連帯感が生まれつつあった
昔から、他人の考えていることや、感情が何となく読み取ることができた。
平々凡々な中忍の父と母、そして年の離れた兄と姉の下で、末っ子としてのびのびと育てられてきたモモカは人の顔色を伺うような子供では決してなく、むしろのんきだとか、のんびりしていると形容されることの方が多かった。しかし人の気持ちというか、感情には人一倍敏感であった。
ああ、この人は笑っているけど悲しんでいるな、とか、この人は怒っているけど内心では怯えている、だとか。
それは単なる読心術にはとどまらず、精神を集中して強く望めばその人の心の中のイメージを見ることができた。そのイメージは誰かの顔だったり、何かしらの単語だったりする。しかしこの心の中のイメージを読み取るにはその人に触れていなければならないことをモモカは経験から知っていた。
モモカはこれを“同化”と読んでいた。自分の他に同化できる者がいるかは知らない。聞いたこともないし、聞かない方が良いと思ったからだ。
のんびりしているように見えて賢いこの娘は、心の内を除かれることを人は不快に感じることを本能的に知っていた。
また、同化は対象に触れた状態でひどく集中しなければならなかったので精神的にも疲れるし、そこまでして誰かの心の中を見る必要もないと思っていた。
初めてこの能力に気付いたのは6歳の時だった。当時家族で飼っていた犬が死んだ。
老衰だった。マルという名の老犬は、モモカの生まれる10年も前にこの家族の元にやって来た。
日に日に弱っていく姿に家族皆が心を痛めていたが、仕事の父を除き全員で最期を看取ることができた。愛犬が息を引き取る間際、痩せたその背をモモカはそっと撫でた。
その時、自分のものではない感情が流れてきた。ありがとう。ありがとう。悲しまないで。ごめんなさい。楽しかったよ。幸せだったよ。最後まで一緒にいられて、寂しくなんかないよ。大好きだよ。ありがとう。さようなら。
わずか六歳のモモカの心に、16年を生きたマルの一生分の想いは受け止めきれなかった。びっくりして、思わず手を離した。
モモカは自分が大粒の涙をぼろぼろと溢しているのに気が付いた。自分の悲しみからではない。マルの感情が流れ込んできたのだ。涙を流す妹を、姉は抱きしめた。愛犬の死に目に幼い妹が泣いているように見えたのだろう。
強く抱きしめる姉から、今度は激しい悲しみが流れ込んできた。さらに、見たことのない光景が見えた。
若い父と母。そして今の自分と同じくらい幼い兄の腕の中には、小さな小さな子犬のマル。モモカの知らない家族の風景だ。また違うイメージが見えた。原っぱの中をピクニックする家族。走り回るのは成長した兄とマル。その光景を眺めるのは姉の視点からだろう。隣の母を見上げれば赤ん坊を抱いていた。生まれたばかりの、私だ。
また違うイメージに変わる。
今度はモモカも記憶に新しい弱っていくマルの姿と、大粒の涙を流す少女――モモカ自身だった。
その時はあまりの悲しみに頭が混乱していたが、だいぶ後になってから兄に尋ねた。
「マルと、家族みんなで、私が生まれたばかりの時にピクニックにいったよね?」
兄はよく覚えているな、と驚いてモモカを見た。まあ、よくあの頃はピクニックに行ってたかなあ、うん。兄は自分を納得させるかのように頷きながらも、どこか不審がっているようにも見えた。
それ以来、モモカは同化して見たイメージのことを誰かに話すのは何となくやめた。
…
四月半ばの病院帰り、家路に着く途中でトウキとイクルに会った。
下忍承認試験とも言うべきあの演習で一番の負傷者であるモモカを心配して二人はよく様子を見に来てくれていたのだ。
「お前、もうそんな歩けるのかよ」
小脇に抱えた紙袋いっぱいの野菜を横目に、トウキが口をへの字にした。トウキはひょろりと高い長身で、顎まで伸ばした黒い長髪から覗く鋭い眼光からは野性味が感じられる。いかにも反骨精神に満ち溢れていた。
「えへへ、もうだいぶ良くなったし、お母さんにおつかい頼まれちゃって」
モモカは鼻の頭を掻いた。事実、骨折したあばらの痛みはほとんど引いていた。
「お前のお袋さんもだいぶ人使い荒いよな」
「まあ、こののんきさがモモカの良いところだし」
トウキのぼやきにイクルも苦笑する。
イクルはトウキとは対照的に中性的な顔立ちで、いかにも育ちの良い少年といった風である。実際のところ家はかなりの資産家らしい。癖のない柔らかそうな髪が形よく切り揃えられていて品の良さを醸し出すのに一役買っていた。
三人は取り留めのない話を話しながら、夕暮れ時の里内をモモカの家に向かって歩く。
アカデミー時代はほとんど言葉を交わすことのなかった三人が、同じグループを組まされ下忍承認試験を受け、しかし落とされ、こうして肩を並べて歩く。数カ月前は想像すらしていなかった光景がモモカはなんだか可笑しかった。
そこかしこの家から夕飯の匂いがする。アカデミーや病院のある地区を西に抜けた後は、ほとんど住宅街なのだ。
三人はヒョウタン公園脇の三叉路で別れた。
二人と別れ三叉路一番左の道を歩き始めてからほどなくして、モモカはハッと後ろを振り返った。
鈴の音が、聞こえた気がしたのだ。振り返るも、誰もいない。夕日に家々の影が長く伸びているだけであった。
あの下忍承認試験後、生活の中でモモカは視界の片隅でどこかカカシを探していた。
病院の待合室、火影中央棟付近、演習場―――どこかで鈴の音が聞こえたような気がして、ついあの銀髪の男を探してしまうのだ。
軽く息を吐いて、モモカは再び歩きだした。
承認試験から1か月後、モモカは本格的な訓練を再開した。
走り込みや筋トレ等の軽いトレーニングはしていたものの、全力で体を動かすのは久しぶりだった。
だからだろうか、普段はぶっきらぼうなトウキが心配しているようであった。
「別に俺はいいけどよ……。しかしモモカから組手をしようなんて珍しいな」
三人はアカデミーからは少し距離があるが、人気のない第四演習場にいた。
「トウキは体術が得意でしょ。イクルはチャクラを使った忍術。私はどちらも二人に及ばないから、それぞれ得意なものを習った方が良いかと思って」
靴ひもを固く結びなおし、手加減しないでよ?とモモカは笑った。
「へっ、泣きべそかいても知らねーぜ」
トウキは鼻を鳴らしモモカに向き直る。
イクルの合図で組手は始まった。
同期の中でも背が高く、なおかつ身体能力に優れているトウキの体術はさすがというべきものだった。モモカは防戦一方である。視界の隅でイクルがはらはらしながら見守っているのが確認できた。
でも、このトウキの体術も、カカシの前では遠く足元にも及ばないのだ。
モモカは全神経を集中させた。トウキの拳や蹴りを受ける一方で、その心の内を読むことを試みたのだ。“同化”の力を使い人の心の中を除くのは卑しい行為な気がして今まで避けてきたが、カカシとの一戦以来、この能力を戦闘に生かしたいという思いがモモカの中で湧き上がっていた。
ばしん!トウキの右の拳を左の手で受ける。重くて、びりびりと痺れた。精神を研ぎ澄ませる。
見えた。
次のトウキの繰り出す行動のイメージがありありと見えた。それはまさしくトウキの心の内で描いているイメージそのものだった。
蹴り上げたトウキの右足を躱す。次いで来る肘打ちをかがんでやり過ごす――の後に、モモカは下からトウキの顎めがけて強烈なアッパーを繰り出した。
うっと呻いてトウキは後方に倒れた。クリーンヒットだった。
この同化能力は、戦闘に生かせるという事実が、モモカの中で芽吹いた。
それ以降、トウキは熱心に修行に励むようになった。トウキの性格からしてぶつぶつと文句を言われるのではないかと思っていたが、彼の中で自信のあった体術を格下だと思っていた同期(それも女子)に負かされたことによって、彼のプライドが文句を垂れずに自身の技術を高めることを選んだのだろう。
そんなトウキの様子に触発されてか、どこかお高く止まっていた(と勝手にモモカが思っていただけかもしれないが)イクルも熱心に訓練に打ち込むようになっていた。
モモカもモモカで、同化のことは二人に打ち明けなかったが、組手練習の中で相手の攻撃パターンを読む訓練は着々と続けていた。
アカデミー卒業時に組まされた三人組で、アカデミー時代は特段仲が良いわけでもない、むしろほとんど話したこともなかったが、下忍承認試験に落ちて以降の彼らには連帯感が生まれつつあった。