仲直りの合図


 海霧の向こうに朧げな里の輪郭が見えて、思わずイクルの胸は高鳴る。海賊の襲撃から二日後の早朝のことだ。この国の島々はどれも濃い緑が鬱蒼と生い茂り、余所者の訪れを拒んでいるように見える。その中でもひと際大きな島の湾内に入ると、遠くに大きな建物が群立しているのが見え、船の往来も一気に増えた。
 霧隠の里が見えてきたことをモモカに教えてあげようと、イクルが立ち上がろうとしたところで隣に立つ者がいた。長十郎だ。
「あの、隣……いいかな」
「……ああ、うん」
 おずおずとした控えめな申し出に嫌とは言えず、イクルは立ち上がりかけていた腰を再び下ろす。
「あの岸壁に着くんだよ」
 長十郎は指を差して教えてくれたが、岸壁はいくつもあってどれを指しているか土地勘のないイクルには分からなかった。海岸沿いには幾つも建物が立ち並び、人の生活している気配が感じられた。霧隠と言えば閉鎖的で秘密めいていて血生臭い国、というのがイクルの抱いていたイメージだ。しかしこうして訪れてみると、そこに当たり前に人々が生活していることに、思いがけず新たな発見をした気持ちになる。そして、あの人々の営みの中に、いるのだ。苦楽をともにしてきた仲間が。トウキが、あの場所で生きているのだ。
「……木の葉の忍って皆あんな感じなの?」
 ちらちらとイクルの表情を窺いながら長十郎が聞いた。
「あんな感じって?」
 長十郎こそ抱いていた霧隠の忍のイメージとは大きくかけ離れている、と内心思いながらイクルは聞き返す。
「なんていうか、真っ直ぐで、自分の意見を持っていて……忍らしくないというか……。モモカもイクルもそうだし、トウキは言わずもがなだ」
 トウキは見ず知らずの土地で一体どんな振舞をしているのだろう、とイクルは少し口の端を上げた。
「それに……良い友達になれそうだなんて……初めて言われた」
 先日のモモカの言葉を反芻して長十郎はぼうっとした表情で穏やかな海面を見つめる。
「ああ――そうだね、モモカは木の葉の中でも特別だと思うよ。……まあ、それはトウキもか」
 イクルの言葉に不思議そうに長十郎が見上げる。
「イクルは?」
「僕は……うーん、彼らほど真っ直ぐでもないし。自分の意見を持っているのは、まあ、単に遅れてきた反抗期ってところかな」
 イクルは自分で言って可笑しくなった。
「反抗期……」
「そう。実を言うと僕もね、モモカとトウキ以外に友達はいないんだ」
 苦笑するイクルの顔を長十郎がまじまじと見つめる。こんな穏やかで人当たりの良い男なのに、友達がいないなど、謙遜しているのか疑っているようだ。
「同期の忍とかは?」
 長十郎の問いかけにイクルは穏やかな、本当に穏やかな、けれど奥底に凍えたものを秘めた微笑みを浮かべる。
「全員死んだよ」
 水の国の抜け忍に全員殺されたことを長十郎に告げるような野暮な真似はしなかった。イクルの返答に彼は押し黙る。
「どっちにしろ特別仲の良い子がいたわけじゃないけどね」
 イクルは大きく伸びをした。ふと、後ろにモモカの気配を感じて振り返る。
「あーっ」
 今まさに船内から出てきたモモカが声をあげた。
「もう陸が見えてる! どうして起こしてくれなかったの」
 モモカは膨れ面でイクルと長十郎に並ぶ。
「ごめんごめん……ぐっすり寝てたし、長十郎と話してたらつい忘れちゃって」
 イクルが軽く謝るとモモカは唇を尖らせた。この拗ねた表情は、昔からのものだ。多くのしがらみのある里を離れて、ありのままのモモカに戻ったみたいだった。それだけでモモカと一緒に里を離れて良かったとイクルは思う。

 腹から響くような低く大きな汽笛を何度も鳴らして船は霧隠に入港した。霧隠と言うだけあって岸壁近くの霧の深さは、絶えず汽笛を鳴らしていないとこの海の操船に慣れた者ですら他船と衝突事故を起こすほどだ。
「先だってあなた方のことを水影様に伝えています。城まで案内するように、とのことですので、このままお連れします」
 着岸するなり緊張した面持ちで長十郎が言った。木の葉からのいわば密航者であるモモカとイクルがどのような扱いを受けるのか、彼自身も図りかねているようだ。
 岸壁には出迎えの忍達がずらりと並んでいた。どれも厳しい目付きで下から上までモモカ達を眺めまわしている。
「長十郎、海賊の被害を退けてごくろうであった。その者たちとそのまま真っ直ぐに城まで来てもらおう。水影様がお待ちだ」
 乗船者には労りの声をかけ、モモカとイクルには脅すような声音と視線が向けられた。長十郎がごくりと唾を飲み込んで頷く。モモカは長いこと波に揺られていたおかげで、久しぶりの陸地にまだ揺れている心地がした。だけど知らない土地とは言え大地を踏みしめられることにこの上なく安心して、靴裏のその感触が嬉しかった。
 城までの道中は誰も言葉を発することなく黙々と歩く。先導する霧隠の忍が二名。その後ろに長十郎、モモカ、イクルと続き、さらにその後ろに三名が付いてきた。霧隠の住宅は木造家屋が主である。民家はひしめき合うように建っているが、誰も通りを歩いていない。もしかしたら人払いがされているのかもしれないとモモカは思った。自来也とともに訪れた川の国の湿地帯にあった家と似ているような気もするが、屋根は瓦で、あの土地のそれよりもしっかりとした造りに見える。歩きながらも物珍しく辺りを眺めまわしていると「キョロキョロするな」と後ろを歩く忍にお叱りを受けてしまった。
 城は小高い丘の上に建っていた。木造りの大きな門をくぐると、その先がさらに長い。なだらかな上り坂を何回も折り返さないとたどり着けないようになっていて、敵襲に備えたものだと分かった。高い石垣の上に建つ城の壁には漆喰が塗られているようだ。
 中央に位置する天守に入り、大きな廊下を当たって正面の襖の前で一行は立ち止まる。
「水影様、件の木の葉の忍をお連れしました」
 先頭の男が声を張って呼びかけた。
「どうぞ、入って」
 声はモモカの予想を大きく裏切り、若い女のものだった。聞いたことのあるような声だと思うと同時に、モモカは嗅いだことのある匂いを感じ取る。水仙の花の香油を清らかな水に一滴垂らしたような、甘くも凛とした香りだ。
 先頭の男二人が膝を付いて両側から左右に襖を開く。中はこれまた広い部屋であった。畳が敷いてある向こうに、低めの肘掛け椅子に腰かける女はやはり若かった。艶やかな赤い髪をたっぷりと、腰の辺りまで垂らしている。長いすらりと伸びた脚を組んで、目鼻立ちのはっきりとした美しい顔だ。モモカとイクルを認めて、真っ赤な紅を引いた唇が弧を描いた。
「あっ」
「水照らす姫……」
 モモカとイクルは同時に声をあげた。それは紛れもなく、あの水照らす姫だったのだ。下忍に承認される前に度々こなしていた裏任務でのいつかの依頼人。後に再会し、彼女は霧隠の忍で、任務の為に火の国を訪れていたことを知った。同期が全員水の国の抜け忍に殺された、あの地獄の合同任務の時だ。
「やっぱり、密航してきた木の葉の忍ってあなた達だったのね」
 若き水影は妖艶に微笑んで見せた。
「確か……ええと、照美メイさん。水影だったんですね」
 思いがけず知った顔に出会えて、肩の力を抜いてモモカもまた笑いかける。しかし霧隠の忍にはそれが許せなかったようだ。
「木の葉の若造が、水影様に対して無礼だぞ!」
 声を張り上げる男を、照美メイは右手を上げて制した。男は口を噤むが、モモカを睨みつけたままである。
「水影になったのは最近のことだけれどね。そしてあなた達に会ったのもついこの間のことだと思っていたけれど見違えるほどに成長して……まあ、歳を取るはずだわ」
 照美メイは笑みをみせたままで目を細めて、じっとモモカ達を観察する。
「さて、本題だけれど。どうして木の葉から海を隔てて遠く離れたこの里まで二人きりで来たの? まさか里を抜けてきたのかしら」
 その質問に答えたのはイクルだ。
「あなた方が危惧しているような目的でこの里に来たわけではありません。離れ離れになった仲間を探し、会うために来たのです。もちろん木の葉の里の命令でもない。僕らは自分達の意志でこの地に足を踏み入れました。傍から見たら里抜けともとれる行為かもしれませんが……生まれ育った里に仇なすつもりもしかし、ありません」
 イクルの返答に照美メイはゆっくりと数回瞬きし、その意図を咀嚼しているようだった。そういえば、自分達は里から指名手配をされているのだろうか、とモモカは今更ながらに考える。
「そして僕らが会いに来た仲間というのが――」
「トウキね」
 イクルの言葉を引き継いで照美メイは言った。彼女は深いため息を吐き、傍に控えていた付人の男は神経質そうな眉毛をぴくりと動かす。
「……では、やはりトウキは生きて……この里にいるのですね」
 逸る気持ちを抑えてイクルが低く問うた。照美メイはそんな様子のイクルとモモカを可笑しそうに見つめ、奇妙な何とも言えない表情をする。
「生きているも何もとっても元気で……まあ大変よ、あの子。当時から生意気な子供だとは思っていたけれど」
 イクルとモモカはすぐには何も言い返せなかった。
「……大変、というのは」
 ややあって遠慮がちにイクルが尋ねる。
「彼がこの島に来たのは約半年前。その頃には既に荒っぽい部下を何人か引き連れていたわ。里に対して何か犯罪行為をしているわけではないけれど、トウキを筆頭としたあの集団はあらゆる依頼を引き受けて生計を立てているみたいよ。家事手伝いから大工仕事、用心棒、はたまた諜報活動まで――いわゆる何でも屋ってところね。この国の貧困層も取り込んで、彼らに仕事と生活を与えるものだから益々勢力は大きくなり、里としても見過ごせない程力を付けてきて――トウキを崇拝する若い者も決して少なくない、というのがまた厄介なところだわ」
 本当に困ったものだわと、あまり困っていないような微笑みとともに照美メイは説明した。
「若い女の子の中ではファンクラブもあるなんて噂も耳にしたし――」
「なんと嘆かわしい」
 水影のぼやきに、付人の男は憤慨したような声をあげる。片目を眼帯で覆った厳格そうな中年の忍だ。ダンゾウもそうだが、片目を隠している忍というのは秘密を持ちがちで信用ならないとモモカは感じていたので、警戒心を持って男を観察する。しかしカカシもまた片目を隠している――それどころか口布ですら滅多に外すことはない――ことに気が付いて、一人勝手に気分が沈んだ。
「……ファンクラブ……」
 イクルは眉をひそめて呟く。片目の男は苦々しく唸った。
「あろうことか、罰当たりなあの男は水影様までも軽薄にも口説きおって――!」
 思い出しただけでも腹立たしい、という様子で片目の男はため息を吐く。モモカとイクルは顔を動かさずに視線だけを交わし合った。そして控えめに目の前の若き水影に視線を戻す。艶やかな長い髪。筋肉質でありながらも女性らしいラインの長い手足。豊満な胸元。長く密度の濃い睫毛が縁取るきりっとした瞳。鮮やかな紅を引いたふっくらとした唇。なるほど確かに、水影である照美メイは、年上の綺麗な強い女性が好きなトウキの好みど真ん中であると言えた。現に前回会った時も、彼女に対して「別嬪さん」などと生意気な口を効いていたものだ。しかし、敵だらけの見ず知らずの土地で、あろうことかその長を口説くなど――怖いもの知らずにも程がある――トウキはどこまでいってもトウキなのだ――。モモカはカカシ一人にこんなにも気分が浮き沈みする自分がなんだか馬鹿らしく思えた。
「話が逸れたわね」
 呆れた顔で照美メイは息を吐いた。
「あの子に会いに来たのは分かったわ――それで、あの子に再会して、その後は?」
 彼女は影としての厳しさを持った目付きでモモカとイクルを見据える。
「具体的には、まだ何も」
 イクルが正直に答えた。
「僕らの目的は大切な人達を守ること――色々と為さなければいけないことは多いけれど、第一優先事項としてまず暁は放っておけません。凶悪で力のある忍ばかりのあの組織に対抗するためには僕ら自身にも力が必要だし情報が必要だし、ありとあらゆる味方が必要です――しかし、里という組織の枠組みの中では動きづらいことがあるのもまた事実です」
 イクルの言葉に耳を傾けていた照美メイはゆっくりと目を瞬く。
「あなた達がやろうとしていることはまるで――かの三忍の自来也様がしていたことのようね――……」
 照美メイの指摘にイクルは頷いた。彼女は苦笑する。
「あの三忍の自来也様にとってさえ、困難な道だったはずだわ。現に彼は暁を追って命を絶たれた――でしょう? それを彼よりもずっと若く経験も浅いあなた達に、務まるかしら」
 照美メイの質問はまるで皮肉でも何でもなく、単に老婆心の心配から聞いているような口ぶりだった。
「三人ならば」
 イクルは今日一番のはっきりとした口調で答える。照美メイは力強いイクルとモモカの瞳をじっと見つめた。
「仲間を信じているのね。お互いを――家族よりも強く――だからこそ会いに来たのね――……」
 照美メイは独り言のように囁き、ふ、と目尻を下げた。
「よろしいでしょう。あなた方の入国を許可します」
 水影の宣言に、霧隠の忍達はどよめき立った。長十郎だけホッと胸を撫でおろしているのを、モモカは視界の隅で捉えた。
「水影様……本当に木の葉の若造をこの国で好き勝手させて本当によろしいので……?」
 片目の男が疑惑の目でモモカ達を見る。
「青、あなたの心配は尤もだわ。トウキだけでも厄介ごとの種を孕んでいるのに、彼とこの子達を会わせてどうなるか……でもね」
 照美メイは懐かしいものを見るように目を細めた。
「真っ直ぐなこの子達の想いが、少なくとも今この瞬間偽りじゃないことくらい分かるわ。数多のものを奪い奪われてきた忍の歴史だけれど……この子達は歩くことを止めずに、必死で抗おうとしている。少しくらい背中を押してあげたっていいじゃない」
 青と呼ばれた片目の男は納得いってないようだが、長の判断に反論することはなかった。
「さて」
 照美メイは肘掛椅子から立ち上がる。立ってみると、その美しい脚の長さがことさらに際立った。
「案内するわ」
 照美メイは微笑み、その言葉に霧隠の男達は再びざわつく。
「み、水影様自らですか……?! 我々に申し付けてくだされば」
 しかし照美メイは穏やかに首を振った。
「私もちょうどあの子に用事があるのよ」
「それならば我々もお供します。あの男の元へ行くなど――」
 部下の不安そうな視線に照美メイは苦笑する。
「心配しないでも大丈夫よ。お供はいらないのだけれど……そうねえ、じゃあ長十郎が一緒に来てくれればそれでいいわ」
 一斉に皆の目が長十郎に向けられて、彼は緊張した表情を見せた。
「長十郎、くれぐれも水影様を御守りするのだぞ」
「は、はい」
 青の厳格な表情にまごつきながら長十郎は裏返った声で返事する。
「寛大なご配慮、痛み入ります」
 イクルはお辞儀をし、モモカもそれに倣った。
「ようこそ霧隠へ。改めて、よろしくね」
 照美メイは二人に握手の手を差し出す。イクルが握り返し、次いでモモカも握手を交わした。

 トウキの元への案内は、長十郎が先頭に立って歩いた。トウキの率いるギャング集団のアジトは里郊外の分かりづらい所にあり、照美メイも足を運ぶのは今日が初めてだという。長十郎は任務で一度視察に来たことがあるというので彼が先頭に立ち道案内をすることになった。
 里の中心地を離れると途端に建物はなくなり、背の高い草が生い茂る中をかろうじて敷かれた細い歩道を一行は歩く。霧隠の里は木の葉のように周囲を高い塀で囲うことはしていなかった。この島自体が隠れ里なのだ。外から訪れるには船を使うしかなく、着岸できそうな岸辺の警備さえしっかりしていれば塀など必要ないのだろう。大陸と隔絶されたこの立地も、霧隠をより閉鎖的なのものにしている要因の一つになっているのかもしれないとモモカは感じた。
 少し先を歩く長十郎の背を眺めながらイクルが来た道を振り返る。そして続いて窺うような目をモモカに向けた。モモカはイクルの意図を汲み取って頭を振った。
「誰も付いてきてないみたいだよ」
 断言するモモカとその言葉を信頼しきっているイクルの様子を照美メイは興味深そうに見つめる。
「いくつか質問してもよろしいですか」
「ええ、どうぞ」
 イクルの申し出に照美メイは上品に頷いた。
「先代の水影は三尾の人柱力だと認識しているのですが……彼の消息は? 暁に操られていたと聞き及んでいましたが、本当のことなのでしょうか」
 イクルの言葉に思わず照美メイは笑みを引っ込める。歩みを止めた水影たちを、何事かと長十郎が振り返った。イクルが尾行を気にしたのはこのためかとモモカは思った。
「……ずいぶん深いところまで知っているのね」
 照美メイは何でもないというように長十郎に向けて頭を振り、再び歩き出す。
「まさか木の葉がそこまで掴んでいるなんて」
「いえ」
 唇を噛む若い水影の言葉をイクルは否定した。
「木の葉の上層部がこのことを知っているかは分かりません。僕が知ったのは木の葉とは別のルートからです。……僕は一年ちょっと、大蛇丸の元にいたので」
 イクルの告白に照美メイは眉を顰める。
「大蛇丸の元に……そう。それこそ本当に抜け忍認定されてもおかしくはないわね」
 照美メイの指摘にイクルはしばし黙って地面を見つめた。
「……三尾の人柱力って元々霧隠が所有してたんだね。そして木の葉を襲わせるために利用しようとした」
 モモカの呟きにイクルは訝しそうに顔を上げる。
「……どういうこと?」
「第三次忍界大戦の時に、木の葉の下忍のくノ一が霧隠の忍に捕まって無理やり三尾の人柱力にさせられたことがあるんだ。里に戻ってから三尾に里を襲わせる目的で。……それが達成される前に彼女は死んだけれど」
 のはらリンという少女のことだ。モモカはその話をチームメイトであったカカシの口から聞いていた。そしてカカシの雷切によってのはらリンが死んだことも、本人から聞いていた。だからより一層、水の国には良い印象など持ち合わせてなかった。懸命に抑えようとしてもどうしても滲み出てしまうモモカの憎しみを敏感に感じ取って、照美メイは目を伏せる。
「そんなこともあったようね。当時の里は血霧の里と呼ばれるくらいに目的の為ならば手段を選ばない残酷さと独裁体制であったことは否定できないわ――残念だけれど現水影である私でさえ、あずかり知らない、闇に葬られてきた血生臭い任務がいくつもあるの」
 彼女が悔しそうな表情をするものだから、モモカは感情を制御できずに強い憎しみの気を放ってしまったことを一瞬で恥じた。
「それじゃあその木の葉のくノ一が三尾の人柱力にされて亡くなり……その次の三尾の人柱力が前水影ということですか。彼は尾獣を制御できていたと聞きましたが……それでも暁に操られてしまったということは……三尾はもう暁の手に……?」
 イクルが所見を述べる。照美メイは難しい顔をした。
「ええ、先代が三尾の人柱力で、なおかつそれを完全に制御していた強い忍であることも、そんな彼でさえも暁の強力な幻術には為す術がなかったことも事実よ。でも消息ははっきりとしていないの。彼にかけられた幻術を優秀な部下が解いてね……目は覚めたのだけれど、暁との闘いに赴いてその後の行方は分からないから……まあ、暁の手に渡ってしまったと考えるのが妥当ね」
 苦々し気に呟く照美メイの顔をモモカはまじまじと見つめる。まさか、現水影が――かの閉鎖的で独裁的で血霧の里と言われる里の長が――その隠された内情を、ここまで明け透けに他里の忍に話すなんて――それがこの上なく意外だったのだ。
「あ、」
 モモカはふと思い至って声をあげる。イクルも照美メイもモモカを振り返った。
「青さん……そうか、白眼で」
 モモカの言葉に照美メイは息を飲む。信じられないものを見るような目付きでモモカを見つめた。
「白眼?」
 イクルが怪訝な顔で聞き返す。
「うん。さっきの眼帯をしていた側近の人、青さん。あの人の眼帯の下は白眼だ。白眼なら確かに、強力な幻術だって見破れる」
「……どうしてそれを」
 戦慄の表情で照美メイは問いただした。モモカは背の高い彼女を真っ直ぐに見上げる。
「実は私は触れた対象の心の内を覗くことが出来るのです」
「モモカ!」
 モモカの申告に、さすがにイクルも声を張り上げて制した。モモカは頭を振る。
「里の長である水影が木の葉の私達に包み隠さず暁の情報を教えてくれた。そして仲間の元へ、こうして案内してくれている。こちらは情報を取るだけ取って知らん顔しているのはフェアじゃない――……ごめんなさい、さっきあなたと握手を交わした時にそのことを知りました」
 モモカはぺこりと頭を下げた。照美メイは呆気に取られていたが、ややあって吹き出す。
「あなた本当に……呆れるくらい素直なのね。ふふ、久しぶりに会って随分雰囲気が変わったと思ったけれど……根っこの部分はあの頃のままだわ」
 照美メイは本当に可笑しそうに笑って、なかなか笑い止まらなくて、モモカは戸惑いに頭を掻いた。抱いていたこの国の忍のイメージとは随分かけ離れた影だ、と思う。

「見えてきました」
 先頭を歩く長十郎の指し示す先には大きな樹がいくつも絡み合って生えていた。マングローブというものだろう。聞いたことはあっても、実際に目にするのは初めてだった。力強く太い根が半分河に浸かっていて、その河もすぐに海に至るような場所に位置しているから、ほぼ海水で生育しているのではないだろうか。
 マングローブの巨大な枝の上には縫うようにいくつかの家屋がぽつぽつと散らばって建てられていた。そのどこにトウキがいるのかモモカには全く見当もつかなかったが、長十郎は迷うことなく歩を進める。三つの大樹の下を潜り、橋のような二つの根の上を渡り、ことさらに密集して立つ家々が見えてきた。モモカは随分前から刺すような視線を感じ取っていたが、何も言わずに長十郎の後を付いていく。やがて太い根は上り坂になり、勾配が大きくなりやがてそれは階段状になり、果てには蔦で出来た梯子になった。大樹の幹は苔むしてぬるぬると滑りモモカ達の行く手を阻む。
 ようやっと一番高い建物に辿り着くと、待ち構えていたかのように弓矢を持った男女が立っていた。
「何の用だ」
 まだうら若い男女である。彼らは精一杯の警戒心を持って長十郎を始めとした面々を睨みつけた。
「トウキにお客さんよ。そして私も、彼に用事があるの」
「なにを――」
 臆することなく近付く照美メイに若き番人たちは臨戦態勢を取ったが、彼女がこの島の長たる水影だということに気が付いて言葉を失う。
「ま、まさか水影様が自らここを訪ねるだなんて――!」
「あの、リーダーは今不在でして」
 先ほどとは種類の違う緊張感を伴って若い男女は言った。水影がわざわざ赴くなど、予想だにしていなかったのだろう。
「不在ですか」
 困ったように長十郎は後頭部を掻いてモモカ達を振り返った。
「いつ頃帰ってくるのかしら。すぐに戻るようならここで待たしてもらいましょうか」
 水影の提案に番人達はたじろぎ、青い顔で困惑した視線を交わし合う。
「いつ戻られるかは……自分達も分かりません……ですのでここで待たれるのは――」
 しどろもどろに言葉を紡ぐ若い番人は、明らかに困っていた。穏やかな微笑みでその様子を眺める水影はこの状況を楽しんでいる節さえありそうだった。
 モモカは周囲をキョロキョロと見回した。大きな太い樹がいくつも絡み合うように生え、その枝の合間合間に建てられた家屋。太い幹も家屋も苔むして、全体的に緑色の風景だ。空気が澄んでいるように感じる。トウキがリーダーと呼ばれていること、若い者たちにどうやら慕われているらしいことが垣間見えて、不思議な心地がした。本当にここでリーダーと呼ばれている男はあのトウキなのかとさえ思う。トウキはどちらかといえば荒々しい大地が似合うような男で、こんな緑深いような場所に立っている姿が想像できなかった。

「アンタの方から訪ねて来るなんて珍しいな」
 低いがよく通る声に、家屋の中をぼんやりと観察していたモモカはハッとする。隣のイクルが身体を強張らせる気配がした。心地よい声の響きは、随分大人びていたが、紛れもなくトウキのものだった。
 声の方を皆が一斉に振り向くと、一つ向こうの枝の上に立つ男がいた。霧隠の太陽を背負い、逆光でその表情までは見えない。足が二本生えているのだけは分かった。
「……トウキ…………」
 呟くイクルの声は酷く掠れていた。トウキは優に五メートルはあろうかという高さの枝から、一行のど真ん中に降り立つ。着地する姿勢は軽やかなものだったが、生身の肉体では鳴り得ない硬い音がした。この近さに来て、彼の右脚が義足であることにモモカは気が付く。
 元々高かった背は更に伸びて、今や生前のアスマくらいありそうだ。胸板の厚さや隆々とした腕の筋肉は彼の腕力が著しいことを示している。肩まで伸びた長髪は赤みを帯びた黒で、意志の強い顔を縁取って、眼光は鋭く、一人の女を見据えていた。
 トウキは顎を上げて照美メイを眺めまわすと、にやりと口の端を上げた。モモカとイクルの方はこれっぽっちも見なかった。
「水影直々に仕事の依頼か?」
 モモカが声をかけようとするも、トウキの体ふわりと揺れて、次の瞬間には照美メイの背後を取っていた。確かに瞬身の術なのだが、モモカの知らない身体とチャクラの使い方だ。
「それとも、俺が恋しくなったか?」
 トウキは照美メイの肩に腕を回して薄ら笑う。長十郎が臨戦態勢を取った。
「み、水影様から手を離せ!」
 彼は背負った得物を瞬時に抜き取りトウキに振りかぶる。その大きな刀に、あろうことかトウキは蹴りで応戦した。金属音が響き渡る。巨大な刀の勢いを受け止めたのはトウキの義足だった。ひび一つ入っていないどころか、力負けして長十郎の方が弾き返されたほどだ。
「トウキ……」
 再びイクルがその名を呟く。その声は震えていた。
「なんだよ、人が口説いているのに大人しくしてられねーのか」
 猶もトウキはまるでイクルとモモカに気が付いていないかのように長十郎に苦言を呈した。
「なあ……、メイ、会いに来てくれて嬉しいぜ」
 トウキが照美メイの豊かな赤髪をさらりと掬い上げて撫でる。長十郎は再び刀を握りしめ、メイはため息を吐いて鬱陶しそうにその手を払いのけた。
「トウキ!!」
 しかしトウキの動きを止めたのは、長十郎でもメイでもなく、イクルの怒声だった。ぴくりと反応して、トウキが徐に顔を上げる。やっとトウキはイクルとモモカの方を見た。イクルはわなわなと震えていて、それが悔しさからくるものなのか怒りからくるものなのか、はたまた嬉しさからくるものなのか、モモカにでさえも判断できなかった。普段は穏やかなイクルの感情をむき出しにした大声に、長十郎は大層驚いて目を丸くさせている。
「……おう、久しぶりだな」
 トウキの声はあっけらかんとして、まるで数日振りにあった友達に挨拶をするかのような気軽さだった。どうしてこんなに感情を露わにしているのかまるで理解できていないのか、まじまじとイクルの顔を見つめている。
「久しぶり、じゃないよ……僕とモモカが一体どんな想いで……今まで……どれだけ……」
 イクルにしては珍しいことに、言うことがまとまらないままに震える声で話し出していた。そんなイクルの様子にトウキは少し狼狽える。
「おい、なんだよ。俺だって色々訳があってだな、そう簡単には動けなかったし、仕方ねえだろ」
 たじろぐトウキをイクルは思い切り睨みつけた。
「君の脚を切り落として……川に流して……殺したと思っていた……。モモカだってそうだ、モモカもあの時トウキが死んだと思って――」
 イクルの訴えに、トウキは眉を寄せてキョトンとする。
「あのなあ、俺がそんな簡単に死ぬわけねーだろ」
「……は?」
 これにはイクルも虚を衝かれて間抜けな声を出した。
「俺はお前らだって生きているって思ってたぜ」
「……それは、トウキが僕らが死の淵に立っているところを見ていないからだろう……。僕もモモカも、一度は絶望したんだ……! 君を死なせてしまったと……!」
 イクルは拳を握りしめる。モモカはトウキがしたり顔で笑うのを見た。出会った頃の、悪戯坊主の顔だ。
「でも、諦めてねえからわざわざこうして霧隠まで来たんだろ」
 トウキの言うことは尤もだった。尤もだが、お前が言うなとモモカも思った。イクルは唇を震わせてトウキを凝視していたが、俯き、再び顔を上げた時には酷く冷静な顔をしていた。
「あ、まずい」
 モモカは呟く。長十郎がどういう意味か聞き返そうとモモカを振り返ったのと、モモカが彼を抱えて遠くの幹に飛び移ったのと、そして無数の水遁の刃が飛び交ったのは同時だった。モモカは安全圏の枝の上からトウキが土石流で応戦しているのを眺めた。
「……あ、ありがとう」
 モモカに抱えられた気恥ずかしさからまごつきながら長十郎がお礼を言っていそいそと立ち上がる。照美メイも一つ隣の枝に避難して気楽な様子で二人の喧嘩を観戦していた。
「僕はもう一つ許せないことがあるんだ――大蛇丸との闘いで、僕は二人を助けたかったのに、トウキはモモカだけを助けて無謀にも彼らに向かっていったね?」
 イクルがとつとつと話しながら忍鳥を召喚する。
「頭に血が――昇ってたんだよ!」
 トウキが風遁の術で忍鳥の攻撃を捌きながら返した。風遁を会得したのか、とモモカは感心してその術をつぶさに観察する。
「ていうかよ――それを言うならお前だってなあ、俺の気も知らないで、上から目線で助けようなんて思ったな!」
「そうだね! 君の気なんてこれっぽっちも知らないね! 僕らがトウキを探してまわっていたっていうのに、のん気に水影を口説いている君のことなんて、これぽっちも分からないよ!」
「だーかーらー! この国から出るのも容易いことじゃねえし、タイミングってもんがあんだろ!」
 ハイレベルな技の応酬と、その一方で幼稚な言い争いに長十郎は呆気に取られていた。
「……止めなくていいの?」
 恐々と、長十郎が尋ねる。
「うーん」
 モモカはどこか晴れ晴れとした気分で唸った。
「放っておいて大丈夫だと思うよ。あれは何て言うか、仲直りするための、一種の儀式のようなものだから」
 イクルの水遁とトウキの土遁が激しくぶつかりあい、土砂混じりの水が辺り一面に飛び散る。トウキがその中に突っ込んだ。視界の悪い中を、的確にイクルの手刀が切込みトウキの肩に傷を作る。カブト直伝の、チャクラのメスだ。この視界でもイクルは宙を待っている数羽の忍鳥からの情報でトウキの居場所が手に取るように分かっていた。
 トウキは深手を負う寸での所で止まり、左足を軸に右の義足で蹴り上げる。わずか届かない、と思ったが義足はよくしなり、そして伸び、銛のようにイクルを突き刺そうとした。イクルがそれを受け止めるではなく避けたのは賢明な判断と言えよう。チャクラのメスは人体にこそ有効だが無機物には効かず、たとえクナイなどの忍具で受け止めたところで強力な蹴りのパワーに鋭利な刃物の勢いを加えられたらとてもじゃないが受けきれないだろうからだ。
 屈んだイクルに、蹴り上げたトウキの義足が振り下ろされる。きっと様々な仕込み武器が入っているに違いない。やはり、接近戦では圧倒的にトウキが有利だ――――……。
 しかし、そこでトウキの体がぐらりと揺れる。トウキは膝から崩れ落ち、気持ち悪そうに口を押えた。モモカは、屈んだイクルが印を結んでいたのを確認していた。あの印は――イクルが忍鳥を使役する時に使うものだ――。
「……なんだ、今の」
 呼吸を落ち着けて、頭を押さえながらトウキが尋ねる。疑心に満ちた目でイクルを見つめていた。イクルは服に付いた砂ぼこりを払って立ち上がる。
「……順を追って話そうと思ってたのに、思わず使っちゃったじゃないか」
 拗ねた目でイクルが言った。トウキやモモカだけの前で見せる、甘えた幼い表情だ。
 トウキは頭をぼりぼりと掻き、諦めたように深いため息を吐く。
「……じゃ、順を追って話してくれるか」
 イクルは蹲るトウキに手を差し出し、トウキはごく自然にその手を取り立ち上がった。
 二人の、仲直りの合図だった。



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