この世の果てにも思える夜闇に向かい


 少し前までは、まだ町の体裁をしていた。貧困層が多く治安も悪いものの、活気はあった。東西に走る目抜き通りにはひしめき合うように屋台が立ち並び、木の葉隠の里では見たことのないような異国の食べ物や雑貨が売られて、商売人も旅人も多民族の人々が行き交うような町だった。
 それが半日も歩けば途端に建物は少なくなり、まばらに草が生えるような痩せた土地に忘れ去られたような民家が点在するのみだ。空き家も数多くあった。モモカは貧困街といえば、木の葉の里のトウキの家がある辺りを思い浮かべる。掘立小屋みたいな小さな家屋が立ち並ぶ地区だ。けれど一歩里の外に出てみれば、さらに下層の生活はいくらでもある。もちろんこれまでだって国外の任務はあった。けれどここまで遠くまで、文化の違う土地に来るのは初めてだ。イクル曰く何度も戦場になった土地なのだそうだ。この時期になれば香るはずの金色の花の甘い匂いは、この国ではしない。
 木の葉隠の里を出てから季節は一巡し、もう一年が経っていた。

 目的の場所は、古い遺跡のようだった。この辺りで多く見られる石造りの建物だったのだろうがそのほとんどが朽ちて瓦礫となり堆積している。かろうじて残っている柱の太さを見ればさぞ立派な建物であったことが想像できた。貴族か、相当に地位の高い者が住んでいたこの場所も、きっとかつての戦地だったのだ。風化した石壁に草が生えて一つの国の終焉を説いている。
「また外れか」
 トウキが一つ、言葉を溢した。
 イクルが黙って忍鳥を飛ばす。モモカは周囲に気を張り巡らしながら、今夜の夕飯を思った。
 音忍の巻物の情報を元に、モモカ達が訪れたアジトはこれで五か所目だ。そのうち、現在も使われているアジトは二か所だけだった。ここではない、別の視点を凝視するイクルが低く息を吐く。
「大丈夫だ……人はいない」
 告げるイクルは顔をしかめて、左胸を押さえていた。
「また痛むの?」
 モモカは慌ててイクルの背を撫でる。現在使われていないアジトを捜索する際も、念を入れてまずはイクルの忍鳥を使って内部を確認してから足を踏み入れるようにしていた。鳥吉秘伝の、イクルと感覚を共有した忍鳥たちだ。イクルの左胸に埋められた特殊な金属――相互のチャクラ伝達を可能にするという希少なものだ――それを忍鳥にも埋め込み、その感覚を自分のもののようにイクルは感じ取ることが出来る。
 しかしここのところ、感覚の共有の後にイクルはよく左胸の痛みを訴えていた。彼は大したことのないように言うが、額に浮かんだ脂汗を見れば相当に痛むのだろう。モモカは、イクルの身体が異物である金属とそのチャクラの共鳴に拒否反応を示しているように思えてならなかった。
「イクル、もういい。忍鳥をしまえ」
 トウキが強い口調で言う。
「俺とモモカで中を見て来るから、少し休んでいろ」
 何か言いたげな瞳でイクルはトウキを見上げたが、何も言い返すことなく頷いた。トウキの有無を言わさない顔を見れば、絶対に譲らないことが今までの経験上分かっていたからだ。

 夜になり、三人はぱちぱちと爆ぜる焚火を囲む。イクルが作ったシチューに干し肉を入れて、モモカはそわそわと待った。野営の準備はもうかなり手慣れたものだが、この鍋が煮えるのを待つ時間がモモカは変わらず好きだ。
 アジト内部は、やはりもぬけの殻だった。いくつかの家具や書籍、それから何かしらの実験が行われていたであろう血痕は残されていたが大蛇丸に直接繋がる決定的な痕跡はない。誰かが足を踏み入れた時に検知し記録する忍具を設置して、今日の所は引き上げた。
「しっかし、つくづく大蛇丸ってのは悪趣味なヤローだよな」
 トウキが思い出し悪態を吐く。このアジト跡以外にも、おぞましい実験の痕を見てきたからだ。トウキの赤みがかった黒髪は、焚火の灯りを受けて今は燃えるような色をしている。
「まあでもおかげで闇の忍術や実験にだいぶ詳しくなったよね、僕らも」
 仕上げに乾燥した香草を入れて、イクルは鍋を一回しした。炎に照らされた白い肌は昼間よりも血の気が戻っている。「詳しくねえ。良いんだか悪いんだか」とトウキが口をへの字にさせた。
「んーっ、美味しいー!」
 イクルのよそってくれたお椀を受け取り、口を付けるなりモモカが感嘆の声を漏らす。
「緊張感ねーやつ……」
「ねえイクル、これいつもと違うけどどうやって味付けたの?」
 トウキの小言も気にせず、モモカが尋ねた。
「ああ……この間の町で買ったホワイトスパイスを入れてみたんだ。肉とかの煮込み料理に合うって言われてさ」
 イクルが瓶を取り出し見せてくれた。木の葉の里では見ないスパイスだ。
「へえ、覚えとこ」
 モモカがメモ帳にスパイスの名称を書き入れる。メモ帳の内容は今まで通ってきた場所の地形、アジトの詳細、様々な忍術の原理、それから異国の料理など多岐に渡っていた。
 夕飯を食べ終え、思い思いに忍具の整備や読書にあたる。モモカは先ほどのメモ帳と一冊の分厚い忍術書を開き、筆を手に取っていた。
「うーん……ねえこれ、一応出来たんだけど」
 モモカは頭を掻き、二人に声をかける。手裏剣の錆び取りをしていたトウキは「どれ」と腰を上げた。イクルも本から顔を上げてモモカに寄る。モモカの正面には通常のものより大きなクナイが置かれていて、その刀身にはびっしりと文字が書き込まれていた。
「ふうん」
 イクルがクナイを持ち上げしげしげと眺める。この一年の間、モモカが試行錯誤しながら会得しようとした忍術だ。あらかじめ術式をかけた箇所に対象者を口寄せする時空間忍術の一種であり、会得難易度はSランクとも言われている。モモカの傍らにはびっしりと書き込みのされた時空間忍術に関する専門書があった。里を出てすぐの頃、見るからに禁術指定されていそうなその本をモモカはいつの間にか持っていた。どこから持ってきたのかと聞けば、彼女は一言「火影塔から盗んできた」とあっけらかんと答えたから驚いたし、大層笑ったものだ。
 一時里に戻った後のモモカは、見るからに元気になっていた。何か良いことがあったのだろう。そしてモモカをこんなにも明るくさせることのできる人物に、トウキもイクルも心当たりは一人しかいなかった。
「よっ」
 モモカは術式をかけたクナイを軽く投げる。そしてすぐに印を結び、次の瞬間にはクナイの飛んだ場所にモモカがいた。
「おおっ」
「今までで一番良いんじゃない?」
 トウキとイクルが口々に声を上げる。これまでもモモカが術式をかけた場所に移動することは何度かあったが、ひどく時間がかかったり場所のずれがあった。タイムラグなしにその場に飛んだのはこれが初めてで、飛んだモモカ本人でさえも驚いて尻餅をついていた。
「わ、何とか……。でもやっぱりまだ対象の術式と自分のチャクラを一体化させる工程が恐ろしく難しい……戦闘中にできる気がしないや」
 術式をかけた重いクナイを回収しモモカはトウキとイクルの所へ戻ってきた。その左腕に見え隠れするミサンガも、木の葉から戻って来てから付いていたことにも二人とも気付いている。時折モモカが機嫌良さそうにそのミサンガを眺めていることも、それが恐らくカカシ関連であることも、もちろん予想は付いていた。いくら聞いてもモモカは教えてくれなかったが、別に理由はなんでも良かった。
 モモカが笑っていると、自分達も明るくいられるとトウキとイクルは気が付いた。ハヤテの死後、いくら明るく振舞ってみても彼らを覆う闇は拭えず、常に心に暗い影を落としていた。それはモモカとて同じで、木の葉崩し後に結ばれた砂との同盟でそれは爆発した。何をするにも目的が朧にしか見えず、ともすれば死に急ぐようなところがあった。
 しかし木の葉に一時帰った後のモモカには、未来への希望があった。朗らかに、自分達の行く道を照らすような無邪気な笑顔を見せるようになった。以前のモモカに戻ったみたいだ。そしてモモカの明るさはトウキとイクルにさえも、全てを焦がすような憎しみを知らなかった頃の元気を与えていた。
 里を離れて一年。三人だけの旅は真に休まることはない。常に敵の気配に気を配り自らの体力を最適な状態で保つ生活。これが短期であればさして難しいことではないが、三人ぼっちで、里に帰ることなく常に気を張り詰めたような生活は、確実に疲労を蓄積させていた。この彼ら本来の明るさがなければ、とっくに根を上げていたかもしれない。くだらないことで笑い合える明るさは、彼らにとって何よりの救いだった。
「まあ四代目の得意技で……、他に扱えた者は聞かないというしね」
 フォローするかのようにイクルが言う。
「モモカのオツムで、頑張った方じゃねえの」
 トウキが笑ったのでモモカは口を尖らせたが、彼の言うことは尤もだ。イクル並みの頭と複雑な術式への理解、そして術式の発するチャクラと自身の練り上げたチャクラを瞬時に融合させる技術。Sランクの忍術であるというのもあながち間違いではないと思った。



 それから一カ月後の夕方、モモカはさらに東の地の歓楽街にいた。年の暮れが近付き底冷えするような寒さの日だ。
 嗅ぎ慣れないスパイシーで尖った香辛料の匂いの中に、甘ったるいムスクのような香りが鼻を突く。この時間になっても中心街は騒がしく、多くの人が行き交っていた。布を張っただけのテントのような屋台が何十件も軒を連ね、人々の喧騒と過酷な天候への気怠さと、そして麻薬のまどろみが一緒くたになったような匂いが四六時中香るような街だった。
 モモカはそのうち一軒の屋台に腰を下ろした。外套を目深く被ってもこの国では気候のせいなのかはたまた宗教上の理由なのかよく見る格好で、さほど目立つことはない。
「いらっしゃい、何食べる?ボク――いやお嬢ちゃん――ああ悪い、ボクか――」
 店の大将は若い客に戸惑いの声をかけた。モモカはフ、と目を細めて笑い「どちらでも」と低い声を出す。
「お勧めは?この国に来たばかりなんだ」
 モモカはさも年頃の青年の雰囲気を出し、屋台に並ぶ料理を物珍し気に眺め、それから客層にも目を向けた。モモカの他に四人だ。酔っぱらった中年男性。向こうで煙草をふかしている老婆は置物みたいに動かない。あれは煙草じゃなくて、もしかして、きっと、この国でよく使われる麻薬の一種かもしれない。そして黒字に赤い雲が描かれた外套を羽織る二人組の男。
「おすすめね、うちのは何でも――と言いたいところだが――」
「これ!この焼き飯!北の山岳地帯で生息してるヤギの肉と内臓を使っててね!コクがあって!すっげえ美味いよ!」
 大将の言葉を遮って若い男の店員が言った。大将はその若い店員の耳を捻り上げる。
「お前、油は運んだのか?皿は?ごみの処理は?出しゃばりやがって」
 大将は睨みをきかせた。怒られる若い店員にモモカは笑みを漏らす。雇われて日の浅いらしい店員は高い背を持て余すように奥に引っ込んだ。
「じゃあ、彼の言っていたそれを」
 モモカの注文に大将は鼻を鳴らし、鉄板の上の焼き飯を皿に乗せる。皿は黄色く劣化して、油汚れが落ちていなかった。同じように黄ばんだスプーンですくって食べると、確かに美味い。独特なヤギ肉の臭みがあって好き嫌いの分かれる味かもしれないが、少なくともモモカは美味しいと感じた。
 それからもう一度店内を見回し、隣の二人組の男が飲んでいるものに目を止める。酒だ。確かこの地では穀物を蒸留した酒が好んで飲まれていると聞いた。
「ん?なんだボウズ、これが飲みたいのか――?」
 二人組のうちのモモカに近い方の男が聞く。銀髪をオールバックにした顔は若そうだが、上から下までモモカを眺めまわす視線には自己中心的な性格が、そして力強いながらも他人を見下すような冷たい表情には尊大な自尊心が見て取れた。
「……あ、いえ、酒は……あまり……」
 モモカがさっと目を逸らすと、男はくっくっくと喉で笑う。
「飲めねえのか?単に金がねえんだろ?なあ?」
 男は些か酔っているみたいだ。人の神経を逆なでするような話し方だった。
「ほれ、俺のを飲むか?」
 なみなみと酒を注がれたグラスと、男をおずおずと見上げてモモカはそれを受け取る。そして、ちょびっとだけ口を付けた。
「なんだあその女々しい飲み方はあ?おら、パーっと飲め、パーっと」
「おい、飛段やめろ」
 奥にいる連れの男が苛々として口を挟む。大柄な男だ。黒い外套の中にさらに頭巾で頭部を覆っていてその顔のほとんどが見えない。モモカは片方の男には湯隠の、もう片方の男には滝隠の額当てを確認し、さらに抜け忍であることを示す横線が入っているのを見た。
「なんだよ角都、邪魔すんな――俺はこのボウズと喋ってんだよ――」
 オールバックの飛段と呼ばれた男が鬱陶しそうに手を振った。
「組織に入ったばかりのお前に粗相をされると、俺が面倒なんだよ。そのガキに酒を奢る気か?それとも連れ帰って今夜の慰みにでもする気か?」
 角都と呼ばれた頭巾の男の言葉に、殺気が飛ばされる。
「ああ?!なんだ人が気持ちよく飲んでるってのに――大体なあ、二人一組で行動させられるなんて聞いてないぞ」
 飛段が机を叩き、大将が迷惑そうな顔をした。しかし彼は何も言わないからこんな光景は日常茶飯事なのかもしれない。
「あの、お金がないのは本当ですので」
 飛び交う殺気にものともせずにモモカは口を挟んだ。そしてぐっと残っていたお酒を煽る。穀物の甘い香りと強いアルコールが熱く胃を満たした。飛段と角都の二人はその様子を見て殺気にあまりに鈍感なモモカに呆れ、そして気も削がれて、座り直す。
「だから、喧嘩はやめてくださいよ……へへへ」
 モモカは手前の飛段の肩に手を乗せた。次の瞬間、モモカは口を手で押さえてうっと下を向く。
「おいおいおいおい、ここで吐くなよ?!」
 飛段が慌ててモモカと距離を取った。
「言わんこっちゃない……」
 呆れた目で角都が呟く。しかしモモカは吐くことなく、顔を上げた。
「きっつい……こんなきつい酒は初めて飲みました……」
 嘔吐がなかったことに飛段はホッとしてモモカの様子を窺いながら次の酒を注ぐ。若い店員が奥からまた顔を出した。
「お客さん大丈夫?水飲むかい?」
「あ、いえ……平気そうです……」
 少し呂律の回らない口でモモカは答える。
「いやあ、なんだボウス。見かけによらず、男気あるじゃないの。今日は俺の驕りだ」
 飛段がモモカの背をばんばんと叩いた。辺りの屋台から立ち上る煙と肉の匂いも相まって、モモカはまた気持ち悪くなりそうだった。
「はは、どうも……」
 空笑いでモモカはボトルを持ち、「そちらの旦那も」と角都にお酌をしようとその顔を見上げる。
「……ボウズじゃないな」
 角都はそれに応じることなく、モモカをじっと見つめ返して呟いた。
「はあ?」
 飛段が意味が分からなく聞き返す。
「ボウズじゃなくて、女だろう」
 角都の言葉に、飛段は眉を寄せてモモカをじっと見た。鼻先まで近付いたその顔から、殺人鬼の臭いがした。何十人も何百人も殺してきた、吐き気を催すような濃い血の臭いだ。
「んー、そうか?どっちにも見えるといえば見えるが……最近こういう線の細いガキは多いしなあ」
「いいや女だ。人よりも長く生きている分、俺には分かる。そして無邪気そうな顔して、腹に一物抱えているんだ、そういう手合は」
 断言する角都に飛段が不思議そうに振り向く。そろそろ引き時かもしれないとモモカは考えた。

「うん!そうだ!そいつは女で、腹に一物抱えてて、それで――木の葉の忍だ!」
 この場に似つかわしくない明るい声音に、モモカも飛段も角都も全員が臨戦態勢を取った。屋台の暖簾の向こうに男が立っている。声を掛けられるまで全く気が付かなかった。男は飛段と角都と同じく黒字に赤い雲模様の外套を身に纏っている――暁だ――!
 想定していなかった三人目の出現にモモカは内心焦った。
「あ?その格好――……同僚か?」
 飛段が角都に尋ねる。どうやら飛段という男は暁に入って日が浅く仲間の顔を把握していないらしい。
「いいや……見たことのない顔だ」
 角都が不審感を露わに三人目の男を見た。顔、といってもその男は面をしていた。右目の位置だけ穴が空いていて、そこを起点に螺旋状の紋様の付いた面だ。
「ねえねえ、ボクのことは良いとしても、なーんで木の葉の忍がこんな僻地にいるのかなあ?」
 取ってつけたような明るい声に、角都と飛段がモモカを振り向く。
「ん?」
 モモカは小首を傾げてみせたが、既に通用するとは思っていなかった。
 偶然この町で見かけた黒地に赤い雲模様の外套の二人組。イタチと鬼鮫が着用していたものと一緒だった。暁のメンバーを思いがけず発見して、何か抜き取れる情報はないかと接触したのだ。
「本当か?ボウズ……いや、お嬢ちゃんか」
 飛段が酔って赤くなった顔を胡散臭そうに歪めて尋ねる。
「大方、暁の情報を抜き取るか、もしくは大蛇丸を追っているかのどっちかでしょ!ねえ?」
 大きな、なおも明るい声音で仮面の男が言った。
「放っておけ。木の葉の若造がうろちょろしたところで何もできまい。邪魔なら殺すだけだ。それよりも――お前は何者だ?」
 角都が仮面の男を睨んだ。仮面の男は「ボク?」ととぼけた声を出す。
「あはは、まだ正式なメンバーにはなってないんすけど!そのうちなる予定っす!」
 一人異様な明るさの笑い声を出して仮面の男はそう告げた。するりと立ち上がったモモカの腕を飛段が掴む。
「待ちな」
 飛段のおぞましい心に触れて、モモカは叫び出しそうになった。人を人とは思わない、鬼畜の精神だ。
「俺は馬鹿にされるのが嫌いなんだよ――ハッキリさせようぜ、なあ。まずアンタは男か女か?いやそんなのはどっちでもいいな――木の葉の忍なのか?……ああこれも大した問題じゃない――目的があって俺たちに近付いたのか?人畜無害そうな顔してよお」
 酔いの回ったどろんとした目付きで飛段が睨む。モモカは掴まれた腕を震わせながら口を開いた。
「大蛇丸……」
 囁くモモカの言葉に、飛段の中でいくつかのイメージが浮かび上がる。
「っていうのは聞いたことのある名前ですけど……。違います。信じてください。私はこの町に来たばかりで何も」
 黒目がちの瞳を伏せて、モモカは訴えた。
「じゃあこの町に来る前はどこから来たんだ?木の葉じゃないのか?ああ?!」
「お客さん、揉め事なら外でやってよ」
 大将がとうとう口を挟んだ。若い店員は成り行きを恐々見ながらも、スッと伝票をカウンターに置く。
「そんなガキに構うな……出るぞ」
 角都は苛々とため息を吐き、お代を伝票の上に置いた。モモカの分まで出してくれているから、律儀なものだ。
「構うかどうかは俺が決めることだ」
 角都に吠え、飛段はモモカの腕をぐいと引っ張る。しかし角都の方を向いた飛段は、何か後ろが明るくなったなと不思議に思い、次の瞬間にはモモカの腕を引く力がなくなったと感じた。抵抗がなくなり、モモカの方を振り向く。目に映ったのはバチバチと発光したクナイを握るモモカ。眩い光に照らされて浮かび上がる野生の獣のような真っ黒な瞳。飛び散る鮮血。手首から先がなくなった自分の右手。そして遅れてやってくる腕を切り落とされた痛み。
(こいつ――いつの間に――)
(クナイに雷遁の術を――それも殺傷力の高い術を流し込んでやがる――)
(しかし気付かなかった――殺気がまるでなかった――)
(この極限まで殺気を隠せるものなのか――)
(本当に野生の獣みたいな――)
「クソがあっ!!」
 飛段は叫んだ。青筋を立てて残っている反対の腕でモモカに手を伸ばす。しかしそれは叶わなかった。
 突如地面が揺れて、大量の土石が流れてきた。店の外に有無を言わさず押し流されて、飛段は喚き散らしながら藻掻く。一体誰がこんな土遁の術を。
「あの店員……グルだったか」
 切り落とされた飛段の腕なんてどうでもいいかのように角都が舌打ちした。その言葉に飛段は先ほどの若い店員を思い出す。奴か。どいつもこいつも馬鹿にしやがって。
「ほらあ、言わんこっちゃない」
 仮面の男がどこか楽しそうに言った。土石から自力で這い出した飛段は、角都、仮面の男、それから先ほどの男だか女だか分からない飛段の右手を切り落とした忍、そして若い店員だったはずの男が印を結んで構えているのを見た。その飛段の腕を切り落とした忍と土遁を使った店員の振りをした忍はいつの間にか揃いのゴーグルを付けている。角都の言う通り、二人は仲間だったのだ。
「てめえら!痛えぞ!殺してやる!」
 飛段が怒鳴る。呆れた視線を寄越す角都さえも殺したかった。
「ちゃーんと掴まえとかなきゃ」
 土石から逃れて向かいの建物の屋上に立つ仮面の男が言う。モモカは飛段と角都、それから仮面の男との距離を目測し、今なら確実に逃げられると思った。しかし次の瞬間、僅か一刹那目を離したその瞬間に、仮面の男は消えた。そして背後に感じる気配。
(木の葉の若い忍なんてどうでもいいんだけど)
(二人に挨拶がてらに面白いものが見れた)
(ちょっと遊んでやろう――)
 あり得ないと、モモカは思った。瞬身の術なんかよりも遥かに速い。それこそ瞬間移動したかのようだ。さっきまであそこにいた男を目で追えずに背後を取られるなんて。同化の力で見たイメージがなければモモカは確実に刺されていた。身体を捻りクナイを投げる。
「わあ、よく避けたね!でも残念当たらないよ!」
 仮面の男が笑った。クナイは男のほんの少し脇を通る。しかし次の瞬間、モモカは消えていた。
「?!」
 バチバチと先ほどとは比べ物にならないけたたましい音と光に、仮面の男は目を見開く。今しがた横を通ったクナイの少し前方にずれた予想だにしない場所に、モモカがいた。左手に濃縮した雷遁のチャクラを集めて仮面の男を視線で射抜き、二人は目が合う。
(この時空間忍術は、先生の飛雷神の術)
(そしてこの光は――雷切――……)
(何故この二つを同時に……)
 しかし仮面の男が想定していた鋭い突きは放たれず、光は拡散した。目も眩むような眩い光の中で、視界が奪われる直前に男はモモカのゴーグルが黒く変色しているのを見る。
「そうか……目くらまし……!」
 雷切をまさか、目くらましに使うなどとは思いもしなかった。固定観念とは恐ろしいものだ。飛ぶようなスピードで遠ざかる二人の忍の気配に、文字通り飛んで逃げたのだろうと仮面の男は悟る。
「三人目がいたのか……やられたな」


 イクルは忍鳥の背に乗って逃げてきた二人と合流しその酷い様子に眉をしかめた。モモカもトウキも汗をびっしょりとかいて青白い顔をしていたのだ。目立った外傷はないが酷く精神を削られているようだ。
「大丈夫かい――?」
 タイミングを違えず飛び去ることが出来て良かったとイクルは心底思った。トウキが深呼吸して頷く。彼はあの屋台の若い店員になりすまし、暁の男達の様子を窺っていたのだ。
「やばかったぜ」
 トウキが汗を拭う。寒空の飛行に汗が冷えてきたのか、モモカは外套を羽織り直した。
「うん、やばかった。たぶん今までで一番やばい奴らだった」
「そんなに――?」
 モモカの言葉にイクルが聞き返す。
「うん、例えるなら――ええと、大蛇丸が三人いるような感じだった」
 思わずイクルは口を噤んだ。
「イクル、奴らは?」
 トウキが落ち着かない様子で後ろを確認しながら聞いた。
「大丈夫、ずっと見てるよ。奴らはまだあの場所に三人ともいる。飛段というオールバックの男は追いかけたがっているようだけど……もうこの距離だ。よっぽどの感知タイプの忍がいなければ追いついてくることはないだろう」
 イクルは感覚を共有する忍鳥の目を通して奴らを監視していた。突然の騒動にざわつく屋台通りに、暁の連中はまだ立って、話している。それを上空から見るイクルの忍鳥――突然、仮面の男が空を見上げて、こちらを見た。
「……?!まずい……解!」
「どうした?!」
 慌てて忍鳥との感覚の共有を断ち切ったイクルに、トウキが聞く。
「……はあ、……今、一羽殺られた……」
 肩で息をするイクルにトウキが苦虫を噛み潰したような顔をした。感覚を共有した貴重な忍鳥だ。数羽しかいないそれをイクルが逃がすことなくみすみす殺させるなど、よっぽどのことだ。
「一歩遅ければ……僕の精神に入り込んできそうな気配がした……もし忍鳥ごと僕も幻術をかけられたらまずいからね」
 忍鳥ごと幻術をかけるなんてあんまり現実的な話ではないが、奴らならそれも可能な気がした。
「それと……今見たものが自分でも俄かには信じられないけれど……モモカが切り落とした飛段という男の右腕が、くっついていた」
 イクルの言葉にトウキとモモカは驚きに目を見開く。そしてモモカは合点がいったかのようにハッとした。
「不死……本当に……」
 モモカは唇を噛みしめて呟く。
「なあ……モモカ何を見た?あの飛段って奴に触れて」
 ただならぬ様子のモモカにトウキが尋ねた。
「……あいつら、死なないらしい」
「えっ?」
 モモカの冗談のような言葉にトウキとイクルは同時に聞き返す。モモカは頭を振った。
「私も最初は嘘だと思ったけど、同化で感じた様子だと、どうも本当らしい。飛段は何か――神…いや違うな宗教――?とにかく何かを崇拝していて、それが不死の理由らしい。角都の方は直接触れなかったから、飛段と同じ理由で不死なのかは分からない。ただ分かったことは飛段は暁に加入してまだかなり日が浅いってこと。二人一組で行動していること。それから……それから、奴ら、たくさん殺している」
 モモカはあの吐き気を催す感覚と臭いを思い出し、ぶるりと体を震わせる。
「二人が言おうとしていることも分かるよ。忍なら殺しなんて当たり前だ。でも違う……そういう次元の話じゃない。数十人とか数百人じゃなくて、もっとたくさんだ。それこそ息をするように殺している。悪いなんてこれっぽっちも思っていない。あれはもう人間じゃない――それこそ悪魔とか鬼とかの類だ」
 トウキとイクルは何も言えずに黙ってモモカの説明を聞いていた。
「大蛇丸に関しても情報が得られた。飛段に掴まれている時に名前を出したら、イメージが浮かんだんだ。ここから近いところにアジトがあって、あの薬師カブトの目撃情報もあったらしい。ここから北北西に約五里の距離だ。でも暁は積極的に大蛇丸を狩るつもりはないみたい……邪魔するなら殺すけれど、そうでないならば基本的に放っておくようなスタンスだよ。利害が一致しているのか」
 モモカは喋り終え、息を吐く。
「どうする?」
 モモカは暗い瞳で、けれど確かに闘志を燃やして二人に尋ねた。
「さっきの騒動はかなり目立った。この近くにアジトがあるならば大蛇丸本人やカブトじゃないにしろ誰かしら音忍の目に留まる。直に奴らの耳にも伝わるだろう――暁のメンバーと木の葉の忍がぶつかったことは。そうなると、当然警戒は強まるはず――」
 イクルが緊張した面持ちで言う。
「この機を逃したら……また遠のくな」
 トウキは既に腹を決めた顔をしていた。モモカも頷く。
「僕はチャンスとリスクを冷静に天秤にかけたい。言っていること、分かるよね?その場の勢いや強がりじゃ勝てない。君らにまだ戦う気力と、チャクラが残っているのか正直に答えて」
 忌憚ないイクルの言葉にトウキとモモカは潜入の為隠していた木の葉マークの額当てを結ぶ。
「俺はほとんどチャクラを使っていない。ほぼ満タンの状態だ」
「私も雷切は拡散の為に使っただけだから、あと二発は撃てる。仮にもう一度暁の奴らに遭遇してしまっても、一度接触している分、心構えが出来ているからショックは少ない」
 イクルはじっと二人を見つめた。二人の顔色とチャクラの状態、それから瞳の動きからその言葉が嘘でも強がりでもないことを見極める。
「オーケー、分かった。今からそのアジトに向かう方向で話を進めよう」
 三人を乗せたイクルの忍鳥は北北西に舵を切った。
「モモカ、もう一人の男の情報は?三人目に出てきた仮面の男だ」
 イクルが尋ねる。モモカは難しい顔をした。
「正直よく分からなかった……どうやら飛段と角都も知らないみたいで……でもそのうち正式なメンバーになると、本人は言っていた。奴にも直接触れていないからそれが本当か嘘かは分からない。けれど逃げる前に、一瞬覗いた感じだと……驚いていた」
 考えながらモモカは懸命にあの感覚を思い出そうとする。
「驚いた?何に?」
「ええとね、たぶん私の技に」
「そういえばあの土壇場で不安定な時空間忍術を使うなんて肝が冷えたぜ……そりゃ奴も驚くさ」
 トウキの言葉にモモカは「うーん」と唸った。
「実はちょっと失敗したんだけどね。出る場所がずれて、まあだからこそ相手も虚を衝かれたのかもだけど……でも本質はそこじゃなくて……あの男は時空間忍術と雷切を同時に使ったことに驚いていた感じというか……あとたぶん雷切を知っていて、それがカカシさんの技であることも知っていた……たぶん、だけど」
 モモカの言葉の意味をイクルは考える。
「でもモモカ、カカシさんは里外でも有名な忍だ。写輪眼のカカシとして名を馳せていて、それこそ雷切という技を使うことを知る忍も少なくはないと思うよ」
 イクルの言うことは尤もだ。モモカはそれでも釈然としない顔をしていた。
「うん……でさ、触れていないから本当にぼやーっとしたイメージしか見えなかったんだけど、その仮面の男に浮かんだカカシさんのイメージがさ、今のカカシさんじゃなくて……たぶんけっこう昔なんだよね。子供の頃の」
 そういえばカカシはいつ雷切を習得したのだろうとモモカは思った。
「子供の頃って、どんな?」
「どんなって、すっごく可愛い感じの」
 トウキの問いかけにモモカは即答する。
「……」
「……」
 トウキとイクルは思わず目を見合わせた。二人の様子に幼いカカシをぽーっと思い浮べていたモモカはハッとなる。
「あはは……まあそれは置いといて」
「ったく……本当にどこまでいっても緊張感ねえ奴だな」
「でもいい具合に力が抜けたよ」
 こんな時だというのに、照れ笑いのモモカにトウキとイクルは苦笑した。
「確かにな」
 トウキは鼻を鳴らす。
「俺はよ、まあ知っての通り基本的に他人のことは信じてねえんだわ。里の奴らも、家族でさえも。他人は簡単に裏切るし、保身に走る。そういうもんだ。けどお前らのことはちょっとは信じてるぜ」
 トウキの言葉にイクルは静かに微笑み、モモカもくすぐったそうに目を細め頷いた。
「他人は裏切るし保身に走る……そういうもんだが……それがお前らならまあ腹立つけどどうにか許せる。許せるってのはちょっと違うな。なんつうか、お前らとなら、裏切りや憎しみの果てにも、正解を見付けられる。無理やりにでも、正解に持ってけると思うぜ」
 だからフォローよろしく頼むぜ、と不敵に笑うトウキには、五年前にはない力強さがあった。いくつもの憎しみを見たからこそ、トウキの言葉は重みを持っていた。
「……そう言われたら頑張らないわけにはいかないね」
 イクルもあの、勝気な笑みを見せる。勝気な表情の中に本当は優しさを秘めていることをモモカはもうとっくに知っていた。
「よし、じゃあ作戦を言うよ――」
 三人はぐんぐん近付いてくる前方の闇を見つめる。町から離れて光源はなく、真っ暗な夜だ。この世の果てにも思える夜闇に向かい、モモカ達は三人きりで、信念を貫こうとしていた。



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