しかし余りにも、


 さらに狼煙の上がった方角へ駆ける途中、二人の忍が戦闘していた。片方の忍はハヤテだ。相手はやはりほとんど顔を隠した抜け忍らしき忍だった。
 モモカ達が追いつくよりも早く、ハヤテが相手を倒した。ハヤテもしっかり相手を殺していたことが、事態の緊迫さを物語っている。
 ハヤテは三人に気付き、トウキの左手の指先から肘の辺りまで真っ赤に染まっているのを見てギョッとしていた。しかしそれが返り血であることにすぐに気づき安堵の表情を浮かべる。
「無事でしたか。状況は?」
 野営地の方へ並んで走りながらハヤテが尋ねた。既に夜は深く、当たりは真っ暗である。
「西の湖で水の国の抜け忍集団の痕跡を見つけた。最低でも10人はいる。こっちに戻ってくる途中そのうちの二人に遭遇したんで、殺した」
「他の班も抜け忍と遭遇して戦闘が行われている可能性が非常に高いです」
 ハヤテに、トウキとイクルが端的に説明した。
「……分かりました。君達が夜営していた場所にはイワイ先生が向かっています。よくやった。君達はもうここで」
「私たちも行きます」
 すかさず口を挟んだモモカにハヤテは苦い顔をする。
「しかし」
「今ろくに戦えるのはハヤテ先生とイワイ先生だけでしょう。相手は実力で言うと中忍レベルです。複数の下忍を守りながら二人で十人の忍を相手にするのは、先生と言えどもリスクが高いです」
 モモカに続いて早口で、しかし冷静に状況を述べるイクルに、さらにハヤテは顔を歪ませた。しかし迷ったのは一瞬のことで、すぐに頷く。
「分かりました。ただし自分の身を守ることを最優先に考えること。私の命令には従うこと。良いですね」
 特別上忍が新人の下忍を手として考えなければいけないほど、事は切迫していた。三人の部下たちの顔を見れば、決意の色が見て取れる。それは戦う決意でもあり、何がなんでも勝つという決意だった。だからこそ、ハヤテは三人の同行を決断したのだった。

 野営地に近付けば近づくほど、血の匂いが濃くなることに四人ともとっくに気が付いていた。良くない想像ばかりが頭を廻る。実際、良くないことが起きているに違いないのを、懸命に頭から振り払ってただひたすらに走った。
 やがて廃村の西の外れに到達する。
 そこでついに、モモカ達は無惨に転がる死体を見付けてしまった。
 死体は二つだった。
 一つは瓦礫にうつ伏せになり、首から背中にかけて大量の出血がある。肩までの長さの茶髪は、アザミだ。
 もう一つは無数の手裏剣によって杉の木に張り付けにされていた。足が変な方向に折れ曲がっている。彼もアザミ同様14班の忍であることはその顔と服装を見れば一目で分かった。
「野営地にいたはずの14班の二人がここまで逃げてきたのか……!」
 絞り出すように呟くとイクルはアザミの血だらけの首に手を当てる。青ざめた顔で首を横に振る。ハヤテは木に張り付けにされた子を下ろしてあげてその脈を確認したが、モモカから見ても事切れていることは明らかだった。強く拳を握りしめているトウキの瞳は凄まじい怒りの炎に満ちていた。
 モモカの中で、何かが崩壊する。
 気付けば再び走り出していた。後ろで引き留める声がしたが止まる気は更々なかった。残りの仲間を助けなければ。そしてアザミ達を手にかけたあいつらを、殺さなければ。真っ白になった頭でただその使命だけに囚われていた。
 段々と叫び声が聴こえてくる。聴いたことのある声の気がした。
 モモカは沸々と血が沸騰する感覚に襲われる。

 やっと野営地に着いた。林の中の開けた場所で、全体が見渡せるようになっている。
 休息の場であるはずのそこは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
 そこにいた仲間は5人。敵の抜け忍は12人であることを瞬時に確認する。
 モモカは狂的な感覚で、既に二人の仲間が死んでいることを悟った。一人は11班の眼鏡をかけた男の子で、先ほどのように木に張り付けにされている。敵の忍の一人が磔にされたその死体を的に、手裏剣を投げて遊んでいた。14班の残りの一人は地面に転がり脳味噌が飛び出ていた。モモカは絶対に許すことのできない憎しみが溢れ出てくるのを感じた。
 生きている三人のうちの一人はイワイ先生だ。特別上忍で13班を指揮するくノ一で、風遁の使い手である。彼女は二人の敵を相手に戦闘を繰り広げている。その少し離れたところで横たわっているのはミガキだ。右腕が切断されて口からも吐血してぴくりとも動かない。最後の一人はまた別の敵に、長いポニーテールを掴まれ恐怖で泣き叫んでいる。
 モモカに気付き、ポニーテールを掴んでいた忍が薄気味悪く笑う。
「ほらあ、お嬢ちゃんが泣き叫んでくれたおかげで、残りのお仲間がまんまとやって来たぞう」
 その手が頭ごとポニーテールを岩に打ち付け、彼女はぐったりと動かなくなった。
「うわあああああああああ!!!!」
 モモカは狂ったように叫んだ。叫び、突進した。
 許さない。許さない。
 絶対に殺してやる。
 玩具みたいに嬲り殺された仲間の痛みと以上の苦しみを与えて、息の根を止めてやる。

 沸騰した熱い血が全身を駆け巡り、脳を爆発させたみたいだった。
 モモカは突進の勢いそのままで敵にクナイを連投する。敵がそれらを全て弾く。モモカの勢いに虚を衝かれたようで、下品な笑みを引っ込めていたがもう遅い。別の足場に移る隙を与えずにモモカはクナイを振りかざす。それを防ごうととっさに防御した相手の腕に深くクナイが刺さる。刺したままで力の限り手前に引けば、相手の腕の肉が裂け中の骨が見えた。クナイ越しに、肉を切断する感覚が伝わってきた。
「ぎゃあああ!!」
 痛みに叫ぶ男の首の右側から逆手に持ったクナイを真っ直ぐに突き立て止めを刺す。他の抜け忍達がうろたえる気配がした。
「このガキ!」
 二人が襲い掛かってくる。一人が刀を持ち、一人が印を結ぶのが見えた。
 刀の方はあと1秒、印を結んでいる方はあと3秒で攻撃に移ることを瞬時に判断するとモモカは刀の方に突進する。血で真っ黒になったクナイを垂直に構えて飛び込むモモカは放たれた矢のようだった。
 モモカの余りの勢いに、相手は刀で弾くことも出来ずに右に避ける。モモカは空中で体を捻り振り向きざまにクナイを投げた。相手は刀で弾く。しかし一本目のクナイの裏にはもう一本隠れており、刀の男の脇腹を掠めた。その隙にモモカはもう一人の印を結んでいた男の方に突進する。モモカが到達するより早く相手の忍術が発動した。風遁の術だ。複数の風の刃が四方八方から、突進する途中のモモカに向かう。空中で身動きの取れないモモカを「刺した」と男は確信した。
「うああああ!!」
 しかしモモカは声の限り叫ぶと、空中でぐるりと体をねじり風遁の刃を躱す。何という反応。何という身のこなし。男が呆気に取られる間もなく、回転した勢いそのままで男の首に確実に手刀を食らわした。チャクラで強化した手刀だ。意識を手放した男に、そのまま回し蹴り、膝蹴りと連続してこめかみと頸椎に叩き込み確実に息の根を止める。
 既に事切れた男の死体よりも早く地面に足を付けたモモカはすぐに刀の男に向けて臨戦態勢を取った。手裏剣をホルダーから数枚取り出し投げようとしたところで、しかし相手の動きが止まった。そして一拍のうちに男はうつ伏せに倒れる。背には無数の手裏剣が刺さっていた。倒れた男の向こう側にはイクルが手裏剣を投げた体制で立っている。
 イクルの他にも、ハヤテとトウキもいた。いつの間に追いついていたのか、二人とも既に敵と戦闘中だ。ハヤテはイワイの援護に、トウキは一人の忍を相手にしていた。磔にされた仲間の死体を弄んでいた男だ。トウキもモモカ同様、相当頭に血が上っているらしく滅茶苦茶な戦い方をしている。怒りで我を忘れているようでチャクラの消費量を全く考えずに大技を次から次へと出し、相手の攻撃はまるで怖くないみたいな接近戦だ。そうこうしているうちにトウキも相手を殺した。
 そのトウキに、今度は三人がかりで敵が襲ってきたのでモモカもそちらに向かう。しかし向かう途中で別の忍に邪魔をされる。こちらは二人だ。水遁の術がモモカの右腕を絡めとった。水遁はよほどの大技ではない限り殺傷能力に欠けるが、捕えられると抜け出すことが困難である。トウキの方は、二人と肉弾戦を繰り広げながらもその後ろで三人目が印を結んでいるのが見えた。トウキが危ない。
 モモカが腕を水の塊から抜こうと藻掻いているともう一人が刀を煌めかせて切りに来た。鋭い刃の向こうの敵の眼を睨む。相手の動きを読め――読むんだ――モモカは触れていないので同化で読むことはできないが、今までに培った“観察眼”で相手の動きを予測した。右大腿部めがけて振り下ろされる刃――これを足の甲で受け流す。受け流すと言っても切られるすれすれで、切っ先はズボンを破き、腿に僅かに到達した。鋭利な刃物による痛みが走るのを無視してそのまま右に振り払い、左の踵で器用に相手の手を払い落す。相手が刀を落とす。間髪入れずに右脚を振り上げて相手の顎を蹴った。意識を飛ばして倒れ込む相手の首を両足で挟む。腕は捕えられたままで、胸から下を捻じり、遠心力を利用して男の体を飛ばした。飛ばした方向には水遁の術でモモカを捕えていた忍がおり、衝撃で術が解除される。
 水遁の術をかけた忍は、自らの上に振ってきた男をそのまま投げ返した。男ごと、モモカに攻撃するつもりだ。しかし今しがた投げた胴体はぱっくり二つに割れる。モモカが切ったのだった。手には今しがた殺した男の刀を持っていた。
「この……!」
 血に塗れた刀の向こうに光る眼光はたかが下忍のものと思えず、思わず敵の忍は身震いする。
「木の葉のガキが舐めんなよ!!」
 再び印を結ぶ相手の首を、術が発動するより早くモモカは切り落とした。
 素早く残りの敵に目を向ける。
 ハヤテとイワイの二人は、相手にしていた敵を二人倒していた。新たにもう一人の敵が近くまで来ている。トウキはイクルとの連携で一人殺していたが、もう一人の刀と、また別の一人の土遁の攻撃が同時に襲う。
「トウキ!」
 モモカは駆け出す。
 トウキは刀をクナイで受け、そのまま相手を殴った。迫りくる土遁の波に、向かうように走り出す。その先には腕を切断されて横たわるミガキが居た。トウキはミガキを回収しようと必死の形相だ。後ろから先ほど殴られた男の手裏剣が飛んでくる――。
 やられる、と思った次の瞬間、水遁の大量の波がトウキをさらった。水の国の忍の術ではない。これはイクルのものだ。水遁の波は土遁の波の動きを鈍くし、飛んでくる手裏剣からトウキを守り、そしてトウキを敵から離れたところまで押し流すといった三役をこなした。
 水のない所でこれだけの量と力の水遁――相当なチャクラの消費量だ。イクルは三人の中で最も術の扱いには長けているが、トウキみたいな化け物級のチャクラを持っているわけではない。潜在的なチャクラ量は一般的な忍のそれである。当然の如く、これだけの大技を使ったイクルは膝を付き息も絶え絶えになっていた。異常な量の汗を掻いている。
 押し流されたトウキはすぐに立ち上がり、手裏剣を投げてきた男に殴りかかる。土遁の石礫が砕け散り、怒涛の連撃を食らわせる。流石の体術に、一対一では相手は為す術はなくやられていた。モモカは少し離れたところで土遁の術を仕掛けた忍に切りかかっていた。手にしているのは先ほどの刀である。モモカが敵の胸を一突きにした直後に、トウキの怒鳴り声がした。
「何故見殺しにした!!」
 聞いたことのない、仲間に向けたトウキの怒声にモモカはハッとする。トウキがイクルの水遁で助け出された土石流の下には、ミガキが埋もれていた。姿は見えないが、この土石の下では死んでいることは確実だった。
 イクルは、トウキだけを助けたのだ。ミガキを見殺しにして自分だけを助けたイクルを、トウキは殴り掛かんとする勢いである。
「だって助けても彼はもう死んでしまう!」
 ぜえぜえと変な息の合間に絞り出されたイクルの声も、トウキに負けず劣らず感情的だった。二人とも激しい怒声なのに、モモカには酷く悲しく聞こえた。
 仲間を見捨てたことに対する怒りと救えなかった自分自身へのトウキの悔しさも、己の感情を捨てて最善の方法を取ったイクルの苦しみも、モモカには痛い程よく分かった。そしてそれはトウキとイクルもお互い分かっているに違いなかった。二人は汗やら返り血やらでぐしゃぐしゃなった顔で、お互い泣きそうな顔で睨み合っていた。

「きゃああああ!!」
 イワイ先生の叫び声に、三人ともすぐさま残りの敵に意識を戻した。
 敵は残り二人。ハヤテとイワイの相手する二人だ。彼らの間にはどす黒い紫色の靄が漂っている。
「毒霧だ!」
 掠れた声をイクルが振り絞った。
 もろに毒霧を受けたハヤテとイワイの二人の体がどさりと地面に倒れる。敵二人は自分達以外が殺された状況を見ると、撤退した。勝ち目がないと判断して逃げるつもりだろう。
 モモカはすぐさま地面を蹴っていた。
 逃がすものか。絶対に殺してやる。殺さなければ、帰れない。あいつらに殺された仲間たちの魂は、どこにも帰れない。
 ぐんぐん距離を詰めるモモカに、逃げる水の国の忍達はクナイを投げてよこした。モモカは難なくそれを避ける。
 しかし着地した木の幹には苔が生えておりモモカは足を滑らせた。普段なら到底しないようなミスであり、仮に足を滑らせたとしても直ちに体勢を持ち直していたであろう。
 ここでモモカは思うように手足が動かないことに気が付いた。モモカも毒霧にやられた――という訳ではない。
 チャクラ切れであった。
 ここ数時間同化の能力をフルに使い、続けざまに敵を倒してきた。当たり前の結果である。
30mはあろうかという樹から落下する最中、モモカはただただ敵の背中だけを睨みつけていた。
 逃がしてなるものか。仲間の仇も討たずして帰れるものか。あと少しだけでいいのだ。あと少しだけ体よ動いてくれ――!
 全ての景色が猛スピードで逆さに上っていく中で憎い背中だけがハッキリと見いえている。もう地面はすぐそこまで近付いている。仇をとれずに終わってしまうのか。

 しかし地面に追突する衝撃はなく、何かに包まれる感覚があった。
(よく頑張った)
 同化の能力で読めた思考は一度覗いたことのある男のものだった。モモカは地面に追突するすれすれのところで抱きかかえられていた。顔を上げなくても、誰だか分かった。
「カカシ先生……」
 発した自分の声は情けない程に上擦っている。
 嗅いだことのある匂いに、月夜に映える銀髪に、抱きかかえられる腕の温もりに、触れたところから同化の能力で伝わる優しく力強い心の内に、モモカは泣きたくなるくらい安堵していた。
 カカシはモモカの同化能力も、それが拒めることも知っているはずだが、彼の思考がモモカの中に流れ込んでくる。
(残りの敵は二人か)
(追うか、止まるか)
(追えば倒せる)
(一撃で二人まとめて倒せる)
(しかし一旦モモカを安全な場所へ置くとなると)
(時間のロスが――その間に奴らの進む距離は――)
(しかし彼女の安全が第一だ)

「追って」
 モモカはカカシの思考に割り込むように声を上げた。
 驚きの感情がカカシから伝わってくる。
「お願いです。このまま追って……そして今考えていることを実行してください」
 モモカがカカシの胸元をぎゅっと握り締める。
 カカシから伝わってくるのは迷い。
「私なら捕まっていられるから。数秒で片が付くのでしょう?」
 モモカの同化能力で、カカシの脳内の敵二人を殺す算段を覗いたのだ、とカカシが気が付いたことまで伝わってきた。
「お願い……それを私に見せて」
 懇願するモモカの瞳には憎しみや怒りよりも、悔しさの色が濃く映っている。
 “それ”とは敵を殺すことを見せることを指すのかとカカシは躊躇した。それとも――……。
「絶対、役に立つから」
 苦しみの淵から絞り出されたかのような少女の声は、少なくとも未来を見据えていた。
 カカシは心を決めると、敵を追う足を二段階も三段階も速めた。
「しっかり捕まっておけよ」
 低い声はいつもの飄々とした先生ではなく、数多くの修羅場をくぐり抜けてきた忍のものである。モモカは言葉通りにカカシの胴体に両手両足でがっちりと捕まった。体感するスピードは速く、前は見えないが同化の能力でカカシの見るもの聴くもの感じ取るものすべてを吸収していたので恐怖はなかった。
 カカシが左目を覆い隠す額宛てを上げる。
 モモカは写輪眼を通して見る世界を知った。
「俺のとっておきを、見せてやる」

 一瞬のうちに詰めた距離も、写輪眼を通して見るとスローモーションのように見えた。モモカの世界から音が消える。
(丑・卯・申……)
 長い印の結びもカカシにかかれば光の速さだ。
 カカシに気付いた敵の次の動きがまるでコマ送り映画のように見える。
 敵の未来の動きに合わせてカカシの筋肉が動くのを感じた。
(ああ、死が見える――……。)
 モモカはカカシの感覚に全てを委ねてそっと目を閉じる。目もくらむような眩い光と、熱い右手の感覚と、濃密なチャクラが何度もぶつかり合う振動がモモカの世界の全てになった。カカシが強く地面を蹴る。

 雷切!!

 稲妻を切ったという伝説を持つその技は、むしろ稲妻そのもののようであった。
 神の裁きが下るかの如く、逃げる男二人の身体を一突きで貫いた。
 そこには、モモカの求めていたような死ぬ間際の苦しみはなかったのかもしれない。それでも良いと思えるほど、カカシの放った雷切の煌めきはモモカの胸をも貫いて強烈な虹色に染めていったのだ。
 終わった。
 勝った。
 しかし余りにも、多くを失った。
 守れないものがこんなに沢山あるだなんて、知らなかった。





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