶え絶えに返事をする。きっと顔は真っ赤になっていることだろう。カカシは「気を付けて」とのん気に手を振っていた。
翌朝、トウキとイクルが南門に姿を現すと、里の外から徐にカカシの気配が近付いてきた。二人が振り返るとカカシが軽い足取りで飛んできて、目の前に降り立つ。
「モモカはいないぜ」
開口一番にトウキは言った。カカシは苦笑する。
「彼女は火影様にまた別のお使いを頼まれて、僕らだけ先に発つことになったんです。……カカシさんはどこから?」
カカシの来た方向に目を凝らしてイクルが尋ねた。
「なに、俺も火影様のお使いだよ。雲隠れの使者と会ってきた帰りでね」
「昨日あんだけ働いて、さらに夜通しかよ。あの姐御も人使いが荒いな」
トウキが口をへの字にさせて呻いた。カカシは肩を竦める。
「ま、文句も言ってられない局面だしな。お前らも気を付けてこいよ」
カカシの言葉にトウキは意地悪く笑う。
「それを言いたかったのはモモカに、だろ」
「本当、お前ってば可愛くないガキだね昔から」
カカシが持っていた本でトウキを小突いて、イクルもクスクス笑った。トウキは不意に真面目な顔になって、じっとカカシを見つめる。
「……なに?」
怪訝な顔でカカシがトウキを見つめ返した。
「なあ、モモカのどこが良かったの?」
「……はあ?」
突拍子もない質問に、さらにトウキが至極真面目な顔をしていることにカカシの声は裏返った。
「いや、だって俺さ、モモカじゃあんたは無理だと思ってたんだ。そりゃ仲間だしあいつの可愛げのあるとことか分かってるけどさ、それと男女の仲は別だろ? いくらモモカが素直に突っ込んでったところで、歳上のあんたからしたらすげえガキだし、何よりあんた自身も捻くれてるし……ぜってー、モモカじゃ落とせねえだろって思ってた」
カカシは呆気に取られて、困ったようにイクルを見る。失礼な物言いのトウキが一体何を聞きたいのか分からなかった。イクルはため息を吐いて首を振った。
「要するに、十も歳の離れた人に相手にしてもらえるためにはどうしたらいいか聞きたいんですよ」
イクルの言葉にカカシは眉を寄せる。
「なに、お前まだ紅のこと……」
「ちげえよ」
「今は照美メイさんだもんね」
すかさず入るイクルの訂正に、トウキは彼を睨んだ。
「あっ、てめえ、何ばらしてんだ!」
カカシは目を点にさせる。
「へ? 照美メイ? 水影の……? あ、そーなの」
拍子抜けした顔でカカシはトウキをまじまじと見つめる。トウキは口を尖らせた。
「いやあ、そりゃお前、怖いもの知らずだね……ま、せいぜい頑張って」
手を挙げたカカシはそそくさと立ち去る。昔と変わらず、飄々としてそれでいて憎いくらいに粋な後ろ姿だった。あっさり去っていくその背にトウキは拳を上げる。下品な言葉が早朝の木の葉隠の里に響いた。