あるいは恐れを知らぬ無垢な子供のようでもあった
「ただいまぁ」
玄関から聞こえた間延びした声に、食材を切っていた手を止めて顔を上げる。エプロンで手を拭きながら迎えに行くと、仕事帰りの娘がリビングの床に荷物をどさりと置いたところだった。彼女は里に帰ってから暗部に入隊し、そこそこ活躍しているみたいだ。
「あら、お帰りモモカ」
その肌艶が良いことを確認して母はこっそりと胸を撫でおろす。忍でない自分にとってその仕事内容は計り知れないものが多い。暗部に至っては未知の領域だが、その過酷さくらいはこの里に住まう者として承知していた。その上、この娘はついこの間上忍に昇任したのだ。まだ成人前だというのにあっという間に父親を追い抜いてしまった。母の目から見ればまだまだ抜けている所もあるが忍の才能は間違いなく親戚中で一番で、それは彼女の祖父譲りである。
「お風呂入れる?」
「入れるけど時間大丈夫なの? あんた何時に出るのよ」
ぽいぽいと靴下を脱いでくつろぐ娘に、大きくなってもこの子は相変わらずだとつい苦笑する。
「えーっと、七時に四丁目に待ち合わせているから……まだ全然ヘーキ」
ぐでっと行儀悪くソファに座る娘は、ここのところ明るさを取り戻してきた。里に帰ってきた数カ月前は笑いこそすれその表情はどこか暗く、過酷な任務とチームメイトを失った深い傷を心に負っていた。しかしここのところは以前のようなのんびりとして朗らかな雰囲気が戻っている。春ごろからだ。そういえば、外食に出るようになったのも、その為にこうして実家に戻って来ては置いてある姉の服を物色するようになったのもその頃からかもしれない。
風呂から上がり、年の離れた姉(今は嫁ぎ先で暮らしていて家を出ている)の置いていった服を拝借し、身なりを整えるモモカは鼻歌さえ歌っていた。
「今日は誰とご飯だっけ」
機嫌よく鏡台に向かって薄い化粧を施すモモカに尋ねる。我が子が一瞬口をムズムズさせたのを母は見逃さなかった。
「はたけカカシさんて上忍。前にも言ったでしょ」
「ああ、カカシ先生って確かあんた達の最初の試験の時の」
前にも出たことのある名前には聞き覚えがあったが、その顔までは知らない。
「だから先生じゃないってば。その試験の時に落とされてるし。すごい忍なんだよ」
化粧が終わり、今度は髪を結い上げ始めた娘を物珍しい顔で眺める。
「そうみたいねえ。お母さんよく知らないけど、お父さんは知ってるかしら」
「中忍のお父さんが知らないわけないよ。若いけど本当にすごい忍なんだから……ねえ、これちょっと地味かな?」
綺麗に結い上げた髪を見せてモモカは母に尋ねた。
「そうねえ、髪飾りでも付けたら?」
鏡台横の引き出しを開けてやると、娘はうんうん唸りながら吟味を始める。到底、一上司や先輩と食事に行くだけの顔には見えなかった。姉とは正反対で、元々はお洒落に全く興味がなかったのが嘘みたいだ。
「ねえ、お世話になっているならお菓子でも持っていきなさいよ。ちょうどお姉ちゃんとこに渡すのに買ってあった手土産があって……そっちはまた明日買えばいいし」
母の提案に、しかし娘は迷惑そうな顔をした。
「ええ……いいよ、手土産なんて。向こうも構えるだろうし、それに甘いもの食べないし……」
「あらそう? でもあんた、いつもご馳走になってばかりも悪いからちゃんとお礼はしときなさいよ」
「分かってるよー……ね、これはどう?」
口を尖らせながらも、モモカが髪を見せる。結い上げた髪の上に、ハナミズキをモチーフにした控えめな髪飾りが乗っていた。
「うん、いいんじゃない。時期的にもぴったりよ」
母のお墨付きに自信を付けて娘は微笑む。
機嫌よく出かけた娘を見送り、夕食の支度を再開してはたけカカシとは一体どんな男だろう、夫が帰宅したらそれとなく聞いてみようと、そう思った。モモカが明るさを取り戻した理由がその男にあるに違いないと、母親の勘が言っていた。
母親に言われたから、という訳ではないが、モモカは待ち合わせ前に商店街の酒屋に寄って四合瓶の日本酒を購入する。確かに、カカシには何度もご馳走になっているし、モモカが払う時もあるがそれだってカカシの方が多めに出してくれていた。桜はすっかり散って青くなり、相変わらず暗部の仕事は忙しかったが、タイミングが合えば時折カカシとご飯に行くようになっていた。
「はは、全然気を使わないでいいのに。それに今日はモモカの昇任祝いも兼ねてるんだし」
モモカがお酒を渡すとカカシはお礼を言いながら受け取る。その顔が迷惑そうでなくてモモカはホッとした。ご飯に行くようになったと言っても、モモカが少しでも男女の仲としての見返りを求めたらカカシは離れていくに違いない。
二人は美味しい和食が売りの居酒屋に入った。明日も仕事があるけれど、ほっと一息、嗜む程度にお酒も飲んだ。
美味しい食事とお酒に舌鼓を打ちながらも、二人は忍術の話で盛り上がる。特に今日はモモカの時空間忍術の話に花が咲いた。
「ちょっとあれ、カカシ先生とモモカさんじゃない?」
後ろから聞き慣れた声が聴こえる。いののものだ。そして、気配でサクラが一緒だとモモカは分かった。二人は入口近くのテーブル席に座ったみたいだ。
「あの二人ってちょっと怪しいわよねえ」
「ええ、そう……? 仲は良いみたいだけど……モモカさんて私らの三つ上くらいじゃなかったっけ?」
「歳は離れてるけど妙につり合い取れてるような感じしない? モモカさんは暗部だけど同じ上忍同士になったわけだし――今もほら二人ともあんな楽しそうで……ちょっと偵察に行ってくるわ」
「あ、いの、」
くノ一二人の会話を聞くともなしに聞いていると、いのが立ち上がって近付いてきた気配がする。
「せーんせ! モモカさん!」
陽気な声に振り向くと、いのが好奇心に満ちた目で立っていた。
「よっ」
「こんばんは」
カカシとモモカはそれぞれ挨拶を交わす。
「偶然ですねえー!」
いのはにこにことモモカの腰掛けている椅子の背に手をかけて、二人の手元に置かれたものをのぞき込んだ。和気あいあいとした雰囲気からは想像できないものがそこには置かれていて、いのは面食らう。
「いのはサクラと二人?」
「え、あ……はい」
朗らかに聞き返すモモカに、一応頷きながらもいのは机の上のものを怪訝な顔で見つめた。それはびっしりと術式の書かれたクナイと、難解な忍術書と、巻物の数々であった。
「それ……何ですか」
いのが尋ねるとモモカは「これ?」と巻物を示す。
「忍術書と巻物とクナイ。時空間忍術に関するものだけど、どうも上手くいかないことも多くって、カカシさんにアドバイスをもらってたんだ」
嬉しそうなモモカをいのは信じられない気持ちで見つめた。聞いたのは確かにいのだが、男女が二人で食事に来て和気あいあいと話すような内容じゃない。「いのも興味ある?」と朗らかに言うモモカに、いのは丁重にお断りしてサクラのところへ戻った。
「どうだった?」
席に座るなりサクラが聞く。いのは頭を振った。
「信じらんなーい……あの二人、食事しながら忍術談議に花を咲かせてるわよ……色気より食い気、食い気より忍術って感じだわ」
ほろ酔いで居酒屋を出て、モモカとカカシは初夏の夜を並んで歩く。湿度のない爽やかな風はこの季節の特権だ。あとひと月もしないうちに夏の暑さがこの里にも訪れるのだ。
もう少しでカカシに別れを告げる十字路というところで、モモカは靴紐が解けているのに気付いて結び直す。屈んで下を向くその横顔をぼーっと見つめながら待って、カカシは不思議な気分だった。さっきいのが言っていたこともある。カカシとモモカよりも、モモカとサクラやいのの方がずっと年が近いのだ。姿形は大人になっても、やっぱり自分にとっては昔から知っている、子供だ。
靴紐を結び終えたモモカが、顔を上げることなく一点をじっと見つめていることに気付いてカカシは眉を寄せる。
「……モモカ、どうした」
モモカはカカシをちらっと見上げ、またすぐに目の前の地面に視線を戻す。そして両手で地面に触れた。じっと待っていると、モモカの目の周囲が紅く縁取られる。隈取の模様――仙術だ。話には聞いても、実際にこうしてモモカがそれを使うのを初めて見た。どうやら何かの気配を察知して、それを深く探っているらしい。
険しい顔をしていたモモカがふっと口元を緩め、隈取も程なくして消えた。立ち上がったモモカの顔は穏やかで、どうやら危険が迫っているわけではなさそうだ。
「懐かしい人が帰ってきます」
モモカはカカシを見て言った。
「自来也様と、ナルトです。まだ距離はありますが……明日には里に着くでしょう」
モモカの言葉にカカシは大きく目を開く。自来也とともに修行の旅に出たナルトが戻ってくるのは、実に二年ぶりのことだ。
「そうか……帰ってくるか」
カカシは夜空を見上げて呟く。表情は変わらないが声には嬉しさが滲んでいて、モモカまでも嬉しくなった。
翌日朝一番に綱手にそのことを報告すると、まさしく綱手も自来也から報せを受け取った所だという。
「いつも突然なんだ。前もって連絡くらいできるだろうに」
文句を垂れる綱手の顔もまた、嬉しそうだった。ナルトはモモカが記憶していたよりもずっと、里の皆に愛されている。モモカの知らない間に、多くの信頼と絆を掴んできたのだろう。同じように二年間里を離れていたモモカとは大きな違いだった。
その日のモモカは午前中から火の国と砂の国境付近に出現する盗賊団の討伐任務があった。音忍との関係も示唆されていたので暗部のモモカが受け持ったが、ふたを開けてみれば全く関係のないものであった。討伐もあっという間に終わり些か拍子抜けをする。
早く任務が片付いたのを幸いに、モモカは里の南側に足を延ばした。タイミングが良ければ、自来也とナルトを迎えに行けそうだった。
モモカの目論み通り、里から南に約三里の距離で自来也とナルトの姿を確認する。遠目にも自来也は全く変わっていないように見えるが、ナルトはモモカの記憶していたそれよりもずっと背丈が伸びていた。
突然目の前に姿を現したモモカにナルトは臨戦態勢を取ったが――その動作からもナルトの成長が感じられる――自来也はモモカに気付いているらしく、悠々とした仕草で手を上げた。
「ご無沙汰しております」
「久しぶりじゃのぉ、元気か」
挨拶を交わす二人にどうやら敵ではないようだとナルトは警戒を解いたが、それでもモモカが誰だか分からないらしくまじまじと、不躾なまでにその顔を眺める。その表情こそモモカの知っているナルトのものだがこうして近くで見てみると本当に彼の成長は目覚ましく、体格も顔付きも少年のものから確実に大人のものに近付いていた。
「あー! モモカねーちゃんか! 久しぶりだってばよ!」
ようやく気付いたナルトがモモカを指差して声をあげる。
「あはは、やっと気づいた。ナルトは大きくなったね。子供の成長ってのはこうも――」
モモカは笑いながらもふと、いつかカカシに言われたことを思い出した。中忍の時に、久しぶりに会ったカカシに――子供の成長は犬みたいに早い――そう言われたことだ。ちょうどモモカ達が今のナルトくらいの歳の頃だった。今になってしみじみとその気持ちが分かる。ひとかどの大人になったつもりでいても、はた目から見たらこんなにも子供なのだ。
「……暗部に入ったのか」
モモカの腰に下げた狐面を見て、自来也は言った。
「はい。色々とありまして。自来也様にも報告したいことがあります。でもその前に――」
モモカはナルトに向き直る。「ん?」と再会を素直に喜ぶナルトが首を傾げた。
「ナルトの中の九尾の狐は、どこにいるの?」
モモカの質問にナルトの顔から笑みが消えて、彼は訝し気な顔をする。それは自来也も同様であった。
「お主の世代はもう、九尾のことは極秘事項になっているはずだと思っていたがのぉ」
自来也の指摘にモモカは頷く。
「ええ、しかし従わない大人も一定数いて、それがたまたまチームメイトの家だったもので」
モモカの説明に自来也は「鳥吉か」と渋い顔をした。鳥吉という家の薄ら暗い事情はどことなく知っているような反応だ。
「どこにって、そんなの俺も分かんねえってばよ」
「えーっと、じゃあ、ナルトは九尾の力をどこから感じるの?」
モモカの質問の意図がますます分かりかねるようで、ナルトは口をへの字にさせる。
「たぶん、腹の底の方だと思うけど……」
「腹?」
「腹部に封印術を施しておるんだ」
モモカが聞き返すと自来也が補足してくれたが、その顔はやはり懐疑的な色が滲んでいた。「なるほど」とモモカは頷く。
「ちょっと触らせてもらえるかな」
モモカのお願いに、ナルトはたまげて不審に思う気持ちを隠そうともせずにモモカを凝視した。しかし彼は素直に上衣を捲ってみせる。均整の取れた腹筋の上に、渦巻き状の術式が描かれているのをモモカはじっと見つめ、そっと手を触れた。
(柔らかいってばよ)
(変な感じ)
(何がしたいんだ)
ナルトの率直な感想が同化を通して伝わってくる。モモカは集中し、仙人化した。
「お主……!」
自来也がモモカの目の周囲の隈取と纏うチャクラの質に気が付いて驚きの声をあげる。モモカはナルトのずっと奥深くに沈んでいくように、意識を集中させた。暗い通路が見える。牢獄へと続く、広く、冷たく、暗い道だ。これが封印術というものなのか――。しかしその牢獄を探せど探せど、見付からない。通路は複雑で、道しるべがなければ、あるいはナルト自身が呼び寄せなければ其処へたどり着けないようになっているみたいだ。
会えないかもしれないな――。モモカが諦めかけたその時、生温かい突風が吹いた。湿度のあるそれは、まさしく九尾の吐息なのだとすぐに分かった。次いで、地鳴りのような声が響く。
(小娘、こんな所に何の用だ)
九尾だ。しかし通路の奥はずっと暗闇で、その姿は見えない。モモカは咄嗟に語り掛けた。
(あなたがクラマ様ですか)
(その名を呼ぶとは――、貴様誰だ)
(さとりモモカと申します。遥か北の大地にある霊峰クラマ山で仙術の修行を積みました。その地で最上位の眷属である九尾の妖狐――幻とすら言われるあなたに一度でも触れてみたく――)
(ふん、お前なぞ知らぬ)
しかし九尾はモモカに興味が湧かなかったらしく唐突に会話は打ち切られた。モモカの心は暗い通路を逆行するかのように、ぐんぐん後退していく。ものすごい速度で、到底抗うことは出来なかった。九尾の妖狐――クラマが、モモカを追い出したのだ。
「うわっ!」
モモカとナルトは弾かれたようにお互い尻餅をついた。
「いてて……」
ナルトは腹を抱えて唸っていて、モモカは少し申し訳ない気持ちになる。
「あ、ごめん大丈夫?」
手を差し伸ばすと、しかしナルトは勢いよく立ち上がった。
「何だってばよいきなり!」
声を大にして不平を漏らすナルトの元気な様子にモモカはほっとする。
「ごめんごめん……挨拶をしておこうと思って」
「はあ?! 挨拶?」
眉を吊り上げるナルトを見るに、自身の中の九尾との意思疎通は全く取れていないみたいだった。最強の力を持つ妖狐と対話をするなど、土台無理な話なのかもしれない。
「挨拶とはまさか……それにさっきの隈取は……」
自来也がモモカをつぶさに観察して低く呟いた。モモカは頷く。
「仙術を、修得しました」
「なんと……! 一体どこで」
驚く自来也に「里に向かいながらお話しましょう」とモモカはまだ影も見えない里の方を指差した。
「私が修行を積んだのは妙木山のガマの元ではなく、クラマ山という霊峰の狐達の元です」
歩き出しながらモモカは話始める。ナルトも付いて来ながらもまだ腹をさすっていた。
「クラマ山……狐……」
唸る自来也に心当たりはなさそうだ。
「前に言っていた能力の秘密は分かったのか」
「そのクラマ山の麓に住む民族は皆私と同じ能力を当たり前に使っていました。そしてどうやら私の祖父も元はその土地の出身だったようなのです。ただそれが、血に拠るものなのかは分かりません」
モモカの説明を咀嚼するように自来也は宙を睨む。
「ところで、ナルトは九尾の妖狐の名前は知ってる?」
興味なさそうに聞き流していたナルトは突然話を振られて間抜けな顔をした。
「ん? 名前? そんなの考えたこともないってか――、そもそもあんのか?」
びっくりした顔のナルトの反応は、至極当然のものだろう。それだけ九尾の妖狐の存在は謎に包まれたものなのだ。
「さあ……うん、そうだよね」
不思議そうにモモカを見ていたナルトが進行方向に視線を戻して、声をあげた。
「あー!」
指差す方には、ぼんやりと里の遠景が見える。二年ぶりの帰郷に、ナルトの顔はもううずうずとしていた。
「ちんたら歩いてねーで、さっさと行くってばよ」
はしゃぐナルトに、自来也は苦笑する。
「話の続きは、また後でじゃの」
「はい」
既に走り出しているナルトを追って、自来也とモモカも歩を速めた。
ナルトは里に着くなり電柱の天辺まで登り、久しぶりの生まれ育った故郷を感慨深く眺める。満足そうに頷き、火影岩に五代目である綱手のものが掘られているのを見て大笑いしていた。
「でかくなったな、ナルト」
ナルトに同じ高さから声をかける者がいた。カカシだ。いつものように小説を開いて、近くの商店の屋根に座っている。普段と変わらぬ飄々とした表情だけど、カカシもきっとナルトを出迎えるために待っていたのだ。モモカはそんな彼を微笑ましく思った。カカシとナルトは再会を喜び、ナルトがお土産だと言ってイチャイチャシリーズの最新作を渡した時にはカカシは感動すらしていた。
ナルトは大はしゃぎで電柱から飛び降り、カカシも屋根から降りてくる。その手には既に最新作のイチャイチャタクティクスを開いて読み始めているものだから可笑しかった。カカシはモモカに目線を合わせ、次いで自来也に会釈する。
「約束通り、ナルトはお前に預けるからのぉ」
ラーメン一楽に向かって走り出す元気なナルトの後ろ姿を眺めながら、自来也はカカシに言った。カカシは本を開きながらも自来也を見つめる。
「もうそろそろ暁の奴らも焦れて動きが活発になるだろう……。これからワシは情報収集に回る」
自来也の言葉に、しかしハッと顔を上げたのはモモカだった。
「自来也様、それって」
「あー!!」
モモカの声はナルトの大声にかき消される。指差す方にはサクラがいた。サクラと綱手もまた、ナルトの帰郷を聞きつけて来たのだ。ことさらにはしゃぐナルトに、師やチームメイトとの再会を喜べることを、モモカは羨ましく思った。
「モモカも任務ご苦労だったな。帰ってきた足で悪いが、相談役の年寄りどもにナルトの帰郷を知らせてきてくれるか」
綱手がモモカに命じる。モモカはすぐに頷いたが、綱手の言葉に含みを感じた。
「……ついでに、ナルトに関しての考えをそれとなく探って来てくれ」
案の上、綱手は声を落としてモモカに言う。自来也とカカシがじっとその様子を見ていた。モモカはもう一度頷き、火影塔へと向かった。
上役の在籍する執務室のドアをノックし、足を踏み入れると水戸門ホムラおよびうたたねコハルの二人がちょうど揃っていた。モモカはナルトと自来也が戻ってきた旨を告げ、自来也の作成した暁の調査報告書を手渡す。その際に、抜かりなくその手に触れた。
彼らはモモカを疑うことなく礼を述べ、報告書に目を落とす。これ以上の探りは怪しまれてしまうだろう。モモカは執務室を後にした。
綱手に報告に行くために今度は火影室に向かう。火影室には綱手と自来也の二人がいた。綱手はいつもの椅子に、自来也は窓枠のところに腰掛けている。
「ナルト達は?」
モモカが尋ねると綱手はひらひらと手を振った。
「二年ぶりに七班で任務をしてもらうからな。現時点での実力をお互いに把握するための演習だ――鈴取りの」
綱手の説明にモモカは納得する。そして鈴は取れないだろうと思った。ナルトもサクラも確かに成長している。しかしあのカカシから鈴を奪えるなど到底考えられなかった。
「そっちはどうだった」
「コハル様しか見れませんでしたが……ナルトに関しては慎重な考えのようです。出来ることならなるべく里から出さず、大切にかくまうべきだとお考えです」
モモカの報告に綱手は苦い顔をした。自来也も鼻で笑っている。
「あいつが大人しくしとるようなタマか」
腕を組んで外を眺める自来也にモモカは向き直った。初夏の緑が青々と生い茂り、埃っぽい火影室の窓越しに明るい日差しが差し込んでいる。生命力に溢れた緑だ。そして、秋には枯れゆく命だ。
「自来也様、私も連れて行ってくださいませんか」
モモカの申し出に、綱手はゆっくりと顔を上げてその顔を見据えた。驚きの色は見えないから、ある程度予想していたのかもしれない。
「暁の情報収集を行う為にまた里を発つのでしょう? どうか私をお供させてください」
モモカの真っ直ぐな瞳を自来也は困惑気味に見つめ返す。
「確かにそのつもりだが……しかし……」
「決して足を引っ張りません。同化の能力も、仙術も、きっと自来也様の力になるはずです」
モモカの声は落ち着いているが力強かった。自来也は一つ息を吐く。
「ワシが気になるのはのう、モモカ……お主、生き急いではおらぬか」
自来也の問いかけにモモカは僅かに眉を寄せた。窓の外で鳥たちが羽ばたく。
「……綱手から聞いたぞ、チームメイトのこと……大変だったの」
自来也は労わるような声音とは裏腹に厳しい眼光でモモカを射抜いた。
「しかし、それと任務は別だ。ただの仇討ちなら、連れて行かん。幻を追うだけの現実逃避でも、また同じだ」
自来也の言葉は哀しい末路を辿った幾人もの先人たちを見てきたからこその重みがある。モモカはふ、と肩の力を抜いた。
「いいえ、それは違います。復讐ではありません。もちろん私は二人が生きている可能性も諦めていない――でも、現実的ではない幻を追った夢遊病患者でもありません」
モモカの言葉をじっと聞いていた自来也は腕を組み直す。
「して、何のために暁を追う?」
自来也は問う。モモカは真っ黒な、しかし奥底には何物にも奪うことの出来ない光を宿した瞳で自来也を見つめていた。
「大切なものを守りたい。そのために強くなった――でもきっと、強いだけじゃダメなんです――守り抜くためには、知る必要がある」
モモカは窓の外の緑に目を向け、再び綱手、そして自来也と順に見つめる。
「この世界の闇を――多くの忍達を苦しめているものは何なのか。誰なのか。闇を照らすにはどうしたらいいのか」
「闇……か」
綱手は呟き、モモカは頷いた。
「それは単に暁を倒せば済む話なのか――どうも私にはそうは思えません。もちろん奴らが多くの悪事を働いているのは事実です。しかし暁を全員殺したとして、きっとまた次の憎しみと殺意が生まれるだけだ――忍の世界とはそういうものだ、と言われればそれまでですが……私は諦めたくはありません。大切な人が生きる未来も、憎しみに支配されぬ日々も、飢えを知らぬ子供達の笑い声も――全てを掴み取りたいし、諦めたくない」
自来也は目を伏せる。二年前に会った時も、年齢の割にどこか達観した娘だと思っていた。しかし全てを失った今でさえもなお、その太陽のような魂の輝きを失ってはいないのだ。自来也はひと際大きく、そして長くため息を吐いた。
「……わしゃ構わんぞ」
自来也の言葉にモモカはパッと顔を綻ばせる。しかし綱手は難しい顔をしていた。
「すぐには承諾できない。お前の力は里にとっても大きな物なんだ」
綱手の言うことは尤もだ。事実、モモカはダンゾウを始めとした反綱手派の勢力を牽制しその動向を読む要になりつつあった。モモカは綱手をじっと見つめていたが、急に柔らかな表情で微笑む。それは迷える子羊を慈しむ聖女のようでもあり、あるいは恐れを知らぬ無垢な子供のようでもあった。
「ナルトなら、どうですか」
モモカの言葉に、綱手はハッとして唇を噛みしめる。その様子に自来也が喉で笑っていた。綱手は皺を伸ばすかのように眉間を押さえて俯く。この里の若者は生意気で、そしてどんどん頼もしくなっていくのだ。火の意志は、確実に受け継がれている。
「全く、お前には敵わんな……」