僕らの未来は、
第二次試験は木の葉の里の第44演習場で行われるということだ。無事に第1次試験を通過した受験生達がぞろぞろと連れだって第44演習場の南側入り口に集まる。第一次試験を通過したのは18チーム54名だ。
モモカは柵の向こう側の演習場を見上げる。ちょうど野鳥が飛び立ったところだ。鬱蒼とした木々が幾重にも生い茂り、自然に出来た森をそのまま柵で囲って演習場にしたみたいだった。かなり広大な土地であろう演習場の中では草木は独自の生態系を形成し、危険な野生生物も数多く生息するという。
この第44演習場、通称「死の森」で行われる第二次試験の内容は、巻物争奪サバイバルだ。
試験官はモモカも知った顔の特別上忍――夕日紅だ。彼女が試験官を務めること以上に意外だったのは、トウキがいつものように紅を前にはしゃいでいないことだった。相変わらずの不機嫌さを前面に出した顔で腕を組んでじっと説明を聞いている。対するイクルは不機嫌さこそ出していないものの、眉に力を入れて神妙な顔付きをしていた。
試験のルールは以下のようなものだ。
・各チームには「天」と「地」のいずれかの巻物が配られる
・両方の巻物を揃えて演習場中央の塔に辿り着けば合格
・チームから再起不能者を出した時点で失格
・途中で巻物を開いてはいけない
・制限時間は丸五日間
モモカはルールについてトウキとイクルの見解が聞きたかった。しかしとてもじゃないが、聞けるような雰囲気ではなかった。二人とも、またしてもチーム単位で試験を受けなければならない状況に苛付いているようにも見えた。モモカはどう声をかけようか考えあぐねて、結果、何も発することなく試験開始の時刻となった。
演習場のすぐ外に簡易的に天幕が張られ――そこが第二次試験の事務所となっているようだ――各チームは順番に呼ばれそこで巻物を渡される。モモカ達は「天」の書であった。誰が持っていようか、という相談は特になく、モモカが渋々と手にする。大事なところで抜けているところがあると、多少なりとも自覚しているモモカが大事な巻物を持つことは大層不安であったが、トウキかイクルかが持つとまた小競り合いの元になりそうな気がしたからだ。
懐深くに巻物をしまうモモカの目を、紅は怪訝な顔で窺い見る。険悪なチームの雰囲気を問いただしているみたいで、モモカは曖昧に笑うにとどめた。
試験が開始され、とうとう何も言葉を交わさないわけにもいかず、モモカは口を開く。
「あの遠くの方にちょっと見えてるのがゴールの塔だよね……。どうやって他チームから巻物を奪う?」
多少不自然なくらいのモモカの明るい声音に、しばらく二人は返事をしなかった。演習場の外から中まで小川が続き、その道沿いに三人は歩いている。やがて木の葉川に合流する支流の一つであるこの川の川幅は然程広くはないが、勢いがありモモカの懸命な言葉もかき消されそうだった。
ややあって、イクルが答える。
「こちらの巻物を奪われないように細心の注意を払いつつ、他チームから巻物を奪うためには先に相手を見つけることが重要になる。それから、巻物が揃った後はなるべく早くゴールに着きたい。それらを考えると塔に近付きつつ遭遇した他チームから巻物を奪うのがセオリーだけれど、当然皆考えることは同じだろう。塔に近付くほど、当然危険は増す」
イクルが話している間に、トウキは川に沿って一人歩みを進めていた。慌ててモモカは追いかける。イクルを振り返ると、思い切り眉間に皺を寄せて、ため息を吐いていた。そのあからさまなため息に、トウキは歩を緩めた。
「危険だろうと、行かなきゃしょうがねえだろ」
振り返りもせずにそう吐き捨てるトウキの背を、イクルの酷く冷たい目が捉えた。
「だから、その危険に突っ込んでいくのだから何の策もなく行くのは馬鹿のすることだって言ってるんだ」
まさにすぐ傍を流れる川のような冷たさと無情さを持ったイクルの声音に、モモカはハラハラとトウキを見上げる。
「……ああ?」
トウキから怒りの炎が噴出するのが、見えた気がした。
「モモカがわざわざ気を使って言ってくれているのが分からないのか」
自分がやり玉にあがり、モモカは思わず後退る。足元の砂利が転がり川底に沈んだ。トウキは怒りに満ちた目でイクルとモモカとを交互に見た。
「またお得意の、心配を装った上から目線か」
トウキの言葉に、イクルは口をぐっと結ぶ。モモカも、口論の渦中に引きずり込まれて、しかしただただ傍観するしかなかった。
ざわざわと、木々がざわめくように不安がモモカの胸に忍び寄る。もう本当に、このチームは駄目かもしれない。
「反骨精神も結構だが、そうやって何にでも拒否反応を見せるのは止めろ!」
イクルが強い口調で言ったちょうどその時、トウキの向こうの木陰で何かがキラリと光った。
「トウキ!!」
思わずモモカが叫ぶ。風を切って飛んできた手裏剣を、トウキは寸でのところで躱した。軽い音を立てて地面に刺さったそれに、三人とも瞬時に臨戦態勢となる。
続いて、逆の木立からクナイが連投される。それを自身のクナイで弾いたイクルだが、しかし飛びかかってきた敵に腕を切られてしまう。飛んだ鮮血にモモカはドキッとしたが、少し掠めた程度で傷は浅そうだ。
接近戦にもつれ込んでいるイクルに加勢に行こうとし、しかし地面がぐらりと揺れてそれは阻まれた。モモカとトウキの行く手を阻むのは、土遁の忍術だ。川の反対岸、かなり離れたところから敵チームの二人が印を結んでいるのが見える。トウキも負けじと土遁流で押し返そうとする――だがしかし土遁の忍術は相手の方が上手であるらしく、あっさり力負けしてしまう。さらに追い打ちをかけるようにもう一人が風遁の刃で襲ってくるものだから、モモカとトウキは切り刻まれないように自分の身を守ることで精いっぱいだった。視界の隅に相手に押されているイクルが映る。接近戦が得意なモモカとトウキには遠方からの土遁と風遁の忍術をぶつけ、一方遠距離タイプのイクルには一気に距離をつめて接近戦で方を付ける気だ。
モモカは相手の戦略に内心舌を巻くと同時に、悔しい気持ちでいっぱいになった。きっとこちらの戦闘タイプを向こうは知っていて、戦略を立てたのだ。コンビネーションも素晴らしい。こんな険悪な雰囲気じゃなければ自分達だって、きっと――――。
再び、イクルの方で鮮血が飛んだ。イクルの腕にはクナイが深々と刺さっている。痛みに顔を顰めるイクルに、接近戦ももう幾分ももたないとモモカは悟った。トウキが血相を変えたのが見えた。駄目だ、また頭に血が上っている。相手の思うつぼだ。モモカは自身の血の気が引くのが分かった。
また失うのか?
もうあんな思いは嫌だと、誰も死なせないと思ったのは何だったのか?何にも成長しちゃいないじゃないか。
トウキが風遁の刃に貫かれる覚悟で、イクルの方へ駆けつけようとする。
こんなに、本当はお互いのことが大切で、絶対に失くしたくないと思っているのに――……。
モモカは自分の胸を貫く光を思い出した。強烈な光だ。それはとても速く、強く、そして美しいものだった。何にも屈せず、自分の信念を貫く尊い光。仲間を失いたくない確固たる意志と、それが敵う圧倒的な力。
モモカは左右に素早く目を走らせ、イクルの居るポイントと周囲の木々の位置関係、そして次の敵の忍術の流れを把握した。
「トウキ!イノシシ狩りだ!」
モモカは叫ぶと同時に後方の杉の木に飛び乗った。トウキは呼び止められイクルに向かう足を止めた。遥か上方に登っていくモモカを一瞬困惑した目で見上げたが、すぐにその意図するところに気付き印を結ぶ。
やはりトウキのチャクラコントロールでは土遁の流れを押し返すことはできなかったが、モモカの登った杉の木を覆い隠すことは出来た。そして敵の風遁の刃が届かなくなった隙をつき、モモカは木上から飛び降りる。真っ直ぐ、手にしたクナイを振り下ろしそのままの勢いでイクルの相手する忍――既にイクルに跨り、今まさに止めを刺さんばかりに殴り掛かっていた――の利き手側肩にめがけて突き刺した。それは、数カ月前のイノシシ討伐任務と全く同じ手法であった。
深くクナイが肉にめり込む感覚と、相手の叫び声と飛び散る鮮血は神経を研ぐ済ませているモモカには酷くゆっくりに感じた。着地してそのまま後頭部に蹴りを食らわし気絶させると、驚いた顔のイクルと目が合う。モモカはすぐにトウキの方に向き直り走った。イクルもハッとしてそちらを向く。
トウキのすぐ目の前まで迫る風遁の刃を、大量の川の水が防いだ。正確には、イクルの水遁の術によって操られた川の水だ。川が近くにあって幸いだった。風遁の刃の勢いを殺す程の水遁の術は、水のないところでは難しいのだ。
イクルの水遁の術によって押し流されたトウキのすぐ目の前には、イクルが立っていた。あの時と同じだ。あの合同任務でイクルが死にゆく同期を見限りトウキを助けたあの時と一緒の状況なのだ。イクルとトウキの目が合う。疑惑とそれぞれの思惑、そして譲れない志とが交差し、ぴんと空気が張り詰める。
二人が何かしら言葉を交わそうとしたその時、川の向こうでバチバチと強烈な破裂音が響いた。同時に、辺りが瞬時に明るくなる。音と光の源はモモカだった。川の向こうで遠隔攻撃を続けていた敵二人に向かっていくモモカ。迎え撃たんと土遁流を真っ向からぶつけてくる相手。その土石の流れを、モモカの右手から発せられた強烈な光が切り裂く。真っ直ぐ飛んでいく矢のように土石流を切り裂きながら駆け抜け、モモカはあっという間に相手に到達した。
イクルは強烈な光に、見たことのある技に思わず腰から崩れそうだった。
「あれは……、カカシさんの……雷切」
驚きと同時に多くの仲間を惨殺された合同任務の忌まわしい記憶がフラッシュバックして、声が震えていた。
ごくりと唾を飲む音が隣のトウキから聞こえて、イクルはいまだ座り込む彼を見た。イクルの水遁の術のおかげで髪までずぶ濡れになったトウキはモモカの右手の発する強烈な光を凝視している。光に照らされたその顔はイクル同様驚きと、そして確かに、少しの羨望が張り付いていた。
ああ、そうか、とイクルは思う。
トウキは未来を見ていた。あの日と同じ技を見て、過去を苦々しく思い出すのではなく、どんどん強くなっていくチームメイトに確かに悔しさを感じていたのだ。自分も、もっと強く。きっと、更なる高みへと。
僕らの未来は、未来にしかないのだ。
強烈な光が消えたかと思うと、相手の懐に飛び込んだモモカはあっという間に二人を打ち倒した。やはり川の向こうから遠距離忍術を仕掛けてきた二人は接近戦に弱いようだ。
モモカの相手ではなさそうだが二対一であることに変わりはない。加勢に行かなければ、とイクルはごく自然に、座り込むトウキに手を差し出していた。喧嘩中であることを思い出して、しまったとイクルは差し出した手を引っ込めそうになったが、それより早くトウキがその手を掴む。立ち上がったトウキも思わず掴んでしまったみたいで、ハッとした顔をしていた。
お互いの驚いた顔がちょっぴり可笑しくて、掴んだ手が余りにも熱くて、胸の中にじんわりと温かいものが広がって、泣きそうになるのを抑えながら二人はモモカの元へと駆け寄った。