この罪悪感が


 午後5時半、トウキとイクルはモモカの家を訪ねた。
 イクルは最上級木の葉豚で作った角煮、トウキは一升瓶を手に持っていた。
「あっ二人ともいらっしゃい…えー手土産なんていいのにそんな…お母さーん!トウキとイクルが色々持ってきてくれたよ―!えー?分かってるってばー!あ、とにかく上がって上がって」
 玄関先で迎えてくれたモモカも夕食の支度を手伝っていたらしく、部屋着の上からエプロンを付けて慌ただしく出てきた。
 家の中に入ると夕飯時の美味しそうな匂いがした。
「初めましてモモカがいつもお世話になっています。あらまあ、手土産だなんて気を使わなくて良かったのに」
 エプロンで手を拭きながらお勝手からモモカの母が出てきた。朗らかな笑顔はモモカにそっくりだ。
「いえ、お宅にお邪魔すると言ったら母が持って行けと…これ、家の料理人が作ってくれたものです」
 イクルは鍋ごとモモカの母親に渡す。
 やだ木の葉豚なんてお中元とかで貰うやつじゃない!と、横からモモカの姉がのぞき込んではしゃいだ。彼女は中性的で少年のような印象を受けるモモカとは対照的な女性らしい人だ。今日はモモカの下忍承認祝いにために嫁ぎ先の呉服屋から子供を連れて実家に帰って来ていたのだ。
「俺からはお酒です。酒屋でバイトしてるんですけど、バイト先のおやっさんが餞別にとくれました」
 トウキは薄緑の瓶に入った日本酒を差し出した。モモカはトウキがバイトしていたことを今初めて知った。
「あらそんなせっかくあなたが頂いたものなのに…」
「うちは年老いたばーちゃん一人と幼い弟妹達しかいないんで飲みきれないんす」
 自分がたらふく飲むくせに、とモモカとイクルは目配せして笑う。それでもやっぱり、こうやって気遣って持ってきてくれたことがモモカは内心嬉しかった。
 ちょうど夕飯の支度が調ったところで父親が帰って来て、皆は食卓についた。
 乾杯をしよう、とモモカの父親がトウキの持ってきたお酒を全員に注いだことがモモカには意外だった。真面目で平凡で寡黙な中忍で、どちらかといえば地味なタイプの父親だった。
 未成年に酒を飲ますなんて、到底考えられなかったのだ。
「祝いの席だ。君達もこれからは下忍――いわば、大人の仲間入りを果たすのだからね」
 モモカの心中を察してか、父親はそう言った。今まで凡庸だと思っていた父親の放った言葉は、これから忍として生きていくというモモカの覚悟をより確固たるものにした。可もなく不可もなく、悪く言えばうだつの上がらない父も、厳しい忍の世界で生きているのだとモモカはまざまざと感じた。
「とはいえ、君達の未来はまだ果てしなく広い。辛くなったら、いつでも弱音を吐ける仲間がいることを忘れないで。これから始まるのは厳しく険しく、耐え忍ぶことが求められる道だ。しかし、この里の為、誇り高い道でもある」
 皆一同、グラスを手に父の言葉にじっと耳を傾けていた。
「新たな忍の門出を祝して―――乾杯」
「乾杯!」
 カチン、と小気味いい音でグラスがぶつかり、宴が始まる。
 モモカの母が用意してくれたご馳走はもちろんモモカの好物ばかりだったが、果たしてトウキとイクルの口に合うのかと密かに心配でもあった。モモカの心配を他所に二人はもりもりと食べるものだから、モモカは当然嬉しかったしモモカの母もまた嬉しそうだった。二人ともモモカの家族とすぐに打ち解け、トウキは幼い子供たちの面倒も良く見てくれた。嬉々としてお酒を飲むトウキに、今日ばかりは真面目な父も話し相手が出来たと楽しそうだ。
 イクルはイクルで、最初の一杯しかお酒は飲んでいないものの、白い頬を赤くさせて、いつもよりも饒舌なようだった。
 無論、イクル同様お酒を飲み慣れていないモモカもすぐに顔を赤くして終始ケラケラと笑い転げていた。

 途中、遅れてモモカの兄が訪ねてきてからは更に賑やかだった。
 兄は忍具整備を請け負ってくれた、いわばモモカ達の下忍承認の立役者である。トウキは兄さん兄さん!と彼には珍しい人懐っこさを見せていた。イクルもより饒舌になり試験の内容をあれやこれやと話して聞かせた。彼が承認祝いだ、と新調された忍具セットを三人分取り出した時には、モモカ達は歓声を上げた。
 デザートのクリームあんみつを食べ終えてあらかた片付けが終わった後も父と兄、それにトウキはだらだらと飲み続けていたが、おもむろに兄が椅子から立ち上がる。
「なあ三人とも、ちょっといいか?」
 トイレに立つのだろうと思っていたモモカは眠くなりかけていた目をぱちくりとさせた。トウキとイクルも何ごとだろうという顔をしているが、すぐに頷いた。
 居間から三人連れだって出る前にちらりと、モモカは家族を振り返ったが、誰も気にするでもなく、こちらを見ることはなかった。もしかしたら、あえてそうしてくれていたのかもしれない。
 二階に上がるとかつて子供部屋だった部屋に入った。
 姉とモモカで使っていた二段ベットはそのまま置いてあるが、段ボール箱や旅行鞄やらが置かれていて、ほぼ物置として使用されている。兄と姉が家を出た後は、モモカはこの隣の部屋を一人で使っていた。
 半分ほど残っている床に直接腰を下ろし、兄は一階から持ってきた瓶の中身を人数分グラスに注いだ。
 それは良く冷えたお茶だったが、香草の香りがすっと鼻に抜けて酔い覚ましに丁度良い。
「まあ、もったいぶってわざわざ二階まで上がって来たけどそんなに構えるな……ただちょっと、大人達のいないとこで真面目な話がしたくてな」
 三人とも一気にお茶を飲みほしたので、兄は二杯目をそれぞれ注いでくれた。
「単刀直入に言うと……、お前ら夜に里を抜け出していただろ?」
 気付かれているのではないかと、ある程度覚悟はしていたが、ズバリ言い当てられて三人は表情を硬くさせた。
「すみません騙すつもりじゃなかったんです」
 すぐさまトウキが謝ったが、兄はいや、と手を振った。
「別に責め立てようってわけじゃないんだ、顔をあげろ」
 兄はどう説明するべきか、頭をぽりぽりと掻いた。
「もちろん褒められることじゃあないが……目的あってのことだろう?」
「僕たち、夜に慣れるため、そして実戦経験を積むために里外の違法な斡旋所で、闇任務を請け負っていました。もちろん、任務で人は殺していないし木の葉の害にならないようなものを選んでいました。そして、正式な忍になれた以上、これからは一切闇任務を請け負うつもりはありません」
 イクルが覚悟を決めて冷静に打ち明ける。ばれてしまっているのでは変に隠しても仕方ない。しかしうちはイタチの件には一切触れなかった。
 それはモモカもトウキも同じ気持ちだった。しかしどうしてばれてしまったのだろう?
「そうか、それを聞いて安心したよ」
 兄は眉を下げて微笑む。
「お前たちは上手くやっていたみたいだが、想像以上にこの里の忍達は見ている。皆それぞれに独自の情報網も持っている。俺が知ったのも、得意客から子供三人が真夜中に、それも複数回抜け出しているという情報をもらってだな……もしかして、と思ったわけだ。子供の特訓にしてはやけに忍具の消耗が激しかったし、多種多様な忍術を受けた痕跡もあった。簡単に掃除したくらいじゃ拭えない血生臭さもあったからな」
 やはり兄もプロの忍具整備士だ。忍具の状態からその忍がどういう使い方をしたのか読み取れるのだ。モモカは感心して思わずはー、とため息を吐いた。
「で、お前らがもうそんなことをしないつもりと知れたならそれで良い。今までは子供の戯れと、見逃してくれた人達も、正式な忍となればそうはいかないだろう」
 三人は神妙な面持ちで頷いた。
「もちろんです……約束する。もう外の任務は受けない」
 トウキの力強い言葉に、モモカもイクルも同意した。
「ああ、それなら良いんだよ。確認のため聞いただけさ」
 兄は肩をすくめる。
「それともう一つ確認なんだが」
 まだ何かあるのか、とモモカは身構えた。
「モモカについて……やけに察しが良いというか、異常に勘の良さを感じたことはないか?」
 自分の能力が話題に上がり、モモカはドキリとした。やはり幼いころからモモカを知っている兄は、どことなく妹のことを不審に感じていたのだ。トウキとイクルは顔を見合わせる。
「それは……まあ、野生の勘みてえなのはすごいよな」
「でもとても助けられているのも事実です。それが何か?」
 兄は顎に手でさすりながら話始めた。考えをまとめている時の昔からの癖だ。
「やっぱりそうだよなあ。……うーん、たぶんだけどな……、それは単に勘の良さに止まる話じゃなく……何らかの能力だ。そしてその能力はどこから来てるかって言うと、恐らく死んだ爺さん譲りのもんだ」
 モモカは兄をまじまじと見返す。
「……おじいちゃんの?」
 兄は頷く。
「爺さんが亡くなったのはモモカの生まれる前だから知らないだろう。つまり俺たちの父さんの父さんな。忍としてはいまいちうだつの上がらないうちの家系で、唯一才能に恵まれていた忍だ」
 写真だけならモモカも見たことがある。小柄な老人で、平凡な父とは対照的に胸まで伸ばした白い髭が印象的であった。
「その爺さんも恐ろしい程の勘の良さがあった。天気予報はまず外れないし、爺さんが危険を感じた場所や人はその後何かしらの災害に遭っている。もう現役引退してはいたが、子供心に、俺はいつも心の中を見透かされているようで落ち着かなかった」
 へえ、とトウキが頭の後ろで腕を組み面白そうにモモカを眺めた。
「モモカもテンキヨホー出来るようになったら便利なのにな」
「それが何かしらの能力として……一体どういうものなんです?」
 イクルが尋ねると兄は首を振る。
「詳しいことは分からないんだ。ただ爺さんは元々はここら辺の出身ではなく、北方の山間部の生まれらしい。爺さんが昔言っていたのは、爺さんの育ったところでは稲荷信仰が強く狐は神の使いとされていたらしい。そして人間であれど修行を積んだものはそれに似た力を扱えると」
 稲荷。神の遣い。
「狐……」
 ぽそりと呟くと、兄は頷く。
「父さんも俺も、残念ながら爺さんのような能力には恵まれなかった。しかしモモカの勘の良さには爺さんに似たものを感じる。特訓次第ではその能力を手に入れることができるかもしれない」
 モモカははっきりと確信した。同化と呼んでいる、人の心の内のイメージや思考を読み取る能力は、死んだお爺さんから譲り受けたものだったのだ。
「もしモモカがその能力に興味があって、チャンスがうまく巡ってくるのであれば爺さんの生まれ故郷を訪ねてみるのも良いかもしれない。最も、木の葉から北北東に一カ月の場所にあるというだけで、詳しい場所は分からないんだがな」
 モモカは静かに頷いた。
「それと、この事は秘密にしておいてくれ」
 不意に兄は声を潜める。
「お前たちを信用して話したが、こういう特殊能力のことはそうそう人に言うもんじゃない」
「もちろんです」
 イクルは力強く返し、左胸をぎゅっと握った。その下に鉄板があることを、モモカはかつて同化の力を通して知っていた。
 もしかしたらイクルのそれも、彼の秘密に関わることなのかもしれないなとふと思った。
「それに何より、この里の人間は“狐”に悪い意味で敏感だ」
「……あ、」
 言われてみればそうだ。
 お爺さんの故郷のお稲荷さんとこの里を襲った九尾の妖狐。到底繋がりがあるとは思えない。しかし木の葉の里にとって、特に当時の記憶が鮮明に残る大人達にとって、狐に良いイメージはないのだ。
「うん、わかった」
 まだほんの三歳だったモモカ達には記憶はないが、木の葉の歴史の中でもトップクラスに入る大厄災だったことは、重々承知していた。
「九尾の妖狐と言えばあれはどっから現れたんだ?どうやって退治したのもよく分からないし……」
「アカデミーで散々授業受けただろうトウキ。本当のことはよく分かってないんだよ」
「確かに九尾の妖狐の話題はタブー視されているところがあるからなあ」
 話題が九尾の妖狐の謎に映ったので、モモカはとうとう同化の能力について打ち明ける機会を逃した。
 それと同時にまだ秘密にしていられることに安堵もした。
 心の中を覗かれていると分かったら、誰だって気味が悪いに違いないのだ。

 夜10時になって二人は帰り、ヒョウタン公園まで送った帰り道にモモカはコオロギを掴まえた。
 コオロギからは逃げようとする強い意志は伝わったが、人間と虫とでは心の構造が違うからかはっきりとしたことは読み取れない。コオロギをなかばやけくそに草むらに放り投げ、しばらくモモカはコオロギ達の鳴き声に耳をすませていた。
 人の心が読める、この同化の力のことはやっぱり黙っておこう。余程のことがないない限り人に言うべきことではないのだ。
 カカシに話したことは迂闊だったか、と少しモモカは考えたが、不思議とそれについての後悔はなかった。カカシに話して後悔はないのに、チームメイトの二人に話せないことが罪悪感をモモカの内に募らせていた。
 この罪悪感がモモカの気持ちを少しだけ揺らがせたが、能力をもう家族だろうと仲間だろうと、一切人には打ち明けないという決意に変わりはなかった。
 私はもう、プロの忍になったのだ。





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