刻まれた皺の一つ一つには
木の葉の綱手に報告を終え、自来也と合流すると彼は既に新たな情報を得ていた。ペインという名の忍が暁のリーダーであるらしいということは知っていたが、そのペインの直属の部下が滝隠にいるというものだ。
自来也とモモカは火の国の西端を国境沿いに北上する。南から川の国の谷隠、雨隠、草隠の里とそれぞれ隣接するような場所でどこも治安は良くない。北上するにつれてじめじめした湿地帯から見渡す限りの平野になり、さらに行くと大陸を縦断する大きな河川があってごつごつした岩石地帯となる。緯度が高くさらに標高が上がってきたこともあり、滝隠に着く頃には火の国や風の国とも全く違った植生が見られるようになった。草花の茎や葉は小さく、地表に密着して広がるように生えているものが多い。樹木も背は低く、まばらに生え、岩肌が剥き出しになっているようなところも多くあった。六月も終わりに差し掛かったというのに木の葉よりもぐっと気温は下がり、夏は浅い。
目的の男は滝隠の里に潜伏しているとの情報だ。自来也は里に入り接触することを策した。他里に侵入することはそれが発覚した時のリスクが大きい。しかし木の葉程の大きな隠里ではないし、自来也とモモカの二人であればそう困難なことではなかった。
そしてタイミングの良いことに滝隠では隣国である土との交流祭が行われるというのだ。人の出入りが多くなる分、警備が増える難点はあるが、上手く人混みに紛れればターゲットに近付くことは容易い。祭りの当日、自来也とモモカは昼まで待ってから音もなく里に侵入した。里の出入り口では訪れる人に身分確認をしていたが、二人は変化の術と錯乱の術、それから多少の幻覚を駆使して検査官の目を誤魔化した。
「やっぱり幻術のスキルって必要ですね」
祭り客でごった返す大通りを歩きながらモモカは言う。自来也は苦笑した。
「ワシも苦手だ。ガマに代わりにやってもらわなきゃならんからの」
モモカは自来也が肩に乗せた小さなガマを見上げる。まだ若いガマらしいが、幻術が得意なのだそうだ。
「今日は母ちゃんの手伝いをする約束じゃけえ、もう帰るぞ」
「ああ、姉さんと頭によろしくな」
自来也は肩のガマに笑いかけ、ガマは消えた。不思議そうな顔をするモモカと目が合い、こんな表情をするとまだまだ子供に見えるなと自来也は内心思う。
「姉さんと頭は妙木山の二大仙人だ。仙人モードになる時はその二人を口寄せせねばならんからの……昔から世話になっておる。一人でも自然と融合できるモモカが羨ましいぞ」
自来也は大きな手をモモカの頭に乗せた。突然のことにモモカは驚く。自来也は厳しく、甘えることを許さない雰囲気はあったがそれはモモカをバディとして認めているからこそだ。本来の自来也は懐が広く優しい父性溢れる男なのだろうと、温かい大きな手にモモカはそう感じた。自来也は、モモカに心を読まれることを恐れない数少ない男の一人だった。
「それでその仙術じゃが……どれくらいの時間使える?」
「自然エネルギーを常に自分のものに還元しているので時間の制限はありません。ただし場所の制限はあります。大地と触れあっていなければ自然エネルギーを還元できなくなるので、あっという間に使えなくなります。建物の内部ではまず使用不能と思ってください」
モモカの説明に自来也は「ふむ」と唸る。二人は大通りの脇に逸れて立ち止まり、正面に聳え立つ城を見上げた。かつてこの辺りを治めていた豪族の城だそうで、今は滝隠の主要施設になっている。ターゲットはこの中にいるのだ。
「それじゃあ当初の予定通り……短期決戦で行くぞ」
自来也の言葉にモモカは頷き狐面を付ける。二人は同時に地を蹴った。土煙が舞うも、周囲の人々は既に姿を消した二人の姿を捉えることが出来ず、突然の風に首を傾げた。
城の正面には警備の忍が配置されていたが城壁を伝い上る影に気付くことはない。滑るように駆けあがった二人は四階に相当する櫓の板戸に手をかけた。板戸は角度を持って開けられていとも簡単に内部に侵入できる。自来也、モモカと続き板張りの廊下に降り立つ。廊下を北に向かって進み、途中人の気配があれば二人は天井に張り付き、あるいは柱の陰に身を潜めやり過ごした。誰にも気取られることなく最速で控室に向かい駆け抜ける様は風神と雷神の如き昂然とした気迫がある。
目的の控室に辿り着いた二人は一拍、視線を交わし合い襖に手をかけて中へ入った。控室は八畳ほどの畳張りで男が三人。正面切って侵入してきた自来也とモモカに男達は虚を衝かれ、しかし仮にも一城の警備を任されている忍達だ。彼らはすぐさまクナイや手裏剣を手に臨戦態勢を取る。一人が印を結び始めるも、それが二つ目の印に達しないうちに目の前に現れた自来也達は姿を消す。あ、と思った時には背後にモモカが現れ男の視界はぐるりと反転する。男が喉元の窒息感を覚えて手を伸ばし藻掻いているうちに残る二人も片方は地面に倒れ、もう片方は自来也のガマの大きな下に拘束されていた。
「この男です」
修羅を思わせる身のこなしに似つかわしくない娘の声が言う。狐面で顔は見えないけれどどうやらまだ若い女のようだ――苦しさの中で男が考えているとガマの舌に絡めとられた一人もぐったりとした。狐面を被ったモモカが右腕を軽く振り払い、男は地面に落下する。床に強かに打ち付けながらも息が大分楽になったことに気が付く。首に麻縄が纏わりついていて、どうやら狐面を被ったくノ一に縄で吊られていたらしいことを知る。
「いくつか質問をしよう」
ガマを消して、白髪の大男――自来也が低い声で言った。その背丈の大きさ以上に圧迫感を与えるのは、きっと自来也の持つ山のような雄大で厳かなチャクラのせいだろう。男はぶるりと震え、逃げられるわけがないことを悟りながらもその視線は自然と出入口の襖と窓に向かう。しかしそれを捉えるより速く、背後から腕を捻り上げられる。喉元には小刀の鋭利な切っ先が宛がわれていた。只者じゃない。男は自らの死を予感する。
「お前は暁のペインという男の手先だな?」
自来也の質問はむしろ断定に近かった。男が答えずに黙っていると気にする風もなく自来也は言葉を続ける。
「滝隠に潜伏している目的は? 暁の次の行動は? お前はペインからどんな任務を与えられている?」
畳みかけられる質問に尚も男は黙っていた。
「……死体を運ぶって、どういうこと?」
不意に男の腕を捻り上げるモモカが尋ねる。恐らく首謀者である白髪の男ではなく、その配下であろう狐面が核心を突いたことを言うものだから男は狼狽えた。
「忍がペラペラと、情報を喋るわけないだろう。尋問に耐える訓練だって受けているんだ」
男は懸命に恐怖を振り払って叫ぶ。尋問に耐える訓練を受けていることも、口を割らない自信があることも嘘じゃない。けれど、男の忍としての直感が言っていた。ここで自分は死ぬのだと。実体を持った死を目の前にすると、こんなにも体は震えるものなのだ。震えを誤魔化すように男は腕を捻られたままで狐面に唾を吐いた。モモカの反射神経なら避けることくらい訳なかったが、唾が狐面の右目下に垂れ落ちる。
「用が済んだならもうよいぞ」
自来也が粛然と言った。男はとうとう死を覚悟した。最後の悪あがきで掴まれる腕を払いのけようとするも余計に捻られ、右前腕部が嫌な鈍い音を立てる。
「ぐうう……!」
骨が折れたのだ。痛みに蹲ると首元に冷やりとした固いものを感じる。鋭利な刃物で命を絶たれる気配。すうっと血の気が引いて男は意識を手放した。
「本当に殺してしまうかと思ったぞ」
城から撤退して里の出口に向かいながら自来也は眉を寄せた。モモカは可笑しそうにその顔を見上げる。
「そうなったら自来也様が止めるでしょう」
もちろんモモカに殺すつもりはなかった。それは自来也の意向でもある。先日始末した男達は非武装の民間人の殺人、強盗、そして強姦の前歴があった。放置していれば被害者が増えることは明らかで、モモカは躊躇わずに殺した。しかし必要がなければ、自来也もモモカも極力命までを奪うことはしなかった。忍としては、甘い考えなのかもしれない。だが二人には殺さずに必要な情報を得るだけの実力があった。
「お主の力、綱手の奴が重宝するのも納得だ」
自来也は早くも日が沈み始めた西日に目を細めて言う。この土地の夏の日暮れは、火の国のそれよりもあっという間に気温が下がる。モモカは外套を羽織り直したが自来也はまだまだ平気そうだ。
「その力があれば無理な尋問も必要ないからの。そして何より、お主自身が無益な殺生を好まないからこそ、正しく扱うことが出来ておるんだろうな」
「正しく……扱う……」
自来也の言葉をモモカは繰り返す。正しく扱うということが何を指すかはっきりとは分からないけれど、クラマ山の麓で自然に寄り添う暮らす人々の言う所の、“赤き心”に近いのだろうと思った。
二人は爆竹を門兵のすぐ横に投げ入れる。音は凄まじいが、大した火力のないそこら辺の屋台でも手に入るようなお遊び程度の代物だ。激しい音と土煙に悲鳴と怒声が上がる。警備の目が新たな衝撃に備えて土煙の中に凝らされている隙に、自来也とモモカはするりと塀を登って滝隠の里を出た。
滝隠を離れて小さな湖の畔で休憩がてら情報を整理する。水面には藻が浮かび、ごつごつとした苔むした岩肌がより寒々しい印象を与えた。
「また木の葉に報告に行ってもらおう」
事も無げに自来也は言った。モモカは内心辟易としたが顔には出さなかった。どうもこの男はモモカを忍鳥程度に軽く長距離を行き来するものだと思っている節がある。これだけ重要な情報を、素早く正確に運び、なおかつ敵に襲われても倒れるリスクの少ない強さを持っているのだから致し方ないのかもしれない。
「分かりました――」
モモカは返事をして、言葉を途切れさせる。人の、いや、確かに人なのだけど、人らしからぬ凶悪な気配がした。
自来也を見れば彼も一点を見つめ、緊張をはらんだ顔をしている。彼も良からぬ気配に感付いたみたいだ。
「距離と人数、掴めるか」
短く自来也が問うた。モモカは苔むしてじめっとした地面に両手を付ける。数秒後にはモモカの目の周囲に隈取の赤い紋様が現れた。
「場所が大分良いですから……」
モモカは大地を通して気配を探り、ハッと顔を上げる。引き締まって緊迫しているが、何故だか興奮に心が弾んでいるようにも見える、不可思議な表情だと自来也は感じた。
「二人です。知っている……この気配は、会ったことがある……!」
モモカの口の端が確かににやりとしたのを、自来也は見た。
「うちはイタチだ」
自来也は眉を寄せる。
「ということは連れのもう一人は干柿鬼鮫かの」
「恐らく」
モモカはじっと気配を探り言葉を続けた。
「ほぼ真西からこちらに向かって歩いてきています。このスピードだと十分後には鉢合わせる……気配的には、こちらに気付いてはなさそうです、たぶん」
考えを問うかのようにモモカは自来也を見上げる。しかしモモカは「あっ」と声をあげて再び地面に意識を集中させた。
「気付いたみたいです……こちらの正確な位置までは把握できてないと思いますが……どうします」
モモカの強い瞳に、自来也は顎を手で摩り低く唸る。
「待たずに、進撃しよう」
モモカは頷き、狐面を付けた。
日の差し込まない林の中を選んで走り、モモカは相手も臨戦態勢に入るのをひしひしと感じ取った。イタチ達は決して焦ってなどいない。狼狽えてなどいない。敵の襲撃など彼らは日常茶飯事で、強者としての余裕が窺える。二年半前と、いや、モモカが初めてイタチという化け物に遭遇した八年前と、変わらずに禍々しい気配だ。恐怖がそのまま具現化したような、絶対的強者のチャクラ。
「三秒後に右に跳べ」
自来也が短く命じる。暁の外套を羽織った二人の姿を目視してモモカはひと際強く地面を蹴って突進した。向こうもモモカを確認して身構える。モモカは両手を目一杯振りかざし、数多のクナイを投げる。クナイのうちのいくつかは雷遁を仕込んでいる。受ければ痺れるので、避けるか、または弾くにしてもモモカの込めた雷遁以上のチャクラで弾かなければならない。鬼鮫が印を結んでいるのが見えて、モモカは突進の勢いを回転力に変えてぐるりと体を反転させ右に大きく逸れた。モモカが体を捻って一瞬後に後続の自来也の口寄せしたガマから大きな火炎が吹き出した。ぴったり三秒後だ。
地面に足を付いたモモカは自来也の火炎に大きな水柱がぶつかるのを見た。鬼鮫の水遁だろう。水遁はガマの火炎により瞬く間に大量の蒸気になり周囲一面を覆う。仙術モードのままのモモカは気配だけを頼って蒸気の靄の中に突進した。小刀を突き刺す――鬼鮫がクナイでそれを受け流した――モモカは再び雷遁を流し込む――鬼鮫が怯み、少し離れた位置にいるイタチが術をかける気配がする――モモカは頭一つ分だけ身を屈め、そのすぐ後から大量の毛針千本が最高速度で襲い掛かる。自来也の持つ技の中でも範囲が広く速いものだ。鬼鮫は両腕でガードして何とかやり過ごすが、突き刺さったいくつもの千本によって血が滴っていた。イタチは烏分身により直撃は免れたようで、気配が林側の岩場に移動している。
「……三忍の自来也様と、あの時の小娘とが……まさかこんな息の合ったコンビネーションとはやられましたね」
段々と蒸気の霧が晴れてきて、鬼鮫の縦に長いシルエットと真っ黒な影のようなイタチのシルエットが見えてきた。
「いや息が合う以上の……まるでお互いの意志が分かっているような」
鬼鮫の独り言のような呟きにモモカは唇を噛む。あの一瞬でモモカの動きの奇妙さを捉えるなんて、やはり只者ではない。
「あの隈取を見るに、恐らくその小娘は仙術を使っている」
黒い影のようなイタチが言った。ほう、と鬼鮫が目を細める。今やその表情が見える程に霧は晴れていた。イタチの指摘する通り、モモカは仙術を使って全ての気配を察知していた。それに同化の能力を加えて、自来也の動きを読みながら戦っていたのだ。それを自来也も承知の上でモモカの背後から攻撃をしたのだった。モモカには自来也の動きが手に取るように分かるから、後方からの攻撃も難なく避けることが出来た。
「仙術とは……自来也様の専売特許と思っていましたが」
驚いた顔で鬼鮫がモモカを見つめる。獰猛な鮫の目だ。
「ふん、仙人モードは人相が変わって女にモテなくなるから好かんのじゃ」
自来也は軽口を叩いた。口寄せしたガマは三体になっていた。火炎攻撃用のガマと物理攻撃用のガマ、そして自来也が背に乗れるほどの大きさのガマだ。
「しかしそれは厄介ですね……目を合わせなくても気配が手に取るように分かるということは、あなたの瞳術が効かない」
その言葉とは裏腹に、鬼鮫の表情は全くそうは思っていなさそうだった。モモカはまだイタチの眼を見られずにいたが、彼が動く気配を感じて警戒する。
「万華鏡写輪眼の月読なら、事は簡単だろう」
自来也が煽るように言った。
「それともあれか……カカシの奴が言っておったことは本当のようじゃのぉ」
自来也の言葉にイタチの動きがぴくりと止まる。モモカは怪訝な顔をした。一体何の話だろう。
「その瞳術を使うほどに視力が落ちて……今や戦闘にも支障をきたしているんじゃないのか?」
自来也の言葉に沈黙が流れて、それは肯定の意なのだと分かった。モモカは口をぽかんと開けて、戦闘中だというのに自来也を振り返る。衝撃が走って、けれど自分自身何にショックを受けているのかもすぐには分からなかった。
「たとえ視力が落ちたとしても支障はない……あなた達二人を消すのに」
イタチが低い声で言い放つ。その瞬間にモモカは自分が何に憤っていたのか理解した。イタチはモモカが生まれて初めて出会った化け物級の強さを持った忍だ。カカシもまたモモカに圧倒的な強さを見せつけた忍であるが、しかしカカシの時は命の危険はなかった。トウキとイクルとチームになって、里の外に出て初めて対峙した命を握られる恐怖を与えたのはイタチその人だ。恐怖そのものがもたらす絶望的な狂気。そんな圧倒的な強さを持った忍でさえも倒せるほどに強くなってやる――いつしかモモカの中で、イタチは倒したい男になっていて、モモカの忍として純粋に強さを求める目標にもなっていたのだ。
「視力が落ちて……?」
モモカはわなわなと震える声で繰り返す。モモカの唐突な意味の分からない憤怒に鬼鮫が眉を顰めて、自来也でさえも訝しんでいる気配がした。純粋な気持ちから強さを追っていたあの頃の自分が、裏切られたような気になった。相手は里の敵で、モモカのことを気にかけてやる義理もない犯罪者だというのに、モモカはそう遠くない未来に勝手に戦線を離脱するであろうイタチに、紛れもなく腹が立っていた。
「ふざけるな! 万全の状態で戦え!」
モモカは叫び、あろうことか顔を上げてイタチの目を真っ直ぐに睨む。目と目が合って、イタチが僅かに目を瞠った。読めないモモカの行動と突発的な怒りにモモカ以外の皆が虚を衝かれて動揺していた。
一拍置いて、まずはぬるりとイタチの腕が動く。自来也が何もさせまいと、毛千本を放つ――鬼鮫が大きな忍刀を振りかざす――モモカは地面が揺れるのを感じた。イタチの何かしらの術だ。足場が覚束なくなったところに大きな忍刀が降ってくる。それを紙一重で避け、クナイを投げ、足払いをする。忍刀を振りかぶった体勢の鬼鮫は避けるしかなく後ろに退く。しかしまたすぐに忍刀をモモカに向けて振り下ろした。これは到底小刀では受けきれない――モモカは後ろに跳び、空中で左手に雷切の為の雷遁を溜める――鬼鮫が顔を上げたところで光を拡散させて目くらましをする――イタチの放った火遁の球が数個モモカめがけて飛んでくる――それを体を回転させて外套で払ってやり過ごす――回転したその背後にはすぐに自来也が控えていて――モモカは自来也の背の上を曲芸師のように転げて着地した。着地と共に再び雷切を練る。自来也は既に次の攻撃態勢に入っていた。自来也のガマが大きな刀を鬼鮫に振りかぶる。
鬼鮫は鬼鮫でモモカの雷切に目が眩みながらも数匹のサメを口寄せした。サメ達がガマの四肢に噛み付きその動きは阻まれる――サメが自来也に向かってくる――モモカは左手に雷切の準備をしながらもイタチに向かった――モモカの元へも口寄せされたサメが飛んで行く。
「土遁、黄泉沼!」
自来也が大きな粘着性の沼を出し、鬼鮫のサメどもが飲み込まれた。鬼鮫本人は水遁を出して間一髪の所で沼から逃れている。
モモカはイタチに突進する。鬼鮫は勝負あったな、と思った。仙術が如何ほどのものか知らないが、一対一でやられるほどイタチは甘くない。イタチの写輪眼を持ってすれば速いだけの単純な突きなど容易く避けられる。二人が交わり、確かにイタチはモモカの攻撃を避けた。あとはカウンターで好きなだけいたぶることが出来る。しかし次の瞬間、鬼鮫は驚きに目を見開いた。
イタチとモモカが一瞬で姿を消したのだ。
「時空間忍術か!」
自来也の切羽詰まった言葉に、鬼鮫も合点した。次いで少し離れた木立のさらに向こうでけたたましい雷切の音がした。一番初めにモモカが飛ばしたクナイの中に時空間忍術の術式が施されたものが紛れていたのだ。そして今、モモカはイタチと共にその場所に移動したのだ。しかし、一体――……。
「何のために」
鬼鮫は疑問を口に出す。自来也が深いため息を吐いた。モモカの考えは読めない。しかしあのイタチに一対一で挑むなど、無謀にも程がある。モモカの応援に行かなければ。
「お前には悪いが、さっさと決めさせてもらうぞ」
イタチは雷切を放つモモカの左腕を掴んで放り投げた。
「うわ」
バチバチという雷切のけたたましい音がモモカとともに遠ざかり、岩石地帯の中でも特に大きな岩の上に落下する。収束することのなかった雷切が岩を貫き衝撃音と振動が走る。割れた岩石を眺めながら、これで自来也と鬼鮫も自分達が飛んできた場所が分かっただろうなとイタチは考えた。
土煙の中に、モモカは受け身を取った体勢のままで足を投げ出して座っていた。イタチは目を細めて見つめる。モモカもまたイタチを見返した。
「何を考えている」
モモカに攻撃してくるような気配はなくて、イタチは尋ねる。
モモカは雷切を放ち、カウンターを取ってその腕を掴んだイタチごと時空間忍術で飛んだのだ。この得体の知れない小娘が雷切や仙術に限らず時空間忍術まで扱えていたことよりも、イタチとあえて二人きりになるような状況に持ち込んだことが予想だにしていない出来事だった。何か、理由があるのだろう。
モモカは投げ飛ばされて突発的な怒りが落ち着いたのか、冷静になった頭でイタチを観察する。
「視力が落ちていくとして、その最後の力はサスケのために残しているの?」
モモカの質問にイタチは眉を寄せた。
「……まさかそんなくだらないことを聞くために飛んだのか」
モモカは肩をすくめる。
「うーん、聞きたいことは山ほどあるけど」
その顔は先ほどまでの戦意が嘘のようにあっけらかんとしていた。モモカ自身笑ってしまう程に、怒りが引いていた。投げ飛ばされて冷静になって、けれどまだ確固として広がるイタチとの力の差にますます怒りは湧いて、しかしだからこそ落ち着いていられた。無謀に突っ込んでいくだけでは一生イタチに勝てない。この世界の闇に勝てない。怒りを飲み込み全て受け入れて食らいつくすほどの覚悟がなければ、誰も救えない。きっと、目の前の男でさえも。
「忠告したはずだぞ。あまり余計なことを喋ると寿命を縮めることになると」
イタチは少し苛立っているようにも見えた。しかしこれだけ長い時間目が合っているのに、幻術をかける気配はない。
「それは、ダンゾウ様のこと?」
モモカの問いかけにイタチは黙る。半ば睨むようにしてモモカを眺めた。
「それとも暁のこと?」
モモカのさらなる問いかけにイタチはゆっくり瞬きした。瞳術のせいもあるが人をじっと見つめる癖のあるイタチにしては珍しい仕草だった。
「その奇妙な読心術でどこまで知ったか分からないが――」
イタチは言葉を切って息を吐く。
「……ナルトくんといい、お前といい、木の葉の里は恐いもの知らずの愚かな若者が多いようだ」
「ナルト?」
モモカは聞き返し、そして風影救出の任務の際に彼らがイタチと遭遇していたことを思い出した。何か喋ったのだろうか。
「さらに失ったのか」
唐突に、今度はイタチの方から尋ねた。ナルトに考えを巡らせていたモモカはトウキとイクルのことだと思い至って頷き、しかし力強い瞳で真っ直ぐにイタチを見つめた。
「でもまだ諦めていない。全てを失ったとは思っていない」
モモカの言葉にイタチは再びため息を吐く。ともすれば呆れたような吐息だ。
「……あなただってそうでしょう。何一つ諦めていない。あなたは以前、私には憎しみが足りないから強くなれないといった。失ったものがまだ少ないからもっと失えって。そして憎しみと怒りがあれば強くなれるって。でも違う。あなたが強いのは――まだ諦めていないからだ」
モモカは穏やかに、しかし一切の迷いなく断言した。未来を照らし出す眩い光がその瞳には宿っていた。
モモカ達が元いた場所で衝撃音と土埃が舞う。イタチもモモカもそちらを見た。自来也と鬼鮫が戦っているのだ。
「おしゃべりが……過ぎたな」
イタチは赤い雲の模様の入った黒い外套を翻す。鬼鮫を回収して去るつもりなのだろう。
「また、戦ってくれる?」
モモカは座ったままでイタチを見上げて尋ねた。それはまるで純真無垢な子供のようで、強い相手との戦闘を心待ちにする期待の輝きさえ見て取れた。思わず、イタチの口元が緩んで、ほんの僅かだけれどうっすらと笑みが零れる。
「出来ない約束はしない」
優しい兄の顔にモモカが呆けて見とれているとイタチは烏とともに消えた。自来也達の方に烏の大群が現れ、そして再び消えていく。イタチと鬼鮫は去ったのだ。
「モモカ、無事か?!」
自来也が飛んできて、泡を食って問いかける。モモカは頷き彼はほっと胸を撫でおろした。よく見てみればモモカに傷はない。それどころか周囲の状況もモモカが雷切で切り裂いたであろう岩以外に戦闘の形跡はなく、第一モモカの足を投げ出したように座る姿は戦いの後には到底見えなかった。
「……まさか朗らかにお喋りしていたわけではあるまいな?」
「えっ、あ、いや朗らかではないですけど」
バツが悪そうにモモカは頭を掻く。
「お主なあ、ワシが急いで助けに行こうと鬼鮫と戦っておる時に――!」
自来也が口を尖らせてじとっと睨んだのでモモカは苦笑した。
「あはは……すみません、元はそんなつもりじゃなかったんですけど」
憤慨した自来也だったが、モモカの表情に肩の力を抜いてその隣に腰掛ける。あの状況でイタチとお喋りだなんて、全く底の知れない娘だ。イタチに万全の状態で戦え、と啖呵を切ったこともそうだ。万全の状態のイタチに勝てる忍なんて、そうはいないというのに。
「……で、何か得たものはあったのか?」
自来也の聞き方に、モモカは彼の芯からの優しさを感じ取った。何を話した、でも何が分かった、でもなく得たものがあったのかという質問は、モモカがそこで得た情報を言うも言わないも任せるような含みがる。重大な情報があるかもしれないのに――それだけ、モモカを信頼してくれているのだ。モモカはくすぐったい嬉しさに目を細めた。
「まあ、あるようなないような……少なくとも、新たに暁について分かったことはなかったです」
「そうか」
遠くの空を眺める自来也には、やはり追及するような気配はなかった。湿った風が二人の頭上を通り過ぎて白髪と黒髪を揺らす。もうすぐ雨が降るのかもしれない。
「あの、自来也様。ダンゾウ様ってどんな感じですか」
モモカは聞いておきながら、あまりに抽象的な質問だったなと思う。
「どんなって……そのままだ」
「そのまま?」
自来也は苦い顔をして頷いた。
「モモカが感じたままの、そのままの人物だ」
モモカは考える。ダンゾウについてどんな風に感じているか。里の一大事に手を尽くさないずるい権力者。自らの保身が最優先に見えるけど、里を想う気持ちがないわけでもなさそうでもある。
「そのまま、ですか……」
よく分からなくなってモモカは唸った。自来也は可笑しそうに笑い、立ち上がった。
「さて、木の葉にひとっ走りしてきてもらおう。イタチの件もあるしの。ワシも火の国に入るまでは一緒に行こう」
モモカも立ち上がり、尻の辺りに着いた砂を払う。歩き出してすぐに、自来也が徐にモモカを振り返った。
「……ダンゾウには、気を付けるに越したことはないぞ」
モモカは自来也を見つめて頷く。自来也の顔の、刻まれた皺の一つ一つには、権力者の思惑や大人の事情というものに振り回されてきたやるせなさが滲んでいた。