西の空に明るく金星が輝いて


 綱手達と話した翌日の午後、早速イクルと会うことになった。
 イクルは木の葉の収容所の奥深くに監視付きで監禁されている。モモカが彼と面会するにあたっても、何人か随行人を付けることが条件だった。
「カカシが申し出たぞ」
 病室で準備をするモモカに綱手が言った。
「……カカシさんが?」
「ああ、奴は上層部からの信頼も厚いし、なおかつイクルとの面識もあるし、打ってつけだ」
 モモカはカカシの申し出が嬉しくもあり複雑でもある。カカシはどういうつもりで、随行を申し出たのだろう。イクルやモモカを心配する以上に木の葉の忍としての使命が見え隠れして、そんなカカシには会いたくなかった。
「それと、カカシの他にはシズネ、あとはダンゾウの配下のフーという男が同行する」
 モモカは静かに頷く。ダンゾウの配下が来るということは、下手な話は出来ないがそれも覚悟の上だ。

 約束の時間になって、カカシとシズネが連れ立って病室を訪れた。カカシに会うたびにどぎまぎしていたモモカも、今日ばかりは沈んだ顔を明るく取り繕うことはできない。カカシもモモカの心中を察してか、余計な口は利かなかった。仰々しくギブスを付けられた姿でイクルに会いに行くのは嫌だったけれど綱手の手前、外すことは憚れた。カカシとシズネに気を使わせないよう、ずきずき痛む腹部を無視しながら病院を出て、収容所へ向かう。煉瓦造りの収容所に入ってすぐのところで今度はダンゾウの配下だというフーという男と合流した。彼も山中一族の者であるらしく、モモカやイクルが何かおかしな言動をすればすぐに探る心積もりでいるに違いなかった。
 フーという男は明らかにモモカを避けていた。自己紹介時の握手でさえも拒んでいた。
「……ダンゾウ様からあなたには触れるな、という命ですので」
 傷の痛みによろけたモモカをひょいと避けてフーが言う。見たところモモカと同じくらいの歳であろうが、徹底した根の教育方針が根付いているような男だ。人の心を覗ける同化の力が明るみになった以上、それが当たり前の反応なのだ。自分自身に言い聞かせるモモカの肩を、抱く腕があった。カカシだ。彼はよろけるモモカを支えて、ともすればあてつけるかのようにフーに笑って見せた。
「恐れることなんて何もない。ここにいるのは、泣き虫で、仲間想いで、少しばかり食い意地の張った、木の葉のくノ一――我々の仲間です」
 モモカはカカシの言葉が嬉しかった。嬉しかったけれどお礼を言う事は出来なかった。だって、モモカを仲間だと言うなら、それならば、イクルは? こんな奥深くに監禁され、きつい尋問を受けているイクルは? 彼が二年半もの歳月を大蛇丸の元で過ごしたことを考えれば仕方ないのだろう。カカシも、シズネも、里長である綱手でさえも、簡単にイクルを解放できるわけではない。そんなことは分かり切っているけれど、それでもモモカには朗らかに笑って、彼らに感謝の言葉を述べることは出来なかった。カカシとだけは、あらゆる打算の外で触れあっていたかった。

 収容所の地下三階にイクルは監禁されているという。もともと薄暗い建物だったけれど地下となれば日も入らずなおのこと陰鬱として、まだ残暑厳しい時分だというのに肌寒さすらあった。古い収容所の階段は狭く急で、モモカは傷の痛みに顔をしかめながらのろのろと下る。カカシもシズネも文句ひとつ言わずに、脇から支えてくれた。
 地下三階の最奥の扉の向こうがイクルの収容されている部屋だ。鉄製の扉はやはり古いが重く、厳重な鍵が付いている。案内の者が鍵に複雑な操作をいくつも加えて、金属音とともに解錠された。
 錆びた音が響いて重い扉が開く。部屋の中にも灯りはあるがその光源は廊下よりも暗いため、開いた扉の隙間から線のように灯りが漏れ入った。部屋の中には何もなかった。ただ一つのもの以外は、何もなかった。
 だだっ広い部屋の中央にはぽつねんと椅子があって、そこには囚われたイクルが座っていた。目隠しをされて、拘束衣によって身じろぎ一つせずに座らせられている――夢にまで見た――何に代えてももう一度会いたいとモモカが切に願った仲間――イクルが、今まさに目の前にいた。
 拘束衣は袖が長いジャケット状のもので、両腕は袖ごと身体の前で固定され背中の方でベルトを締めてその自由を奪っている。足枷と目隠しの他にも口枷が付けられて奪われているのは視界も言葉もだ。両脇には警備の者が二人立った。
 正真正銘、犯罪者の格好をさせられたその姿に、モモカは絶句した。覚悟はしていたはずなのに、いざイクルのこんな姿を見てしまうと手足が痺れたように力が入らず、頭も真っ白になる。モモカの記憶の中のイクルは良家の息子で品があって、柔らかく微笑んで、たまには勝気な顔をしてみせる、己の才能を信じて進む賢く強い男だった。今は全ての自由を奪われ、綺麗だった髪は汚らしくぼさぼさになって、僅かに覗く肌には包帯が巻かれている。ただひたすらにその姿が痛々しく、悲しかった。
 警備の者が何か注意を促すようにイクルに耳打ちし、口枷を外した。陶器のような白い肌は首元から右頬にかけて包帯が巻かれて、僅かに覗く唇は爛れていた。火傷の痕だ。自来也の言っていた、負わせた怪我はこれかとモモカは気付く。叫び出したくなるのをモモカは懸命に堪えた。続いて目隠しも外して、イクルの色素の薄い瞳が露わになる。初めそれは突然の光に焦点が定まっておらず、ぼんやりと床の辺りを見つめていた。生気のない顔はまるでイクルが物言わぬ人形になってしまったかのような錯覚をモモカに与える。
「……イクル」
 冷静に声を出したつもりだけれど、どうしたってモモカの声は震えていた。
 イクルの伏せた睫毛がモモカの声に呼応するように震えて、ゆっくりと視線が上がる。光のない瞳が這いずり上がってくるのをスローモーションのように見ながらモモカは息を詰めていた。モモカとイクルの視線が交わる。その瞬間、真っ暗だったイクルの瞳にさっと光が宿った。確かにイクルの瞳の中に、モモカは光を見た。
「モモカ……」
 イクルの声は出し方を忘れたみたいに掠れていた。その声を聞いたら、泣くまいと決めていた心が揺らいで、目頭が熱くなった。
「……よかった……モモカ……本当に生きていたんだね……」
 イクルの口元が綻んで、とうとうモモカの頬を涙が伝う。モモカが思ったことを、等しく同じようにイクルも思っていたのだ。
 モモカは膝を付く。警備の忍がそれ以上イクルに近付かないように制するようにその肩を押さえた。
「触るな」
 静かに怒りの滲んだ声で言い放ったのはカカシだ。警備の忍はカカシのその険に押されて思わずたじろぐ。
「ごめん……イクル……本当に……」
 俯きモモカが咽び泣く。自分一人だけカカシに守ってもらえることさえも情けなかった。
「何故謝るのさ……モモカの雷切がたまたま僕に当たったから? それとも里の上層部が僕一人にこんなに臆病になっているから?」
 イクルの声はイクルのままだった。しかしモモカが顔を上げると、イクルの瞳からはもう光が消えていた。
「面会時間は?」
 イクルがモモカの後ろに控えるカカシ、シズネ、フーを順に見ながら尋ねた。
「十分程度です」
 シズネが答える。イクルは鼻で笑った。
「……何です」
 拘束されているイクルの不遜な態度にシズネが眉根を寄せる。
「いえ、この里がこんなに腑抜けだったとは思わなかったもので。それとも新しい火影ってのが相当な臆病者なのかな?」
 イクルの挑発にシズネは目付きを険しくさせた。
「何を言いますか! こうしてモモカとの面会を取り付けてくれたのは綱手様その人です」
「そうですね。それではその偉大な綱手様に頂いた貴重な面会の時間をモモカに割きたい」
 イクルの減らず口にシズネは口を噤む。何故イクルはこんなにも安い挑発をするのだろう。拘束と厳しい尋問にやけになっているのかもしれなかった。イクルは拘束されたままで、しかし落ち着いた態度でモモカに向き直る。
「モモカ、どこまで聞いている?」
 質問したのはむしろイクルの方だった。
「イクルが大蛇丸の元で捕虜になって実験を手伝わされたりしたって……カブトがダメになった時の保険の為だと……私はてっきりあの時イクルを……殺したのだと……」
 涙に濡れた顔でモモカが答える。
「そうだね。その通りだ。僕は死ぬところだったけど、あわやの所で大蛇丸に蘇生された。非合法の薬や術もたくさん投与されたけどね。そして大蛇丸の手先となって死体の処理や人体実験、術の開発なんかに携わっていたんだ」
 まるで天気の話をするかのような穏やかな口調でイクルは言った。モモカは包帯だらけの生気のない青白い顔を凝視する。
「人体……実験……」
 モモカはいくつものアジトで見てきたその痕跡を思い出す。おぞましい場所だった。
「そう。人体実験。たくさん殺したよ。それこそ木の葉の忍でさえも」
「貴様!!」
 黙って話を聞いていたフーが声をあげた。彼は根の者らしく感情を巧みに隠してはいるが、里を想う気持ちは間違いなくあるらしい。なおかつまだ年若いこともあって憤りを抑えることが出来ていなかった。
「既にあなた方もご存知の情報でしょう、何を今さら」
 イクルが取り留めのないような顔で、しかしどこか見下すように笑う。
「今はモモカとの面会時間のはずだ。あなたとの会話の時間も惜しい」
 強気のイクルにフーも、シズネでさえも、何かを言い返したげだったが、それをカカシは手を上げて制した。もちろん彼だって思う所は多分にあるはずなのだが、この時間はイクルの話したいようにしてやるつもりらしい。
 木の葉の仲間を殺したって、それはイクルは知った上でのことだったのだろうか。仕方なくしたことなのだろうか。それとも全て承知の上で手を下したのだろうか。どうしてこんな禍々しいことを、何でもないように喋るのだろう。
 聞きたいことは山ほどあった。けれど限られた面会時間の中で、優先すべきことは決まっていた。
「……トウキ、は」
 モモカが聞くとイクルは僅かに睫毛を震わせる。
「死んだよ」
 モモカは息を飲む。まさか、本当に――イクルが生きていたから――トウキもきっと生きているものだと――、漠然と、そんな甘い考えでいた。
「実験場にいくつも運ばれてきた死体の中にね……あったんだ、トウキの死体が」
 モモカは恐怖と絶望に慄いてイクルから目が離せないでいた。モモカは目を疑う。あろうことか――トウキの死を語るイクルは――微笑んでいた――……。
「その脚をね……切り落とすように言われた。うずまき一族の肉体は死してなお強力だから、良い材料になる」
 モモカの涙は乾いていた。目の前のイクルが信じられなかった。
「それで、僕は言われるがままに切り落としたよ。もし仮に大蛇丸の使うような蘇生術で息を吹き返したとて……あの脚だ。長くは生き長らえないだろう」
 イクルの口元は微笑んでいるけど瞳は闇のようだった。
「だからモモカの雷切が僕を貫いたことなんて……全部チャラになるくらいのことをしているよ。僕ら、これでおあいこだ」
 モモカは何か言おうと口を開くも、わなわなと震えるだけで言葉にならなかった。少しだけ寂しそうな顔をしてイクルが顔を傾ける。
「軽蔑したかい? 僕のことを」
 モモカはゆるゆると頭を振る。
「分からない……」
「分からない?」
 イクルが意外そうな表情で聞き返す。
「イクルのことが……何を……言いたいのか……」
 モモカは瞬き一つせずにイクルを見つめる。あまりの鬼気迫る瞳に、視線はイクルの方から外された。
「変わったんだよ。僕も……きっとモモカでさえも。昔のようにはいられない」
 自嘲するかのような笑みを浮かべるイクルを見てはいられなかった。

 面会の時間が過ぎるとモモカとイクルはあっという間に引き離された。モモカは抵抗する気力もなく、命じられるままに収容所を出る。
 暗い地下から外に出ると、まだ日はこんなに高かったのかと驚く。もう何時間も、地の底にいるような気になっていた。誰も言葉を発することなく、シズネとフーはそのまま別れた。拘束された忍を目にするのは決して気持ちの良いものではない。それに加えて悪びれもせず大蛇丸に加担したイクルの口ぶりは皆をいたたまれない暗い気持ちにさせた。シズネとフーは後味悪く、それぞれの上司に報告に向かったのだろう。
 カカシと二人きりになってからも、しばらく喋らず、モモカはただ黙々と歩いた。病院に着いて、入院している病室まで戻ってやっとカカシの顔を見る。カカシは悲しみと苦痛を滲ませた目をしていた。モモカの苦しみを、少しでも分かってくれる人がこんなに近くにいたのだ。カカシは何も言わずにモモカに手を伸ばすと正面から抱きしめた。怪我を労わってくれているけれど、それでもやっぱり体は痛んだ。でもそれで良かった。自分だけが、優しさに触れて慰められている状況がモモカは許せなかった。だから少しでも体が痛めつけられれば、少しでも報われるような気になっていた。
 モモカは抱きしめるカカシは何も言わない。いつもと違って少しだけカカシの心が見えた。全てではないが、同化で少し覗けたのだ。モモカを労わる気持ち。可愛がっていた後輩があんな目に合わされて何も出来ないことを無力に思う気持ち。トウキが死んだという事実に対する深い悲しみ。そしてモモカが早まったことをしないかという危惧。
 モモカも何も言わずにただ立ったままで抱き締められるままになっていたが、唐突に腕を突っぱねてカカシから体を離す。
「……心配しないでも、大丈夫です」
 物寂し気なカカシの表情が、今は腹立たしかった。モモカを心配しているのは分かる。分かるけれど、それよりももっと心配なのはきっとモモカやイクルが里に危害を加えないかということだ。そう思うのは木の葉の忍として、モモカ達の先輩として当たり前のことだが、モモカはカカシのことになるとそういう打算的な面はどうも受け入れることが出来なかった。何の裏表もなく、純粋な気持ちでモモカやイクルを思っているのなら、心を隠すことはしないはずだ。カカシはフーに対してモモカを庇うようなことを言ってくれたけれど、モモカに触れる時は同化を拒んで、やっていることはカカシも同じじゃないのか。
「無理するなよ……」
 カカシは物寂しい表情のまま、病室を後にした。

 その日の夕方になって、今度は自来也が訪ねてきた。モモカは無理して体を動かしたことがたたってか、熱が出ていた。しかし窓からするりと病室に入ってきた自来也を見て慌てて体を起こす。
「多少火傷の痕は残るが、後遺症もなく治るそうだ」
 入ってくるなり自来也は言った。イクルの怪我のことだ。
「ガマの炎に焼かれた傷を……綱手様が直々に治療してくださったと聞きました」
 きっと自来也がそうするように取り計らってくれたのだろうと、モモカはこの時になってようやく気付いた。自来也はモモカのベッドに腰掛け夕焼けに染まる空を眺める。
「……思いつめた顔をしておるの」
 自来也の言葉にモモカは俯く。自来也はそっとモモカの肩に大きくて暖かな手を乗せた。カカシとは違い一切の秘匿もなしに、ありのままの心が流れ込んでくる。モモカはその中にかつて里を抜けて、自来也を始め多くの者を傷付けてきた大蛇丸を見た。そして同じく里抜けしたサスケと彼に傷付けられたナルトを見た。イクルも、彼らと一緒なのだろうか。いつか――この里に仇なす存在となってしまうのだろうか。
「……自来也様……分からないんです……」
 モモカは消え入りそうな声で呟く。
「一度は死んだと思っていた仲間が実は生きていて……それだけを希望に走り続けてきました。あんなに会いたいと願って、生きてさえいてくれたらそれでいいと思っていたはずなのに……いざイクルと会うと……彼が分からない……」
 自来也はモモカの言葉を遮ることなくじっと耳を傾けていた。
「イクルは何を思っているのか……どうしてあんな風に……トウキの死を、木の葉の仲間たちの死を何でもないように語るのか……。彼は……いつかもっと多くの人々を傷付けるのでしょうか……ダンゾウ様や里の上層部が危惧している通りの……危険人物になってしまうのでしょうか……」
 自分で言葉にしてみると吐きそうだった。イクルが犯罪者のような扱いを受けているのは許せない。けれど今日のイクルの様子を見ればそれもあながち間違いではないかもしれないと、少しでも思ってしまった自分が堪らなく嫌だった。
「ふむ……ワシはあの鳥吉のボウズを詳しくは知らん……から、分からんの」
 自来也はモモカの肩に乗せた手でそっとその背を撫でた。
「だが、お主は違うだろう? 苦楽を共にして、奴を取り返そうと必死になってきたお主が、イクルのことは一番分かっているはずだ。ワシよりも、里の上層部などよりも、それこそイクルの家族よりも」
 モモカは困惑した目で自来也を見上げる。真剣で厳しい忍の目だけど、その触れた手から感じる心はどこまでも優しかった。
「モモカが見たもの、聞いたもの、交わした言葉、感じたこと。それがお主の真実だ。誰かの言葉に惑わされることはない。それがたとえイクル自身の言葉でも。お主は真っ直ぐに、何の空言もなしに人の心を見ることが出来るじゃあないか」
「……でも、今はイクルに触ることができない……」
 戸惑うモモカに自来也は笑う。
「なに、同化能力のことだけを言っているんじゃない。お主の中をしっかり見つめてみるんだ――心の灯る火があるだろう? どんなに悲しくて苦しくても、消えることのない火だ。自分の中に灯る火に偽ることなく、進めばいい。それがイクルを信じることでも、そうでなくても、それがお主の出した答えなら――あとはもう、自分自身でその選択を正解に持っていくしかないんだ」
 モモカは呆然と自来也を見つめた。いつかトウキが言っていたことを思い出した。正解に持っていく――イクルとは触れ合えない状況で――トウキもいない――モモカ一人で、果たして正解とやらに辿り着けるのだろうか。
「さて」
 自来也はモモカの背から手を離し立ち上がる。
「ワシはこの後ちょいと綱手と会い――今夜にでもまた里を発つ」
 物思いに耽っていたモモカは現実に引き戻された。
「発つってどこへ――まさか――」
「うむ。雨隠だ」
 モモカは息を飲む。雨隠は暁のリーダーであるペインという忍が潜伏している最有力候補地だ。閉鎖的で謎に包まれたその地に一人で行くのは余りに危険だ。
「駄目です! 私も一緒に――」
 言いかけるモモカの頭を乱暴に撫でて自来也は大口開けて笑った。
「そんな重傷で、何を言っとる。今のお主に付いてこられても足手まといだからのお――それに――お主にはやるべきことがあるだろう」
 モモカはシーツを握りしめて呼吸を整える。
「せめて……もう少し待ってくれませんか……私がもう少し動けるようになるまで……」
 モモカの申し出に自来也は首を振った。
「そんな心配せんでも大丈夫だ」
 自来也は徐にモモカの左手首を掴んで持ち上げた。しげしげとミサンガを眺めている。
「金糸が織り込んであるな……これを贈ったのはカカシか?」
「え? ……はい、そうですけど……」
 唐突な質問にモモカは困惑したが自来也は満足気に笑った。
「あいつもなかなか古風な真似をするじゃないか」
「……古風?」
 訝し気に聞き返すモモカの質問に自来也は答えることはなかった。納得したかのように首を振り、窓枠に足をかける。
「どんな選択をするもお主次第だが、いいか……決して一人だとは思うなよ」
 日の落ちかけた濃紺とオレンジのグラデーションの空を背景に自来也は振り向いた。その顔は頼もしく、彼から教わったことは何一つとして無駄な物はないのだとモモカは俄かに理解する。
 西の空に明るく金星が輝いて、ひしひしと秋の訪れを感じた。燃えるような夕陽は夜の帳に飲み込まれる。夜はいつだって、未知の世界に旅立つモモカ達を見ていた。



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