後悔の、ないように
青々とした緑の下を、モモカは重い足取りで歩く。春というには太陽の輝きは強く、しかし真夏というにはまだ幾分爽やかな風が吹き抜ける。自然と鼻歌が出るような気候の中を、しかしモモカは気持ちの良い天気とは真逆の心持でいた。
火影中央棟からほど近い試験会場に辿り着くと、すでにハヤテ、トウキ、イクルの三人が揃っていた。微妙な距離感で思い思いに佇む彼らは、皆一様に無表情である。
「これで三人揃いましたね」
声が届く距離までモモカが近付くと、ハヤテが声をかけた。
いつも通りに見えるが、ハヤテも恐らく、トウキとイクルの間の殺伐とした空気に気付いているだろう。二人は目も合わせないのだから。先日のラーメン屋の一件から何も変わっていなかった。中忍試験を迎え、二人の関係も今まで通りに戻るかもしれないというモモカの浅はかな期待は打ち砕かれた。
少し、助けを求めるかのようにハヤテを窺い見たが、ハヤテはぐりぐりとした目で三人を順に見ただけだった。思考の内側をほじくり返すようなその視線が今のモモカには堪らなく嫌だった。
「それでは、覚悟が決まれば試験会場に入り受付をしてください。健闘を祈ります」
事務的に告げるハヤテの言葉に、トウキは返事もせずにすぐに歩き出した。ややあってイクルも静かに動き、モモカは一番最後に渋々続いて試験会場の建物内に入る。
まさに敷居を超えようとしたその間際、ハヤテが小さく呟いた。
「後悔の、ないようにね」
モモカは振り向き、直属の上司を見つめた。モモカにだけ聞こえる声だったのだろう。トウキとイクルは気にも留めずに先を歩いている。モモカでさえも、ハヤテが発した言葉を聞き取れたのはぎりぎりだった。普段は敬語のハヤテがそうでない砕けた口調なのも手伝って、モモカは訝し気に彼を凝視した。しかし当の本人はどこ吹く風で明後日の方を眺め、チームメイトの二人がどんどん先に進むので、モモカは会釈するに留めて試験会場へと足を踏み入れた。
受付の後、通された部屋は広く学校の教室のようであった。詰め込まれた受験生たちはピリッと独特な緊張感を漂わせている。モモカ達より年上の下忍の見知った顔もいくつかあったが、大部分はモモカの見たことのない忍ばかりであった。だいぶ年上そうな者もいる。木の葉の忍でない者も、もちろん多いだろう。中忍になるということは、下忍になるそれよりも遥かに狭き門なのだとモモカは認識を新たにした。
モモカ達のように押し黙る者、知り合い同士雑談を交わす者、周囲の様子をキョロキョロと窺う者とそのあり様は様々だ。やがてガヤガヤとした雑談の騒音が大きくなってきた頃、試験官が姿を現した。
試験官は大柄な男であった。強面な顔、瞼の上ぎりぎりまでバンダナのように額布を巻くさまはその立派な体格も手伝って威圧感を与えた。
部屋の一番前、ちょうど教卓のようになっている机まで試験官が進み出ると自然と受験生たちは注目し静寂が訪れる。試験官の男は端から端までゆっくりと部屋の中の受験生を見回した後に口を開いた。見た目に違わない低い貫禄のある声だ。
「第一次試験の試験官の森乃イビキだ。さっそくこれから、試験を始める」
森乃イビキの大きさと言えば、天井からぶら下がった蛍光灯がすぐ頭上まで迫っているほどだ。それによって顔に強い陰影を作りより一層威圧感と恐怖を印象付けた。
「一次試験の内容は――――スリーマンセルで行う賭博チーム戦だ」
受験生は皆、一瞬にして緊張の色を更に濃くさせた。その言葉の意味を咀嚼して理解しようとしているようにも見える。実際、モモカがそうであった。
(賭博?チーム戦で?中忍試験の内容としてそぐわないような気が)
ちらりとチームメイトを忍び見れば、イクルもトウキも眉一つ動かさずにイビキの言葉を聞いていた。動じず、次の言葉を静かに待つ二人の様子になんだか自分が情けなくなり、モモカもイビキに視線を戻す。ざわつく受験生達を眺めるイビキは強面の顔の上の表情を一切変えず、それがまた嵐の前の静けさのようでうすら怖い。
「ルールを説明しよう――――その前に、今後好き勝手に口を開いた者は俺の気分次第では退場してもらうことになる」
イビキの言葉に、ざわついていた会場が一瞬にして静まりかえる。イビキは当然、というような顔をして頷いた。
「よろしい。では、説明を始める。この奥の部屋に賭博場を用意してある。種類は丁半のような単純なものから花札、麻雀、ポーカーやブラックジャック、ルーレット等々、多岐に渡る。諸君らはこの中から任意のゲームを選び駆けてもらう。最初に与えられたコインは一人3コイン。中忍試験に登録したスリーマンセル1チームで合計20コインを獲得すれば合格となる」
ごくり、と誰かが生唾を飲んだような気配がした。受験生達は依然として黙ってイビキの言葉を聞いている。
「しかしチームで合計20コイン獲得の他にいくつか条件がある。まず、賭けコイン数は問わないが一人最低一勝はすること。次に、チーム内で重複したゲームを選ぶことは出来ない。つまり一つのゲームで賭けることができるのは一チーム一回までだ」
モモカは必死で頭を働かせて情報を整理した。ゲームの選択が重要になりそうだ。それにコインを何枚賭けるかも大きく関わってくる。一人3コインから始まって、一チームで20コインということは、たとえ全員が3コイン全てを賭けて1勝ずつしたとしても3コイン×2倍×3人分……つまり18コインにしかならない。最低でも三人のうち一人は2勝しなければいけない計算になる。
一体何チームが合格して何チームが脱落するのだろう――――モモカの暗算力ではイビキが続いて説明を加えるまでには、そこまで導き出せなかった。
「最後に、賭博である以上もちろん不正は禁止だ。各ゲームにはそれぞれ試験官を付けている。ディーラーとしての役目を持つ者もいるが、その大部分の役割は君達の監視だ。もし不正が分かれば、その時賭けていた数だけコインを没収する。コインがゼロ枚になれば……その時点で即不合格となる。制限時間は90分。私の合図で試験開始された後は、存分に君達得意のおしゃべりをして相談してもらって構わない」
皮肉を込めて、イビキがニヤリと口の端を歪めた。緊張感が走る。質問など一切受け付けない有無を言わさない雰囲気だ。イビキの後ろのドアが開かれる。両開きの大きな扉を開けたのは中忍以上の忍達だ。奥にはアカデミーの演習場くらいはありそうな大きなホールで、種々様々なゲームが設置された卓が見えた。
「それでは――――第一次試験、始め!」
イビキの合図で、会場はまたガラッと雰囲気が変わった。受験生達は押し合いへし合い、奥の賭博場に入りその内容を物色する。イビキが先述した通りの種々様々なゲームに、なるほど、試験官の忍が付いている。ゲーム内容を見て回った受験生達はチームメイト同士そこかしこに固まって相談を始める。どのゲームで賭けるか。それぞれ何コイン賭けるか。なかにはほんの僅かな目配せのみで、スッと卓に着くチームもいた。あれが阿吽の呼吸というものだろうか。それとも余程に自信があるのか。
モモカは人でごった返す賭博場の中を、トウキとイクルを目で追った。二人はここでもやはり言葉を交わさず、モモカにだって一瞥もくれずに進み出て、卓に着いた。それぞれ何のゲームをするからはここからでは窺い見ることが出来ない――――。所在無い気分でキョロキョロと周りを見回した後、モモカはすぐ近くの卓に着いた。ここでは複数人で行うトランプのゲーム――いわゆるババ抜きを行う卓であった。モモカでもルールを熟知している馴染みあるゲームで、これなら同化の能力を有効に使えると踏んだからだ。不正は禁止というルールだが、今まで人の思考を読んだことを気付かれたことはない。ばれない自信があった。高い戦術が要求されるようなゲームはイクル、手先の器用さや大胆さが必要なゲームはトウキの得意とするところだから自然とそれを避けたのもあった。
モモカが卓に着いた後に様子を窺っていた受験生もパラパラと席に着いた。四人集まり、それぞれ里と班と名前を試験官に伝えたところでゲームが開始される。モモカは2コインを賭けた。負けない自信はあったが、もし仮に負けてもまだ1コインあると思った方が気分的にも楽だ。カードを切って配るのは試験官の役目だ。不正を防ぐためだろう。カードを配られながらも他の参加者を観察する。木の葉の忍が二人に砂の忍が一人。
「それじゃあ、今配ったカードの中で同じ数字があれば山に捨てて」
試験官の言葉に従い皆揃ったカードを捨てていく。その際偶然を装いモモカは木の葉の忍の二人に手と手で触れた。そして残る砂の忍は卓の下で、そっと足で触れる。短時間でかわるがわる思考を読むのは少し骨が折れたが、モモカの知りたい情報は大体手に入った。木の葉の忍のうち一人は日向の者だ。物を透視できる瞳術が使える――白眼――これは厄介である。
もう一人の木の葉の忍は眼鏡をかけた忍で、彼に特に目立った策はないようだ。イビキの言葉を真に受けて、正々堂々とゲームに臨んでいる。心許ないような顔で忙しなく動く視線、表情から、直に触れて同化の能力を使わずしても、モモカの観察力ならその心の内を読むことは容易そうだった。
ジョーカーを持っているのは最後の一人、砂の忍であった。顔色にはおくびにも出さずに、しかし彼は指先でカードにそっと印を付けた。印といっても目に見えるような印ではない。彼の指先から出たチャクラをカードに擦り付けたのだ。砂の里特有のものだろうか――チャクラは今までモモカが見たことのないような粘着質で、人体から離れてもその形状を維持している。そしてそれはチャクラを出した本人には薄い膜のように視認できると、同化で覗いた心の内から知った。
モモカは木の葉の眼鏡を捨て、左足で砂の忍を右足で日向の忍に触れて視続けることにした。カードを引く順番は眼鏡、砂、日向、モモカの順だ。眼鏡は砂からカードをよく吟味して一枚取る――ジョーカーではない。対になったカードを山に捨てる――続いて砂が日向から一枚。これは対になるカードがない――日向はモモカから――その際、日向の者は目にグッと力を込める。目の周囲の血管が浮き上がるほどだ――白眼だ!
砂と日向、均等に見ていたところを、モモカは慌てて日向の方に集中した。なるほど、白眼を通して見るとこんな風に見えるのか。カードの表の模様は認識しつつ、カードの裏のマークや数字も見える。まるでピントを合わせるかのようにぼやけていた数字が見えてくるのだ。逆にカードの表の模様の方はぼやけてくる――。この視え方に慣れていないモモカは酔いそうだった。日向はスペードの10を選び、自身のカードと対にして捨てた。なぜ10を選んだのかというと、恐らく次の眼鏡が10のカードを持っているからだ。モモカが眼鏡から10のカードを引かれる前に対を作って捨てたのだということは、同化でなくても推察することが出来た。
続いてモモカが眼鏡からカードを引く。眼鏡には直接同化していないが、先程日向の白眼を通して眼鏡のカードを見ていた。10の他にモモカが対を作れるカードはもう1枚ある。5のカードだ。これは日向が持っていないカードだった。モモカはわざとらしくない程度に少し迷ったフリをしてから5のカードを引く。同化で日向がおやと思ったのが伝わってきた。モモカが対になるカードを選んだのが何かしらの術によるものなのか、はたまた偶然によるものなのか見極めようとしているようであった。
また眼鏡の番だ。眼鏡はここでジョーカーを引いてしまった。砂がニヤリと口を歪める。眼鏡は苦々し気にカードをシャッフルする。その後も同じ順で砂が白眼から、白眼がモモカからカードを引く。モモカは眼鏡からカードを引く。眼鏡はどうにかモモカにジョーカーを引かせようとカードの並び順を変えたりしていたが、白眼を通して、あるいは砂のチャクラを通して、どれがジョーカーか丸分かりになっていたのでモモカがそれを引くことはなかった。
そんなことを何巡かし、砂も白眼も、モモカが何かしらの術を使って相手のカードを把握していることを、ほぼ確信しているようだった。無論、それが忍術などではなくまさか卓下でこっそり触れている箇所から自らの思考を読まれているとは思いもしないだろう。眼鏡は最後の方は躍起になり、カードを1枚だけ飛び出して相手を混乱させようとする古典的なトラップまでし始めたので、モモカは些か哀れな気持ちにもなった。
結局全員のカードを把握しているモモカが一番、白眼が二番目に上がった。砂はジョーカーを引くことはないがカードの中身が見えているわけではないのでその点不利だったようだ。砂と眼鏡が残り、もちろん砂が自分でチャクラの印を付けたジョーカーを引くことはなく先に上がった。
このゲームでモモカは2コイン賭けたが、一番に上がったことで4コインになって返ってきた。
お互いに形式ばかりの礼を述べ、そそくさと卓を立つ。次のゲームをさっさと決めた方が良さそうだ。そしてゲームの内容もそうだが、対戦相手も選ばないといけない――当たり前のことだが――先ほどの白眼のような相手だとゲームによってはかなり分が悪い。
どのゲームにしようか物色している間にも、不正によりコインを没収され退場を余儀なくされた受験生も何人かいた。
モモカが次のゲームをブラックジャックに決めて卓に着き、説明を受けていると一人の試験官が後ろから声をかけてきた。先ほどのゲームでの不正がばれたのかと一瞬ヒヤリとしたがよく見れば見知った顔だった。
「まだゲームは始まってないか?」
声をかけてきたのは不知火ゲンマだった。ハヤテとも親しくしている特別上忍で、モモカ達とも面識がある。中忍試験の試験官をしていたのをモモカはこの時初めて知った。
「ゲーム始まってないならセーフだな。チームで20コインに達したぜ。木の葉の第15班、合格だ」
モモカは黙って頷き、今着いたばかりの席を立った。
ゲンマに導かれるままに賭博場――基、試験会場を横切り、さらに奥の部屋へと入る。そこは合格者の待合室のようで、イクルとトウキの他、あと1チーム忍達がいた。どうやらモモカ達木の葉15班は二番目に合格したらしい。
モモカは少しだけ迷った後に、距離を開けて座るイクルとトウキのちょうど真ん中くらいの椅子に腰かけた。
「……二人は何のゲームをしたの?」
モモカの遠慮がちな質問には、イクルが答えてくれた。
「僕は1戦目にポーカー、2戦目に花札を選んだよ」
その受け答えは柔らかな口調であるが、どこか他人行儀であるともモモカは感じた。頭が良く心理戦の得意なイクルらしい選択だがそこで何かの忍術を使ったのかは分からなった。
トウキは何を選んだのかな、と仏頂面で座るチームメイトを見る。トウキは知らんぷりをしていたが、その視線に答えるように再びイクルが口を開いた。
「丁半をしたみたいだよ。2戦目は何を選んだのかは知らないけど、2回賭けて両方とも勝っているはずだ」
イクルの説明になるほど、とモモカは頷く。丁半はサイコロの目を当てるだけの単純なゲームだが、手先の器用なトウキのことだから上手いことやったのだろう。
ふと視線を感じて、モモカは顔を上げる。ゲンマがまじまじとこちらを見ていた。何か?と窺うように首を傾げるとゲンマは口に咥えていた楊枝を指で挟んだ。楊枝だと思っていたのは忍具の一種、千本であった。
「いや、何の相談もせずにそれぞれゲームを選んだんだな、って意外に思ってよ」
ゲンマの言葉はモモカの胸にぐさりと刺さった。
彼もモモカ達15班のある種異様な殺伐とした雰囲気を感じ取ったのだろうか。他のチームみたいに相談もせずに各々好き勝手やっているチームワーク最悪の班だと思ったのだろうか。またしてもモモカは泣きたい気持ちに襲われた。
「それだけお互いのことを熟知しているんだろ、1年目の下忍になかなかできることじゃねえよ」
モモカの心の内を知ってか知らずか、ゲンマはそう付け加えた。モモカはハッとして顔を上げたが、ゲンマは試験官の顔に戻ったらしくただ静かに入口付近に立ち、これ以上無駄話をする気はなさそうだ。
イクルとトウキは依然として、お互いがまるで存在していないかのように会話を交わさない。険悪な雰囲気に変わりはない。
“お互いを熟知している”
ゲンマの言葉をモモカは反芻した。
確かにそうだ。険悪で泣きたくなるような状況には変わりないけれど、確かにモモカは二人の得意とするところを考えてゲームを選択した。そしてそれは、二人だってきっと同じなのだ。
今この瞬間がたとえ最悪でも、三人で歩いてきた今までが全て消え失せた訳ではないと思えて、モモカは少しだけ慰められた気分になった。