その無事をそっと祈った
家族とも無事に面会を果たし、モモカは医療テントに顔を出した。もしかしたらイクルがいるかもしれないと思ったのだ。しかしそこに彼の姿はなく、慌ただしく働く医療従事者の姿があるだけだった。
手持無沙汰なモモカが早々に退出しようとした矢先、見知った女子に声をかけられる。
「モモカさん!」
彼女は豊かな金髪を高い位置でくくり、色素の薄い瞳をきらきらとモモカに向けた。
「……いの」
昨日見た彼女は未知の敵の襲来に混乱し憤り、生まれ育った土地を破壊され大切な人々を奪われることに激しい怒りを覚えていたはずだった。それが今や人々を癒すために忙しく、しかし生き生きと駆け回っている。明るい笑顔をモモカに向けてさえいた。
「ちょっと、酷い顔じゃないですか」
いのは手にしていた瓶に蓋をしながらモモカに近寄るなり声をあげた。薬品が入っているらしく、ツンと鼻につく匂いが残る。いのはモモカの頬を指さした。
「ぱぱっと治すんで、ちょっとそこ座ってください」
いのはモモカの顔に残った隈取の鬱血した痕を見かねて申し出る。
「あ、これ? 大丈夫だよただの内出血だし……それよりもっと必要としている人に手をかけてあげて」
「あー、もうっ」
いのは無理やりモモカを近くの椅子に座らせると手際よく軟膏状の薬を塗布する。モモカはされるがままにさせることにした。ひんやりとした軟膏の感触が、いのが手をかざしてチャクラを込めるとじんわりと温かくなる。やがてべたべただった薬はモモカの皮膚に吸収されサラサラに乾く。
「はい、終わりましたよ。まだ完全には消えてないけれど……二、三日でそれも消えると思います」
「おお」
いのから手鏡を渡されて覗き込むとモモカは感嘆の声を漏らした。顔の鬱血したあとはものの見事になくなり、確かにいのの言うとおりに一部薄く残っているところもあるが指摘されなきゃ分からない程度だ。
「ありがとう」
「命に別状はないからって、顔の傷をほっといたらダメですよ……最悪痕が残っちゃうかもしれないですし」
いのは薬品の瓶を整理しながら「女性なんですから」と付け加える。しっかりした子だ、とモモカは他人事のように思った。
「いの、私ちょっと出てくるからあとお願いできる――あ、モモカさん」
テントの奥から今度はサクラが顔を覗かせた。内幕一枚隔てた向こう側で治療をしていたらしく、彼女は彼女で忙しそうだが、モモカを認めてパッと顔を明るくさせる。
「無事だったんですね……よかった」
ホッとした顔でそう話しかけてくる彼女にモモカは感謝の気持ちが広がった。里抜けのような形で誰にも言わずに里を出て、こうして勝手にまた戻ってきたというのに、彼女たちは変わらず里の仲間として身を案じてくれていたのだ。なんて温かい里だろう。
「うん、サクラも……。二人ともありがとう……心配かけてごめんね」
「本当ですよ、どれだけ心配したか……まあ、こうして無事にまた会えただけで、もう十分ですけどね」
サクラは腰に手をあてて苦言を呈したが、すぐに冗談ぽく笑みを作った。いまだ、仲間として無事に再会を果たすことのできない男のことを想っているのだろう。大切な人が自分の訴えに耳を貸すことなく、勝手に里を出ていくことの残酷さを改めて思い知る。その実力なら無理にでも捕まえておけたものの、それを許したカカシの懐の深さをモモカは今更ながらに噛み締めた。
「心配といえばー……あの時のカカシ先生の言葉聞きましたぁ?」
いのが思い出したかのようにニヤニヤとモモカに尋ねる。
「え? なにが?」
モモカはドキッとして聞き返す。
「ふふふ。モモカさんが出てった後の……」
「ちょっと、やめなさいよいの」
サクラが呆れ顔でいのを窘めた。
「だあーってぇ。あんなの、実質プロポーズじゃない」
「いーのー!」
とうとうサクラは大声を出した。モモカは反射的に立ち上がる。
「わ、私行くね。ありがと忙しいのに手当してくれて……」
そそくさと立ち去るモモカの頬が赤みを帯びていたことに当然サクラもいのも気づいたに違いない。惚れた腫れたに狼狽える歳でもないのだが、忍術一筋だったモモカよりも年下の女の子たちの方が何枚も上手のようだった。
「あーあ逃げちゃった」と残念がるいのの声と、それを窘めるサクラの声がモモカの背中を見送った。
…
「……ごめんなさい」
俯くシズネをイクルは静かに見下ろした。彼女はしわくちゃになって痛々しい姿で横たわる五代目火影を前にして、酷く参っているようだ。
「何を謝るのです?」
イクルは尋ねたが、シズネはすぐには答えなかった。重い沈黙が流れる。
里の中枢の医療テントの中でも、驚くほど簡易的なテントに五代目火影は寝かされていた。本人に当然意識はないのだから火影自身の希望ではなく、本当にこの里には今、余裕がないのだ。里抜けをしたイクルが正面から堂々とテント内に入れるほどに、人員は足りていない。
「……君に酷い仕打ちをしました。鳥吉という家の仄暗い背景を理解しつつも彼らに判断を委ね、結果追い込んでしまった」
ようやくシズネは切り出したが、その声は弱弱しい。イクルはその声を知っている。何もかもを後悔している人が出す声だった。
「それがあの時のあなた方の正義だったのでしょう。疑わしき者を拘束し尋問にかけるのは里として当たり前のことです――事実、僕らは里の脅威となりうる情報を持っているわけですし」
シズネは座ったまま、怪訝な顔でイクルを見上げた。しかしその目には力がなく、“里の脅威となりうる情報”が何なのかを問いただす気力まではないようだった。
「それに僕らは追い込まれて里を出たわけではなく――あくまで僕らの意志で里を出たんです。為すべきことを、成すために」
シズネは再び俯き、唇を噛み締める。弱り切った綱手を見つめ、泣くまいと堪えているようにも見えた。無論シズネはイクルよりも遥かに多くの修羅を見てきた忍なのだから、昨夜のモモカのように涙なんてものが零れるはずもなかった。
「……それで、何の用です」
シズネはイクルが訪ねて来たわけを問う。イクルは一つ息を吐いた。
「綱手様の状態がいかほどかを確認しに……復帰の頃合いによっては、だいぶ分が悪い」
里長が思った以上に重傷であることを認めイクルは頭を振る。しかし、全てが悪い方向に進んでいるとも思っていなかった。
「今、火の国の大名たちと木の葉の上層部が会談をしています」
「……ええ」
綱手の付人であるシズネはもちろんそのことを承知していた。
「恐らく、そこで次の火影にダンゾウが任命されるでしょう」
イクルの予想にシズネは目を見開く。
「まさか……だって、綱手様はまだ……、それに代理を立てるにしてもよりによって……」
「きっと、綱手様の回復は待ってはいられないでしょう。もちろん奈良上忍が同席している以上ダンゾウを推すことはないでしょうが、今のところ一番発言力があるのはダンゾウであることは否めません。綱手様が昏睡状態であるこの機を、彼が逃すとは思えない」
イクルの指摘は的を得ていた。最悪な方に物事が進んでいく気配がして、シズネはきつく拳を握りしめる。綱手を頼れない今シズネに為す術はなかった。
「いいですか、ダンゾウが火影になったとして反対してはいけない。決定事項を覆すことは不可能だ。同様に、火影に任命された彼の命令に表立って反対することも控えるべきだ。今は、耐える時です。綱手様が回復したその時、窮地に追い込まないために」
イクルは淡々と告げる。シズネはその意味がよく理解できていた。
「しかし……耐え忍んだとして……綱手様が回復するまでに取り返しがつかないくらいのところまで進んでしまったら……」
シズネの弱気な声に、不意にイクルは微笑む。
「ダンゾウの好きにはさせない忍が、少なくとも三人はいる」
シズネはハッとして顔を上げた。イクルは穏やかに微笑みながらも、勝気な目をしていた。
「組織の枠の中にいる者では出来ないことも……その枠から外れた者であれば出来ることもある。しかし少数派にとって何より重要となってくるのは情報だ」
シズネは信じられないという顔でイクルを凝視していたがややあって頭を振る。
「本当……食えないですね君たちは。分かりました。綱手様の側近としてでなく、“個人的”に、君らと連絡を取り合うこともやぶさかではありません。他愛無い世間話のついでに、里の動向をお話しすることもあるかもしれませんね」
諦めとも、あるいは決意とも取れる深いため息をシズネは吐いた。彼女の言葉にイクルはますます笑みを深める。
「察しが良くて助かります」
イクルは会釈し、シズネに背を向けた。綱手の療養するテントを立ち去る間際、シズネが呼び止める。
「……ありがとう、こんな里でも、戻ってきてくれて」
イクルは一瞬呆けて、気まずく頬を掻く。
「……出ていったのが僕らの意志なら、戻ってきたのもまた……、僕らの意志です」
「それでも……ありがとう。自来也様の負っていた役割を引き継いでくれることも含めて……感謝します」
テントを出て、イクルは複雑な気持ちを抱えたまま空を見上げる。生まれてからずっと、イクルを育んできた里の突き抜ける空だ。平和だったこの里の裏に、何重にも塗り重ねられてきた罪があることを思うと心が重く沈む。シズネのように、必死に今を生きているだけの、真っ当な忍が、どうしたって傷ついてしまうような世界だ。
イクルの耳に、不意に子供たちの高い笑い声が届いた。沈んだ心とは対照的な高い声。しかし陽気に遊んでいるように聞こえたが、よくよく耳を澄ませてみるとどうも違うらしい。
「普段威張りくさっているのに、肝心な時にはいねえんだもんな!」
イクルはため息を吐いた。気持ちが沈んでいるとはいえ、些細なことでイラつくなんて、自分もまだまだ修行が足りないものだ。
「父さんは別の任務中だったんだ……それでも急いで任務を終えて戻ってきた!」
「ああ、ぜーんぶ終わった後にな!」
ケラケラと意地の悪い笑い声が響いた。そっと近付くと、一人の少女を囲む複数の男の子たちの姿が見えてイクルは呆れる。
「その点ナルトはすげえよな! 里を救った英雄だぜ!」
誇らしげに語る少年の後ろ姿を見つめてイクルは皮肉なものだと薄ら笑う。
(ナルトの正体を知らない世代……良いことではあるけど、歴史は繰り返す、か)
「だよな! 役立たずの日向とは違って――」
「よくも役立たずなんて!」
少女が怒りの形相で男の子に殴り掛かる。
「痛いっ!」
「やりやがったな――!」
やり返そうとする男の子たちを迎え撃とうと、少女は構える。まだまだ粗削りだが、素質を感じる良い構えだった。
拳を振りかぶる男の子たちの間を、縫うように燕が飛んだ。燕とともに、静電気程度の微弱な放電が起こる。パチパチと弾ける刺激に驚き、男の子たちは声をあげて飛び上がった。
「女の子一人に男の子四人がかりなんて、ずいぶん卑怯だね」
イクルの言葉に、さらに男の子たちは飛び上がる。振り返り、穏やかに微笑むイクルを見て顔を青くさせた。
「あ、あれ……鳥吉のあの人じゃないか……里を抜けたっていう……」
「やばい、逃げようぜ」
「うわあああ」
躓きそうになりながら逃げていく男の子たちの後ろ姿を、内心つまらない気持ちでイクルは見送る。これじゃまるで弱い者いじめだ。実質、弱い者いじめに違いはないのだが――少しの反撃でもしてくれたのなら、気も晴れたかもしれないのに。
「大丈夫かい」
イクルに声をかけられ、怯えた顔で少女は見つめ返す。その色素の薄い目を見れば彼女が日向一族の者であると一目瞭然だ。そればかりか彼女の顔には見覚えがあった。日向本家の次女だ。日向の血筋の正当な継承者である。
「……ありがとうございます」
彼女は控えめに礼を述べたが、悔しそうに唇を噛んで、まるで感謝しているようには見えなかった。
「でも、助けてなんて、言ってない」
案の定、彼女は付け加える。イクルは思わず吹き出した。
「ごめん、そうだね。余計なお世話だったよ」
笑うイクルに日向の少女は唇を尖らせる。すぐに手が出るところはトウキみたいだし、反論する生意気なところは自分のようでもあるし、拗ねた表情はモモカをも思わせる。かつての自分たちを見ているようで、何だかイクルは楽しくなってきた。
「君も日向の教育を受けているなら分かるだろう。滅多に手をあげてはいけないよ。君の行動一つで家の名に傷がつく」
当然少女は理解しているだろうが、それと感情とは別だ。言い返そうとする彼女よりも先に、イクルはさらに言葉を続ける。
「家族を馬鹿にされて憤る気持ちはとても立派だよ。しかし君があの子たちと戦おうと思ったら、弱い者いじめになってしまう。その実力は、必要な時に使うべきだ」
まるで自分に言い聞かせているようだな――そう自覚してイクルは自身に嫌悪感を覚えた。しかし少女はイクルをまじまじと見つめた後で、小さく頷く。賢い子だ。当時の自分たちにもこれだけの素直さがあれば、あれだけ大人たちを困らせることもなかっただろう。
「いい子だね」
少女の頬にさっと赤みが差して、まるで荒れ地に咲いた小さな花のようだった。
…
トウキの心配をよそに、紅は元気そうだった。
何よりなのだが、彼女の気力が里の一大事に奮い立たされたものだということも何となく感じ取って、つくづく守るものが多い女なのだと思う。
「そっちも相変わらず元気そうね」
トウキにお茶を渡しながら紅がゆっくりと腰かける。二人が座っているのはかつてアカデミーのあった瓦礫の上で、紅のお腹は大きい。
「へっ、見ての通りさ。あんたは身重の体なんだから無茶するなよ」
「あら、まあ。一端の大人みたいなこと言っちゃって」
あからさまに驚いた顔をするものだから、トウキは憤慨する。
「大人だっての!」
「ふふ、冗談よ」
トウキは粗雑に頭を掻いた。
「まったくよー、いつまで経っても子ども扱いだもんなあ」
「そんなことないわよ。里の窮地に戻ってきてくれて、頼りにしてるわ。強くなったんでしょう?」
楽しそうに笑う紅の顔を見て、トウキは安心する。気丈に振舞っているだけだとしても、笑顔を見られて良かった。
「おうよ、当たり前だ」
紅もまた、嬉しそうにトウキの顔を見つめた。
「大切なひとが、出来たのね」
思いがけない言葉に、トウキは思い切りせき込む。
「なっ……はあ?!」
狼狽えるトウキの様子に紅は大笑いした。
「図星のようね」
「なんだよ、なんでそう思うんだよ」
「うーん、そうねえ、女の勘かしら」
悪戯っぽく笑う紅を、恨みがましい目でトウキは睨む。
「何よ、いいことじゃない。昔のあなたは世の中全てに反抗的で無鉄砲で危なっかしかったけれど」
「へーへー」
拗ねるトウキに紅は苦笑した。
「同じ無鉄砲でも、大切な誰かがいれば、ここぞという時に芯はぶれないものよ」
頬杖をついてトウキは黙り込んだ。考え込んでいるらしかった。紅はその顔を覗き込む。考え込むトウキの頬がぴくぴくと奇妙な動きを見せた。
「……なーにをニヤついてるのかしら」
またしても図星だったらしく勢いよくトウキは立ち上がる。
「んだよ、ちょっと思い出し笑いしただけだ」
腕で口元を抑えてトウキは顔を背けた。全く、成長した今の方がよっぽど、昔よりも素直で純情じゃないか。
「ま、そんな軽口叩けるなら心配いらねえな。またそのうち顔見にくるぜ。無事に元気な赤ん坊産めよ」
まるで言い逃げのように立ち去るトウキに、紅は盛大に笑う。トウキが去ってもしばらく笑っていた。こんなに大笑いしたのは久しぶりかもしれない。胎動を感じ、紅は愛おし気に腹を撫でた。
「そうね……お母さんが笑ってた方が、あなたも嬉しいわよね」
…
モモカとトウキと再び合流したイクルは目をぱちくりさせた。二人とも、顔が真っ赤だったのだ。
「……どうしたの」
「べ、べつに」
「かんけーねーだろ」
口々に取り繕う仲間にイクルは肩を竦める。モモカはどうせカカシ絡みだろう。トウキはさしずめ、紅にでも何か言われたか。
「いや、今日はよく赤面する人を見るなと思ってね……」
先ほどの少女を思い出し、イクルは乾いた笑いを出す。
「けっ、一人ヨユーそうな顔しやがって」
トウキが口をへの字にさせて鼻を掻いた。モモカは頭を振って、いのの言っていたことが非常に気になるものの、カカシのことを頭から追い出そうと努めた。
「そうそう、もうそろそろ次の火影が決まるみたいだよ」
イクルの言葉にモモカは眉を寄せる。
「次の火影……、やっぱり、待てないのかな……綱手様の回復を」
「あのダンゾウがそんな悠長なこと言うとでも?」
「思わねえな」
イクルの指摘にトウキも同意した。モモカはますます顔をしかめる。
「……あ、」
モモカが何かに気づいたかのように遠くを見た。トウキとイクルも倣ってそちらに顔を向ける。
「どうした?」
「ナルト達の気配……何か、揉めてるような」
モモカ特有の力で感じ取ったのだろう。イクルがすかさず忍鳥を飛ばし、すぐに頷いた。
「モモカの言う通り、何かあったみたいだよ。行ってみよう」
モモカ達が駆け付けると、ナルトの他にカカシ、サクラ、そして犬塚一族の子――確かナルト達の同期でキバと言ったか――が集まっていた。中でもナルトは興奮していて、カカシがそれを止めようとしていることが伺えた。
「冷静になんかなれっかよ! サスケに手なんか出させねえ!」
「待てって言ってるでしょ!」
憤り今にも飛びださんとする勢いのナルトの腕をすかさずカカシが掴む。
「おい。一体どうしたよ――」
言い争う中に臆せず割って入るのはさすがトウキだとモモカは思った。興奮していたナルト含め、皆がこちらを向く――カカシ以外の皆が。
「ダンゾウはお前達がそう行動に出ると考え済みだ。会ってどうするつもりなの?」
冷静に諭すカカシに、それでも納得がいっていないナルトはトウキ達から彼に目を戻す。
「乱暴なんかしねーよ! ただサスケの件は変えてもらうよう話をつけるだけだってばよ!」
モモカもトウキもイクルも、ナルトは甘いと思った。思ったけれど、その甘さを持ち合わせながらも自分の意志を貫き通し、見事里を救ってみせたことも目の当たりにしていたから、口を挟むことはしなかった。
「ことサスケに関してお前がそれだけで済むとは到底思えないよ」
まったく、と強い語気でカカシはナルトの腕を掴んだままで息を吐く。
モモカにも、物事の背景がぼんやりと見えてきた。要はサスケに正式に抜け忍としての始末許可が下されたのだろう――ダンゾウの火影就任によって。
「まだ大名の任命だけで上忍衆からの信任投票は受けていないが今のところダンゾウは火影だ。ヘタをすれば牢にぶち込まれることになる」
淡々と告げるカカシの手をナルトは振り払う。
「それでもいい! オレは行くってばよ!」
険しい表情でサクラも続いた。
「私も!」
「お……おい……お前ら……」
犬塚一族のキバが困惑した表情で彼らを見つめる。
「ナルトお前は九尾を持ってる……。だからダンゾウはお前をこの里に拘束しておきたいと思っているんだ。このままじゃ相手の思うツボだぞ」
とつとつと語り掛けるカカシの言葉が届いていないわけではなかろうが、それでもナルトは割り切ることのできない顔で真っ直ぐに師を見据えている。
「それじゃサスケを捜すこともできなくなる……今はあまりはしゃぐな」
瞬き一つせずに見つめるカカシに、とうとうナルトは視線を外した。
「分かってる……それでも……オレは……」
掠れた声でナルトは呟き、そして走り出す。サクラも後を追い、カカシとキバ、そしてモモカ達三人が残された。カカシは深く、息を吐く。
「ダンゾウが火影になったんですね?」
まるで天気を聞くような気軽さでイクルが訪ねる。キバが険しい顔で頷いた。
「ああ……それで……サスケを始末する許可を……」
思った通りであった。そして恐らく続くであろう言葉も、容易に想像できた。
「サスケのこともだけど」
犬塚一族の少年が気づかわしげにモモカ達を伺い見た。
「あんたらのことも……始末する許可が下された。里を抜け出た賊は見つけ次第捕えよと……中忍以上の忍には、今日の正午に正式に通達が来るとのことだ」
キバがごくりと生唾を飲み込む。モモカ達はお互いに顔を見合わせる。
「ああ、まあ、そうなるだろうな」
トウキがあっけらかんと返した。
「そうなるだろうって……」
キバは緊迫した顔で繰り返す。まるでのん気なモモカ達の身を案じ、ただ事ではないことをどうにかして伝えようとしているようだった。
「キ、キバ君! 聞いたよサスケ君のこと……!」
くノ一が二人、駆け込んできた。日向ヒナタとみたらしアンコだ。続いてヤマトも姿を現した。
「あ……」
ヒナタはモモカ達がいることに気付き一歩後ずさる。モモカ達がサスケ同様に処罰の対象となったことを当然知っているのだろう。怯えた表情の彼女は、何かを伝えようとしているみたいだった。ヒナタは後ろを振り返ると眼に力を籠める。やがて眼の周囲に血管が浮かび上がり、彼女は遠くを見据える――白眼だ――。
「――逃げてください」
モモカが感心して白眼を眺めていると、緊迫した声でヒナタが言った。
「え?」
思いがけない言葉にモモカは間抜けな声を出す。
「さっきそこで根の連中がサスケと、それからあんたらのことを触れ回っていたのよ――!」
アンコが眉を吊り上げてもどかしそうに説明した。ヒナタは白眼で周囲に素早く視線を走らせ、モモカ達に訴える。
「もう、すぐそこまで来ています――」
モモカはぽかんとして、イクルとトウキを見た。二人とも、呆気に取られた顔をしていた。犯罪者として手配されることは想定の範囲内だが、まさか、里の若い忍達がここまでモモカ達をかばうようなことを言うとは思ってもみなかったのだ。
「おい、どうするよ……」
キバがゴクリと生唾を飲んだ。
「やれやれ、時間を稼ごうか?」
ヤマトが手袋をはめなおし尋ねる。カカシだけが、こんな時だというのにどこか嬉しそうに目を細めていた。
殺気とともに無数の手裏剣が飛んできて、モモカ達はひらりと避けた。
「貴様ら、そこを動くな!」
手裏剣の後に怒声を投げてきたのは、暗部の面を付けた四人の男たちだった――根の忍だ。
「モモカさん……!」
ヒナタが息を飲む。アンコは思い切りに睨みをきかせていたし、赤丸は低く唸っていた。
「この三名が抜け忍として手配されたのは知っているだろう。よもや馬鹿なことを考えてはいるまい?」
根の忍の一人が皆を眺めまわして問うた。アンコやキバが反論しようと前のめりになったが――それより早く笑い声が上がった。トウキのものだ。
「へえ、俺ら手配されたってよ」
わざとらしく彼は言う。ヒナタとキバは驚いた目でトウキを振り返り、アンコも虚を突かれたような顔をしていた。ヤマトは少し呆れた目をして、カカシはやっぱり、どこか嬉しそうだった。
「そうなんだね、今知ったよ」
モモカもすっとぼけた声を出す。
「僕らも知らなかったし、そこの人たちもきっとそうなんだろう……正式な通達は来たのかな?」
小ばかにしたような表情でイクルは尋ねた。相変わらずの生意気な態度に、とうとうアンコは吹き出した。
「正式な通達を待たずしても、犯罪者は犯罪者だ!」
根の忍は声を荒げる。一触即発の雰囲気だったが、のんびりとした声音で物申す者がいた。
「そりゃごもっとも」
口を挟んだのは、カカシだった。
「しかし正式な通達がないんじゃ、手は出せないなあ」
カカシは両手を上げて、いつもの飄々とした顔でそう言ってのけた。ヒナタもキバも、ヤマトでさえも、面食らった顔でカカシを凝視している。
「カカシさん、あなたまで……!」
根の忍は明らかに狼狽えてみせた。まさかあのはたけカカシが、里の敵をかばい立てするようなことがあるとは思いもしなかったのだろう。
「なに、別にここにいる誰も、かばおうって訳じゃないさ。“犯罪者”なら、手を貸さない。しかし正式な通達が出ていない以上、あなた方にも手は貸せない」
のうのうと言い放つカカシに、トウキは大笑いした。イクルと、モモカだって、腹を抱えて笑った。カカシは、この言葉により、暗に若いキバやヒナタ達が手を出さないよう制し、なおかつ上層部からも追及されないよう根に筋を通して見せたのだ。瞬時に後輩を守る機転はさすが、恐れ入る。
「つまりあんたら、フライングしたってわけね」
アンコが嬉々として言った。根の忍の中でもリーダー格であろう男は屈辱にわなわなと震えていたが、すっと感情を殺し、モモカ達に向き直る。
「元より、手助けなどいらぬ」
言い終わるやいなや、根の忍は四方に散り、煙玉を投げて寄こした。
「きゃっ」
「うわ!」
ヒナタとキバの驚く声の後に続き、金属音が鳴り響く。突撃してきた根の忍の刀を、モモカのクナイが受けたのだ。思い切り薙ぎ払うその強力なひと振りで、モモカの体は後方に吹き飛んだ。
「たったそれだけの戦力で本当に僕らを捕らえられると思っているのなら、おめでたいことこの上ないね」
イクルが穏やかに、しかしよく通る声で喋った。瞬く間に周囲は無数の羽ばたく小鳥で埋め尽くされた。小鳥たちは威力はさほどでもないが、一羽ずつが鋭利な嘴で辺りのものを切り裂いていく。根の忍達は逃げ場を失い必然的に一か所に固まった。
「ダンゾウの目的はなーんだ?!」
楽しそうに問いかけるトウキの声が響く。
「な、なにを――」
根の忍達が襲い来る小鳥たちの隙間から声の方を伺いみると、吹っ飛んだモモカの体をトウキがキャッチし――モモカごと反動をつけて腕を一回し――あろうことか、モモカを投げて寄こしてきた。
「そーれ行ってこい」
モモカはトウキによって放り投げられ、根の忍達の元へ、矢のように一直線に向かってくる。
「くそっ!」
それぞれが武器を構える中、モモカはひらひらと容易くその全てを避けた。避けながらも、器用に体を回転させて一人の肩に手を乗せ勢いを付け、一人の振り払う腕に乗り、さらにもう一人の背に飛び移り、最後の一人はその脚を掴んで振り回した。もちろん、その一人一人と触れ合う中で、しっかりと同化でその思考を読んだ。トウキの直前の問いかけで、根の者達の脳裏にはダンゾウの計画が浮かんでいた。
「――うわ!」
ドミノ倒しのように根の者たちは倒れる。唯一倒れなかったリーダー格の男だけが土遁の術をモモカに向けて放ったが、大きな鷹がモモカを回収し悠々と飛び去って行く、無論、イクルの召喚した鷹だった。
鷹はモモカを高い杉の木の枝に下す。その傍らには、トウキとイクルも立っていた。
「わあ……!」
思わずヒナタは感嘆の声を漏らす。まるで鮮やかで華麗な連携技だった。すぐに、無邪気に喜んだことを恥じるように彼女は口を押えた。
トウキ、イクル、それからモモカはそれぞれ腰に下げた面を装着した。龍神、鳥、狐の面だ。面の側面に結ばれた朱色の紐が風にたなびく。まるで昔話に出てくる神獣のように威風堂々と、憎たらしいくらいに様になっていた。
「俺らは、自来也様の意志を継ぐ」
トウキが高らかに宣言する。
「自来也様の意志とは、里を守ること。そして、希望を託すこと」
イクルも続けて言った。
「希望とはつまり――ナルトだ。私たちは、ナルトを助け、火の意志を絶やさぬよう、里の枠組みに捕らわれず、動く」
モモカが告げて、露出した口元を綻ばせた。ヒナタとキバが心底嬉しそうな顔でモモカ達を見上げていた。ヤマトは少し呆れているが、やはり笑っている。アンコは誇らしげな顔で、カカシは満足そうに、モモカ達を見上げていた。
「戯言を……」
根のリーダー格の忍が歯ぎしりする。
「おーい、組織名は?」
この場に似つかわしくないのほほんとした声音でカカシが呼びかけた。
「何かしらの目的を持って行動するならば、便宜上名乗った方がいいぞー」
まるで気楽なアドバイスといった体で話すカカシは、この状況を楽しんでさえいそうだった。
「組織名か」
「なるほど」
トウキとイクルが納得したかのようにそれぞれ呟き、期待を込めてモモカを見た。触れていなくても、モモカには二人の思い浮かべた単語がはっきりと分かった。
「私たちは――クリキントンと名乗ろう」
モモカが宣言し、トウキとイクルは満足げに頷く。
「……はあ? 栗きんとん?」
アンコが素っ頓狂な声を出した。この場にいる誰も彼も、らしくない名前に、戸惑っているようだった。モモカ達は、皆の反応が可笑しく、悪戯っ子の顔で笑う。一際強く、北風が吹いてモモカ達の外套と、面に結ばれた紐を揺らした。鈴の音が凛と鳴り響く。
「そう……我々は、クリキントン。火の意志を絶やさぬよう、自来也様の跡を継ぐもの」
「何者にも縛られずに、里の希望を守るもの」
トウキとイクルはそれぞれ、声を張る。カカシはにっこりと笑みを作った。
「あの……」
控えめに、しかし決して小さくない声でヒナタが呼びかける。
「妹を助けてくれて、ありがとうございました」
深々と頭を下げた彼女が顔を上げた時には、面を付けた三人の抜け忍の姿は既にいなくなっていた。根の忍達が慌てて追いかけていくが、きっと追いつけやしないだろう。
強い意志を持って何かを成し遂げようとすることの難しさを、ヒナタ自身も身をもって知っていた。しかし彼らなら、どんな困難に遭ってもきっと挫けることはなく進んでいくのだろう。そう思えるような、確固たる決意が彼らからは感じられた。
「あいつら、まあ、悔しいくらいにかっこよくなっちゃって」
憎まれ口を叩くアンコの声は、しかし誇らしげである。
カカシは一抹の寂しさを抱えつつも彼らが去った冬の乾いた空を見上げ、その無事をそっと祈った。