犯罪者の狂気を潜めて


「はあ?飯行った?ゲンマと二人で?」
 椅子を並べる手を止めてトウキが怪訝な顔で聞き返す。
「なんでだよ」
「なんでって」
 トウキとイクル以外の他の試験官が自分達を気にも留めていないことを一応確認して、モモカは何となく声を潜めた。
 今日は中忍試験の初日であり、試験官補佐を務めるモモカ達も直前の準備に追われていた。今は一次試験会場の準備をしているところである。
「普通にご飯行こうって……私が最近元気ないのを気にかけてくれたみたい」
 事実をただ述べただけなのだが、トウキとイクルは顔を見合わせる。
「元気ないって……それで相談したのか。カカシのことだろ」
 トウキの質問にモモカは首を横に振る。元気がないというか、調子が出ないのは確かにカカシが原因だということはモモカ自身はっきりと分かっていた。でも、そのことは――キスをしたことは――誰にも、トウキとイクルにも話していない。
「へえ、まだカカシさんのこと好きなんだ」
 意外そうな顔でイクルが言う。少しその表情が和らいだ気がした。
「う……まあ、好きというか、はあ」
 モモカはしどろもどろに答える。
「で、普通に世間話して美味しいご飯食べて、楽しかったってだけなんだけど」
 モモカとしてはただあったことを報告しただけなのに、トウキは盛大なため息を吐いた。イクルもやれやれという顔で椅子を並べる作業を再開する。自分の話なのに、何故だかモモカだけ蚊帳の外みたいだ。
「……何なのその反応」
 モモカは口を尖らせて椅子を広げた。残りの椅子も運んで、あともう少しでここは終わりだ。
「モモカはさ、同化能力でゲンマさんの心を覗いたことある?」
 机が等間隔に並んでいるかチェックしながらイクルが尋ねる。モモカは「まさか」と反論した。
「ないよ。必要がなければ無差別に人の心の中を覗いたりしない――それが身近な人ならなおさら。イクルだって知ってるでしょう」
 少しムキになったモモカにイクルが淡々と答える。
「うん、それは分かってるよ。だからこそ、モモカはゲンマさんの意図なんて分からないわけで」
 イクルの言葉にモモカは眉を寄せた。
「そんなの分かんないよ。誰のことだってそうだよ」
「かーっ、これだからお子ちゃまは」
 トウキがわざとらしく嘆いてみせる。モモカはその反応にますます拗ねそうになったが、はたと思い至る。
「……ねえ、もしかしてそういうことを言ってるの?」
 モモカが二人をまじまじと見つめるとトウキが肩をすくめた。
「その、男女の仲になる、みたいな……ゲンマさんにそういう意図があるって……いやいやそれはさすがにありえないよ。だって年が離れてるし」
「それを言うならカカシさんとだって年が離れてるじゃない」
 すかさず入るイクルの指摘にモモカは「うっ」と口ごもる。
「いや、カカシさんは私が一方的に好きなだけだし……いやまあそっちの話は今は置いといて」
 モモカはたじたじになってカカシを頭から振り払った。
「ありえねえ話でもないだろ。仕事で知り合う女なんて限られてくるし、中身はともかくとしてお前、見てくれは悪くねえんだから。中身はともかくとして」
 二回も繰り返さないでいいよ、とモモカはトウキにローキックを食らわす。イクルは「はは」と笑った。
「でもなあ、いまいちピンと来ないというか。ほら、私は二人と違ってモテないし。お付き合いしたことも告白されたこともないしさ――……よし、ここは終わりだね」
 照れ笑いをして、それからモモカはすっかり出来上がった一次試験会場を見回す。本日二度目、トウキとイクルが顔を見合わせた。
「そりゃあ、僕らが牽制しているからね」
 当たり前の顔をしてイクルがそう言うものだから、モモカは何と返答してよいか分からなくなってしまった。
「えっ……と」
 ぷっと吹き出したのはトウキだ。
「なんて間抜け面だよ。本当こんな色気のねえ奴のどこがいいんだか……言っとくけど誤解するなよ。牽制ったって言葉の綾で何もしてないからな。ただ周りが勝手に敬遠してるだけで」
「さあ、ここはもう終わったって報告してきて。ついでに、その辺の忍にちょっと探りを入れてごらんよ」
 イクルに促されてモモカは二人を訝し気に見つめ、それから言われた通り教室の外に出た。廊下で作業していた現場リーダーに教室内の配置が終わった旨を告げる。
「お疲れ様、とりあえずもう試験開始まで仕事はないよ」
 彼は教室の中をちらと窺い見た。
「そうだ、モモカちゃん。コテツ達が受験生にちょっかいかけにいくみたいだけど見に行かない?」
 イクルに言われたから、というわけではないが、自分をちゃん付けで呼ぶこの男と果たしてそれほど親しかっただろうかとモモカは考え巡らす。
「ちょっかいですか」
「ああ、中忍試験の伝統みたいなもんでね……先輩として、試験官の中忍が下忍達にちょっと悪戯するのさ。今年は幻術で偽の教室を試験会場に見せるって」
 そんな風習があるのか、とモモカは感心した。自分達の時もあっただろうか。
「私はまだ個人的な準備があるので……遠慮しときます。トウキとイクルでも誘ってみたらどうですかね」
 いつもなら勧めない二人の名前を口に出すと、現場リーダーの忍は渋った顔をした。
「あの二人かあ……うーん、ちょっと、とっつきにくいんだよなあ」
 二人が言っていたのはこれか、とモモカは男を観察する。
「とっつきにくいですか?」
「うん、まあモモカちゃんに言うことじゃないけどさ。二人とも実力は文句なくあるんだろうけど慣れ合わない雰囲気をバチバチに出してるっていうか……おかげでモモカちゃんにも話しかけづらいって奴いっぱいいると思うよ」
 まさしく二人の言った通りで、モモカは半ば呆気に取られた。他人の心の機微には敏い方だと自負があっただけに、己の観察不足が悔しかった。モモカ達の後ろを通り過ぎる別の忍びがまた声をかけてきた。
「あれっモモカちゃん一人は珍しいね。お茶でもどう――」


「単に一番年下だからだと思ってたんだよね」
 トウキとイクルと合流し、モモカはぼやく。試験開始まで時間があるから休憩に入ったところだった。モモカが先輩の申し出を断った手前、他の者に会わないように一番遠い高層階の休憩所に来ていた。
「まあ俺ら中忍の中では年齢が一番下の方だから、妹みたいに可愛がってくれてる人もいるだろうけどよ」
 トウキは自販機に小銭を入れてアイスコーヒーを購入する。イクルのアイスミルクティーとモモカのお茶も合わせて買って投げて寄越してくれた。休憩所といっても隣の本館につなぐ渡り廊下の手前にあるちょっとしたスペースだ。自動販売機とベンチが置いてあるだけで今の時間は通る者もほとんどいない。渡り廊下は外に面しているから風がよく通るし、今の季節は下に覗く新緑が気持ちいい。
「でも何故か俺のことを弟みたいに可愛がってくれる中忍の先輩はいないんだな、これが」
「右に同じく」
 イクルも同意して肩をすくめた。爽やかな風が吹いてベンチに腰掛けたイクルの細い前髪を揺らす。
「まーゲンマがどうかってのは正直分からねえけどよ、男が女を二人きりの食事に誘うなんて大なり小なり下心があるだろ。しかも夜の飲み屋だろ」
 トウキの自論にイクルは苦笑した。モモカもイクルの隣に腰掛ける。
「トウキの言うことは極論だけど……まあ嫌いなら誘わないよね、任務でもない限り」
 男二人のチームメイトの言うことを聞いて、しかしモモカは別の考えに囚われていた。カカシのことだ。カカシもまたモモカを食事に誘ったのだ。看病をしたお礼と言ったけれど、それはどうだろう。嫌われてはいないというのは確かにその通りだろう。しかし下心が少しでもあったのだろうか。あれから何も話せずにいる。そもそもカカシは自分で言ったあの約束を覚えているのだろうか。もしかしたら熱に浮かされたうえでの言葉で、すっかり忘れているのかもしれない。それからあのキスも――……。
 視線を感じてモモカはハッと顔を上げる。トウキとイクルがモモカをじっと見ていたのだ。
「まーた考えこんでやがる」
 途端に気恥ずかしくなってモモカは頭を掻いた。
「あはは、ごめん……。そういえばゲンマさんといえば、あの子が好きだったんだよね。ほら、アザミが……」
 かつての同期の名をモモカは久しぶりに口にした。あの悪夢の合同任務で殺された同期のうちの一人だ。モモカの脳裏にませた少女の笑顔が蘇る。かつての同期の忍達は、モモカよりも頭一つ分小さな背のままで、永遠に成長することなく記憶に留まっていた。
「……ああ、第十三班のあいつ。へえそうだったんだ」
 トウキが遠い目をして外の緑に目を向ける。
「うん。トウキとイクルのことをかっこいいって言ってた子もいたんだよ」
 しばし沈黙が流れて、三人は思い思いに考えに耽った。年月は流れて、痛みは薄れたけど、それは普段なるべく蓋をしているだけで決して傷自体が浅くなったわけでもましてや消えたわけでもない。ふとした時に、こうして痛みを感じることが三人には必要だった。
「……一応聞くけど、それがあるからゲンマさんに対して遠慮してるってわけじゃないよね?」
 しばらくの沈黙のあとのイクルの問いにモモカは首を傾げる。
「ん?……ああ、違うよ。ゲンマさんのことは本当に、そういう対象に見てないもん」
 モモカは両手を振って否定した。
「そう、ならいいけど……まあモモカの相手を僕がどうこう言うつもりは全くないけどね」
 ふと言葉を切ってイクルは空を仰ぎ見る。渡り廊下の手すりにもたれて外を見ていたトウキも空を仰いだ。
「僕はカカシさんの方がいいなあ」
「はあ?」
 モモカが聞き返すより早くトウキが素っ頓狂な声を出した。
「なに、お前オトコがいーの?」
 トウキの言葉にイクルは吹き出す。
「違う違う、モモカが付き合うとしたら、の話。ゲンマさんも良い人だと思うけどね」
 上を見上げたままでイクルは楽し気に笑った。モモカは空喜ぶ。
「ど、どうしてそう思うの?」
 しかしドギマギして聞いたその返事は、期待するようなものではなかった。
「そっちの方が茨の道だから」
「おま……鬼かよ」
 トウキが引いた表情でイクルを見つめる。
「ふふふ、いやそういうわけじゃ……いやでもカカシさんの心を開くって絶対最高難易度だし、あの人特別な何かを――特に女性に関しては――特定の、ただ一人を作ることにすごく怖気づいてそうなんだもの。それをモモカが猪突猛進で攻略するのは、見たいよね」
 くすくす笑うイクルにトウキまで「たしかに」と同意したのでモモカは人の恋愛を娯楽にしやがって、と頬を膨らませた。
「で、最近カカシと何かあったりした?」
 話のついでといった雰囲気でトウキが聞き出そうとするのでその手には乗らないぞ、とモモカは構える。
「えっ、あー……いや、そういえばゲンマさんにご馳走になった帰りに会ったよ。向こうもアスマさんと紅さんと飲んでたみたいで」
 この二人といえどキスしたことなんてまさか言えないから、モモカは当たり障りのないことを言った。
「おっまじ?ゲンマと一緒のとこ見られたんだろ。どんな反応だったよ」
 意外にもトウキは食いついて興味津々だ。
「どんなって……別に普通だったと思うけど。皆で仲良く喋ってて、私は直接は喋ってないけど」
 最後の方は口ごもりながらモモカは説明する。
「何とも言えないね。一流の忍であるほど感情を隠すのが上手いから」
 イクルがしみじみと分析した。
「モモカの道のりは遠いかあ」
 楽しそうにトウキがモモカの頭を撫でまわす。
 ちょうどその時、休憩スペース向かいの階段に人の気配があった。こんな時間に階下から上がってくる者がいる。ひょっこり顔を出したのは、猿飛アスマだった。
 と、いうことは、と三人は期待半分に身構える。続いて夕日紅。そして一番最後に、やっぱり、はたけカカシが上がってきた。
「ガイの奴、さっそくサスケとナルトにちょっかい出しててよ、さっき青春してきたって散々自慢されたぞ」
「笑っちゃうわね――あら」
 談笑するアスマと紅が、モモカ達に気付いて顔を上げた。一番後ろのカカシは両手をポケットに突っ込んでいつもの猫背でどこを見ているか分からない。
「これは試験官さん方……こんなとこで油売ってていいのか」
 アスマが声をかける。
「ういーっす、もう行くとこだよ」
 軽いチャラ付いた挨拶をトウキが返した。
「ふふ、あんまり下忍の子達をいじめちゃダメよ。お手柔らかにね」
 紅もモモカ達に気さくに微笑む。アスマと紅の二人は通り過ぎて、カカシも目の前まで来た。
「ドーモ」
 あの掴みどころのない飄々とした顔で一言だけ放ちカカシも通り過ぎていく。前を見たままでこちらは一切見ることがなかった。
 上忍達が渡り廊下を渡り終えて本館に入っていくのを見届けて、トウキとイクルの二人はモモカを一斉に見る。
「ふーん?」
「へえ?」
 二人の顔を見なくてもニヤニヤしているのが分かった。カカシの態度は不自然にも自然にも見える。元々ああいう人なのだ。モモカには判断が付かない。
「ドーモだってよ、けけけ」
「やっぱり茨の道だねえ」
 余りにも二人が笑うので、なんだか真剣に悩んでいた自分が馬鹿らしくなってくる。
「もう、そろそろ行くよ。ほらイクルもさっさと変化しないと」
 いつもは一番のんびりしているモモカが二人を急かすもだから、彼らはより一層笑い声を上げた。


 イクルは変化の術で眼鏡姿のいかにも優等生な忍になった。
 一次試験はカンニング公認の筆記テストなのだ。筆記テストはあくまで名目で、その目的は情報収集能力を測ることにある。超難問のテストの解答を知る者を何名か紛れさせる必要があった。元々学力の高いイクルがその役目を負うのはまさしく適材である。
 受験生に変化したイクルは先に教室に入り、モモカとトウキは他の試験官とともに配置に付いた。第一の代表試験官はモモカ達が受験した時と同じく森乃イビキである。イビキの後ろにモモカ達も含めた試験監督がずらりと並ぶ。
「それじゃあ、行くぞ」
 イビキは振り返らずに呟いた。四年ぶりに見た彼はやはり大きく、元々傷だらけだった顔にはさらに新しく傷が増えていた。イビキが印を結び、試験監督達は煙に包まれ、次の瞬間には第一の試験会場である教室に立っていた。試験官たちの登場に教室内の受験生は騒めく。

 教室に現れて寸秒後、モモカに強烈な殺気が向けられた。殺気は瞬時に消え、まるで何事もなかったかのように殺意の漣は平穏な水面になった。誰一人そのことに気付いていない。
 いる、とモモカは確信した。
 森乃イビキが凄みを利かせながら説明を進める最中、モモカは受験生を見回す。あの一瞬で全身が汗ばんでいた。ナルトやサスケなど見知った顔もいくつかある。何食わぬ顔をして、犯罪者の狂気を潜めて、確かに奴はこの中にいるのだ。
 それは、かつてモモカ達が受験した中忍試験で大蛇丸とともに襲ってきた男の気配だった。
 ちらと少し離れた位置に立つトウキを窺い見るも、彼も何も気付いていないようだ。受験生に紛れるイクルも同様である。余りにも殺気の残り香がないものだからモモカの思い過ごしかと考えるほどで、裏を返せばそれだけの強者であるということだ。そしてモモカを認めた瞬間に凄まじい殺気を放ち、一瞬で引っ込めるというこの一連の流れからも、相手が確実にモモカを認識しそれを悟られまいとしたことが推測できる。危険だ、とモモカは感じた。
 早くこのことをトウキとイクルに話したかったが、試験を中断するわけにはいかない。
 受験生達は番号順に席に座り、モモカ達も配置に付く。モモカとトウキはカンニング監視の役目があり、イクルは受験生に化けて中央やや前寄りの座席に座っていた。
 カンニング記録用紙を抱きながらそわそわするモモカに、遠くからトウキが目配せする。落ち着かないモモカにもう始まるから集中しろ、と言っているみたいだ。
 モモカは渋々同化能力を絶った。同化の力を使えば人並み以上に受験生の行動が読めてしまう。この試験では試験官の忍術や幻術その他個々の特殊能力を用いての監視は禁止だ。それをしてしまえば恐らく合格者は出ないだろう。あくまでも自然に振舞う中での情報収集力を測ることが目的である。
 しかしモモカにとって、同化能力を絶った状態で何かを探ることは非常に難しかった。今までは何かを察知したり読もうとする時にはごく自然に同化の力を使っていた。あえて人の心を読まないように同化能力を絶つこともあるがそういう場合は、行動や心理を探る必要がない時なのだ。モモカにとって同化を絶ちながら相手の行動を探るのは、息を吸いながら歌えと言われているようなものだった。
 トウキが嬉々として受験生たちを減点していくのを横目に見ながら、先程の殺気も気になって仕方ないモモカは僅かなカンニングしか見抜くことが出来なかった。



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