嫌でも思い浮べることができて


 船体が軋む音とごうごうとうねる波の音が響く。火の国東端の港町から乗船したモモカとイクルは誰とも言葉を交わさずに、揺れる船体の壁に背をもたれさせていた。目深く被った外套と鼻の上まで上げた口布でその顔のほとんどは見えない。
 途中の島で一度船を乗り換え、そこからさらに三日が過ぎていた。身元の知れないような浮浪者然とした者も多いこの国で不審なモモカ達が目立つことはなかったが、霧隠行きの船に乗り換えると途端に周囲の目が厳しくなった。小さな帆船に乗船している旅客はわずか二十名足らずで、そのうちの半数は忍のようである。モモカとイクルにも当然不審な視線は向けられたが、二人はいかにも訳ありな男女の顔つきで、押し黙ってじっと座り込んでいた。海上だからか、はたまた気象条件がそうさせるのか、木の葉よりもこの国の秋の訪れは急で、湿っぽい。

「あの三忍の一人、自来也が死んだらしい」
 乗客の誰かが噂しているその話題に、モモカもイクルも顔を上げることはなかった。しかし耳だけはしっかりと意識をそちらに向けている。
「どうも暁にやられたようだ」
「あの自来也がやられるなんて、暁ってのは本物だな」
「いやしかし今の自来也に全盛期の勢いもないとも聞くし……」
「噂ばかりが肥大して、実際は大したことない、なんてことも往々にしてあるからな」
 音を立てずに、胸も肩も膨らませずに、モモカは深く息を吸う。ここで偉大な師を馬鹿にする行きずりの忍に食って掛かるような浅はかな真似は、まさかしないが、それでも決して気分のいいものではなかった。しかし、はたとモモカは疑問に思う。果たして自来也を師と呼んでいいものかと。彼と行動を共にしたのはわずか数カ月のことで、それもモモカが半ば強引にその任務に同行したようなものだ。そして自来也がモモカに指導を施したことは一度もない。だから、自来也を師と仰ぐにはモモカの独りよがりで烏滸がましいように感じた。何とも奇妙な関係だったのだ。師弟と呼ぶほどの強い絆も訓えもない。仲間と呼ぶような対等な関係でもないし、だが、ただの知り合いというには余りにお互いを熟知している。戦闘に関しては仙術も相まって阿吽の呼吸とも呼べる域に達していた。
 まこと、奇妙な関係ではあるが、しかし確実にモモカは自来也から多くのものを受け取っていた。多くを教わり、その厳しさに鍛えられ、一方でその優しさに包まれ、間違いなくモモカに一本芯の通った忍の強さをその身を持って示していたのだ。
 イクルは立ち上がり、船室へと戻っていく。モモカはイクルが去り、さらに噂話をしていた男達も寒さに肩を竦めながら戻っていくのを見届けてもなお、暴露甲板で海風に晒されていた。湿潤な冷たい風に吹かれていると、何もすることがない船上で一端の仕事をしたような気になる。そして何より、自来也の遺したものの一つ一つを反芻するのには打ってつけだった。

 その翌日のことだ。モモカは朝ご飯を取りに食堂へ入るとピリピリとした空気を感じ取る。
「危険海域に入ったみたいだ」
 極力会話を控えていたイクルがモモカに言った。
「危険海域……」
 モモカが繰り返す。大きな寸胴鍋から芋粥をよそってイクルは表情を変えずに頷いた。
「海賊被害が多発しているそうだ。霧が濃く、小さな島がいくつも点在するこの辺りは特に」
 モモカも芋粥をよそい、二人並んで空いている机に着く。芋粥は良く言えば滋味深く、悪く言えばぼんやりとした味だ。黙々と口に運んでいた二人は、ちょうど同じ頃合いに食べ終える。
「いいよね?」
「いいと思う」
 モモカの短い問いに、イクルもまた端的に答えた。
 二人は乗船前に、いくつかの決め事をしていた。その中に、極力水の国の忍とは接触せず、人道的でない事柄についても多少目を瞑るということがあった。件の海賊についても、それが適用されるかということを確認し合ったのだ。
 器を片付け、二人は余計ないざこざを避けるためにも早々に自室に引っ込んだ。一応個室ではあるものの四畳程度の船室。常に周期的な揺れをしているこの船の中でも船尾に近いこともあってか、モモカの部屋はことさらに揺れる。
 午後になって、揺れは益々大きくなり、雲行きも怪しくなってきた。モモカは自室にじっと佇み、木造の船体が軋む音と波の音だけを聴いていた。やがて波が船体に打ち付ける音に混じり、怒鳴り声が聴こえてくる。正確には、聴こえたような気がしただけだ。モモカは目を閉じて意識を集中させる。しかしなかなか仙術モードにはなれなかった。もしかしたら、とは思っていたが、大地を離れた海上では上手いこと自然と一体化出来ないのだ。モモカが仙術を習得したクラマ山のエネルギーは、大地と火の力を由来としたもので、水の気とはあまり相性が良くない。なんとなく負の気配は感じるけれどその正確な位置や数までは知ることは叶わなかった。
 集中力を持続したままでさらに小一時間が経ち、船体に衝撃と大きな揺れが起こる。今度こそ、複数人の怒声と叫び声が確かに聴こえた。ついに来た、とモモカは耳を傾ける。足音と気配から、襲撃してきた集団はけっこうな人数がいそうだ。
 海賊はどの程度のところで引き上げるだろうか。金目のものが目的だろうから奪えるだけ奪えば去るだろうが――何人かは殺されるかもしれない――しかし海賊の中に好んで殺生を行う者がいれば――あるいは痕跡を残さず船を沈没させるかもしれない――ここまで陸が近付いていれば自分達はイクルの忍鳥でどうにでも逃げられる――この天候だから海賊たちだって長居はしたくないはずだからそこまで深追いはしないだろう――……。
 考えを巡らすモモカの耳に、泣き声が届いた。幼い子供の声だった。
 モモカは乗客の中に親子連れがいたことを思い出し、閉じていた目を開く。すっくと立ち上がり狭い船室を横切ると何の躊躇もなくドアを開けた。
 廊下に出たところで、ほぼ同時に隣の部屋からイクルが出てきた。二人は一瞬見つめ合い、そしてイクルは軽く笑う。
「……どこまでいっても、僕ら同じだね」
 イクルの気恥ずかしそうな表情に、モモカも照れ笑いで頭を掻いた。
「放っておけないよ、やっぱり」
 イクルは頷く。たとえ敵対する国の者であっても、一般人に、ましてや子供に罪はない。イクルも同じ考えで、同じ感情を抱いて、同じだけの甘さを持ち合わせていることが、モモカは嬉しかった。
 二人は目配せし合い、走り出す。舵効きを失った船体は今までとは違う不規則な揺れに変わっていた。モモカ達は客室を端から端まで駆け抜けて、襲われている乗客がいれば海賊を倒して回った。賊は大きな刀を一様に持っていて、それなりの手練れである。二人の敵ではないけれど、思った以上に厄介な海賊団かもしれない。
 下の船室から一番船首まで辿り着き、さらに一階層登りまた船尾側まで抜けて、二人が倒した賊は五人だった。モモカ達の聞いた泣き声の子供も無事で、モモカはホッとする。居住区を抜けた後は暴露甲板上に出た。そこではこの船に乗船していた十名程の忍と海賊たちが入り乱れて戦闘を繰り広げていた。戦力は拮抗していて、数は海賊の方が多い。状況は悪そうだ。船腹には大きな銛が三つ刺さっていて、索を辿ると横付けされて大きな海賊船に繋がっている。
 戦乱の中にモモカは飛び出し、イクルは印を結んだ。混乱を極める甲板上を駆け抜けるモモカは効率よく、なおかつ確実に、海賊を倒していく。イクルは巻物から口寄せした忍鳥といくつもの術を駆使してモモカの援護に回った。戦っている相手が倒れていくことに、最初この船の忍達も状況が掴めずに呆気に取られていた。しかしそのうちに、見慣れぬ二人組の若者が海賊を次から次へと倒していることに気付くと俄かにざわつき始める。
(誰だあれは)
(たしか怪しい二人組だった)
(恐ろしく強い)
(どこの者だ)
(敵なのか味方なのか)
 海賊の数が減っていく安堵と二人に向けた疑惑、戦闘の興奮とが同化を通じてモモカに伝わってきた。
 海賊の数が残りわずかになり、しかし息をつく間もなく横付けされた海賊船から新たな賊が飛び移ってくる。賊たちはこの船の一番の戦力であるモモカとイクル、それから一人の若い忍のところへばらけて散った。それぞれ五人ぐらいずつだ。若い男は眼鏡をかけた短髪の忍で、気弱そうな顔つきとは裏腹に先ほどから身の丈ほどもありそうな大刀を振り回している。その太刀筋は、どこか干柿鬼鮫を思わせた。
 モモカは難なく新たな刺客を倒したが、しかしイクルの方も接近戦にもつれ込んでいるのを認めて少し気持ちが焦る。イクルは典型的な中・遠距離タイプで接近戦は苦手とするところなのだ。ましてやここ数カ月は監禁生活で勘も鈍っているはずだ――しかしモモカの心配を余所に、イクルの周囲の敵が倒れていく。今まさにイクルに向けて踏み出そうとしていたモモカは、イクルの両の手を覆う鋭利なチャクラを凝視した。手のひらよりも一回り大きいくらいで範囲は広くないが、刃物のようなチャクラだ。まるで医療行為に用いるメスのように尖らせたそれで確実に人体の急所を狙う技――モモカには見覚えがあった――そうだ、あれはカブトの技だ――そうか、イクルはカブトの技術も仕込まれていたのか――――。
「長十郎!」
 切羽詰まった叫び声にモモカは振り向く。眼鏡をかけた青年が賊に囲まれて蹲っていた。右肩には胡桃大の風穴が開いている。敵の攻撃にやられたみたいだ。
 モモカの目から見ても、長十郎という青年はこの船に乗り込んでいる忍の中で最も強い男だった。その彼が不意を突かれたとはいえ攻撃を喰らい、浅いとは言えぬ傷を負い膝を付いているのだから、他の者の動揺も仕方のないことかもしれない。
 モモカは一足飛びで長十郎と呼ばれた男の元へ寄った。周囲を囲む海賊は五人。モモカの左手からばちばちとけたたましい音と光が轟き、一突きで三人を貫く。残る二人も倒さんと向きを変えたところで、その二人が吹っ飛んだ。モモカは既のところで立ち止まる。いや、吹っ飛んだのは上半身だけだ。下半身を残して腰から上は切り離され、ものの見事に散った。それをしたのは大きな刀だった。今の今まで生きていた人間の体を真っ二つに切り裂き、ただの肉片へと変える太刀を振るったのは、肩に風穴を開けられた長十郎だ。気弱そうな表情はそのままに、しかし痛みにしかめた顔の眼光の鋭さは、ともすればモモカごと切断する気概が窺えた。モモカは突進の勢いを殺して退き、飛び散る肉片と鮮血の向こうの奥に確かな非常な忍のきらめきを見た。わずか一刹那の遅れが致命的な誤りに繋がることを知っている、忍の眼だ。モモカは目の鼻と先で飛び散るいくつもの肉片を眺めながら、長十郎という男を観察した。
 気弱そうな表情はきっと彼本来のもの。それとは裏腹な有無を言わさぬ太刀筋はこの国の厳格さによるもの。そしてそれを実行する冷酷さは、彼の血反吐を吐くような努力によるもの――長十郎という青年の人となりを冷静に分析したモモカは、彼が唐突に吹っ飛ぶのを見た。残った海賊による強烈な水遁の海流による攻撃で――長十郎の身体は、いとも簡単に舷外に飛び出る。右肩に風穴を開けられ、そこからさらに大技を繰り出した長十郎に敵の攻撃を避けるだけの体力は残っていないらしい。モモカは少しの迷いもなしに、飛び出した。
「長十郎!」
「モモカ!」
 水の国の男達がどよめくなか、イクルだけがモモカの名を呼ぶ。モモカは荒れた海上に放り出された長十郎の足首を掴んだ。ぐいと引っ張られる感覚がして、モモカの体は長十郎ごと元の船体に引き寄せられる。イクルの水遁の忍術と――忍鳥達の誘導だ。さすがに周囲を海で囲まれているだけあって、イクルの水遁はかなりの大きさだった。水遁の波に押し上げられたところを忍鳥の中でも最も大きい鷲が回収し船上に落とす。モモカはぐったりとした長十郎を器用に抱えて軽く甲板上に降り立った。そしてすぐに海賊船から繋がれていた策が断ち切られていることに気付く。うねりの中を海賊船がゆっくり離れ、距離を取ると一気に速力を上げて走り出した。勝ち目がないと悟ったのだろう。逃亡だ。
 降り立ったモモカと長十郎に周囲から男達が駆け寄ってくる。モモカから長十郎をひったくるように奪い、長十郎は痛みに呻き声をあげた。一人の男が血で濡れた刀をモモカに向けた。
「他国の忍だな――何の目的でこの船に乗っていた。海賊どもの仲間か? それともスパイか?」
 切っ先をモモカに向けるその男もまた、怪我をしていた。利き手と逆側がべったりと血に濡れている。
「この国では、恩人に対して武器を向けるのが礼儀なのかな」
 イクルがモモカを囲む男達の間に割り行って言い放った。
「黙れ! 質問に答えろ!」
 怒鳴る男にイクルは肩を竦める。
「僕らは海賊じゃあないし、この船の財にも人命にも興味はない。でも出自だとか目的は言えないし答える義理もない」
 淡々と答えるイクルに更なる怒声が飛び交う。意識を失っている長十郎という青年が小さなうめき声を漏らしたのに、モモカだけが気が付いた。
 モモカは自分に向けられた刀を刃ごと掴み、徐に立ち上がる。鋭利なそれを掴む白い手には当然血が滲んだが、気にする風でもなく男達を見据えるモモカに、水の国の忍はたじろいだ。
「私達は木の葉の忍だ。行方の分からない大切な仲間を探すために、霧隠を目指している」
 固唾を飲んで聞き入っていた男達だが、“木の葉”という言葉にどよめき立つ。
「木の葉だと?!」
「俺の兄弟は昔、木の葉の忍に殺された!」
「その仲間が里に手引きしているのか!」
「スパイだ!」
 聞く耳をまるでもたない男達にイクルは呆れた目を向けた。
「いいんだよイクル。仲間に会いに来ただけだ。何もやましいことなんてない」
「モモカの理屈ではそうさ。でも彼らの理屈は違うようだよ」
 イクルはモモカを咎めるようにため息を吐く。モモカは頭を振った。
「私達の理屈も、彼らの通すべき筋も、今は後回しでいい。それよりもまずは、怪我人の手当てを優先させるべきだ――特にそこの彼――かなりチャクラが弱まっている」
 モモカは少し声を張り上げて、男達はハッとした。毛布で包まれているものの冷たい甲板上に蹲る長十郎という青年の肩には立派な風穴が貫通しているのだ。
「治せる?」
 モモカの問いにイクルはことさらに大きなため息を吐いた。
「見くびらないでよ。朝飯前だ」
 やはりモモカの見立て通り、イクルはカブトから医療忍術も叩き込まれていたのだ。元々、里からも医療忍者になる道を勧められていた彼のことだ、適正はあったのだ。
 水の国の男達に迷いが生じた。怪しい二人組に長十郎を任せて良いのかという疑心。しかし、恐らく医療忍者の乗船していない本船ではたしてどれだけの応急処置が出来るのかという懸念。それらが手に取るように分かって、モモカはさらに言葉を続ける。
「それに怪我をしたのは忍だけではない……下の船室でも、怪我をしている一般人を何人も見た。いつだって戦を始めるのは忍で、そしてその犠牲になるのは毎日を慎ましく過ごしている非戦闘員だ」
 その言葉には誰しもが心当たりがあるだろう。半数の者は口を噤み、残り半数は偉そうなことを言うな、とモモカに詰め寄った。目と鼻の先に激高した男の顔が近付いて、モモカが冷静に言い返そうとしたところで、か弱い、しかしよく響く声が届く。
「あの……その人は私達を助けてくださいました……!」
 若い女だった。震える腕で幼い子の手を引いている。モモカ達が助けた一般客のうちの一人だ。
「主人は私とこの子の盾になって海賊に切られました……あわや私達も、というところでその方々が海賊を倒してくださったのです……。お願いです、主人をどうか、助けてください。私は、その木の葉の若い忍のことを、信じています」
 若い母親の必死の訴えに、水の国の忍達は顔を見合わせた。動揺が広がっている。
「お願いです。怪我人を、治療させてください。それが一旦手を差し伸べた者の、義務だと思うから――私達に、手助けをさせてください」
 モモカは深々と頭を下げた。武器と敵意を向けられた状況で、その強さを持ってすれば恐らくこの船の乗組員など簡単に始末できるだろう実力を持った木の葉の若いくノ一の姿に、誰も反論することは出来なかった。
「……分かった」
 年長者らしい男がその手から刀の柄を離し、甲板上に転がって硬質な音が鳴る。
「恥を忍んでお願いしたい――どうか、我々の同胞を救ってほしい」
 それを皮切りに男達は武器を手放し、あちこちで乾いた金属音が鳴り響いた。


「やれやれ……お人好しなところは全く変わっていないし、むしろ質が悪くなっているような気もするね?」
 最も重傷を負った長十郎の治療をひとまず終えて、イクルがチクリと小言を挟んだ。長十郎の右肩に開いていた穴は埋まり、薄皮一枚だけのピンク色の肉が露出していた。モモカは苦笑いで洗い桶を傍らに置く。イクルのテキパキとした指示で、運航に携わらない全ての人間が目まぐるしく動いていた。
「誰の影響だか」
 含みのあるイクルの言葉にモモカはわずかに口を尖らせる。確かに、モモカのこのお節介はきっと、後天的なものだ。それは自来也であり綱手ありアスマであり、そして何よりカカシの影響するところが大きかった。イクルとトウキと離れ離れになったこの二年の歳月の中でモモカの中に根付いた義理と人情だ。
 イクルが一般客の治療を始めたので、モモカはそれについて反論することは出来なかった。イクルは自分達よりも遥かに年上の水の国の忍にも臆せず、次から次へと指示を出していく。イクル自身も怪我人をどんどん捌いていき、その日の日没にはひとまずの蹴りがついていた。
「お疲れ様、ありがとう」
 モモカの労りにイクルは恨みがましい目を向ける。
「モモカのそういうところが僕は好きだし尊く思っているけど、しかしいくら人助けをしたからといって僕らの安全が保障されるわけじゃない」
 イクルは疲れで凝り固まった眉間を指で揉みほぐしながら言った。
「素性を明かしたことによって何段階もリスクは増えたし……向こうに着いてからも行動しづらくなる……モモカも承知の上だろうけど。しかし木の葉の監禁から抜け出してきたばっかりだっていうのに、今度は霧隠で捕えられるのはまっぴらご免だよ」
 イクルは相当疲労が溜まっているのだろう。ネチネチと小言を漏らす。しかし彼の言う事は正論も正論なので、モモカは何も言えずに苦笑するしかなかった。
 二人が寛ぐ休憩室のドアを控えめにノックする音がして、モモカ達は顔を上げる。入ってきたのは年長者らしき忍、モモカに刀を向けた忍、そしてついさっきイクルが治療した長十郎という青年だ。肩を支えられながら青い顔をしていた。穴が塞がったとはいえあれだけの怪我だったのだ。無理もない。
 水の国の男達は部屋に入るとモモカ達に礼を述べた。
「我々の為に賊と戦ってくれたこと、そして怪我人の治療……深く感謝する」
 立ったままで、しかし頭を決して下げることのない男達をしみじみと観察しながらイクルは「いえ」と答える。
「おかげで大事なものを失わずに済んだ。ここにいる長十郎は若いが実力のある霧隠の上忍で、将来の里を引っ張て行く才能ある男なんだ」
「そうですか」
 イクルの声は穏やかだが、モモカには彼の考えていることが分かった。彼らの“大事なもの”は、結局のところ戦力なのだ。
「だがやはり得体の知れないそなた達のことを手放しで里に歓迎することは出来ん。詳細を聞かせてもらいたい」
 イクルがわずかに口の端を上げた。それが嘲笑だと水の国の男達には気付かない程度の些細な変化だった。モモカは元より素直に話すつもりでいたけれど、イクルが止めるかもしれない。
 ぼんやりと今後の成り行きを予想していると、体を支えられていた長十郎が、男の手を払いのけて膝を付いた。最初モモカは彼が痛みに耐えきれずに崩れたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「……助けていただいた身の上での無礼をお許しください」
 彼は痛みに顔を顰めながらも、両手を床について頭を下げた。男達が慌ててその肩を掴む。
「長十郎、何を――お前は今や水影様の付人で、つまりそれは里を代表する顔でもあるわけで――」
「なればこそ」
 気弱そうな表情とは裏腹に長十郎は震える声を大きくさせた。
「僕らがここでしたことが――取った態度や口にした言葉が――里を追い込む結果にもなりえませんか? 僕はかつての大戦を知らない……。少しでも、争いの芽を摘みたい、と思うのは僕が甘ちゃんの若造だからでしょうか。そして何より――僕は、霧隠の忍が恩人に武器を向けるような――そんな恥知らずとは、思われたくない」
 長十郎の訴えに男達は口を噤む。モモカはにっこりと微笑んだ。
「顔を上げてください」
 長十郎がおずおずと顔を上げる。気弱そうな瞳と目が合い、モモカと長十郎は正面から見つめ合った。
「私はモモカ。こっちはイクル。私達は自分達の忍道に従ったまでです。誰かの感謝や謝罪が欲しくてしたことじゃない。あえて言うならば――探している仲間に会えた時に、胸を張れないようなことはしたくないんです」
 隣でイクルがため息を吐く気配がした。
「少なくとも、この国の“若い”忍には有望な者がいると十分分かりました。歳はいくつです?」
 イクルが少しの皮肉を込めて言う。長十郎は二人が怒っていないことに心底ほっとしたようでその表情も幾分和らいだ。
「あ……えっと、十九になります」
 気さくなその表情にモモカも肩の力を抜く。
「なんだ、同い年か。いい友達になれそうだよ」
「……友達?」
 予想だにしていなかった言葉に、長十郎は呆気に取られた。そして気恥ずかしそうに微笑む。年配の男達は若い忍達の会話に居心地が悪そうにしていたが、イクルが絶妙なタイミングで腰掛けるように勧めた。
 モモカは成り行きを霧隠の忍達に聞かせた。二年半前、中忍だったモモカ達がスリーマンセルの任務中に大蛇丸と暁に遭遇し、戦闘の末に散り散りになったこと。最近になってイクルと再会できたが、もう一人の行方は知れず、生死さえも分からないこと。わずかな望みをかけて水の国に来たこと。
 霧隠の男達はモモカ達が大蛇丸や暁との戦闘を経験していることに、むしろ興味がありそうだった。それでもなお生き残っているのだから、それは強いはずだと妙に納得した様子で頷く。
「あの大蛇丸や暁と……」
 モモカに刀を向けた男が口の中で唸った。彼らの中でも別格に、凶悪な存在なのだろう。
「……それで、あなた達が探しているという仲間の名前は何というのですか? もしかしたら里に戻って聞いてみたら何か分かるかも」
 長十郎が頼りなさげな顔で尋ねた。
「トウキという男です」
 しかし何の気なしに口に出したモモカの答えに、あからさまに霧隠の忍達はどよめいた。
「トウキ……トウキだって……?!」
「まさかあのトウキか……?!」
「た、大変だ」
 長十郎まで頭を抱えて狼狽えるものだから、モモカ達の方が面食らってしまった。
「トウキを知っているの――? ねえ、トウキは生きているの?」
 慌ててモモカは聞く。本当にトウキは生きているかもしれない――希望の光が見えたのだ――イクルの見立て見通りこの国に流れ着いて――しかし彼らの反応は一体どういうことなのか。トウキは、今、どこでどんな目に遭っているのだろう。モモカは嫌な予想をした。その脳裏には木の葉で拘束されていた時の痛ましいイクルの姿が過った。しかしモモカの質問に対する男達の答えは、モモカの予想の斜め上をいくものだった。
「生きているのかだって? もしそなた達の言うトウキがあのトウキならば――あの男は死んでも死なん!」
 言い切る男の言葉にモモカは目を点にさせる。終始冷静でいたイクルですらも、戸惑っていた。
「……それはどういう――」
 モモカの問いかけに長十郎は頭を振る。
「ええと、何て言うかトウキはつい最近霧隠に流れ着いた浮浪者崩れの男なんですが……貧困層の者を集めて、一種の、その、ギャングのような集団を瞬く間に作り上げて、里としても手を焼いていて」
 長十郎に続き憤慨した様子で年長者の忍も次々と文句を垂れた。
「けしからんことに霧隠の若いもんの中にはあやつに憧れるもんまで出てきおってな――犯罪者すれすれの男だというのに――全く、思慮の浅い若造は――!」
「それに軽薄なあやつは、器量の良い女を見れば口説いてまわる始末で――!」
 モモカとイクルが思わず顔を見合わせた。
 間違いない。トウキだ。
 仲間が生きていることを確信して嬉しいはずなのに、その言われように、どこにいっても破天荒な生き様に、なにより綺麗な女性への軟派な態度に、なんと感想を述べたらいいか分からなくなってしまった。ニヤニヤとした笑いを嫌でも思い浮べることができて、モモカもイクルもむずむずとした思いに口を歪ませるのだった。



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