その内にまるで化物を宿しているかのような
「お久しぶりですモモカさん。今日はよろしくお願いします」
任務の朝、サクラはモモカに挨拶した。冷え込む日もまだまだあるが、だいぶ暖かくなってきて今日なんかはぽかぽかする陽気である。少し動いたら汗ばんできそうな気候だ。サクラに続いていのも挨拶した。
「よろしく」
モモカは手を差し出し、サクラといのそれぞれと握手を交わす。素性の怪しいさとりモモカを監視することも兼ねた任務であることはそれとなくサクラに伝えていたが、個人の秘密情報である同化能力のことは話していない。シズネは軽率にモモカに触れるサクラといのを複雑な面持ちで見た。
四人は木の葉を出発し気持ちの良い陽気の中を短冊街に向けて歩き出す。
「モモカさんのその髪型、すごい綺麗ですね。どうやってやるんですか?」
何となくぎこちない空気が流れる中を、気を使ってかサクラがモモカに話しかけた。四人は里を出た時点ですでに一般人の女性の格好をしている。モモカは長い髪を編み込んで綺麗にまとめていた。今回の任務は短冊街で横行している売春業者の取り締まりだ。女性を攫い売り飛ばすという悪質な手口で、忍を雇っているらしいということから木の葉隠に依頼がきたのだ。その闇業者の悪事を暴き、地元警察に身柄を引き渡すのが今回の任務の内容である。
「慣れれば簡単だよ」
モモカは歩きながら答えた。その格好のせいか、里に帰ってきて最初の印象よりかは、いくぶん雰囲気も柔らかく見える。しかしシズネは依然としてモモカの内の底知れない不気味さを警戒していた。
「まああんたは昔から不器用だからねえ」
いつもと同じ下ろし髪のままのサクラを見ていのが揶揄う。サクラが「うるさいわね」と言い返した。
「医療忍術を使えるくらいだから、手先は器用でしょ」
賑やかな二人の様子に、少し口元を緩めてモモカが言う。こんな騒がしさは嫌がりそうなイメージを勝手にモモカに対して抱いていたシズネにはそれが少し意外だった。
短冊街に到着した一行は、その日泊まる宿にまずはチェックインする。任務は四日間の予定で今日から三泊する部屋だ。四人で一部屋を取っていた。荷物を下ろし、休む間もなく任務内容の確認とこれからの作戦会議を開く。
「事前に説明していた通り、ターゲットは短冊街を中心に売春の斡旋を行う闇業者です。その本拠地、人数、手口の詳細は不明ですので、今日はまず情報収集を行います。二人一組で行動し、観光客の振りをして情報を集めてください。組み合わせは私とモモカ、それからサクラといのです。相手は忍を雇っているという噂ですのでくれぐれも無茶はしないように。情報を得られても得られなくても、五時間後にまたここに戻ってきてください。何か質問は?」
サクラといのは首を横に振ったが、モモカだけが静かに手を上げた。
「質問というか……たぶん私は一人の方がやりやすいのですが。シズネさんも上忍ですから一人でも大丈夫でしょうし、私とシズネさんは単独行動で二手に別れた方がいいかと思います」
モモカの意見は尤もだ。上忍であるシズネをモモカと行動させるのは勿体ない人員の割き方である。しかしモモカの監視という目的がある以上やむを得ないことであった。
「……相手の様子が分からない以上、迂闊に独り行動するべきではありません」
取ってつけたような理由に、それ以上モモカが意見することはなかった。
宿を出たシズネ達は縁日がひしめく大通りに向かう。この街はいつきても人が多く活気があった。
「どういう設定でいきますか」
歩きながらモモカがシズネに尋ねる。
「そうね……姉妹ということでいいんじゃないですか。観光でこの街に来たばかりの中流階級の家の娘という無難な感じで」
シズネが答えるとモモカは頷き、次の瞬間には顔に笑顔を貼りつけていた。賑やかで物珍しい街の様子に浮足立っている、というような顔だ。
「じゃあお姉ちゃん、まずはどこから回る?」
モモカの顔はすっかり町娘そのものだ。シズネはその変わりように感心するとともに、モモカの器用さからは潜入捜査をいくども経験してきた背景が窺えた。
二人は色々な店を見て回りながら、街の人と交流した。世間話を交え、この街の構図を把握し、治安の悪い場所の話を聞いたりして。
「お姉さん方、西側の裏通りは避けた方がいいよ。人攫いが出るって噂だからね」
「今月に入ってからもう五人も行方不明者が出ている」
「隣の区には風俗街があってなあ、客足の助けにはなってるんだが治安も悪くて」
いくつかの証言を得た二人は、西側の裏通りに足を延ばす。一本道を外れただけで、かなり雰囲気が違った。飲食店や宿場の裏側の通りのここは歩く人は少なく日当たりも悪いせいか陰鬱な雰囲気があった。ゴミなんかもそこかしこに落ちていて、いかにも犯罪の温床になっていそうだ。
「おやおやお嬢ちゃん達、どこから来たの? そこの店でお茶でもどう? 二人とも可愛いからサービスするよ」
三十代くらいの男が声をかけてきた。立派なスーツを着ているけれど目深に被った帽子の縁は擦り切れていて、前歯がかけている。きつい香水の匂いがするから忍ではないだろう。
二人は少し怖がる雰囲気を忘れずに出しながらも、若さゆえの大胆さを装って男に付いていく。男の店だという喫茶店は綺麗にライトアップして若い客層を掴もうとしている努力は見えたが、野暮ったさが拭えないような内装だった。
男はお茶を驕り、世間話と言いつつもシズネ達のことを根掘り葉掘り尋ねた。年齢、住所、職業、いつまでこの街にいるのか――……。足が出ないように、獲物としての当たりを付けていることが想像できた。店内にはシズネ達の他、三人客がいたが全員がこちらの会話を聞いているような気配がする。
男は何事もなくシズネ達を解放したが、店を出た後は尾行されていることが分かった。気配の消し方からして、尾行しているのは忍だ。
「宿の場所を確かめて、明日あたりには犯行に移すつもりかな」
遠めに見たら楽しくお喋りをしているような雰囲気を出して、シズネが言う。
「まあそうでしょうね」
モモカも笑顔を貼りつけたままで頷いた。
宿に戻りサクラたちと合流すると、彼女たちも同じような情報を入手してきていた。西側の地区で誘拐事件が頻発していること。若い女性に声をかける怪しい男達がいること。隣の区にある風俗街に本拠地があるらしいこと、などだ。
「恐らく明日あたりに、また接触してくるでしょう。この宿の場所と、若い女性だけで宿泊していることが分かっていますからね」
サクラが見解を述べる。皆概ね同意見だった。
「攫われる役に二人、それから外から奇襲をかける役に二人で分かれよう」
本任務のリーダーであるシズネが立案する。
「奴らが犯行に移すのは明日なのか、それとも今夜なのかはまだ分かりません。本拠地の詳細も分からないから、今のうちに下見に行っておく必要もある……」
シズネは班員の割振りを思案して皆の顔を眺めまわした。
「犯行は明日の昼前になります。宿泊客がチェックアウトした後の時間帯を狙ってやってくるはずです。宿の主人もどうやらグルのようで、我々を足止めして奴ら宿に招き入れる手筈になっています」
そう静かに話し始めたのはモモカだった。皆驚いてモモカの淡々とした顔を見る。
「それから、本拠地は五階建てのビルで、風俗街の中ほどに位置しています。そこには一般のボーディーガードが十名。雇った忍は三小隊――十二名います。忍は滝隠の出身のようです」
まるで見てきたかのように言うモモカを半信半疑の表情で見つめ、サクラといのは互いに目を見合わせる。
「……なんでそんな詳細な情報が分かるんですか」
いのが尋ねた。いのとサクラはモモカの能力を知らないが、シズネは当然それが同化能力によるものなのだろうということが分かった。しかしモモカがそんなにも人と接触している様子は見えなかった。特殊能力以上に、シズネにも勘付かれない程に自然に情報を抜き出すモモカの手腕には恐れ入った。
「世の中には、色々な能力があって、あなた達の想像以上に相手を感知する技術がある」
いつか、霧隠の水照らす姫――照美メイのことだ――に遭遇した時に言われたことをモモカも口にする。
「山中一族の心転身の術だったり、奈良一族の影真似の術だったり、秋道一族の倍加の術だったり……秘伝とされるようなものは、それこそ山のようにあるからね」
モモカの言葉に、いのは納得がいっていないようである。
「それなら、どうしてあらかじめ教えてくれないんですか。特殊な能力があるならそれを作戦に組み込んだ方が任務の成功率は上がります」
「私の能力は他人に知られると対策を取られてしまう。まあそれはどんな能力でもそうなんだろうけど……少しでもリスクを減らすために、他人には喋らないことにしている」
いのの意見に、モモカは臆することなく答えた。いのは眉間に皺を寄せる。
「他人には……って、木の葉の仲間にもですか?」
「木の葉の仲間にでも、だよ。ずっとそうしてきた」
いのはまだ不満があるような顔だ。先ほどモモカが例に挙げた山中一族や奈良一族、秋道一族の能力は木の葉の忍にはよく知られている。もちろん知られることによるリスクはあるが、代々木の葉の力となってきて、よく知っているからこそ上手くいく作戦もたくさんあったのだ。仲間と共有するからこそ得られるものを、単にリスクとして片付けられるのは山中一族のいのにとって理解できなかった。しかしいのは何も言い返すことなく、黙っていた。
「モモカの情報は有難い。でも不確定要素が多いことに変わりはないから、本拠地の下見は行います。私といのが抜け出して本拠地の捜索、モモカとサクラは宿で待機していてください」
シズネが作戦を告げる。皆静かに頷いた。
「本拠地の簡単な図を書いてお渡しします」
モモカは巻物を取り出し、ビルの見取り図をさらさらと描き示す。もちろん不明な部屋も多数あったが、概略が分かるだけで捜索はだいぶ楽になる。つくづく隠密向きの能力だ、とシズネは思った。
シズネといのは宿の主人にばれないように窓から抜け出し、本拠地の下見に向かう。残されたサクラとモモカは外の警戒を怠らずにしながらも、忍具の確認等をして思い思いに過ごした。
「……さっきの能力の話ですけど、昔から使えるんですか?」
簡易的な医療器具の入った医療パックを詰め直しながらサクラは尋ねる。
「あ、もちろん答えられる範囲でいいんですけど……」
慌てて付け加えるサクラにモモカは僅かに口元を緩めた。
「うん。昔から、物心ついた時には使えていたよ」
意外にも気楽に話してくれそうな雰囲気だったのでサクラは胸を撫でおろす。
「それって、血継限界みたいなものですか?」
「血継限界ではないけれど……まあ恐らく民族特有の力ではある……と思う。でも私の親兄弟は使えない。隔世遺伝みたいなものなんだ」
モモカの答えに、隔世遺伝なんかもあるのか、とサクラには勉強になった。
「でもそれだけの能力があるなら、とっても便利ですね。敵の情報が分かって」
そう言い考え込むサクラをモモカはじっと見つめる。
「敵っていうのは、大蛇丸のこと? 暁のこと? それともうちはイタチのこと?」
モモカの問いかけにサクラは静かな闘志を滲ませて顔を上げた。
「全員です」
「ふうん」
「……何ですか」
見定めるようなモモカの視線に、サクラは眉を寄せる。
「その人たちはどうしてサクラの敵なの?」
サクラにはモモカの質問の意味が分からなかった。信じられない心地でモモカを見つめる。
「どうしてって――里に……仲間に仇なすからに決まっているでしょう。大蛇丸は木の葉崩しを始め、数多くの人を殺めてきた。サスケ君を連れ去ってその体を乗っ取ろうとしている。暁は国際的な犯罪組織だし、うちはイタチだって、うちは一族を皆殺しにして、サスケ君をずっと苦しめているのよ」
サクラの言葉にモモカは何かを考えるかのように少し遠くを見つめ頷いた。
「うん、そうだね。言う通りだ――しかしサクラ、君の判断基準はサスケなんだね」
相変わらずの何を考えているか分からない顔でそう言うモモカに、サクラは反抗心を覚える。
「それの何が悪いんですか。仲間が大切なことの何がいけないの」
サクラの意見に、しかしモモカは少し驚いたような表情をした。
「いけないというか――……。例えばうちはイタチだけど、サクラは直接会ったことがない。サスケを通してしか知らないわけだから、その人となりは実際には分からないわけだよね? サスケフィルターを通してしか見ていないんだもの」
サクラはモモカへの反抗心が強くなっていくのを確かに感じながら、サスケの顔を思い浮かべる。
「一族を殺した男が、良い人ってことはないと思いますけど」
サクラの言葉にモモカは眉を開いた。
「良い人っていうのはまた極端な話だけど……それこそ他人から聞いた話でしかない。その考えで言うなら、里を抜け出して大蛇丸の所にいったサスケだって良い人な訳がないってことになるよ。さっきサクラは大蛇丸がサスケを連れ去って、と言ったけれど、そもそもサスケは自分の意志で大蛇丸の所へ行ったんだ」
決定的だった。サクラは、モモカのことが嫌いだと感じた。
「そんなこと……人には色んな事情があるじゃないですか。傍から見たらそうかもしれないけど。何も知らないくせに、私の前で二度とサスケ君のことを悪く言わないでください」
サクラはモモカを睨んだ。それに全く臆することのないモモカの様子は、さらに腹立たしかった。
「うん、だから一面しか見えてないと物事の本質は分からないって言いたかったんだけど……そうか、うん。そうだね」
肩を落としてモモカは息を吐く。
「……ごめんねサクラ。私は別にあなたを傷付けたいわけでも、サスケを悪く言いたかったわけでもないんだ」
素直に謝るモモカに、思いがけずサクラは闘志を削がれた。サクラを見つめる瞳は相変わらず何を考えているか読めないが、真っ直ぐだと感じた。
「私はね、しばらく自分と同じ能力を持った人たちの中で過ごしてきたから――ええとつまり、口に出さなくても、思いを汲み取ってくれる生活が長かったから――だから自然と言葉足らずになってしまう節があると思う。言い訳にしかならないけど。けれど、サクラ自身のことも、サスケのことも、それから仲間を想うその気持ちも、馬鹿にするつもりは全くない。むしろ尊敬さえしているよ」
真っ直ぐに告げるモモカに、サクラは返す言葉がなかった。
「でも傷付けてしまった。ごめんなさい」
こうも正直に謝られては、サクラも許すしかなかった。
「……いえ、こちらこそムキになってすみませんでした」
なんのてらいもなく気持ちを打ち明けるモモカがサクラには意外で、怒りの感情の行き場をすっかりなくしてしまった。
「サクラにこれを渡しておいてもいいかな」
黙り込んだサクラを気にする風もなくモモカは言う。取り出したのは通常よりも二回りも大きなクナイだった。びっしりと文字が書き込まれている。
「距離によっては難しいけれど……。困ったことがあれば飛んでいくよ。特にサクラはサスケを追っているから――大蛇丸やサスケ関連で何かあれば、少しでも力にはなれると思う」
サクラはクナイとモモカを見比べた。クナイには術式がかけられていることが何となく分かる。
「どうしてそこまで、」
気にかけてくれるんですか? という言葉は飲み込んでサクラは問いかけた。モモカは眉を下げて微笑む。
「後悔したくないからね。明日、誰が死ぬかも分からない。生きてまた会える保障はない。だから伝えたいことはなるべく伝えておこうと思うし、後悔しないようにできることはしたいんだよ」
里に帰って来てから初めて見る朗らかなモモカの笑顔に、これがきっと彼女本来の姿なのだろうとサクラは漠然と思った。
翌日、サクラとモモカは午前の早い時間に宿を出る。朝食を買いがてら街をぶらぶらする、という旨を宿の主人に告げ、さらにまだ二人寝ているから掃除には入らなくていいということを伝え、布石は全て打った。恐らくあと一時間もしないうちにシズネといのを誘拐しに犯行グループが部屋に侵入するだろう。シズネといのは敵の思惑通りに攫われて、本拠地の内から、サクラとモモカは外から奇襲をかけて売春業者の身柄を拘束する手筈になっていた。
「モモカさんの言っていた通りですね」
早々に尾行を巻いたサクラとモモカは、シズネ達から渡された本拠地の配置図を読み合わせる。モモカが同化で得た情報と違わず、サクラが脱帽して言った。
「よし、じゃあ頭に入れたら本拠地近くに私達も移動しようか」
大きな街道を挟んで隣の区に移動すると、雰囲気はがらりと変わる。禍々しい色彩のネオンと、ガチャガチャした看板と、雑居ビルとがひしめき合うように建ち並び、呼び込みの男達の声だけが異様な活気を放っていた。取り繕った男達の活気とは対照的に、時折見かける立ちんぼの女達の目は死んでいた。弱者が当たり前に搾取される土地なのだ。
目当ての本拠地ビルが視認出来たところで、突然サクラたちの正面に立ちはだかる影があった。呼び込みの男か――いや違う――サクラは咄嗟に臨戦態勢を取った――忍だ――!
自分の鳩尾めがけて打ち出される拳を払い落とし、サクラは負けじと正拳突きを繰り出す。相手の顎先を掠めたが避けられ決定打にはならない。かなりの実力だ。相手が後ろに跳ねて距離を取り、印を結んだ。火遁の印だ。ぷくっと胸から口までを膨らませたその様子に火遁の炎が吐き出されることが分かった。それを避けるために辺りに目を走らせ身を隠せそうな場所を探す。そして近くの路地を目に留めそこに飛び込もうとした瞬間、サクラの視界が反転する。
何事が起こったか分からず、何とか地に足を付いたサクラはクナイを握りしめて構えた。しかし自分を抱えていたのがモモカで、さらに足元に先ほど自分を襲った忍と、もう一人別の忍が転がっているのを確認して力を抜く。
「一体何が……」
サクラは自分達が雑居ビルの屋上にいることに気が付き、下を覗いた。先ほど飛び込もうと思っていた路地が見える。どうやら襲ってきた忍は今ここに伸びている二人で、モモカが目にも止まらぬ早業で二人を気絶させ、さらにサクラを抱えたうえに敵二人を引っ張りここまで来たらしい。
「隠れて」
モモカの言葉にサクラは身を低くする。下の路地に、突然消えた人影を探す人達がいた。敵の一味だろう。
「あんなところで大袈裟な忍術を使われたら目立って仕方ないからね。ここまで飛んだ。今下で慌てている彼らは忍じゃないみたいだから、そうすぐには何が起こったか分からないと思う」
サクラは呆気に取られてモモカを見つめる。同じ中忍同士ということで侮っていたが、規格外の強さだと思った。
「それよりも、少しまずいことが分かった。敵の雇った忍は三小隊て言ったけど、そのリーダーはそれぞれ上忍クラスだ」
モモカの言葉にサクラは目を見開く。
「シズネさん達が、危ないですね」
モモカは神妙な顔で頷いた。
「シズネさんだって上忍だから簡単にやられるようなことはないけれど……私達が忍だってことがバレるのは時間の問題だ。急ごう」
二人は気絶している敵の忍達を、縄抜けの術もできないような強固な結び方で縛り上げてから本拠地ビルへ急ぐ。ビルの裏手のところで、モモカがサクラを止めた。
「ちょっと待って……気配を探るから」
モモカは地面に両手を当ててじっと佇む。何が行われるのかサクラが見ていると、彼女の目の周囲に赤い隈取の模様が現れた。驚いていると、モモカはここでないどこか一点を見つめるように意識を集中させて、やがて隈取は消える。
「いのは二階、シズネさんは最上階にいる。シズネさんの周りが一番敵が多い。三階が手薄になっているからそこから入ろう」
サクラはまじまじとモモカを見つめた。
「今のは……?」
「仙術と呼ばれる類のものだ。大地と触れていないと消耗が激しいから、ビルの中では使えない――準備はいい?」
モモカの問いかけにサクラは力強く頷く。
モモカの言っていた通り、侵入した三階に人気はなかった。そして恐ろしく静かだとも感じた。事前に下調べしたシズネ達の情報だと、三階は攫われた女達の監禁部屋になっているはずだった。
「さっき仙術で感じた様子だと女達はビルの中にほとんど残っていなかったよ。残りは四階と五階に何人かいるだけだ。たぶんシズネさん達が逃がしたんだと思う」
モモカとサクラは一フロア下り、まずはいのと合流することにした。階段を下りてすぐに、戦闘の気配がした。いくつかの金属音がする。そちらに向かうと、まさにいのが男二人を相手に戦っていた。サクラが後ろから敵を殴り、残る一人もいのが蹴飛ばして倒す。
「いの! 無事だった?」
サクラが駆け寄るといのは勝気に笑った。
「もちろんよ。こいつらは忍じゃないわ。でも――上の階にいる奴らは忍みたい。私達が木の葉の忍ってことがバレて……大体の女性は逃がしたんだけど、下の階層に残っている女性は私が、上の階層はシズネさんが向かって逃がしている所よ」
いのの説明にモモカとサクラは顔を見合わせた。
「忍達の中には上忍クラスの奴がいるみたいなの――行きましょう」
サクラの言葉に「まさか」といのがハッとする。そして再び口を開くよりも早く、空間がぐにゃりと歪んだ。足場が不安定になって、三人は倒れないように踏ん張る。敵の幻術かもしれなかった。
「やけに腕が立つと思ったら木の葉のくノ一達か……」
地の底から響くような声が聴こえて、サクラたちは身体を強張らせる。どこか遠くで喋っているような、はたまたすぐ近くで囁いているような、不思議な聴こえ方だった。
「まあいい。だいぶやられたがお前らはもう我々の手の内……。全員薬漬けにして売り飛ばしてやるよ」
「シズネさんは無事なの?! 今に捕まえに行くから待ってなさいよ」
不気味な声にサクラは強気な姿勢を崩さずに言い返す。響く声は低い笑い声をあげた。そして同時に、サクラ達を殺気が覆う。まるでこの空間に充満する酸素が全て、殺意に代わったような禍々しい気だった。上忍というのはやはり伊達じゃない。相手の術中に囚われているからなのか、鼻から吸い込んだ殺意が肺までを満たして恐怖に変わる。
「……死ぬよりも恐ろしいことなんてこの世には山ほどあるんだぞ……」
禍々しい笑いが木霊して、サクラはクナイを握りしめている手が震えているのに気が付いた。飲まれるな。これは相手の術だ。臆するな。囚われるな。しかしどう言い聞かせてみても、震えは一向に止まらず、息をすることさえ難しくなってくる。そしてそれは隣のいのも同様だったが、恐怖に支配されつつある脳ではこの場を突破する妙案がどうにも浮かばなかった。
「安心して、サクラ、いの」
およそこの場に似つかわしくないのんびりとした声音に、サクラは目を見開いて顔を上げる。酸素が薄くなって朧になってきた視界に、モモカの背中がはっきりと見えた。
「あなた達のことは死んでも守るよ」
まるで一筋の光のように、モモカの声が恐怖で凍り付いた心に染み渡る。
「二人はただ階段を駆け上って、目の前に現れた敵だけを倒せばいい。大丈夫、いつも通りだ」
モモカは腰に下げていた狐面を付けた。暗部が使っているものと似ているが、顔の上半分だけを覆うようなタイプのものだ。
「何かする気か……無駄なあがきを……苦しみが増すだけだ……」
不思議と、響く男の声はもう怖くなかった。サクラは自分のやるべきことが示されて、血の気の戻った手でクナイを握り直す。
「私の仲間は誰も殺させやしないよ」
モモカが言ったその言葉に、サクラはハッとした。バチバチとけたたましい音がして、モモカの左手に激しい光が弾けている。眩い雷切の濃密なチャクラの中で浮かび上がるモモカの横顔が、面で隠されていない口元が穏やかに微笑んでいるのをサクラは確かに見た。
「あれって千鳥――?」
いのが驚きの声をあげたと同時にモモカが矢のように飛び出した。モモカの言葉、雷切の光、そして仲間を守る背中――サクラはいつかの波の国での任務を思い出す。紛れもなく、あの日の師の姿が重なって見えていた。モモカが敵の術で歪んだ空間を切り裂くように進むと道が開ける。一点集中型の雷切の突きで、術を力でねじ伏せるようにやり方は無茶苦茶にも思えた。確かな強さがあるから出来ることなのだ。モモカの行く先に階上にあがる階段が見えた。サクラといのはモモカに続く。モモカのスピードは速く、その姿は見えなくなったが、彼女に言われた通りに二人は階段を駆け上る。途中途中に倒れている敵が何人かいた。突進するモモカに倒されたのだろう。四階に上がった所でサクラ達に襲い掛かる忍がいた。いのが手裏剣を連投し、それを避けたところでサクラが怪力を叩き込む。呆気なく敵は倒れた。二人の敵ではない。
(そうだ、私達はもう守られるだけの子供じゃない――)
サクラは自分の使命を思い出した。心に力強い灯がともり、自信と勇気を与えた。
四階のフロアから、先を走っていたはずのモモカが現れる。
「上だ」
モモカは短く言うと再び目にも止まらぬ速さで駆け上っていく。モモカが現れた四階フロアの方に目を向けると何人もの男達が倒れていた。きっと、モモカが全員倒したのだろう。サクラといのも五階に駆け上がる。
踊り場を通り過ぎて視界が開けると、複数の忍と女、そしてシズネが見えた。囚われた女達は人質になっているみたいでシズネが攻めあぐねている。忍達は、サクラが様子を把握しようとしたその数秒の後にバタバタと倒れて言った。その間を縫うように走る影は、モモカだ。モモカに向かって手裏剣やら術が飛ばされる。モモカは飛んでそれを避ける。そして宙返りをするような体勢でシズネの肩に手を乗せて、そのままにシズネを放り投げた。シズネが空中から千本を飛ばし、囚われた女達を拘束している忍を倒した。上忍格の忍が空中のシズネに向かう。すかさずサクラが怪力で足場を崩しそれを阻止する。いのが心転身の術でもう一人の上忍格の男に乗り移り、女達の縄を解いた。
「三秒以内に術を解け」
モモカの冷たい声にそちらを向くと、一番格上であるらしい男の背後を取り、その首筋に小刀を宛がっていた。男はすぐに術を解いて、このビルの空間を歪めていたものがなくなる。
「……我々の負けだ」
背後を取られた男の声は、先程聞こえたものだった。かなりの実力者であろうその忍の額には脂汗が滲み、死を覚悟した顔からモモカから向けられた殺気の強さが窺える。
モモカは小刀を逆手に持ち替え素早くその頸椎を打ち、男を気絶させた。
何もなかったかのような涼しい顔で立つモモカの姿に、シズネは末恐ろしさを覚える。きっと、この任務はモモカ一人でも達成できた。いや、モモカ一人ならもっと早く蹴りを付けていたかもしれなかった。
同化の能力、諜報活動の巧みさ、仙術による察知、素早い身のこなし、そして何より高い戦闘能力――……。
(この子は、暗部向きだ)
シズネはその内にまるで化物を宿しているかのようなその美しい忍を、畏怖の念を持って見つめていた。