初めて会った時から心を捕える強烈な光は今、
サクラといのは、すっかりモモカに懐いていた。シズネが知らない間にどんなやり取りがあったが分からないが、こうも単純に信頼してしまうところはまだまだ二人は子供だとシズネは思う。
モモカは相変わらず何を考えているか分からない真っ黒な瞳で、淡々と残りの業務をこなした。捕えた男達を地元の警察組織に引き渡し、逃げた女達の保護を依頼する。業者のリストはこっそり書き写し、原本は警察に引き渡した。
予定よりも一日早く任務を終え、一行は悠々と木の葉へと帰る。サクラといのはモモカにあれやこれやと質問し、モモカ本人はあまり気に留めていないようだがシズネは人知れずやきもきした。果てには「彼氏とかいないんですか」と立ち入ったことまで聞き始めるものだから、シズネは苦笑せざるをえなかった。
「いないよ」と答えるモモカに「うそー?!」と盛り上がる二人を、とうとうシズネは止める。モモカを庇うわけじゃないが、心の内はどうであれ仲間を失ったばかりのモモカには酷な質問だとも思えたからだ。そういう意味でも、大戦を経験していない彼女らはやっぱりどこか子供なのだ。
里に着き、四人そろって火影室に任務を報告しに行くとそこには先客がいた。
「ご苦労。随分早かったな」
火影室に足を踏み入れた一向に綱手が声をかける。綱手の正面に立っていたのは猿飛アスマと夕日紅だ。彼らも任務の報告を終えたところらしかった。綱手の言葉に紅は振り返りモモカを認めると、驚いて目を細める。続いてアスマも振り返り、紅と同様の表情をしてみせた。
「ご無沙汰しています」
モモカが静かに話しかける。その瞳にはサクラ達には見せることのない確かな影が宿っていた。
「……聞いたぞ、あいつらのこと」
苦々しく呟くアスマに、モモカは俯く。その瞳は何も映していないような真っ暗闇だ。
「すみません……」
「何で謝るのよ。一番苦しいのはあなたでしょう」
痛ましい表情で紅が言って、モモカの肩にそっと手を乗せた。上忍二人とモモカの意外な繋がりに、シズネはその関係性をよく観察しようとした。
「トウキもイクルも……お二人のことを本当に慕っていました」
顔を上げたモモカの表情は無だった。アスマが小さく息を吐く。
「……ああ」
紅がモモカの背を労わるように撫でて、「辛かったわね」と囁いた。
「さっそく任務に駆り出されているんだな」
女ばかりの不思議な組み合わせの面々を眺めてアスマが言う。
「カカシにはもう会ったか?」
モモカがぴくりと動いたのを、シズネは見逃さなかった。
「いえ、まだ」
答えたモモカの声はいつも通りの静けさである。しかし成り行きを見守っていた綱手が、唐突に口を開いた。
「……お前はカカシの何だ?」
綱手の質問の意図は、誰も理解出来なかった。
「……はい?」
モモカが彫刻のような無表情で聞き返す。
「つい昨日カカシが帰ってきてな、お前が里に戻ってきたことを伝えると――奴のあんな顔は初めて見たが――……」
じっと見つめるその視線から逃れるように、モモカは目を逸らし、しかしまたすぐに綱手を見返した。
「なんです?」
「いや……」
「カカシも随分お前らのことを気にかけていたからな」
アスマの言葉に、綱手はそれ以上何かを言うことはなかった。
「そうなんですか」
少し驚いた顔でサクラが言うと、紅も懐かしそうに微笑む。
「そうよ。カカシは下忍承認試験で合格者を出したことはなかったのだけれど――あなた達七班以外はね――モモカ達も落とされた下忍達の内の一グループだったけれど、カカシに懐いていてね。他人を寄せ付けないあのカカシも不思議と構っていたわ」
紅の説明に「えっ」といのが声をあげた。
「落ちた……? モモカさんが……?」
モモカの規格外の強さを目の当たりにしたばかりのいのは、信じられないというような顔をしていた。
「他人を寄せ付けない……ですか」
サクラも今では考えられない担当上忍の知らなかった一面に意外そうな声を出す。
「まあ七班を受け持ってから随分、何て言うか……カカシは柔らかくなったわよね」
紅がしみじみと言った。
「そうだな。まあ、モモカ達のことも、あんな態度だけど妹のように可愛がってたんだと思うぞ」
アスマの言葉に「へえ」とサクラは納得する。シズネもカカシとの繋がりを意外に思いながらも、上忍達がここまで言うのだからモモカは信用に足る人物なのかもしれないと思い始めていた。
綱手だけが、考え耽るように、探るような目をモモカに向けている。カカシは早くも次の任務にあたっているのでまた里を出ていて、モモカと会うことはなかった。
その三日後、モモカは暗部に配属されることを正式に綱手から告げられる。シズネの勧めもあった。モモカはいつもの淡々とした表情で承る。やはりその底は知れない。
暗部になると突然の呼び出しも増えるので、モモカは実家を出て暗部用の官舎に入ることになった。両親は一度だけ心配の声をかけたが、モモカの決意が固かったのでそれ以上何も言うことはなく応援してくれた。
官舎は火影塔のすぐ裏に位置していて、専用の呼び出し無線が設置されている。モモカの入る部屋は二階の角部屋で、六畳にベッドと机が置いてあるだけの簡素なものだが、どうせ寝に帰るだけになるのでそれで充分だった。
部屋のドアを開けて少ない荷物を整理していると入口のところに人が立つ気配があった。角部屋の前を通る人はいないはずだから、モモカを訪ねたということだ。顔を上げると、知っている顔がこちらを見ていた。
「お久しぶりです。この度暗部に配属されたので、よろしくお願いします」
それは卯月夕顔であった。五年前に砂の忍に殺された月光ハヤテの恋人だったくノ一だ。モモカの挨拶を、にこりともせずに見ていた。
「……よろしく。せいぜい死なないようにね」
夕顔はそれだけ言うと立ち去っていった。彼女なりの心配の仕方だと、モモカには分かった。
暗部の仕事は多岐に渡っている。要人の護衛、暗殺、諜報活動。火影からの勅令で秘密裏に行われるものはほぼ暗部の仕事と言っても過言ではない。暗部の中でその都度小隊を組んでの任務もあるが、モモカは単独で任務に当たることが多かった。モモカの同化能力は一人で行動するにも勝手が良い。モモカの能力を綱手は大いに買っているようだった。そして彼女の期待通りモモカの活躍は目覚ましく、どんな任務でも常に予想の上を行く成果を収めていく。暗部内での評価もうなぎ上りに上がっていった。
そして評価が上がれば上がるほどにモモカの手のひらに染み付いた血の臭いはどんどん濃くなっていった。いつか自分で付けた左手の傷に、刺青のように血の色が付いて消えなくなるのかもしれない、なんて馬鹿げた考えも浮かんだ。きっと今のモモカはかつて遭遇した飛段という男のように、吐き気を催すような臭いを発しているのだ。鏡に映るのは暗い瞳だ。先の見えない未来はまるで明けることのない夜のようだった。
木の葉に戻ってから早一月。モモカは暗部に配属されたままで上忍に上がることを打診される。梅の花が終わり、そろそろ桜の季節が近付いていた。忍になった始まりの季節がまたやって来て、けれどあの頃の希望も夢もモモカは思い出すことが出来なくなっていた。多忙を極めるモモカはタイミングが合わず、いまだにカカシとは会えていない。かろうじて消えない心に灯る小さな火だけを頼りに、暗闇の中をただ歩くだけだった。進んでいる方向が果たして前か後ろかも分からなくなっていたけど、歩みを止めることは今さら出来なかった。
「花見ですか」
任務の報告をつつがなく終えたモモカは、思いがけない言葉を反芻する。火影室には綱手とモモカの他に、その付人のシズネもいた。窓の外の桜の木は蕾をぷっくりと膨らませて、開花の時を今か今かと待っている。
「そうだ。手が空いている者でな。こう、パーっとやりたいだろ」
綱手が肩を揉みながらそう言うと、シズネはこっそりため息を吐く。花見をしたからといって業務が減ることはないのだ。むしろ花見の開催に伴い増える仕事の量は考えたくない程だった。
「分かりました、護衛ですね」
モモカは合点して頷く。花見に大勢の者が集まれば、その機を狙ってよからぬことを企む輩が出てくる可能性は高い。綱手は苦笑した。
「そうだなあ、まあ不測の事態があればそれなりに対応してもらいたんだが」
綱手は何か悪戯を思いついた子供のような楽し気な表情をしている。
「モモカ、お前も花見に参加しろ。めかし込んで来いよ」
モモカは一瞬言葉を詰まらせたが、黙って頷いた。一般客に紛れて警備するということを示唆しているのだろう――いや――綱手の顔は単純に花見を楽しみにしているようにも見える――。シズネをちらっと見れば、彼女の口が申し訳なさそうに「苦労かけますね」と動いていた。
火影主催の花見は、木の葉の里の中央通りから門に続き、そして何と門の外にまで続いていた。想像していたよりもずっと大きな祭りだ。門の外にひと際大きい桜の木があって、火の国の名所になっている。会場は木の葉の里からその桜の巨木までだ。桜並木に縁日が軒を連ね、当日は朝から大賑わいだった。桜の大木に続く南側の門は解放され、近隣住民、火の国の要人、諸外国の観光客までも訪れる盛況ぶりである。当然、犯罪が起こるリスクは上がるので、里を挙げての警戒態勢が敷かれた。
モモカは浴衣を着て、一般客の装いで花見会場の巡視にあたっている。行き交う人々の中に危ない考えを持った者がいればすぐに上長に報告した。
日の暮れと共に桜並木に掲げられた提灯に灯りがともって、里はより一層祭りの様相を呈す。誰も彼も浮かれて、先の大戦や木の葉崩しが本当にこの里であったのかと疑ってしまうかのような平和な賑わいだ。この時間になっても下がらない気温にモモカは季節の移ろいを感じながら屋台の並ぶ桜並木を里の外に向かって歩く。解放されたままの門を出て正面に見えてきた火の国一の桜の樹はライトアップされ、花弁が宵闇に浮かび上がる様は見事なものだ。桜の樹のすぐ横には火影の団体が座っていた。
「おっモモカじゃないか、何をしてるんだ」
すっかり出来上がった様子の綱手がモモカに声をかける。周囲には苦笑いで綱手の飲酒量を抑えようとするシズネ、ほろ酔いの紅にゲンマ、綱手に負けず劣らず酔っぱらったアスマとガイ、久しぶりの楽しい雰囲気にはしゃぐサクラ達中忍が揃っていた。
「何って、見回りですよ」
ひょいひょいと人混みを避けながら近付いてモモカは答える。
「見回りだあ? そんなのいいから、飲め飲め!」
「あひぃ、綱手様お酒はもうそれぐらいで――」
慌てて酒瓶を掴んだシズネを、ゲンマが後ろから羽交い絞めにした。
「まーまー野暮なこと言うなって」
羽交い絞めにされたシズネをアスマが指を差して笑う。
「がはは! いいぞゲンマぁ。ほらお前も来いって行けるクチだろ?」
アスマがモモカを手招きして、おちょこを差し出した。モモカはそれを見つめ、しかし受け取らなかった。
「いえ仕事中ですし、もし何かあったら――」
モモカは突然言葉を切って、斜め上方の空を見上げた。アスマは怪訝な顔をして、モモカが見た方を見る。桜がはらはらと舞うだけだ。モモカがふらりと人混みに消えて、少ししてからアスマは何かの気配に気が付いた。全く、昔からこの子の勘の良さには恐れ入るとアスマは酔った頭でしみじみと考える。ややあって悲鳴が聞こえて、火影たちの前に現れたのは武装した男の集団だった。十人ばかしだろうか。火影に一斉に弓矢の切っ先を向けて、あろうことかモモカを人質に取っているものだからアスマは吹き出しそうになってしまった。
「火影に降伏を要求する!」
武装集団の頭らしき男は叫んだ。シズネはサッと綱手の前に立ちはだかり男達を睨む。彼らを眺め、その力量が大したものではないことを悟った。忍でもない者がよくもこんな大胆なことに出られたものだとシズネは思う。祭りに乗じて火影の首を取れるなどと夢見てしまったのだろうか。あまつさえ、人質に取ったのがモモカだから――恐らくモモカ自身がそうなるように絶妙な位置で待ち構えていたのだろうが――男達には同情の念すら覚えた。
「あなた達は何ですか。誰の差し金です」
シズネが尋ねる。人質として男に腕を掴まれたモモカが、きっとその思考を読んでいると考えての質問だ。
「我々は目的遂行の為に行動している! 火影をこちらに引き渡せ!」
「他に仲間がいるのですか? 火影様をどうするつもりです?」
「黙れ! この娘がどうなってもいいのか!」
男がモモカの腕を捻り上げ、モモカは一応痛がるフリをする。火影に向けられた複数の弓矢がきりきりと張り詰めて嫌な音を出していた。
「ガトーカンパニーの子会社……? 忍を雇う金はなかったのか」
モモカが独り言のように呟き、男が驚き怯む。
「どこからそれを……、小娘、余計なことを喋るなよ」
「はいはい」
モモカの態度に男は頭に血が上ったようだった。
「忍に守られていると思って良い気になるなよ。人質の代わりなんかいくらでもいる。お前なんぞ、犯して殺してその辺に打ち捨ててやる」
男は脅すように唸ったが、当のモモカは怯えるどころかそれは名案だとばかりに顔を上げた。
「ああ、それはいいですね。どうぞそのアジトに私を持って帰ってください」
モモカが連れていかれれば、確実にその黒幕の団体も叩ける。シズネも良い考えだと思った。
「そんなことさせるわけないだろう」
氷のような冷たさを持った声は予期せぬところから聞こえた。まさか他に仲間がいたのか――それも気配を忍ばせられるような手練れを――、シズネが一気に緊張して辺りを見回すと、声の主は何と桜の大木の頂上にいた。半分欠けた月を背景に立つその姿は見知った男のもので、シズネは胸を撫でおろす。夜の闇の中に、桜の薄紅色とは対照的な銀髪が朧に浮かび上がっていた。男は桜の樹の上から姿を消すと、次の瞬間には呆気に取られる男達の中に現れ目にも止まらぬ速さで一人残らず倒していった。
「カカシさん、戻っていたんですか」
倒れた男達を見下ろすカカシに、シズネは驚きと安堵の声をかける。控えていた警備の忍達が武装集団の男達を瞬く間に縛り上げた。
「ああ、今ちょうど帰ってきたところ――これ何のお祭りですか?」
カカシは賑やかな屋台通りを眺めまわして尋ねる。カカシの声を聞いてモモカは固まっていたが、すぐに他の忍が駆け寄ってきてハッとした。
「大丈夫か?」
「あ――、えっと、はい。男達はガトーカンパニーの子会社の者で、親会社が倒産したことで木の葉に恨みを持っているみたいです。忍は雇っておらず、恐らく一般人が武装しただけで――アジトはここから北東に十里の距離にあります――」
モモカは淡々と説明しながら自分が何を言っているかまるで分からなかった。綱手が耳打ちし、暗部の忍達がアジトの方に捜索に向かった。後ろの方では、カカシが仲間の忍達に囲まれて「美味しいとこどりだ」とか「花見にちょうど戻って来られて良かったな」などと持て囃されている。全ての音が遠く聴こえた。
「あ、私も――」
無意識にモモカもアジトの捜索に向かおうとすると、綱手が「必要ない」と首を振った。ぼんやりとその顔を見つめ、モモカは自分の感情が分からないままでいた。またカカシに目を戻す。焦がれる程に想った背中だ。里を離れてイクルやトウキと任務にあたる最中も、一人きりになって孤独な道を行く中も、霊峰に入り厳しい修行をしていた時だって、ずっとずっと想い焦がれて、狂おしい程に心の拠り所としていた男なのだ。桜の花弁が舞う中、仲間に囲まれていた彼が、モモカを振り向いた。
「モモカ、おかえり」
カカシがモモカを真っ直ぐ見つめて、そう言った。
二年ぶりに見た愛しいその姿に、声に、匂いに、モモカは言葉を失ってしまう。何も言えずに、ただ馬鹿みたいに突っ立って、カカシを見つめ返すことしか出来なかった。
「……モモカさん?」
サクラが驚きの声で自分を呼ぶ声に、モモカは自分が涙を流していることに気が付いた。ぼろぼろと、抑えることのできない雫が零れ落ちてモモカは戸惑う。
「あ、あれ?」
モモカは頬を伝う涙を拭って濡れた袖を他人事のように眺めた。次から次へと涙を溢すモモカの姿を、シズネは呆気に取られて凝視した。これがあのさとりモモカなのか。強く、冷静で、合理的で、滅多に感情を表に出さない――早くも暗部を代表する手練れとなったあの――底の知れない、どこか不気味な、そして闇の中でその才覚を発揮する忍の、モモカ?
「泣き虫なのは相変わらずだな」
カカシの声は驚くほどに優しさに満ちていた。カカシはモモカを引き寄せて力強く抱きしめた。驚きに目を見開くモモカは、数秒後にはその腕の暖かさに顔を崩してより一層涙を溢れさせる。
シズネは自分のしたことに気が付いて早くも後悔し始めていた。モモカのことを、任務を忠実にこなすことの出来る冷酷無比な、暗部に打ってつけな忍だと思っていたがそうではなかったのだ。カカシの腕の中で泣きじゃくる女は、独りぼっちで、寂しく、傷を負ったただの女ではないか。
「うっ……また何も出来なかった……! トウキと……イクルが、死んだ……! 殺した……! 私が、二人を殺した!!」
嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶモモカに、抱き締める力をカカシは強める。モモカの痛みと苦しみを少しでも貰い受けようとしているかのようだ。武装集団の襲撃の後に戻ったがやがやとした祭りの賑わいの中で、カカシはひたすらにモモカを抱き締める。その様子を、綱手を始めとしシズネやアスマなどの上忍達は言葉をかけられずにただ見守っていた。
「私だけ……うう……生き残った……! 二人を殺して、まだ生きて……」
懺悔のように苦しみを吐露するモモカの髪を、カカシは優しく撫でる。
「モモカ、教えてほしい。二人の死体を見たのか」
カカシの問いかけにモモカは抱きしめられたままで首を横に振る。
「気付いた時にはもう誰もいなくて……死体もなくなっていて……」
「それじゃあ、死んだとは言い切れないな」
カカシの声に、ハッとしてモモカは顔を上げた。モモカの頭に一枚乗っかっていた桜の花弁がはらりと落ちる。モモカは腕を突っぱねてカカシの胸から離れ、この男は何を言い出すのかとその顔を凝視した。
「何言ってるの……だって……確かに私がイクルの胸を貫いた……! トウキのあの魂の叫びは死ぬ間際の……ハヤテ先生の時と同じものだった……!」
カカシはモモカの言葉を遮ることなくじっと耳を傾け、そして頷いた。
「でも、死体はなかったんだろう」
モモカは半ば睨むようにしてカカシを見つめる。
「大蛇丸は……色々な実験をしている……その材料に使えるものなら、きっと死体だって回収する……!」
「うん、そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」
カカシの声は力強かった。それは、これ以上絶望を見たくなかったモモカが考えまいとしていたことだった。希望を抱いて、再び残酷な現実を受け入れられることなど到底出来ないと思って心の奥底にしまい込んでいたものだ。二人が、もしかして生きているなど――……。あの状況でその可能性は限りなく零に近いのだ。どうして、希望など抱けようか。
「モモカ、左手を見せて」
カカシはモモカの左腕を手に取り、ミサンガをかざして眺めた。頬を濡らしたままで怪訝な顔をするモモカに、カカシはにっこりと笑う。
「この三色の糸はお前たちのつもりで編んだんだ。赤はトウキ、青はイクル、黄色はモモカだ。そして、糸の中には一緒にあるものを編み込んだ」
「あ、金色の……」
モモカは思い至って呟いた。何度か、ミサンガの中に金色に反射する繊維を見たことがあった。カカシは目を細めて頷く。
「金色の繊維は黄色の糸の中に編み込んだものだ。一昔前にくノ一の間に流行ったおまじないでね……ずっと前に、チームメイトだった子から教えてもらったんだけど……あの頃の俺はそんなのくだらないって、同年代の子達を冷ややかに見てたもんだ」
カカシは懐かしむように言う。
「金色の糸は、モモカが無事に帰ってきますように、そして幸せになれますようにって、おまじない」
カカシはさらにモモカの左腕を掲げてモモカにもよく見えるように、桜を照らす照明にかざしてみせた。
「それから、赤い糸と青い糸には、トウキとイクルの髪の毛をそれぞれ編み込んである。二人が無事でいるように、そして生きてモモカの力になるように願って――どちらも、まだ切れていないな」
モモカは信じられない気持ちでまじまじとミサンガを見つめる。
「髪の毛って……いつの間に……」
モモカの呟きにカカシは可笑しそうに笑った。
「俺を誰だと思ってるの」
モモカはミサンガから目を離してカカシの顔を見た。こんなジンクスみたいな――お遊びの、おまじない程度のものを本気で――二人が生きていると――その根拠になると、そう言うのか――……。
「ま、信憑性は全くない、ただのおまじないだけど。どうせどっちか分からないなら、信じてみたっていいでしょ」
カカシは困り顔で、少し首を傾げてモモカを見つめ返す。
「……ダメかな?」
その表情はモモカのよく知るカカシのもので、懐かしさと暖かさにまた涙が溢れ出す。初めて会った時から心を捕える強烈な光は今、モモカを貫いて冷たくなった胸の中に染み渡った。
「……ううん。信じる」
泣き笑いで、モモカは力強く頷く。里に帰って来てから、初めて見せた心からの笑顔だった。
その顔はシズネに衝撃を与える。シズネはモモカのことを感情の動きが極端に少ない得体の知れない忍だと思っていた。何を考えているか分からない、ともすれば里に危険をもたらす存在かもしれない危惧もあった。しかしそうではなかった。感情をむき出しにしてカカシの腕の中で泣きじゃくるモモカは今まで隠してきた傷をようやく曝け出しただけの、無垢な少女だ。そして心に負った深い傷を、あっという間にカカシは照らしてしまった。何の根拠もない言葉を手放しでモモカは受け取って、その顔は未来に希望さえ抱いているのだ。
シズネは悔しかった。里の為を想って行動してきたつもりだが、見えていないものが余りにも多すぎた。
カカシが泣き止んだモモカを連れて皆の輪の中に戻ってきて、綱手が酒瓶を掲げる。
「……ほら、泣いてばかりいないで飲め」
シズネは豪胆なその顔を眺めて、つくづく敵わないなと感じた。綱手はきっと、モモカの寂しく深い傷を負った胸の内など見抜いていた。きっと今日のことも、モモカを励まそうとしてのことだ。まさか武装集団の襲撃は予想外であろうが――それでも、カカシが帰ってくるタイミングを見計らってモモカに会わせようとしたに違いない。
モモカは綱手と酒瓶とを順に見た。
「でも、追跡が――」
「構わん、既に暗部の追手が向かっている」
綱手は煩わしそうに手を振る。モモカが困ってカカシを見上げると、彼は穏やかに微笑んだ。
「飲んだら? この里の忍は頼りになるし、モモカ一人いなくたって大丈夫でしょ」
カカシにそう言われて、モモカはおちょこを受け取る。綱手からなみなみと注がれたそれにモモカは口を付けて、顔をしかめた。
「……っはー! 久々だからか、きく……」
べっと舌を出したモモカに綱手は大笑いする。
「良い顔をするじゃあないか!」
モモカは楽しそうな綱手にポカンとして、またカカシを見上げて、そのカカシも口元を綻ばせていたものだから、肩を揺らして笑った。朗らかな、春の陽射しのような笑いだった。
先ほどの賊の襲撃なんてものともせず、花見会場には活気が戻っている。どこか自分とは別世界で行われているように感じていた人々のざわめきが、今のモモカには不思議とよりクリアに感じられた。カカシと、里の皆と大きな桜の木を囲んで、久しぶりに未来を見た気がした。
トウキとイクルが生きているかもしれない――。ほとんど妄想に近いその浅はかとも言えるような希望は、しかしモモカの心に灯る火を燃えたたせ、行く道を明るく照らし出す。現実から逃げているわけではなく、真っ直ぐに自分の行くべき未来に進もうと、モモカはそう思えた。
ケラケラと笑うモモカをアスマは複雑な面持ちで眺める。
「いいのか? あんな……」
その先は言葉を濁してアスマはカカシに問いかけた。無責任なことを、とはさすがに言えなかったが、期待を持たせる言動は結果的により大きな絶望をモモカに与えることになりかねない。カカシもまた、綱手に背中を叩かれ楽しそうにするモモカを見て頷いた。
「ああ、いいんだ」
カカシの声には強い覚悟が滲んでいた。他人の絶望も悲しみを全て掬い上げて離さない覚悟だ。以前のカカシにはなかったもので――きっと、カカシもまた、他人との触れ合いの中で少しずつ変わっているのだ――モモカやトウキにイクルそれに、うずまきナルト――諦めの悪さは天下一品の少年だ――カカシも若い世代に触れて、少しずつ変わろうとしている。そこまで意志が固いのなら、アスマもそれ以上何か言うつもりはなかった。
久しぶりの里を挙げての祭りは賑やかさを衰えさせることなく、モモカの心からの笑顔がより一層の花を添えた。宴は続き、皆夢見心地で酔っぱらった。あんなに苦言を呈していたシズネでさえも、綻ぶようなモモカの笑顔に多いに酒が進んで、笑い声は絶えることがなかった。
「聞いてもらいたい話が、いっぱいあります」
くノ一達の輪の中を抜け出してカカシの隣にきたモモカが言う。お酒と陽気な雰囲気にその頬は紅潮していた。何とか抜け出してきたが、シズネは驚くべきことに絡み酒だった。今は酒瓶を抱いてサクラに絡んでいる。一旦酔っ払うと綱手以上の酒癖の悪さかもしれない。
「ああ……そうだな。ゆっくり話を聞くよ」
カカシがモモカに目線を合わせて穏やかに目を細めた。
「カカシ、任務の報告は明日の――そうだな、午後でいいぞ」
盛大なしゃっくりとともに綱手が横から口を挟む。
「それから、モモカ。お前は明日は休みだ」
モモカはその意図するところが分からなったが、カカシが呆れた顔で苦笑した。
「そこの意地っ張りな泣き虫を、今日くらいは甘えさせてやれ」
綱手の言葉にさすがのモモカも俄かに気が付く。
「それは……お気遣いどーも」
モモカが何も言えないでいるうちに、カカシが立ち上がってモモカの腕を引っ張った。
「行こうか」
モモカは促されるままに立ち上がり、遠慮がちに綱手に頭を下げ、そしてカカシとともに会場から姿を消した。
「はぁー……私ホント余計なことしちゃいましたかね……彼女を暗部に……」
とろんとした目付きのシズネがいつの間にか近くに来ていたのか、綱手に喋りかける。向こうの方を見るとサクラが突っ伏して寝ていて、どうやら飲ませるだけ飲ませて潰してきたらしい。
「推薦したのは確かにお前だが、命じたのは私だ。そしてそれを受け取ったのは紛れもないモモカ本人だ。彼女の意志だから、それを他人がとやかく気にすることではない」
綱手の言葉に酔っぱらって感極まっているのか、シズネは鼻をすすった。こんなシズネを見るのは数十年ぶりだ。
「はい……。しかし本当、カカシがいてよかったですよね……二人にここまで強い繋がりがあったなんて……美しい師弟愛です……」
しみじみとしたシズネの言葉に綱手は途端に口を歪める。
「おいおい、本気で言ってるのか? シズネ、お前もまだまだだな」
馬鹿にした口調の綱手に、シズネはたじろいだ。「何がですか」と少し拗ねた表情を見せると、綱手はさらに意地悪そうな笑みを深めた。
「あのカカシの顔は、どう見たって惚れた女に向けたものだろう」
綱手がにやりとする。シズネが虚を衝かれてポカンとしていると、すぐ近くに座っていたアスマが思い切り酒を噴いた。
「……はい? それ、マジすか?」
アスマは冗談だろうとばかりに笑い、紅を振り返る。彼女は呆れた顔でため息を吐いた。
「……薄々、気付いていたわよ」
紅の言葉に、アスマは今度は助けを求めるようにゲンマを見る。
「俺はモモカの相手はトウキかイクルのどっちかか――、それかもしくはゲンマだとばっかり」
自分の名前が上がり、ゲンマも可笑しそうに笑った。
「はは、あれは最初っからカカシしか見えてねえぞ」
ゲンマの言葉にアスマはより一層まごついて咽かえる。その様子に大笑いする上忍達の頭上に、はらはらと、鮮やかな花弁が降り注いでいた。