既に東の空は暗い
よく晴れていたが、木枯らしの吹いた11月のある日のことだ。モモカ達下忍3人を擁するハヤテ班は里から東に丸1日の距離の山村に来ていた。
木の葉の里ではまだ時たま暑い日もあるが、朝晩は冷え込み、確実に冬の気配が近付いていた。特にこんな山間部では殊更に気温が低い。早朝ともなれば吐く息は白く、むき出しになった指先は寒さでかじかむほどだ。吹く風に少し前までの湿度は感じられず、夏とは全く別の乾いた匂いがした。
昔ながらの生活を営むこの村の家屋はほとんどが茅葺屋根だ。火災に弱い短所が嫌われ里内はもちろん、街道沿いの比較的大きな街だと見られない山間部の景色はモモカには珍しく、だがそれが好ましくも写った。茶色と、暗い緑色ばかりの風景の中に、時折たわわに実った柿の橙色が映えて、何故だか懐かしい気持ちになる。
山のあちこちでも生えている柿の木を見上げて、家族へのお土産にしようとモモカは密かに目論んだ。
「来るよ」
イクルの言葉にモモカは鮮やかな柿の実から思考を切り離す。イクルは上空で旋回する鷹に何やら合図を送っている。地上からは豆粒ほどに見えるこの鷹は近くで見ると圧倒されるほど大きく、イクルが腕に止まらせると羽を畳んでいても彼の顔の5倍はあろうかという大きさだ。正式な忍となり、イクルが彼の家から与えられたものだ。
「1匹じゃない……かなり大きな規模の大群だ」
イクルの言葉にトウキは満足気に頷く。
「芋づる式に他のイノシシも狩れるってんなら、願ったりかなったりだな」
「あくまで討伐目的は暴れイノシシ一体ですよ。全てのイノシシを狩っては、生態系が崩れます」
特別上忍でモモカ達十四班のリーダーであるハヤテがすかさず口を挟んだ。
「分かったよ……、ちょっと土産が増えたらいいなって思っただけだ」
食い気が目立つのは、モモカだけでなくトウキも同様のようだ。
「この位置だと今から40秒後に到達するよ……準備はいい?」
イクルの問いかけにトウキとモモカは頷く。既にイノシシ達の走る地響きを体に感じていた。
「大丈夫」
「いつでもかかってこい」
一拍置いて、トウキが印を結ぶ。そして怒涛の勢いで押し寄せる土遁忍術の土の波。森の向こうに見え始めていたイノシシの群れが、土遁流によって二つに分断された。
高い木の上から、モモカは目を凝らす。目を凝らすまでもなく、目的の暴れイノシシはすぐに分かった。他のイノシシよりも遥かに大きく、子供の象くらいありそうだ。
樹上から素早く放ったモモカのクナイが、暴れイノシシの背中の左側に突き刺さる。しかしちっぽけなクナイなど物ともせず、暴れイノシシは走り続けた。
「そいつだな!」
モモカのクナイを目印に、トウキは暴れイノシシに当たりを付けた。トウキの忍術は荒削りで細かい制御は効かないが、チャクラの量が多いためか、威力も持続性もある。どうにか上手いこと、目当ての暴れイノシシだけを群れから引き離した。土遁に足を取られながらも、それでもイノシシの勢いは止まらない。
モモカは足場にしている枝を強く蹴り、高い樹上から一直線にイノシシの背中に下り立った。群れから分断させ後を追うイノシシがいないからこそ出来た芸当だ。もしわずかでも目測を見誤れば落下し、駆け抜けるイノシシ達に踏みつぶされる状況では、さすがのモモカでも飛び降りる度胸はなかった。
「ごめんね」
暴れイノシシの大きな背中にしがみ付きながら誰にも聞こえない声で小さく呟く。
次の瞬間、モモカはその背中に勢いよくクナイを突き刺し、雷遁を流し込んだ。
ゆっくり、スローモーションの動きでイノシシは傾き、下敷きになる前にモモカはその背から離れる。モモカが数メートル離れた地面に着地して一拍後、イノシシは大きな地響きを立てて横たわった。
当たり一面の木立の鳥たちが、一斉に羽ばたいていく。
朝食は村長の家で振舞われた。囲炉裏を囲みたんまりとよそわれた白米、大根の漬物、川魚の燻製、そして具沢山のキノコ汁という質素だが旬の素材を使った良い意味で田舎らしい食事だ。日が昇るよりも早く、早朝から活動をしていたハヤテ班一行にはこの上ないご馳走である。
朝食を食べ終えると死んだ暴れイノシシと山の神に祈りを捧げる神事が執り行われ、ハヤテ班の4名もこれに参加した。討伐された大きなイノシシは丁重に祈りを捧げられた後切り分けられ、一部は山の神へ捧げ、残りは余すところなくこの村の人々が頂き彼らの血となり肉となるのだ。今夜はそのため、牡丹鍋を村人総出で囲むのだという。
祈祷が終わると村長が今夜の鍋にハヤテ隊の四人を誘った。もちろん任務としての報酬を払ってはいるのだが、ぜひお礼をとのことだ。もう任務は終えたのだからと、隊長であるハヤテは渋った。
「呼ばれましょう。夜までの間に、イノシシ達の通り道の倒木および土砂の除去をすれば今後イノシシ達が再び村を襲う可能性も低くなる」
そう提案したのはイクルだ。今回の暴れイノシシ発生は、先日の嵐の晩に起こった土砂崩れによりイノシシの通り道が遮断され、餌場に辿り着けなかったことに原因がある。飢えたイノシシ達は人里に下り、不運にもボスである一番大きなイノシシが兵糧丸――それもチャクラ増強と興奮作用のある強力なものだ――を口にしてしまい、暴れイノシシと化したのだ。問題の暴れイノシシは討伐したものの、土砂崩れにより行き場を失ったイノシシ達は今後も食料を求めて人里に現れるだろう。ならばイノシシの通り道を復活させ、根本的な問題解決を図ろうとイクルは提案したのだ。
ハヤテは迷った。任務内容はあくまでも“暴れイノシシの討伐”だ。それ以上でもそれ以下でもない。もちろんイノシシ道を復活させることがこの村の人達に為になることは重々承知の上だ。しかし請け負った任務以上のことをすれば次からも同じことを要求される恐れがある。
「元々の任務達成ノルマは一週間です。明日この村を出て帰ってもまだ三日しか経っていないから問題はないはずです」
イクルは微笑む。
「それに、土砂崩れの向こうにはコハクツノクサが群生していると、鷹たちの情報で入ってきました。これも里の任務で出ていたものです。採取して帰れば一石二鳥です」
イクルの言葉にハヤテはため息を吐く。他の任務情報まで見てきていたとは抜け目ない。後の二人に目をやると、彼らも賛成のようだ。
「いいじゃねえか減るもんじゃねえし」
トウキはどちらかと言うと今夜の鍋が楽しみなようだった。
「仕留めた者がその肉をいただいて供養になるのなら私も呼ばれたいです」
モモカも頷く。
「何より、任務とは言え群れのボスであるイノシシを討伐したことには変わりないから、しっかり最後まで彼らを導きたいです」
モモカの言う彼らとは、イノシシ達のことか。とにもかくにも、彼女の言葉が決め手となりハヤテは任務の延長と今夜の宴に呼ばれることを決定した。
それからハヤテ班の四人は倒木と土砂によって塞がれたイノシシ道の復旧を行った。大きな障害物は何とか力業で退かし、その後はトウキの土遁とイクルの水遁で大まかな通路を作る。その上を足の速いハヤテとモモカがイノシシ達を上手く誘導させつつ、地面を少しづつ踏み鳴らしていく。そしてまた土遁と水遁により嵩増しをし、また踏み鳴らしていく……といった具合だ。早めのお昼は村人に持たされたおにぎりを食べ、また作業に戻る。
効率良く作業は進み、1時過ぎにはイノシシ道が復旧した。
これで山の反対側に行けるようになったため、一行は足を延ばしコハクツノクサを探しに出かけた。コハクツノクサは主に免疫回復系の薬の材料となる植物である。標高の高い、地面が露出した崖のような場所に生息しているため希少価値が高く、非常に高価でもある。
イクルの鷹が上空を旋回して得た情報をもとに捜索し、見つけるとトウキやモモカが採りにいく。切り立った崖の上なんかにポツンと生えていることの多いこの植物だが、イクルが鷹からの情報を元に最適なルートを示してくれたおかげで無駄な体力は使わずに済んだ。
この鷹は、イクルが正式に下忍となって、家から与えられたものらしい。忍を恐れず、精確にイクルと意志疎通を行っている。
「思ったよりも採れなかったな」
日が暮れかけた頃、一行は採取を終えた。トウキの不満げな声にハヤテは首を振る。
「群生することなく、切り立った崖に単体で生息するコハクツノクサをこれだけ採れたのだから上出来です」
力仕事と遠征でへとへとになっているものの、全ての任務を期待以上の出来でこなす部下たちは、本当に可愛げがないなとつくづくハヤテは思い苦笑した。
村へ戻ると村長宅前の空き地に焚火が焚かれ、鍋の準備が着々と進んでいた。大人が三人くらいすっぽりと入ってしまいそうなほどの大鍋には白菜やら葱やら豆腐やらの具材が既に敷き詰められている。件の暴れイノシシはすっかり捌かれ、いくつものブロックになっていた。女達は忙しなく準備に追われ、男達は既にそこかしこで飲み始めて陽気な声で談笑している。子供たちは非日常の雰囲気に高揚し、子供同士くすくすと笑い合ったり駆けまわったりしている。この小さな山村にこれだけの人々がいたことが驚きだった。
向こうの山の端にわずかに夕日が滲むばかりになった頃、宴は始まった。村長の暴れイノシシへの祈りの言葉、そして討伐したハヤテ班への感謝の言葉が済むと、静かで厳かな雰囲気は一転して賑やかなものになった。
一番乗りで賑やかな輪の中に入っていったのはトウキだった。村の男達と笑い合い、大いに食べて飲んで(未成年飲酒に厳しいハヤテも今日ばかりは目をつぶることにしたらしい)盛り上がっている。イノシシ肉は固く噛み応えはあるものの、思っていたよりも臭みがなく食べやすい。濃い味付けの鍋と相性が良かった。イクルは村の年長者たちと会話し、山村ならではの知恵や情報に聞き入っていた。モモカは村の娘達の輪に招き入れられ、忍の任務のことをあれやこれやと尋ねられた。村に若い娘は少なく、モモカより少し年上の者が二人、少し年下の子が一人、うんと幼い子が一人とそれだけである。忍の話について話し始めたものの、やはり年ごろの娘というのはどこに行っても変わらないものらしく、いつのまにか街で流行りのおしゃれだの恋だの愛だのの話になる。
「モモカちゃんは良い人はいないのかい?」
すっかり暗くなって焚火の灯りと熱とで高揚して顔を赤くした娘たちはくすくすと笑い合う。一番年下のうんと幼い子にはこの手の話はまだ面白く感じられないらしく、いつの間にかいなくなって同年代の男の子たちと遊んでいた。
「まさか、いないよ。今は任務でいっぱいだし、同期の他の子たちもそうだと思う」
答えながらも、モモカの頭には何故かカカシの顔が浮かんだ。そういえば、正式に下忍になってから一度も会っていない。
「あの二人は?どっちも良い男だけど……」
背の高い銀髪に思いを馳せていたモモカは娘たちの指し示す方に意識を戻す。トウキとイクルだ。
「あの二人なんてなおさらじゃないかなあ……。あ、トウキは年上の人が好きって言ってたけど」
モモカの言葉に娘たちはきゃあ、と嬌声をあげる。そこでモモカは、娘たちが気になって仕方なかったのはトウキとイクルの二人なのだということに気が付いた。娯楽の少ない山間のこの村では、年ごろの娘たちにとって男女の話は何よりも楽しいことなのだろう。
どちらの方がかっこいいだとか、誰が話しかけに行くかとか、モモカに紹介してもらおうだとか、はしゃぐ娘たちに微笑ましい気持ちは抱きつつも、不思議と羨む気持ちはなかった。どっちが良いとか悪いだとかではなく、モモカには忍という生き方が合っているし、やりがいを感じるし、何よりも日々強くなっていく自分が誇らしく感じられるのだ。
モモカは村の娘たちをトウキとイクルに紹介した。トウキは調子よくあしらい、イクルは優しく失礼のないように対応し、それがまた娘たちの熱を上げた。
翌朝早くに村を経つ際にはほぼ村人総出で見送りをしてもらえた。娘たちはしおらしくしていたが、別れを名残惜しんで涙ぐんでいる者もいる。
余ったイノシシ肉は干し肉にして持たせてもらった。その作り方も丁寧に教えてもらったので今後役に立つだろう。モモカが所望していた柿ももらったし、おまけの任務で採取したコハクツノクサも入っているため一行の荷物はぱんぱんだ。
里に着き、火影に報告に行くと任務を当初予定されていた一週間という期限よりも遥かに早く終えたこと、そしてついでに他の任務も達成してきたことを高く評価され労いの言葉をかけられた。
現在の三代目火影は一度は引退し四代目にその座を譲ったが、先の妖狐襲撃事件により命を落とした四代目に代わり再び火影の座に就いた老忍だ。多くの人々に復帰を望まれただけあって人望は厚く、その実力も現在の木の葉の里中でも屈指の強さを誇る。普段は好々爺然としている三代目だが、昔は数多くの戦績をあげてきたのだということは、若いモモカ達も聞き及んでいるところである。
火影室内の入口ドア近くには中忍以下の忍達の現在の任務状況を表示する木札額が置かれていた。さすがに特別上忍以上ともなると任務の特殊性から公にはされないが、中忍以下の忍はここに任務の達成数やそのランクが掲示されているのだ。
モモカ達とは言うと、同期よりも半年遅れて下忍になったにも関わらず、同期の中では一番の達成率であった。そして三代目が新たに木札を掛け替えると、下忍全体の中でもトップ5に入ろうかという勢いである。
「これからも期待しておるぞ」
厳しい中にも優しさのこもった眼差しで三代目に声を掛けられ、一行は火影室を後にした。
その翌日は非番であった。
各々休息を取るように、とのことだったがモモカはいつも通り午前中から鍛練に励んだ。連絡は取っていないが、恐らくトウキもイクルも同様であろう。
お昼になり、昼食を取るために一旦家へと帰ったところでイノシシの干し肉と柿はどうするのかと母親に尋ねられた。そういえば、代表してモモカの荷物に入れていたのだがすっかり二人に渡すのを忘れていたのだった。
母親の作った焼き飯を食べ終えると、モモカは干し肉と柿とを持ってイクルの家へと向かった。また明日任務で会うのだからその時でも良いのだが、任務に余計な荷物が増えるのは避けたかった。
途中少しだけ遠回りをして第四演習場を覗いたがイクルの姿はない。家を訪ねても居なければ、図書館を当たろうとモモカは考えた。
イクルの家―――というよりは屋敷と呼ぶ方が適切な大きさである―――は相変わらず立派で、チームメイトを訪ねただけなのに緊張を覚える。使用人らしき人が応対してくれ、幸いイクルは在宅しているようだ。屋敷内の応接間のような部屋に通される。お土産だけ渡して帰ろうと思っていたのだが、この屋敷は一々大事になってしまう。
5分と待たずしてイクルが姿を現した。休日に訪ねてきたモモカに何事かと思ったらしいが、柿と干し肉を渡すと、ああ、と苦笑した。
「渡してもらってすぐ帰ろうと思ったけどタイミング逃がしちゃって……おもてなし受けちゃいました」
出されたお茶菓子を前に、へへ、とモモカが頭を掻くとイクルは微笑みお礼した。
「わざわざありがとう。この後はトウキの所だろう?付き合うよ」
使用人が淹れてくれたお茶を飲み甘いお菓子をさっさと食べ終えると、二人は連れだって屋敷を出発した。お菓子は小粒で可愛らしい上生菓子で、上品な味がした。
「トウキの家、知ってる?」
イクルの家から20分ほど歩いたところで、モモカは尋ねる。閑静な住宅地を通り抜け、だいぶ空き地が多くなっていた。
「うーん……、だいたいの場所は」
私も、とモモカは笑う。番地は分かっているので、近くまで行けば近所の人に聞くつもりだったのだ。小さな廃工場らしき建物を左手に見ながら進み、舗装のない路地に出る。すると小さな川沿いにぽつぽつと家が見えてきた。家といってもほとんどが平屋で簡易的な造りをしていた。悪く言えば掘立小屋のような家もある。その様子を見れば、この辺りが里内でも貧困層が住み、治安もあまり良くないことは、モモカにも想像が付いた。
ちょろちょろと申し訳程度に流れる小川で洗濯をする中年女性を見かけ、二人は彼女にトウキの家について尋ねた。見慣れない若者二人を怪訝な顔付きで見ていた女性だが、トウキの名を出すと呆れたようにため息を吐いた。あっちの角の家だよ、と無愛想に教えてくれた後は、二人のことはまるで関心がないように再び洗濯に戻った。
教えられた家はやはり平屋で、だいぶ年季が入っていた。玄関は曇りガラスの引き戸になっている。控えめにその戸を叩くと思ったよりも揺れて大きな音が出た。
「すみません、こんにちは」
イクルの家を訪ねたのとはまた違った緊張感を持って呼びかけると、玄関からではなく裏庭の方から住人がひょっこりと顔を覗かせた。まだ五歳かそこらの女の子だ。続いて三歳くらいの男の子も後から付いてくる。
「だれ?」
少女はませた表情で、モモカとイクルをまじまじと眺めた。
「こんにちは、トウキのチームメイトのモモカとイクルです」
モモカが挨拶すると女の子は返事もせずに玄関の引き戸をガラガラと開けた。
「ばあちゃーん!トウキにお客さーん!」
玄関から大声で呼びかけると少女は二人を招き入れた。
「トウキまだ帰って来てないんだけど、もうすぐ帰ると思うよ。あがって待ってて」
幼い女の子が大人の口調を真似て言うものだからそれが可笑しく、微笑ましかった。
やがて奥から老婆が姿を現す。足が悪いらしく杖をついていた。
「トウキのお客さんだって?まあ、可愛らしいお客さんだこと。たいしたおもてなしも出来ないけどあがってらして」
若い二人を目に留めると、老婆はしわくちゃの顔をさらに皺を寄せて笑った。しかしその笑みは先ほどの女性とは違い温かく、モモカはホッとした。
「初めまして、トウキと同じチームのモモカです。こちらはイクル」
イクルもこんにちは、と挨拶し二人は室内に足を踏み入れた。造りの古い家屋でどこかかび臭い匂いがしたが、室内はよく手入れされて小奇麗であった。
玄関から廊下が伸びて、突当りは厠と思しき扉がある。玄関すぐ左手は居間で反対側の右側はお勝手だ。物が多く狭い中に調理道具や食器がたくさん置かれてごちゃごちゃしているが不思議と散らかっている印象は受けない。
居間に通されると、さらに子供がいた。先ほどの女の子と男の子に加えて、少し年上の女の子とさらに小さい男の子が二人だ。全員トウキの弟妹だろうか。
「特に大した用ではないんですけど、この間の任務のお土産を渡しそびれてしまって、お届けに来ました」
モモカが柿と干し肉を出すとわっと子供たちが群がった。
「肉だー!」
「美味しそうな柿も、こーんなにたくさん!」
はしゃぐ子供たちは微笑ましかったが、そのうちに取りあいになり、最初に顔を覗かせた二番目と三番目の子供二人が喧嘩に発展しそうだった。
「こら!お客さんの前で止めないか!」
老婆に代わり喧嘩をたしなめたのは一番上(と言っても年の頃は七つくらいだろう)の女の子だった。老婆はにこにことお茶を持って現れた。足が悪いからだろう、ちゃぶ台の脇に一つだけ置かれた背の低い椅子に腰かける。淹れてくれたお茶はとても薄かった。
「せっかくだから皆でいただこうね。柿を剥いてきておくれ」
モモカがお構いなく、と言うより早く一番上の女の子が柿を持って立ち上がる。そしてあっという間に綺麗に剥かれた柿が皿によそって出された。こんなに幼いのにモモカの数倍気が利きそうだ。
皆で柿を食べ始めて間もなくして、トウキが帰宅した。ちょうど任務でのトウキの様子を老婆と子供たちに聞かせていたところだった。子供たちは最初こそ柿を食べるのに夢中だったが、一生懸命話に聞き入っていた。主に話していたのはイクルだったが彼は話が上手い。時には面白おかしく、時には臨場感たっぷりに任務の話をするものだから子供たちはその度に声をあげて笑ったりはっと息を飲んだりして話に夢中になった。
居間に顔を出したトウキには然程驚いた様子はなかった。
「なんでお前らがいるんだよ」
どかりと座ったトウキに幼い妹弟たちが「おかえりー!」と群がる。
「トウキすげーな!ちゃんと任務してんだな!」
「ドトン見せてドトンー!」
イクルの話に盛り上がっていた子供たちに面倒くさがる訳でもなく、トウキはまた今度な、と頭を撫でる。そして柿を目に留めると「おっこの間の柿か」と一つを素手で掴んでそのままかぶりついた。
何だか父親みたいだ、とモモカは思う。いや、実際これだけ幼い子供たちと老婆だけの家族ならば父親も同然だろう。トウキと、五人の妹弟たちと、足の悪い老婆。
「7人家族だと、賑やかでいいね」
お父さんとお母さんは?そう聞く言葉を飲み込み、モモカは尋ねた。
「おう、チビ達はうるさくて騒がしいけどな」
父母がいないことは確定だった。トウキが一家を支える大黒柱であることは間違いない。もちろん子供たちの手前というのもあって直接的な言葉では聞けないが、こんな回りくどい確認の仕方をする自分が、モモカは何だか嫌だった。
夕方になりモモカとイクルはお暇する。子供たちはすっかりなついてくれて、一番下の子は帰り際にずっと駄々をこねていた。妹弟のいないモモカとイクルにはそれがとても新鮮だった。
帰り道、なんとなく二人に口数は少なかった。可愛かったねえ、とかトウキちゃんとお兄ちゃんしているんだねえ、とか当たり障りのない言葉だけを交わす。
これだけ一緒に特訓してきて、任務もこなしてきて、だいぶお互いのことを知っていたつもりになっていた。なっていたけど、実のところモモカはトウキのことを何も知らなかったのだ。家庭環境。何故父母がいないのか。あれだけの子供たちを実質トウキが養っているという事実。アカデミー時代から素行が悪く、何度か軽犯罪で捕まったことも人づてに聞いたことがある。噂の真偽はともかくとして、あの環境ではそれも仕方ないような気がした。
きっと、トウキはモモカが思う何倍も何十倍も、苦労して歯を食いしばって生きてきたのだ。
「じゃあ、また明日ね」
イクルと別れた後も、何となくその後ろ姿が見えなくなるまで見送る。
それじゃあ、イクルは?彼は何でもない顔をしていたけどトウキの家庭について知っていたのだろうか?何も知らずに能天気な顔をしていたのはモモカだけだったのだろうか。
いや――――。
イクルについてだって、モモカは何も知らないのだ。きっとイクルが見せている顔も、彼のほんの一部なのだろう。
図らずとも同化の能力で二人のプライベートが垣間見えることはある。しかし断じて、そこに踏み込もうとはモモカは思っていない。任務以外で勝手に誰かの内面を覗くことは避けていた。
避けていたが、ごくたまに触れてしまった際に見えた二人の中に、薄暗い感情があることも確かに知っていたのだ。知っていたけど、本当は―――、見ない振りをしてきただけなのかもしれない。
モモカは空を仰ぐ。日の暮れは早く、既に東の空は暗い。踏み込んではいけない、二人の心の底を眺めているようだった。