最も近く、それでいて対極にいる


 夏真っ盛りの強い日差しが、地面に濃い影を落としていた。土はよく乾き、ここで水遁の術を使うのは難しそうだ。日差しの割に暑さを感じないのは時折吹く風に湿度はなく、モモカの立っている場所がちょうど日陰になっているからだろう。
 モモカは自身に影を作る木を見上げた。高さ約5メートル。向こうの壁際の木はさらにその1.5倍はありそうだ。最終試験会場であり近隣各隠れ里の忍のお披露目の場でもあるこの闘技場は真ん中が開けており、激しい試合が行われても十分な広さがある。木々以外にも大小様々な岩や背の高い草が生い茂る茂みがあり、純粋な戦闘能力だけでなく地形を生かした戦術性も評価の対象となるのだろう。
 日陰から太陽の下に出るとじりじりと皮膚が焼ける感覚がした。モモカの姿に観客席からパラパラと拍手が送られる。闘技場は四方を階段状の観客席で覆われており中央まで進み出るとどの席からもよく見える。続いて向かいから同じく姿を現した忍にはより大きな拍手が送られた。
 相手はあの日向一族の者で下忍三年目の中堅どころなので無理もない。合格確実との前評判だ。彼は肩まで伸ばした黒髪を後ろで一つにくくり、極端に色素の薄い瞳で真っ直ぐにモモカを見据えている。第一次試験でババ抜きの卓で一緒になった男だった。
「第四試合、木の葉の日向サイジ対、同じく木の葉のさとりモモカ」
 審判を務めるのは奈良シカクという男だ。モモカより遥かに背の高い日向サイジよりも、さらに頭一つ分大きい。
「別に強制じゃないが、握手でもしとくか?」
 審判らしからぬめんどくさそうな口調で奈良シカクは尋ねた。日向サイジが何か言うより早く、モモカは首を横に振った。
「……いえ、試合前ですので。余計な感情が入らないように控えておきます」



「モモカのやつ、バカ真面目だな」
 トウキのぼやきにイクルは苦笑いした。
「うーん……確かに試合前に触って“読んで”おけばだいぶ有利になるけど、実際の戦闘では敵と事前に握手なんかできるわけないし、中忍試験でも同じ状況で戦いたいんじゃないの。……まあ最終試験でしなくても、とは思うけど」
 南側の観客席で観戦するトウキとイクルは、既に第一試合を終えていた。トウキは木の葉の忍と、イクルは草の忍とそれぞれ戦いそつなく勝利を収めている。二人の隣に座るハヤテは頬杖をつき恨めしそうに闘技場のモモカを眺めていた。
「しかし相手は木の葉最強と謳われる日向の者……体術はぴか一ですから接近戦でくるはずです」
 接近戦こそ、同化の力の発揮どころなのだ。ハヤテなりに部下の身を案じて気を揉んでいるらしかった。
 やがて大衆の目に晒された二人が構える。試合が始まるようだ。

「ようい、はじめ!」
 奈良シカクの掛け声とともに日向サイジが地面を蹴った。土埃が舞う。
 一気にモモカとの距離を詰め彼は右正拳突きを繰りだした。モモカはそれを紙一重で避ける。続いて左下からの蹴り上げ、は左腕でいなす。そして左突き、右蹴り上げ、からの払い、着地と同時に回し蹴りおよび肘鉄砲。連打に次ぐ連打。攻撃は全て日向サイジからで、モモカはタイミングを合わせて避けるかいなすかしていた。
 先ほどまでざわついていた観客席が、猛打の連続に見入って静まりかえっている。
「……すごい体術ですね」
 ハヤテの呟きに戦闘を凝視したままでトウキは相槌を打つ。
「ああ、けどよ」
 イクルも口の端を上げて頷いた。
「うん。モモカの敵じゃない」
 おや、モモカの体術はそんなに上達しているのか、とハヤテが試合から目を離して二人に向いた矢先、観衆がわっと声をあげた。
 慌てて試合に目を戻すと、後ろに仰け反った日向サイジが左足で踏ん張ってどうにか倒れずに堪えたところだった。反撃に出たモモカの右拳が頬を打ったらしい。
 態勢を立て直すべく一足飛びに後ろに退いた彼をモモカは逃がさず、強烈な蹴りを食らわした。これが顎にクリーンヒットし、日向サイジはふわりと宙に浮く。ここで攻撃の手を緩めるモモカではない。モモカは先ほどの仕返しとばかりに連打を食らわした。全て紙一重で避けていたモモカとは裏腹に、全ての攻撃が確実に入り、日向サイジにダメージを与えていく。目にも止まらぬ的確な連撃に、観衆は最早、呆気にとられていた。
 十五連打目がヒットし、日向サイジが地に伏せる。完全に気絶していた。
 乾いた土埃舞う中、すっくと立ちあがるモモカに、何が起こったのか分からぬ大多数の観衆はしばし茫然とし、しかし奈良シカクの「勝者、さとりモモカ!」の声に割れんばかりの拍手と喝采が送られた。

「今の連撃見たか?!並の下忍じゃないな」だの、「あの日向が一瞬でノックアウトなんて信じられん」だの、「あんな下忍いたか?完全に大穴だな」だの、「ほらあれだよ、例の下忍合同任務での生き残りの」だとか、果ては「俺はもしかしたらと思っていたね。あの凄惨な事件で生き残ったてのはつまり、相応の実力があるってことだからな」なんて宣う者もいて、その全てを自分のことのように得意げな気持ちになって、トウキとイクルは聞いていた。
 二人だけは初めからモモカの実力に気付いていたし、その能力を高く評価していたのだ。最初とは、つまり、一回目の下忍承認試験のことであり、はたけカカシという強敵を前にモモカだけが唯一鈴に触れたあの時だ。その時から、こいつは強いと、二人は確信を持っていた。里を抜け出してこっそり闇任務を請け負っていた時も、うちはイタチと対峙した時も、下忍承認再試験の時も、合同任務の時だって。いつだって際立つモモカの強さを二人は目の当たりにしてきたのだ。ようやく周りの評価が追いついてきたと、感じるくらいだった。
 当のモモカは、のほほんとした顔で観客席に戻ってきた。
「お疲れ、モモカ」
「楽勝だったな」
 労うチームメイト二人に、いやいやとモモカは謙遜しながらも着席するなり早速お弁当を広げていた。中身はモモカの母親お手製のおにぎり、稲荷寿司、卵焼きと唐揚げだ。同化能力使用後のモモカの大食いを考慮に入れてもお弁当の量は甚だしく、トウキとイクルの分も当然の如く用意されているのがむずがゆくも嬉しかった。
「あ、お母さんたちだ。へへへ」
 向こう側に家族で観戦に来ている父母と兄姉を見付け、モモカは控えめに手を振る。
 あまりにも呑気なモモカの様子に、試合前にあまり満腹まで食べない方がいいですよ、という言葉を何とか飲み込んだハヤテの心中をイクルは察した。しかしイクルもありがたく唐揚げを頬張った。
「しかしモモカまた体術が格段に向上していたね」
「うん、雷切撃つのにスピードも重要だから、速度を上げる修行を重点的に行ったんだ。でもトウキも、一戦目で見せた体術すごかったよね。今までもすごかったけど、なんていうか……全ての動きが力強くなってる感じ」
 正式名称の千鳥ではなく、カカシの技名である“雷切”と頑なに呼ぶモモカに少なからずとも乙女心が感じられ、トウキは内心苦笑した。当のモモカは卵焼きを飲み込んでいる。母の作る卵焼きは甘味だ。モモカに勧められとうとうハヤテも、口を付けた。
「まあ俺も特訓したからな……忍術もだけど、体術は特に。得意な人に修行を付けてもらって」
「得意な人って?」
 興味深げにイクルが尋ねる。
「マイト・ガイっていう上忍」
予想だにしていなかった名前に、ハヤテは卵焼きを吹き出しかけた。確かに彼なら喜んで稽古を付けそうなものだが――……果たしてあの熱血指導をトウキが受け入れられたのか。
 ハヤテの様子とトウキの苦々しげな顔とを見比べて、俄然モモカも興味が湧いたようだ。
「どんな人?」
「体術は、そうだな……木の葉一、と言っても過言じゃねえぜ。暑苦しいけど」
「えっ、木の葉一……そんな人に教われただなんてすごいね」
「まあ教えるのは好きみたいだからな。うぜえけど。頼んでないことまでガンガン教えようとしてくるぜ。そのおかげで大分鍛えられたが……暑苦しくてうぜえけど」
 ハヤテが大きく咳払いをする。
「あの南側の観客席にいるの……ガイさんじゃないですか。あなたに視線を送っていますよ」
「えっどれ」
「見るな見るな」
 慌ててトウキが止めたが、それらしい人物とバッチリ目が合った。濃紺のピッタリとした戦闘スーツに上忍ベストを着用し、上背のあるその男の何より目を引くことには、濃い眉上から切り揃えられたおかっぱ頭だ。彼は視線の合ったモモカに向けて親指を上に向けてウインクしてみせた。非常に――何というか――濃い――……木の葉には、とりわけモモカの周りには、なかなかいないタイプの忍であると感じた。
 うわあ、言わんこっちゃない、と毒づくトウキの横でモモカはふと、マイト・ガイの斜め後ろに佇む銀髪に目を留めあっと小さく声をあげた。
 どうしましたか?とハヤテが覗き込む。なんでもないです、と慌てて首を振りながらもまた目線はすぐに銀髪の元へといく。はたけカカシその人が、南側の観客席に座っていたのだ。隣には猿飛アスマもいる。さっきまで口いっぱいにお弁当を頬張っていたモモカが照れていそいそと前髪を気にし始めたので、トウキもイクルも笑いを堪えるのに必死だった。

 次の試合は砂の忍と草の忍との一戦で、非常に長丁場であった。三人がすっかり弁当を食べ終えてからもしばらく戦っていたのだ。しかし実力は確実に砂の忍の方が上で、確実に相手を追い詰め勝利を収めていた。
「あいつ、強いな」
「うんなかなかやるね」
 カカシの方ばっかり気にして、さして試合を見ていなかったのではないかとも思えたが、モモカも真面目な顔して頷いた。
「時間をかけて確実に相手を仕留めるタイプの忍だね」
 トウキが気遣わしげな目でモモカを見る。
「次のモモカの相手だろう?油断できないぜ」
 しかしモモカは首を振りニッコリと笑った。
「人の心配より自分の心配をしなくちゃ。ね」
 モモカの言葉にトウキとイクルは顔を見合わせる。そして二人とも不敵に笑ってみせた。次の試合は、トウキとイクルの対戦なのだ。


 さすがにこの二人の対戦は、モモカもカカシの方ばかり気にしていられなかった。
 鳥吉の次男坊と、下忍随一の問題児。さらには先のモモカの試合も相まって、合同任務生き残りのあのチームは何かあるぞ、と観客の期待値も高まりに高まっていた。

 結果を言うと、この試合はトウキが勝った。
 観客が固唾を飲んで見守る中、繰り広げられた戦いは今試験の中で一番の激戦であった。
 綿密なチャクラコントロールと巧みな忍具捌きで遠隔系の忍術および忍具で次から次へ攻撃をしかけるイクルに対し、トウキは力業とチャクラにものを言わせた荒削りな土遁で防ぎかつ反撃をする。
 二人とも自分の得意とするスタイルを貫きながらも、こんなにも積極的に攻めに徹するイクルをモモカは初めて見たし、決定打を与えられない攻防にここまで焦れずに力任せに突っ込んでいかないトウキというのも珍しい。それだけ、二人のこの試合に臨む並々ならぬ気概が窺えた。
 モモカは単純に羨ましく思った。同じチームメイトだけれど、やっぱりモモカに対するそれとは違う。二人にとって、お互いが一番のライバルなのだ。最も近く、それでいて対極にいる、絶対無二のライバル同士なのだ。

 綿密なチャクラコントロールをするイクルの集中力が先に切れるか、それとも消費量の大きい技で応戦するトウキのチャクラが尽きるのが先か。太陽が南中する頃、転機は訪れた。
 イクルがクナイとともに複数羽の小鳥――あれはイクルの忍鳥の中でも最速のツバメ達だ――をトウキに向けて放ち、自身はさらに別の忍術で追撃せんと印を結び始めていた。トウキはまた土遁流による力業でクナイとツバメ達の攻撃をねじ伏せるだろう、そう思っていたモモカの期待は裏切られた。トウキは背を低く伏せ、ツバメ達の突きを避け、かつ同時に飛んできたクナイをグローブの手の甲側に仕込んだ鋼板で全てを器用に弾きながらイクルに突進していく。イクルは後ろに飛び退きながらも印を結んでいるが間に合わない――――トウキの体術が、イクルの想定を上回った瞬間だった。トウキの拳がイクルに降りかかり、イクルは未完成の印を途中で切り上げ両手で防ごうとし、中途半端な水遁もどきのわずかな水流が二人の拳の間で弾けた。衝撃でイクルが空高く吹っ飛ぶ。トウキは攻撃の手を緩めずにそのまま地面を蹴り追撃しようと追いかける。
 弾け飛んだ数多の水滴の向こうで、イクルが新たに印を結んでいるのを、モモカは見た。
 連撃を食らわせようと空中で追いついたトウキのまさに目の前で、足場なく身動きが取れないはずのイクルがサッと方向転換した。具体的には、イクルが結んだ印によって大きな鷲が召喚され、その脚に掴まり飛行移動したのだ。
 トウキの蹴りは空しく宙を蹴り、再び地上に下り立った。大鷲の脚に掴まり頭上を旋回するイクルを見上げるその目は鋭く、次の攻撃の算段を考えているのだろう。

「参りました」
 決して大きな声ではないが、やけに通る落ち着いたその声は頭上で旋回するイクルから発せられた。
 予想していなかった敗北宣言に観客は誰も呆気に取られていた。
「勝者、トウキ!」
 審判である奈良シカクの声に、一番納得いっていないのはトウキのようであった。無理もないだろう。負けを認めた相手は遥か上空、手の届かないところで悠々と飛行しているのだから。
「……なんで」
 イクルが地上に戻るなり問うたトウキも唖然としている。イクルは肩をすくめてみせた。
「正直、もうろくにチャクラが残っていないんだ。逃げ続けることはできるけれど……この限られた空間の中で、化け物級のチャクラと体力を持つトウキに、決定打を与えられる気がしないね」
 最後にバサバサと大きく翼を動かし、イクルの召喚した大鷲は消えた。


「……これはイクルは合格かもしれませんね」
 顎に手を当て呟くハヤテに「え?」とモモカは振り向く。
「負けたのにですか」
「ええ。もちろん純粋な強さは忍である以上必要ですが、中忍試験ではそれに加えて隊を率いる統率力やリーダー性が問われます。イクルの戦略、全体を見る力、綿密なチャクラコントロールによる余力を残しながら常に次を考える戦い方――この限られた空間で一対一であるから勝利こそ出来ませんでしたが、能力は立派な小隊長クラスです」
 ハヤテの説明に、モモカは感心のため息を吐いた。中忍になるということは個としての強さ以外にも色々な能力が問われているのだ。





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