ここはさながら、桃源郷のよう


 下忍になってからというもの、カカシに会っていなかった。
 モモカ達が任務に追われて忙しいのももちろんある。
 それと同様にカカシはカカシで下忍には想像もつかないような任務についているのだろう。とにもかくにもこの里では、会う人にはとことん会うがタイミングが合わないととことん会わない。忍とは得てしてそういうものなのだ。

 モモカ達も任務をしていく中で忍の知り合いが増えていく。中忍の忍が多いが時には特別上忍や上忍の忍と接する機会も段々と増えていた。不知火ゲンマなんてのはハヤテと仲が良いらしく、街中で出くわしてもよく声をかけてくれた。ハヤテ同様まだ年若い青年だが落ち着きがある。彼も特別上忍だというから実力者なのだろう。
 ハヤテが綺麗な女性と一緒にいるところを目撃したこともあった。艶やかな黒髪を伸ばした背の高い、恐ろしく顔の整ったくノ一である。あれは誰だと皆気になってはいたがハヤテに直接尋ねることはなかった。しかしモモカは同化の能力で、彼女が暗部に所属する卯月夕顔という名のくノ一で、密かにハヤテと想い合っていることを知っていた。だがまだ決定的な恋仲にはなっていないらしく微妙な関係らしい。無論、同化の能力で知りえた情報をトウキにもイクルにも言うことはないが。

 そして久方ぶりにカカシに会ったのは、年が明け、梅の花がほころび始める初春のことだった。
カカシは相変わらず、眠そうな目をしている。眠そうな目で、しかし口布をしていてもモモカには分かる聡明な顔で、ひっそりと存在していた。気付かなければ気付きようのない存在かもしれない。本来忍とはかくあるものなのだろう。
 しかしモモカは1年前よりもずっと、人混みの中でカカシを見付けるのが上手くなっていた。空気が違う。匂いが違う。カカシの居るそこだけが、鮮やかに色付いて見えるのだ。
「カカシ先生―――……カカシさん」
 自然と口を出た敬称を直し、モモカは改めて呼びかける。隣を歩くトウキとイクルがカカシに気付いたのはモモカが呼びかけて、カカシが振り向いてからだった。
 雑踏の中で、カカシは首だけをこちらに向ける。左側から振り向いたため、額宛てと口布に隠れてその顔はほとんど見えない。すらりと高い背に、中忍以上の忍が着用を許された深緑のベストがよく似合っていた。
「おお、誰かと思えば」
 追いついたモモカ達を待って、カカシは声をかける。
「少し見ない間に、ずいぶんでかくなったなあ」
 確かにカカシに会わないこの半年の間に、三人とも大分背が伸びた。繰り返す任務と特訓に筋肉も付いてきている。特にトウキは大人顔負けの逞しい体つきになっていた。
「カカシは全然変わんねえな」
 トウキの減らず口に、しかしモモカも内心同意した。
 カカシは出会った頃からもう大人で、完成されていて、今も変わらず強さと美しさの象徴として輝いているのだ。最も、そう感じているのはモモカだけらしい。
 二三、他愛ない会話を交わして別れたが、カカシがモモカ達三人の目覚ましい活躍に触れることはなかった。知らないのだろうか。火影室に足を運んでいるのであればあの成績表が嫌でも目に付くはずなのだが。
 そうか、知らないのであろう。モモカは妙に納得した。カカシはそんなこと、気にも留めないのだ。そんな次元で生きている忍ではないのだろうから。

 それからというもの、今まで顔を合せなかったことが嘘みたいにカカシを見かけることがまた増えてきた。毎回会話を交わすわけではないが、里の中でよくその姿を目にするようになる。きっと、タイミングが合ってきたのだ。
 そしてカカシとのタイミングが合ってきたのと同時に、同期の下忍たちとのタイミングも合ってきたようだ。下忍になってから、不思議なくらいに他の同期の忍と会うことがなかったのが、ここ最近というもの頻繁に遭遇するようになる。皆モモカ達よりも半年早く下忍になっているが、モモカ達チームの破竹の勢いの活躍を当然知っているようであった。その反応は様々である。素直に称える者もいれば何かの冗談じゃないかと茶化す者もいた。だが大部分は、アカデミー首席のイクルと、体術で一番だったトウキがいるチームであることから一目置いているようである。
 同期の下忍達とよく遭遇するようになった反面、ゲンマや卯月夕顔と顔を合わせることはめっきりなくなってしまった。


 第11班の三人と遭遇したのも、任務帰りのことだった。
 その日の任務は、火の国の貴族からの依頼で、とある女性に贈り物を運ぶことであった。当日中に、なおかつ誰にも悟られずに運ばなければいけないという条件から忍里へと依頼がきたのだ。
 トウキに言わせると「ありゃ愛人だろ」とのことだが、本当のところは分からない。
 難なく任務を終え、昼過ぎには里に戻ってきたモモカ達は同期である第11班の三人と遭遇した。
 納涼祭の時に絡んできた同期の忍である。リーダー格のそばかす、寡黙な眼鏡、明るいポニーテールとモモカは覚えていた。
 リーダー格のそばかすは不機嫌さを隠そうともせずに近付いてきた。そして声が届く距離までくると不躾に上から下までモモカ達を眺めまわした。
 何か言われるかと、下手すれば技の一つでもかけられるかとモモカは身構えていたが、何もなく二つのチームは通り過ぎる。しかしやはりというか、去り際にボソリと吐き捨てる声が聞こえた。
「どんな手を使ったか知らないが、お前らばっかりが優遇されてる状況が長く続くと思うなよ」
 振り返るも、もう言い放った本人は葉隠れの術によって姿を消していた。文字通り言い逃げである。残された第11班の後の二人も呆気に取られている。
「ごめんね……、あなたたちの成績が優秀なの、何かずるをして“良い”任務ばかり受けているんじゃないかって、そう勘ぐっているみたいなの」
 11班のうち、唯一のくノ一がフォローする。ポニーテールが印象的な、活発なくノ一だ。
 トウキが文句の一つでも言うかと思ったが、何か言い返す気にもなれないらしく肩をすくめるのに止まった。
「相手にしてらんねーぜ」
 それだけ言うとトウキもさっさとその場を後にする。少し、ポニーテールのくノ一はムッとしたようだが、言い返す言葉を飲み込んだようだ。
「君らの活躍が凄まじいのは事実だ。どんな特訓をしているのか、よければこの後話を聞いてもいいかい」
 そう尋ねたのは寡黙な眼鏡の少年だ。
 モモカはいいよ、と返事をしようとして、彼がイクルしか見ていないことに気が付いた。
「ああ、うん。構わないよ」
 イクルは一瞬きょとんとした後に、穏やかに微笑む。モモカは軽率かつ能天気に返事をしなくて良かったと思った。そりゃあ、参考に聞きたいのはアカデミーで首席だったイクルの話に決まっているのだ。
 後に残った女子二人は、イクルと眼鏡の姿をただ何も言わずに見送った。
「素敵ね……」
 ポニーテールの彼女の呟きは独り言のようでもあったが、「うん?」とモモカは聞き返す。
「頭が良くて、優しくて、気品があって、成績も良い……。あんなカッコいい子がチームメイトだなんて羨ましいわ」
 胸の前で手を組んでそう話す彼女の顔は見覚えがある。いつか山間の村で見た娘たちの、恋する顔そのものであった。
「どっちが?」
「やあね、イクル君に決まっているでしょう」
 モモカの質問が彼女には信じられないようであった。
「トウキなんて背が高いだけで乱暴だし、口は悪いし、不良だし……。ね、それよりイクル君って彼女はいないのかな?」
 まさか、とモモカは首を振る。
「任務しかしてないし……」
 モモカの言葉に彼女はにんまりと笑った。
「やった!じゃあどんなタイプが好きとか、知ってる?」
 知るわけがなかった。そんな話などしたこともない。トウキが年上の綺麗なお姉さん(というか紅さんだ)が好きなことは知っているが。
「ごめん、知らないや」
 何も答えられないことがかえって申し訳ないくらいだった。
「そっかあ、まあモモカはそういうの、まだ興味なさそうだもんね」
 綺麗なポニーテールを揺らす彼女は、同い年だというのにとても大人びて見える。
「私だけじゃなくて皆もあんまりその、恋愛とかまだ早いんじゃないかなあ」
 さらさらと流れる美しい彼女の毛先に感心しながらモモカが言う。
「そんなことないわ」
 彼女はいかにも驚いた様子で腕を組む。
「アイもイクル君が好きって言ってたし、ミツはトウキがかっこいいって―――まあ私に言わせたらどこが良いのか分からないけど――――あとアザミはゲンマさんが好きだし」
「えっゲンマさん?」
 今度はモモカが驚いた。ゲンマさんて結構年上だ。カカシとどっちが年上だったかな―――。
「そうよ、それにツバキは同期のウルシと付き合い始めたのよ」
 無意識にカカシに思いを馳せていたモモカは目を丸くさせる。
「えっええ?」
 付き合うって、まだまだ遠い話だと思っていたのに―――もうそんな子もいるのか。
「ふふ、あの二人がくっつくなんて驚きよね」
 彼女は無邪気に笑っていたが、モモカはまだ口をポカンとさせていた。
 組み合わせ云々より、同い年の子たちがそんなに恋愛をしていることに、もうそんな年頃なのだということに少なからずショックを覚えていたのだ。
「そうかあ、皆そうなのかー……皆すごいねえ」
 いまいちどこか他人事のように、モモカは感心して呟く。
「そうよ」
 はあ、と気の抜けたため息を吐くモモカに彼女はポニーテールを揺らしながら笑った。
 まあだからと言って無理に恋愛する必要はないけど、とひどくませた表情で彼女は前置きをし、
「ふつう、好きな人くらいいるよ」
 そう、悪気無しに答える彼女の表情はとてもキラキラとしていて、ああこれが“女の子”なんだなあ、とモモカはぼんやりと思った。




 再びカカシに会ったのは、その一週間後のことであった。
 いよいよ梅は咲き乱れ、澄み切った二月の青空にこれでもかと枝を伸ばして甘い匂いを漂わせている。桜も良いが、桜にはないこの甘い香りはこの季節だからこそ、かぐわしく感じるのであろう。この日は任務がなく、図書館に少し調べものを来たついでに、たまたま、梅を見て帰ろうと図書館の裏手に回ったのだ。
 カカシは、図書館裏の空き地の白梅の木の下に寝そべっていた。純白に近い色をした花弁を咲かせた木である。一気に、モモカの世界が彩を増した。
 近付いてみると、どうやら寝ているようである。仰向けになって両腕を組んで枕にし、膝を組んだような体勢で目を閉じていた。読みかけの本が開いた状態で胸の上に伏せてあり、カカシの静かな呼吸に合わせて上下している。モモカは自身の鼓動が早く脈打っているのを自覚していた。
 カカシほどの手練れが、寝ているとはいえ果たして他人が近付いてきたことに気付かないものだろうか。そっとその顔を覗き込む。いつも通り口布をしているし額宛ては左目の写輪眼を隠しているのでほどんど顔の露出はない。それでもわずかに見える肌は白くてきめ細やかで、閉じられた右目の睫毛は長く美しい。きっとカカシは、日に当たっても肌が黒くならずに赤くなるタイプの人間だろう。
(カカシさん……起きないな……)
 そんなに疲れているのだろうか。
 モモカはカカシが寝ているのを良いことにまじまじとその顔を見つめた。梅の木のおかげで日陰になっているが柔らかな日差しは一部カカシの銀髪に差し、キラキラと輝いている。時たま吹く風はその銀髪を揺らすとともに白梅の甘い香りを運んでくる。触れることはさすがにしなかったが、風に揺れる髪はとても柔らかそうで穏やかな初春の陽がよく似合う。
 ここはさながら、桃源郷のようだ。
 ころんと、モモカもカカシに倣い横になる。カカシと同じように両腕を組んで枕にし仰向けになれば、青空を背景に梅が視界一杯に広がった。まだ胸はドキドキしている。カカシが横にいるうちは収まりそうにない。
 このドキドキがカカシに聞こえないか、もっと言えばモモカの皮膚の熱さが放射してカカシに伝わらないか、少しだけ心配だった。無論そんなことはなく、隣のカカシは相変わらず静かに寝ている。寝息一つ立てていないのはカカシらしかった。
 木陰に入りきらない足先が、やがて日光によってじんわりと温まってくる。
(のどかだなあ)
 数回ゆっくりと瞬きをする。こうしている間にも任務に駆り出されている忍はいて、ひょっとするとどこかで戦っている。先の忍界大戦以降、大きな戦争はないが、他の忍里なんかはまだ小競り合いが続きているところもあるというが、嘘みたいだ。
 今モモカの目の前に広がる世界はこんなにも穏やかで、平和だというのに。
 徐々に心地よく重くなっていく瞼に、逆らおうとは思わなかった。
 とうとうモモカも眠りに落ち、無意識に寝返りを打つ。猫がそうするように、カカシの左の脇にすっぽりと収まっていた。
 もちろんモモカは眠りの中で気づきもしない。しかしこの時、確かにカカシに触れていたのだった。





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