その事実に今更気が付いて


 よく知っているようで、彼らのことはほんの少しのことしか知らない。モモカが見ている彼らは表面的なほんの一握りの部分で、その表面をなぞって知ったような気になっているだけだ。深い核心に迫るところは何も知らないに等しかった。
 それでも良いと、この関係が嘘ではないならそれで構わないあえて全てを知る必要はないと、今までのモモカは思っていた。


 正式に中忍試験へ推薦されたことをハヤテから伝えられた日、モモカ達は久しぶりに三人揃ってラーメンを食べに来ていた。実に二ヶ月振りのことである。
 相変わらずトウキとイクルの間に会話は少なくぎこちない雰囲気はそのままであるが、モモカは持ち前の前向きさで楽観的に考えていた。時間が経てば、中忍試験が始まれば、そのうちに二人の関係も元に戻るだろうと確信に近いものを感じていたのだ。今日久しぶりに三人でラーメンを食べに来たのも、ハヤテから中忍試験受験の詳細な説明を受けたついでとはいえ、状況が良くなる兆しに思える。
 初めて来た店というのも、モモカの気分を明るくさせる一つの要因であった。
「ラーメン一楽」というこの店はモモカ達の家があり普段演習に使うことも多い里の南側からは離れた所にあり、地元の人に愛される名店らしい。着いてみると、一楽は店というより屋台に近かった。店名の書かれた提灯と暖簾がかけられ、その奥に丸椅子が見える。カウンター五席だけの店構えはあくまで味だけで勝負をする気概が窺えて、モモカの期待も高まった。
 昼時にはまだ少し早いためか他に客はなく、モモカ達は右端の席から詰めて座る。店主はいかにも職人気質な顔をした初老の男性だ。ラーメンの種類はラーメン、とんこつラーメン、みそラーメン、やさいラーメンの四種類でモモカはラーメン、トウキはとんこつラーメン、イクルはやさいラーメンをそれぞれ頼んだ。モモカは昔ながらの中華そばが好きでトウキはニンニクの効いたこってり豚骨が好きだ。イクルはあっさりとした塩味を好むがなかなか好みの塩ラーメンを置いている店は少ない。そのかわりにやさいラーメンを頼んだのもイクルらしかった。
 待っている間、三人は先ほどハヤテに渡された受験申込表に必要事項を記入していく。必要なこと以外の会話はほとんどないが、手を動かしているためかそこまで苦ではなかった。
 やがて書き終わると頃合いを見計らったかのようにラーメンが提供される。モモカの頼んだラーメンはナルト、チャーシュー、メンマ、少しの葱と海苔が乗っているシンプルなものだった。まずは一口スープをすする。旨い。鶏ガラの出汁がよく効いていて、醤油の味もしっかりとするどこか懐かしい味わいだ。続いて麺を啜る。細縮れ面は食感良く、スープとの相性も抜群である。ちら、とトウキとイクルのラーメンを見ると視線に気付き二人は器をモモカに差し出した。
「一口食べる?」
「……ほらよ」
「へへへ、ありがと……」
 どのラーメンも美味しいのももちろんだが、二人がいつものように味見させてくれたことがモモカには嬉しかった。二人もモモカのラーメンを一口ずつ味見したが、しかしお互いのラーメンを口にはしなかった。
 あっという間にラーメンを食べ終えたところで、新しい客が入ってきた。まだ年端もいかない少年である。サスケと同じくらいの歳に見える少年はしかしサスケとは対照的な金髪で、顔付きもだいぶやんちゃそうに見えた。どこか見覚えのあるその顔をなんとなく眺めていると、隣のトウキが呟く。
「うずまきナルト」
 思わず口にしてしまったような口ぶりであった。ああそうか、とモモカは一人合点が行く。うずまきナルトといえばこの里のちょっとした有名人だ。いつも里を騒がせる悪戯ばかりする悪ガキで、大人たちが大層手を焼いているとの噂だ。
 ニコニコ顔で席に着いたナルトだったが、自分の名前が口に出されてムッとこちらを見上げる。不審な顔でジロジロと無遠慮に三人を見た。
「なんだよ。俺はにーちゃん達なんか知らねーぞ」
 噂に違わず生意気で恐いもの知らずな口ぶりだった。唇を尖らせた顔は年相応な少年のもので、ここのところ全く子供らしくないサスケと特訓しているモモカはこれが子供だよなあ、とどこか感心した。
「はは、お前は有名だぜ。質の悪い悪戯ばっかしてるクソガキだって」
 大人ぶってトウキが笑うものだから、モモカは可笑しくなった。自分だって相当なクソガキだったじゃないか――いや今もか。イクルも笑いを堪えているんじゃないかとちらりと横を見たが、彼はナルトがまるで目に入ってないかのように前だけを見て黙って水を飲んでいた。
「うるせー!クソガキは余計だー!」
 ナルトは憤然としていた。しかし彼はすぐ気を持ち直して挑発するようにニヤリと笑った。
「オレってばすげーことしてるから有名なんだってばよ!」
 負けず嫌いなところまでトウキに似ているとモモカは思った。
「あはは、確かにすげーことには違いないね」
 モモカは笑ったがトウキはフンと鼻を鳴らしただけだ。イクルに至っては見向きもしなかった。
 ナルトの頼んだみそラーメンが出来上がるよりも前にイクルが席を立ったのでモモカとトウキも後に倣いお勘定をした。終ぞイクルがナルトを見ることなく、店を出た。
 スタスタと足早に歩いていたイクルに黙々と付いていくのみだったが、ほどなくしてイクルが歩を緩めたのでモモカは横に並んで口を開いた。
「一楽、当たりだったね」
「……うん、そうだね」
 前を見たままでイクルは静かに同意する。少し口元が微笑んでいたのでモモカはホッとした。
「うずまきナルトっていかにも悪戯坊主!って感じだったね」
 モモカの言葉に黙って後ろを付いてきていたトウキが鼻を鳴らす。
「生意気そうなガキだぜ。ろくでもねー」
 しかし言葉とは裏腹に、トウキの声音は思いの外棘がなく、ナルトに少なからずとも親しみを持っているらしかった。
「何かトウキと似てるじゃん。生意気加減が」
 モモカがからかう様に言うとトウキは不愉快そうな顔をした。
「俺が?あのクソガキと?冗談じゃねえぜ」
 トウキは肩をすくめてみせる。ナルトは確か孤児だと、これも風の噂で聞き及んでいた。面倒見のいいトウキのことだから、容易ではないナルトの境遇を気にかけているのかもしれない。
 ぼんやりとトウキとナルトの身の上に思い耽っていると、イクルが徐に立ち止まったので、うっかりモモカはその背中にぶつかるところだった。どうしたのかとその顔を覗くと神妙な顔をしている。
「……あんまり、うずまきナルトに関わるのはやめておいた方がいい」
 イクルの声は穏やかだったが、どこか冷たい響きを持っていた。
「え?」とモモカが聞き返したのとトウキが眉を吊り上げたのは同時だった。モモカはトウキの纏う空気に怒りが含まれているのを敏感に感じ取る。
「なんでそう思うんだよ」
 ぶっきらぼうにトウキは聞く。イクルは黙ってトウキを見つめ返した。ピンと張り詰めた空気にモモカはハラハラと成り行きを見守るしかなかった。
「得になることが一つもないからだ」
 やがて口を開いたイクルに、トウキの語気は荒くなる。
「得するとかしないとか、そんなんじゃないだろ」
 低く唸るトウキにイクルは首を振る。
「こればっかりはそうだ。トウキの為を思って言っているんだ。うずまきナルトと親しくしても……いや、親しくしていたら、色々と不利益を被る可能性が高い」
 モモカは絶句してイクルをまじまじと見つめた。信じられない。これがあのイクルなのだろうか?良家の次男で頭が良いがそれを鼻にかけることなく、いつだって穏やかで公平で優しい、本当に、あのイクルなのだろうか。
 モモカ以上に信じられないという顔をして、トウキは益々声を荒げた。その顔は一方で、酷く傷ついているようにも見えた。
「お前はいつも損得でしかものごとを考えていない!人の、仲間の命でさえも!この間だって!!」
 言ってしまった、とモモカは思った。
 先の任務でイクルがトウキを助けるために他の仲間をいわば見殺しにしたことを、帰ってから初めて口にしたのだ。それもこんな――責め立てるかのように。
 苦しみに顔を歪ませて、イクルも言い返す。
「僕はあの時間違った判断をしたとは思っていない!今だって……トウキの為を思って忠告しているんだ!」
 こんなに大きな声で感情を露わにするイクルを、モモカは初めて見た。
「頼んでない!余計なお世話なんだ!」
 負けず劣らず憤っているトウキはほとんどもう怒鳴っていた。
「今もそうだ!俺が誰と関わるかは俺が決める!俺の気も知らないで偉そうに忠告なんかするな!」
「ああ、君の気なんか知らないね。だって君はいつだって大事なことは何も言わないじゃないか。都合よく察してくれだなんてわがままだ」
 イクルも意地になっているのか、日頃の不満をぶつけているように見えた。トウキはぐっと口を堅く結ぶ。そして拳を振り上げた。殴る、とあっとモモカは口を押える。しかし振り上げたその拳で殴り掛かることはせず、やがてトウキはのろのろと腕を下ろした。
「……そっちはどうなんだよ」
 トウキの声のボリュームは先ほどよりも抑えていたが、怒りと憎しみが滲み出ていてモモカは泣きたくなった。こんなにも、二人の関係は抜き差しならないところまで来ていたなんて。
「お前が見ようとしていないだけだろ。自分の目的以外のことは興味なんてないんだろ――――それに、大事なことをいつも都合よく隠してんのはお前の方だ。大人みたいな顔で、何も知らない俺たちのことを内心見下して馬鹿にしてんだろ」
 イクルは地面のただ一点を見つめ押し黙った。無表情なその顔から考えていることは読み取れなかったが、恨みと憤りと嫌悪感を何重にも重ねたような深く暗い瞳をしていた。
 やがてイクルはいくつかの簡単な印を結び小さく「散」と唱えると葉隠れの術で姿を消した。残されたトウキは忌々し気に地面を蹴りつける。
「くそっ!」
 吐き捨てる彼にモモカはかける言葉が見付からなかった。結局トウキも、モモカを振り返らずにその場を立ち去った。あえてモモカの方を見ないようにしていた気もする。

 一人ポツンと残され、モモカはしばらく手足に力が入らず動き出すことができなかった。
 終わってしまった。
 辛い修行も任務も一緒に乗り越えてきて今まで上手いことやってきたつもりだった三人の関係が今、終わってしまった。二人とも変わってしまったのだ――――いや、違う。モモカだって、きっと、見ようとしていなかっただけで二人とも変わってなんかいない。今まで奥の方にしまっていた大事な核心の部分がようやく見えてきただけだ。モモカが見ようとしなかっただけなのだ。
 気付けばモモカは立ち尽くしたままで、ボロボロと涙を溢していた。泣いたってどうにもならないけれど涙を堪えることはできなかった。泣きたいほどつらい時に、いつも味方でいてくれた二人がたった今、去って行ったのだから。モモカはただ一人で泣くしかなかった。ここが往来の少ない町外れで良かった。通行人に見られてあれやこれやと詮索されなくて済んだ。

“俺の気も知らないで”
“大事なことは何も言わないじゃないか。都合よく察してくれだなんてわがままだ”
“お前が見ようとしていないだけだろ”
“大事なことをいつも都合よく隠してんのはお前の方だ。大人みたいな顔で、何も知らない俺たちのことを内心見下して馬鹿にしてんだろ”

 二人の口論を、泣きじゃくりながらモモカは反芻していた。お互いに向けた言葉はまた、モモカに向けられた言葉でもあったんじゃないかと思った。
 だって痛いほどに心当たりがあるから。その気はなくても同化の力を二人に隠して、騙してごまかしていたんだから。二人はモモカの内に秘めたものに感付いていたのではないか。そして、同化の力にかまけて深く二人を知ろうとしなかった、真剣に見つめることをしなかったモモカの薄っぺらい仲間ごっこを、きっと二人は肌で感じ取っていたのだ。
 モモカは二人を大事な仲間だと思っていたけれど、上っ面だけの仲間ごっこでなんとなく満足していただけだ。果たしてどれだけの思いやりを、今まで彼らに持てただろうか。
 嗚咽を押さえることが出来なくなり、人目がないことも手伝ってモモカは声を上げて泣いた。手足は痺れて感覚がなかった。
 同化の力でその人を深く知った気になって、その実何にも見ようとしていなかったのはモモカだったのだ。その事実に今更気が付いて、どうしようもなく寂しく、そして悔しかった。



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