どこか遠くに忘れ去った純真無垢な透明感と、同時に力強さが


 二回目の下忍承認試験は、前回とは打って変わって気持ちの良い秋晴れだった。
 ここ木の葉隠の里ではまだまだ残暑は厳しいが、空は高く季節が移ろいで行くのを感じられる。
 木々は青い葉を生い茂らせてはいるがその一方で演習場を覆いつくすススキは溢れんばかりだ。過行く風はもう、すっかり秋の匂いだ。

 モモカは目の前の月光ハヤテを注意深く観察した。
 顔にかかった邪魔そうな黒髪の奥の瞳は抜け目ない印象を受ける。顔色は青白くどこか不健康そうではあるがよくよくその肌艶を観察してみればまだまだ若い青年に見えた。
「では、一人ずつ名前を」
 落ち着いた喋り方ではあるが、声も若者特有の張りがある。
 実際のところ、特別上忍にあがったばかりだというし、まだ成人もしていないだろうと予想できた。
 トウキにイクル、そしてモモカは一人ずつ名乗った。皆きっちりフルネームのみで、聞かれたこと以外は口にしない。
 これから始まる下忍承認再試験を前に、余計な無駄口を叩く余裕はないといったところか。
 ハヤテもハヤテで、ぐりぐりとした黒目で三人を見渡した。黒目に対して白目の面積が多い、いわゆる三白眼と呼ばれるような目だ。
 年端もいかない少年少女は緊張感を持ってはいるが焦りや戸惑いはなく、ある程度の覚悟がその面持ちからうかがえた。

「次に、それぞれ忍としての目標を」
 ハヤテの問いに一瞬三人は怪訝な顔を見せたが、すぐに紅一点のモモカが答える。
「目標ってほど明確なものじゃないですけど、やっぱり忍としては強くありたいです」
 幼気な少女だがその目は曇りなく、真っ直ぐハヤテを捉えていた。ハヤテはモモカが真っ先に口を開いたことにおやと思う。
「そしてこの里の為になりたい―――でもそれには強さが必要で、というか、強くなったからには里の為にはなりたいし……ん?えーっと」
 モモカは考えがまとまらないうちに話し出したので自分の思いを上手く言語化できなかった。
「まるでニワトリが先か卵が先か、みたいな話だね」
「まったくよー……お前、まとまってから喋れっての」
 イクルはクスクスと笑い、トウキは呆れ顔だ。
「とにかく、強くなりたいです。あと、里の力にもなりたいです」
 モモカは少し恥じらいながらも、しかしはっきりとした口調で無理やり締めくくった。
 トウキとイクルは目配せをする。モモカの発言で、良い意味で緊張がほぐれ、そして自身の目標を改めて明確にしたようだ。

「僕も概ねモモカと同じです。ただそれに加えて、僕は“鳥吉”の者でもある」
 歳の割には落ち着いていて丁寧な言葉でイクルが話す。
 鳥吉といえば木の葉では知らぬ者のいない、忍鳥の育成や貸出、売買を行う豪商である。
「鳥吉のさらなる繁栄、そして木の葉での忍鳥の普及という使命がありそれが目標でもあります。多種多様な使い道のある忍鳥の普及、それはすなわち国力の向上にも繋がりますから」
 すらすらと淀みなく答えるイクルにモモカは驚いた。イクルは一忍としてではなく、鳥吉の次男として、家を、その一族を背負ってもいるのだということを、ここに来て初めて知ったのだ。
「俺ももちろん強くなりたいって気持ちは一緒だ。里の力になるってのもな。だがこいつらみたいに手放しでこの里全てのシステムを肯定して、満足しているわけでもない」
 続いて話し始めたトウキは不敵に笑った。
「もちろん俺の思うような里に変えるには相当な時間と労力と賛同者と――何より力がいるだろう。だから俺は、火影を目指す」
 トウキの目標にも同じくらいモモカは驚いた。彼がこの里の何に不満を抱いているかは分からないが、確かに里のシステムや生活を変えるには火影になるのがなにより確実な方法だ。しかしそんな大それたことを、トウキは堂々と言ってのけた。
 二人とも、自分とは違って確固たる目標があるのだ。

 ハヤテはもう一度彼らを見渡す。いずれも期待に満ち溢れた目をしていた。
 最初に話したモモカがこの場の雰囲気を作ったことが少し意外だった。
 三人のなかでは最も平凡で(それはアカデミー時代の成績も含めて)、どちらかというと場の雰囲気を読んで人の後を付いていくタイプに見えたからだ。

「ふむ……では続いての質問です」
 ハヤテの言葉に、何だか面接みたいだなとモモカは思った。
「次のうち、それぞれが得意だと思うものとその理由を、相談して決めてください。
鬼ごっこ、かくれんぼ、陣取り、はないちもんめ、おはじき、棒倒し、この六つです」
 今度こそ三人は怪訝な顔を隠そうともせず、思わず見合わせる。
 奇妙な質問に、疑問を口にしたのはトウキだった。
「それが今からやる試験と何の関係があるんだ?しかも全部子供の遊びじゃねえか」
「いいから答えてください。もう試験は始まっているんですよ」
 ハヤテの言葉にトウキは口をつぐんだ。三人はどれが得意か意見を出しあったが見解はほぼ一致していてすぐに決まった。一分もかからなかっただろう。
 この半年間の特訓と、そして裏斡旋所で請け負った任務を共にこなしてきた三人はお互いの得意不得意を把握していたのだ。相談というよりは再確認に近かった。
「決まりました」
「どうぞ」
「まずはトウキから。彼が得意なものは陣取りと棒倒しです。理由はまずずばぬけて体力があること、接近戦に強いこと。それから戦闘の流れと大局を瞬時に判断する瞬発力があるからです」
 代表して答えたのはイクルだった。ハヤテはじっと耳を傾ける。
「続いて僕が得意なものは、おはじきとはないちもんめです。おはじきに要求される物理法則への理解と戦略性には二人よりも自信がありますから。それと、はないちもんめでの心理戦も」
 イクルは真面目そうな外見とは裏腹な、あの勝気な笑みをわずかに見せた。
「最後にモモカは、鬼ごっことかくれんぼです。彼女はとにかく速い。体力面ではトウキに軍配が上がりますがそれ以上に身のこなし、そして何より気配を隠すことに関しては三人の中で群を抜いています」
 野生の勘な、とトウキが付け加えたのでモモカは肘で軽く小突いてやった。
「なるほど、分かりました」
 ハヤテは手帳にいくつかメモをし終えると顔を上げて改めて三人を見た。
「では、これより缶蹴りを始めます」

 試験内容が缶蹴りであることに面食らった三人を意にも介さず、ハヤテは説明を始めた。
「この缶蹴りの内容は次の通りです。
 まず、君たち三人が鬼役をします。私が缶を蹴ると同時にゲームが開始されます」
 ハヤテはいつの間に手に持っていたのか、350mlの空き缶を足元に置いた。
「私は逃げたり隠れたり、時には反撃したりするので君達は捕まえてください。私に対する攻撃、忍術や武器の使用に制限はありません。……逆もまた然りですが。
“捕まる”の判定は私への攻撃となります。決定打となりうる攻撃がヒットすれば、私は自動的に君らの陣地に捕獲されます」
 胸のホルスターから小さな瓶を取り出し、ハヤテはその蓋を開けた。中には白い粉状のものが入っている。それを円を描くように地面に垂らしていく。円の大きさは直径四メートルほどで、円周と先程置いた缶の最短距離は二メートルといったところか。
「ここが私が捕獲される陣地になります。しかし私を捕まえておけるのは缶が今の位置に立っている状態の時ですので、缶が転がったり飛ばされれば、捕まえられた私は逃げます」
 ここで三人は顔を見合わせた。
「捕まってるのに誰が助けに来るんだよ。他に参加者がいるのか?」
 トウキの質問にハヤテは首を振る。
「いえ、ただし」
 ハヤテは素早く印を結ぶと三人に分裂した。いや、正確には分身を二体出したのだ。
「私が三人分になります。そして、私が“全員”捕まえればゲーム終了、君達の勝利です」
 トウキもイクルもハヤテの分身体をまじまじと見つめた。
「分身ではなく実体……多重影分身か」
 独り言のようなイクルの呟きにハヤテは微かに笑って頷く。笑うと、不健康そうなこの男も年相応に見えた。
「制限時間は三時間―――ちょうど正午までに三人の私を捕まえられなければ君達の敗けです。何か質問は?」
「先生を捕まえる条件は決定打になりうる攻撃ということですが、決定打の定義は?どの程度のダメージを言うのですか」
 すかさず尋ねたのはイクルだ。
「かわしたり、ガードされたものは決定打とは判定されません。攻撃がヒットすれば、たとえダメージは微々たるものだとしても、決定打とみなされ捕獲対象となります」
「……先生の数が今より増えることは?」
「ありません。君たちが忍術で増える分には問題ありません」
「捕獲された先生が、近くにいる俺たちに攻撃してくることはあんのか?」
 続いてトウキが尋ねる。ハヤテは頷く。
「ええ、もちろん捕獲されているのであれば陣地を出ない範囲でですが」
 つまり缶を守ることに集中していると、陣地内に捕獲されたハヤテに背後から手裏剣で刺されかねないということだ。モモカはハヤテの背に負った得物に注目する。刀だ。柄の部分には滑り止めだろうか晒が巻かれ、使い込まれている感じがする。
 切られたらただじゃすまないだろうな―――リーチの長い得物を持った敵との戦闘はやりにくいと常々考えていたモモカは眉をひそめた。
「他に質問は……、ないようですね。それでは」
 最後に三人の顔を見回してからハヤテは缶に右足を乗せる。モモカ達は瞬時に臨戦態勢を取った。その反応の良さに思わずハヤテは微笑む。
 なかなか実戦慣れしている……。どこで経験を積んだのかは今はさておき、若い忍の姿勢に頼もしささえ覚えた。

「用意―――始めっ!」
 掛け声とともにハヤテは缶を蹴り上げる。低い金属音から察するに普通の空き缶ではなく少々重量があるみたいだ。恐らく飛びやすいように、そして風等で倒れにくくする為だろう。
 缶は放物線を描くではなく、むしろ直線的に飛んで行った。
「モモカは缶を追って!僕は陣地を守る。トウキは先生を!」
 既に三人のハヤテは身を潜めようと森の中へ駆け出していたがイクルの指示でモモカとトウキも飛び出した。

 缶を見失わないようにモモカは木立ちの中を縫うように駆けていく。些か周囲への注意力が足りないかもとも思ったが、イクルは僕が陣地を守ると言った。裏を返せばモモカから缶を受け取るべく、そしてフォローのために後を追いかけて来ているということだ。
 今はとにかく缶を見つけることが最優先。缶を見失えばハヤテを捕まえても意味がないし、長期戦となる。モモカ達も実践経験を積んだと言っても特別上忍であるハヤテとの力の差は歴然であるし、長引くと不利になるとモモカは直感で感じていた。
 三対一(影分身を使ってはいるが)の戦いなので人数の多いモモカ達の方が長期戦に有利に見えて、しかし力の差があるほど奇襲と特攻がものを言うのだ。
 かなりのスピードで追いかけた甲斐もあって、1km程走ったところで缶に追いついた。速度は落ちてきたもののまだ飛び続けるそれを空中でキャッチする。やはりずしりと重く、中に鉄くずでも詰めてあるみたいだ。
 缶を手に近くの枝に着地すると同時に殺気を感じてモモカはすぐさま隣の木へ飛び移った。直後、今いた場所にクナイが刺さる。
「ふむ、反応と勘の良さは素晴らしい」
 木立ちからハヤテが姿を現す。これは本体か影分身の方かモモカには判断はつかなかった。
 上下左右に素早く気配を探り、モモカはイクルの場所を確認した。いた。
 ハヤテの斜め後方の位置だ。ずっと一緒に訓練してきたイクルとトウキの気配は、離れていても正確に感じ取れるようになっていたのだ。
 モモカはハヤテを横目に見ながら走り出す。当然ハヤテは後を追ってきた。
「そしてこの速さですか。確かにかけっこならば、下忍の中では負けなしでしょうね」
 しかしそれだけに恐るるに足りないとハヤテは思った。アカデミー時代の成績が平凡であることが、この速さをモモカがまだ生かし切れていないことを物語っているのだ。
 ハヤテも速さには幾分自身がある方だ。すぐにモモカとの距離を詰めた。
 モモカは走ったままでハヤテを振り返り手裏剣を投げる。ハヤテがそれをクナイで弾いて防ぐ間にモモカは次の木の枝に片手でぶら下がり、勢いを利用し鉄棒のようにぐるりと回転し進行方向をハヤテへ変えた。次いでハヤテへとさらに手裏剣を連投する。
 ハヤテは逃げていたモモカが向かってきたことに驚いたが、同時に舐められたものだとも思った。
「器用ですね……しかしまだ甘い」
 今度は手裏剣を弾かずに体をそらしてかわす。
 一投目は体の正面――左に避ける。二投目は頭上やや右上――避ける必要はない。
三投目は右足首――左足を軸に時計周りに体を傾けて避ける。四投目ははるか左――これまた避けるまでもない。
 いや待て。四投目は飛び方が違う。手裏剣じゃない――。
 ハヤテはハッとして四投目の行方を振り返る。それは手裏剣ではなく紛れもなくハヤテの蹴り飛ばした缶だった。木立の奥ではイクルがその缶を受け取っていた。
 追いかけなければ、と体勢を変えたところへすかさずモモカの蹴りが降ってくる。ハヤテは両腕を使ってガードした。
(危ない危ない)
(華奢な割に体術もなかなか)
(意外に度胸もある)
(あなどれない)
(少し相手をしてやろうか)
 モモカは蹴り落した足伝いにハヤテの思考を読んだ。そして次にクナイでモモカを振り払うイメージも見る。
 深追いはせずにそのまま飛び退き木立ちに身を潜める。
 ハヤテはピタリと止まる。想像以上のモモカの動きの良さを不審に思っているのか、それともモモカとイクルのどちらを相手にするか迷っているのか。
 そしてすぐにイクルを追いかけ始めた。
 イクルはモモカ程の足の速さはないが、時折モモカが木立ちから攻撃を仕掛けてきてはまた木々の間に姿を消すものなので中々追いつけなかった。
「なるほどイクルに集中すればモモカがヒットアンドアウェイで邪魔をする。モモカを深追いすればイクルに逃げられる……ですか」
 モモカのクナイを弾きながらハヤテは考える。
 この少女がなかなかくせ者で、攻撃した後いったん姿を消してしまうと全く気配が探れず次どこから仕掛けてくるか読めないのだ。しかしハヤテも特別上忍の端くれである。
 モモカの攻撃をうまいこといなしながらも、着実にイクルへと近づいて行った。
 あと数分で追いつかれるだろう距離になると、イクルはハヤテへ手裏剣を投げた。モモカはその中に、先程自分が渡した缶を見た。イクルが再びモモカに缶を投げてよこしたことに驚いたが、俊敏な動きでキャッチする。
「またその手ですか……」
 ハヤテが呆れ顔でモモカを振り向く。
 モモカは缶が“とても軽い”ことに気が付いた。これは本物じゃない……フェイクだ。
 瞬間、ハヤテの僅か後方で爆発が起こる。イクルの投げた手裏剣の一つに起爆札が付いていたに違いない。
 モモカはイクルの頭の回転の速さ、機転に舌を巻いた。そしてすぐさまUターンして煙に紛れ、ハヤテから距離を置こうとした。
「鬼ごっこはもうおわりですよ」
 すぐ背後から聞こえた声にモモカは反射的に身体を捻る。
 右頬を、間一髪ハヤテの拳がかすめた。
 あっという間に間合いまで詰めたハヤテに、モモカは彼がこれまで力を抜いていたことを悟った。
「おや、これも避けるのですね」
 たいして驚いた風でもなく、ハヤテは呟く。次いでハヤテから怒涛のごとく繰り出される体術。
 モモカは防ぐので精一杯だった。ガードをした際に触れるわずかな瞬間に、ハヤテの次の手を“同化”能力で読み取り致命傷を受けないようにするので精一杯だ。
(体のこなしの速さはとてつもない)
(それを可能にしているのは)
(異常なほどの読みの速さ……?)
 モモカがハヤテの思考に気を取られていると、右腕に手刀がヒットした。持っていた缶が浮く。ハヤテはすぐさま足を振りかざし蹴る体制に入った。
 モモカはその隙にハヤテと距離を取る。ハヤテが缶を蹴り上げた。
「!!」
 ハヤテも缶が軽いことに、つまりは缶が“偽物”であることに気付いたようだ。
 いつすり替えた?恐らくイクルがモモカに投げた時すでに偽物――やられた。
 本物はイクルが持ったままで、もうすでに陣地へと戻っているだろう。一方この隙にモモカは木立ちの中へ身を潜め気配はうかがえず……。
 ハヤテはため息をついて頭をかいた。
「まいりましたね、あなたはかくれんぼが得意ですから」



 一方、トウキが追いかけているハヤテは一定の距離を保ちトウキの攻撃をのらりくらりとかわしていた。
 接近戦に持ち込めれば―――トウキは歯がゆく思ったがハヤテも甘くはない。トウキが距離を詰めた分だけ離れ、しかし手裏剣等の飛び具を使えば同じ分だけ反撃してくる。
 また手裏剣が飛んできた。これをかわし、トウキもクナイを投げる。前方のハヤテがそれを弾く、その間にトウキは少しでも距離を詰めた。
 またしてもハヤテが手裏剣を投げる―――それを今度はかわさずに、トウキはさらに距離を詰める。手裏剣が左脇腹と右頬をかすめていった。走る痛みを無視してトウキは突進する。
「ふむ、なかなかの度胸ですね」
 ハヤテは2歩後退した後、さらに向かってくるトウキへ手裏剣を連投した。
「しかし些か無鉄砲で……言い換えれば考えなしだ」
 トウキがどうにか腕で手裏剣をガードし、しかし何枚かは刺さり腕から出血した。
 この間にハヤテは距離をまた取ろうとした。接近戦に持ち込んでも良いのだが、なるべくこの子達の苦手とするスタイルでやり合うつもりでいた。それが行く行くはこの子達の為にもなるだろう。
 体勢を変え利き足を踏み出したその瞬間、目の前に踵が降ってきた。
 まずい避けなければ、と考えたのと脳天に衝撃が走ったのはほぼ同時だった。
 ハヤテが陣地に捕獲される、その直前に見たのはモモカの冷静にこちらを観察する瞳だった。
(踵落としをしてきたのはモモカか)
(全く気配に気付かなかった)
(ここからいくらでも反撃できるが)
(今日は缶蹴りだから仕方ない)
(無鉄砲に見えてその戦術性、そしてタフさ……面白い)
 モモカはハヤテの思考を読み彼のイメージの中の生意気そうなトウキの顔が憎たらしく笑うのを見た。そしてハヤテの消えたその姿のあったところに着地した。
「攻撃を受けると捕獲されるっていうのは、術かなんかで自動的に陣地に召喚されるみたいだな」
 モモカに追いついたトウキが声をかけた。
 ハヤテに見せたような無鉄砲さは影を潜め、彼本来の表情に戻っていた。
 無謀な行動を取ればそこを討たんと必ず隙ができるとトウキは熟知していた。その隙を後から密かに追ってきていたモモカに攻撃させたのだ。
 モモカは「大丈夫?」とトウキの腕を見て口を閉ざした。その傷はもう、既にふさがりかけていた。
 トウキは時折、異常とも言えるような回復の早さを見せることがある。
「たいしたことねー」
「それよか敵はあと2体、次の策を考えようぜ」
 トウキの言葉にモモカはニカッと、この場にそぐわない無邪気さで笑った。
「それなら、試してみたいことがあるんだけど」



 ぽん!と軽い空気音にイクルは陣地を振り返る。
 月光ハヤテが片膝を付いた状態で現れた。額あてがずれていたし、右目上は擦り傷ができて血が滲んでいたが、致命傷にはほど遠かった。
 モモカの攻撃かな、とイクルは考える。トウキの攻撃が直撃したのならば、先生といえどももっと傷を負っているだろう。
 しかし今回の試験では“決定打となりうる攻撃”が当たればいいので、モモカ程度の攻撃力でも先生は捕まえられるし、ルールに助けられたといったところか。
「やれやれ、なかなか甘く見ていましたね」
 ハヤテが首を振り呟く。イクルに言っているのか独り言なのか、分からないがイクルは特に返事もせずに陣地内に捕獲されたハヤテを注意深く観察した。
 本体か影分身の方かは分からない。前述の通りわずかに負傷しているものの、まだまだチャクラは温存されているみたいだ。油断ならない。
「しかし君たちはずいぶんと……場慣れしていますね」
 今度ははっきりとイクルに向かってハヤテは発言した。探るような目をしている。
「修行しましたから」
 臆することなくイクルは淡々と答える。
「そうですか。それは相当厳しく修行したのでしょうね。動きが実戦的だ。戦局を読む力も、三人とも秀でている」
 君達の怪しさには気付いているぞ、と言わんばかりのハヤテの言葉にイクルはにっこりと微笑む。
「それはどうも、ありがとうございます」
 決して腹の中を見せず、表面上は穏やかだが勝気な色を覗かせる目の前の少年に、ハヤテは肩をすくめてみせた。
 不意に、イクルがぴくりと反応し後方の木立に目を凝らした。もう1体のハヤテだ。
 特に気配を隠すでもなく、こちらに向かって駆けてきている。目標は、陣地を縛っている缶だろう。
 陣地内に捕獲されたハヤテと喋りながらも常に警戒のアンテナを張り巡らせていたイクルに、つくづくかわいげのない子供だとハヤテは内心苦笑した。
 そしてクナイを構える。
「さて、一人は陣地内から出れないと言えど、2対1ですよ」
 陣地内のハヤテと陣地外から距離を縮めてくるハヤテ、そのどちらも視界に入れつつイクルも構えた。口元はやはり、穏やかに笑みを浮かべている。
「それはどうでしょうか」
 どこまでも負けず嫌いな―――陣地内のハヤテはそう口に出しかけて、もう1体のこちらに向かってくるハヤテに目を向ける。その後方、モモカが後を追ってきていた。
「おっと、2対2ですか……臨むところです」
 しかし言葉とは裏腹に、やはりまだまだ青いなと感じた。
 今この場にイクルとモモカがいるなら、トウキは一人で最後の1体のハヤテと対峙することになる。いくら彼が接近戦に秀でているといえども、下忍未満に1対1の戦いで負けるようなハヤテではない。
 ハヤテは陣地内からイクルにクナイを投げて攻撃を仕掛ける。陣地外のハヤテももうすぐそこまで来ていた。それを追うモモカは更にスピードを上げる―――。



「おや」
 トウキの目の前のハヤテは、突然声を出した。
 その目は斜め上を見ていて、自分をあまり警戒していないことにトウキは少し不機嫌そうな顔をする。
「隙だらけだな、舐めてんのか」
 やっと見つけたもう一人のハヤテは、トウキに視線を戻す。
「いえいえ、むしろ君達の能力の高さには驚かされています」
「そりゃどーも」
 無愛想にトウキは答える。
「ひとつ良いことを教えてあげましょう。私は分身体ではなく本体です」
 ハヤテの言葉にトウキは訝し気に彼を見つめる。
「分身体が攻撃を受けて陣地に捕獲されると、その一瞬影分身は解除されるので、分身体の方の記憶は本体である私にフィードバックされます」
 トウキは相変わらずの無愛想で、しかしじっと耳を傾けていた。
「そして今、新たに記憶が入ってきました。今二人目の私が捕まったところです。捕まえたのは陣地を守っているイクル。モモカが捨て身の攻撃で私の動きを封じたところに、水遁の術を仕掛けてきました。水遁の矢はモモカ諸共貫き、私にも刺さりました」
 トウキは目を細める。
「……ふーん、そんなことになってんだな」
 その表情からは、いまいち考えが読み取れなかった。
「これで残るは今あなたの目の前にいる私一人になりました。しかしあの様子だとモモカは致命傷を負って恐らくこれ以上は動けない。イクルも私の出方が分からない以上、陣地を離れることはできない。つまり、あなたと私は正真正銘、1対1の戦いとなります」
 ハヤテの説明が終わると、トウキは髪をかきあげた。歳の割にすらりと長い手足は、これからもまだまだ伸びるだろう。
 見れば見るほどその体格は接近戦向きである。しかしそれでも、まだほんの子供だ。
 1体目のハヤテはトウキの気配に紛れさせたモモカの奇襲、そして先ほど入ってきた記憶の2体目のハヤテは、モモカの捨て身の攻撃に乗じたイクルの忍術を受けて捕獲された―――複数でのコンビネーション技や奇襲がなければ今の彼らに勝ち目はないだろう。
「言いてえことはそれだけかよ」
 しかしどうだろうか、トウキは全く臆することなくにやりと笑った。
「……生意気な」
 無鉄砲どころか、勝ちを確信しているとさえ見えるような不遜な笑みだ。

 真っ直ぐに突進してくるトウキに、その鼻をへし折ってやろうとハヤテが少しムキになったのも確かだった。
 繰り出される怒涛の体術を全てハヤテは真っ向から受けた。彼の自信のある体術で、完膚なきまでに負かしてやろうではないか。なるほど、トウキの打撃は下忍とは思えないほど速く、重い。時折フェイクを入れるといったセンスの良さもある。
 休めることのない攻撃の、ほんのわずかな一瞬の隙をついてハヤテは右足で蹴り上げた。トウキはどうにか片手でガードしたが、そのまま3mほど後方に吹っ飛ばされる。受け身を取ると同時に、すぐさままたこちらに向かってくる。なかなか将来が楽しみである、がやはり今はまだ青い。
 突進してきたトウキは拳を振りかざす。カウンターを取ってやろうと構えていたハヤテだが、トウキは直前で拳の向きを変えた。ハヤテの少し手前の足元の地面を思い切り殴り、土石が飛び散る。
 目くらましか―――!
 土石の向こう側で、トウキが印を結ぶのが見えた。
「土遁の忍術か……?」
 後退り距離を取るハヤテめがけて土石が飛んできた。
 しかし体術に比べるとまだまだ忍術はお粗末なもので、その量も速さも恐るるに足りなかった。
 土石を軽くいなしつつ、一緒にこちらに向かってくるトウキを迎え撃とうと構える。
「やはり目くらましのつもりだったのですね」
 ハヤテは、自身の言葉に、もうすぐ目の前まで迫っていたトウキの口がまたニヤリとしたのをはっきりと見た。
「その通りだよ」
 自身に満ち溢れたその瞳にハヤテはハッとする。
 目くらまし……まさか。
 今まさに自身が弾いたひと際大きい土石の影に、揺れる黒髪。
 モモカだ。何故ここに、しかも無傷で。彼女は先ほど倒れたはずなのに……。
 避けなければ―――トウキの拳を受けながらモモカの振りかざしたクナイを避けるほどの、時間の猶予はもうなかった。
 左肩にクナイの刃の鋭い痛みを感じ、しかしすぐさまモモカの腕を掴もうと体の向きを変える。
 あと少し、というところでハヤテは気付けば陣地の中にいた。


「ああそうか、缶蹴りしていたんですよね」
 自分の決めたルールを思い出し、ハヤテは思わず寝転んだ。
 上からのぞき込むイクルは穏やかに微笑んでいた。
「僕らの勝ちですね、先生」
 ハヤテが影分身を解除すると、仲良く陣地内に捕まった影分身達は消え、その記憶が戻ってきた。
「……あー、やられました」
 ハヤテは思わず笑う。
 ちょうど、先程まで自分と戦っていたトウキとモモカが陣地に戻ってきた。勝利に顔を輝かせる二人は相当急いで戻ってきたのだろう。肩で息をしていた。

 ハヤテは確かに自分で言ったのだ。“君たちが増える分には問題ありません”と。
「捨て身の攻撃をしたモモカが無傷のはずだ……あれは影分身だったのか」
 改めて自分たちの勝利を確認したモモカは満面の笑みだった。
「えへへ……ハヤテ先生みたいに2体も3体も出せませんが」
「当たり前だよモモカ、複数の影分身を作る多重影分身はリスクが高く禁術指定されている。特別上忍のハヤテ先生だからできるんだ」
 イクルは淡々と説明した。
「でもイクル、こっちに来たのがよく影分身の方だって分かったね?」
 分身体の方だという確固たる自信がなければ、イクルといえども致命傷になりうる攻撃をモモカに躊躇わずにできるとは思えない。モモカの問いにイクルは目を細めて笑う。
「モモカはハヤテ先生ほど影分身が上手じゃないからね……最近できた傷までは再現できていなかったよ」
 イクルはモモカを見ながらも自身の口の端を指した。
「あ」
 モモカも自分の口の端に手を当てる。ついこの間、うちはイタチにやられた傷だ―――そういえば、口の端が切れて、頬も少し痣になっていたのだ。
 なるほど、傷ひとつない綺麗な状態だからこそ、本体ではないと判断できたのか。
やはりイクルはすごい。
「それに、トウキもあの土遁の忍術なんていつ覚えたの?」
「俺だって一人で秘密の特訓くらいしてるわけよ、お前が影分身を覚えたみたいにな」
 モモカと同じく精度はまだまだだけどな、とトウキは肩をすくめる。

「術に対する知識と策を練る頭の回転の速さを持ったイクル。飛び抜けた体術と度胸の良さを持つトウキ。そして類まれなる“読み”の速さと気配を消す能力を持ったモモカ。三人とも実力は十二分にあります」
 ハヤテはいつの間にか立ち上がり、陣地は消えていた。
 今一度その姿をよくよく見てみると、大した手傷は負っていない。最後のモモカのクナイによって付けられた、左肩のかすり傷くらいだ。
 そういえば、背中に背負った刀を抜刀もしていないではないか。
 これは“缶蹴り”というゲームの枠内で勝っただけであって、実際の戦闘では果たしてどうであろうか―――。
「言うまでもなく、三人とも合格です。おめでとう」
 ハヤテは笑った。心から三人の下忍合格を祝福してくれているように見えた。
 もちろんハヤテが全力でないことに三人とも気付いていたが、それでも嬉しいものは嬉しい。トウキは「よっしゃ!」とガッツポーズをし、イクルは緊張が解けたのか肩の力が抜けたように笑い、モモカはニコニコと満面の笑みだ。
 三人はハイタッチをする。この半年間の努力が報われた瞬間だった。
「次は全力を出させたうえで、勝つからな」
 トウキが宣言するとハヤテは面食らったような顔をした。
 次いで、声を出して笑う。
「ははは、君達は勝利に貪欲ですね。下忍としてやっていけるだけの実力がきちんと見えれば、缶蹴りの勝敗に関わらず合格にするつもりでしたよ」
「えっそうなんですか?」
 モモカは驚いて声をあげる。
 トウキも驚いた顔をしていたが、イクルは冷静で、まあ予想通りというような顔をしていた。
「そりゃ良くて私の影分身1体くらいは捕まえられるかなとは思ってましたが、まさか全部捕まるとは……。それに制限時間3時間のうちの、わずか1時間弱で達成してしまった。想像以上にも程がありますよ」
 もう一度三人に向き直り、ハヤテは手を差し出した。
「とにもかくにも、来月からは君達もプロの忍。そして、同じチームで戦っていく仲間です」
 三人はかわるがわる握手を交わした。
“プロの忍”という言葉に、モモカは誇らしい気持ちでいっぱいだった。
 そしてこのことを誰よりも、カカシに報告したかった。



 ハヤテと別れ、少し早めの昼食をとるために三人は昨日の定食屋に来ていた。
 昨日同様三人とも大盛のご飯を食べ、その中でもモモカはひと際たくさん食べた。最近のモモカは同化の力を使うとお腹が空くことに気付いていた。とてもエネルギーを消耗するのかもしれない。
 お昼時に近付き、ぽつぽつと他のお客が入り始めた頃に三人は店を出る。そのままの足で火影塔へ向かった。
 カカシに報告しよう。
 誰が最初に言い出したかも思い出せないくらい、自然な話の流れでそうなった。これは一つのけじめでもあった。とは言え、カカシの所在はモモカ達には見当もつかなかったので、とりあえず火影塔に向かったのだ。

 五丁目方面から歩いていくと、火影塔の東側に出る。
 いつだったか、カカシが他の上忍達と難しそうな顔をしていたのを見かけた場所だ。
ちょうど東口から猿飛アスマが出てきたところだった。
 勘が当たったことが嬉しくて「あ、」とモモカは声をあげた。その声にアスマがこちらに気付く。
 次いで夕日紅が出てくる――トウキは別の意味で嬉しそうに声をあげた――そして最後に、待ち望んだはたけカカシその人が出てきた。
「お前に用があるみたいだぜ」
 アスマが親指でこちらを指差す。カカシはさも心当たりがないかのように目をぱちくりとさせた。
 モモカ達はカカシの前まで来ると立ち止まり、真っ直ぐと彼を見据えた。
「カカシ先生……、カカシさん」
 モモカがあえて言い直したのは、自分たちも一忍となり、対等というにはおこがましいが、先生と生徒ではなくこれからは同じ忍同士、上へ上へ、高みへと上りつめていくいくという決意の表れでもあった。
「僕たち、再試験に合格しました」
 静かにイクルが告げる。あくまでもその瞳は真っ直ぐカカシを捉えていた。
 おめでとう、とカカシより先に口を開きそうになったのはアスマだ。しかし彼は子供たち同様に彼らを真っ直ぐ見つめ返すカカシの雰囲気に口をつぐんだ。
「俺たちは、もう負けない」
 次いで、トウキが宣言する。
 モモカ達三人の初めての敗北はカカシその人である。その後着実に実力を付け、それでもうちはイタチという化け物との遭遇に再び敗北を味わってしまう。
 もうあんな悔しい想いは嫌だとがむしゃらに走ってきて、今日やっとスタートラインに立てたのだ。
 南中した太陽に照らされ少年少女の瞳は熱く輝き燃えていた。眩しさに顔をしかめようともせずに真っ直ぐとカカシを見る瞳はもうカカシがどこか遠くに忘れ去った純真無垢な透明感と、同時に力強さがあった。
「ありがとうございました!!」
 三人は90度に腰を曲げて声を張り上げた。横で見ていたアスマと紅は面食らったが、カカシはニッコリと笑う。久しぶりに嬉しそうな顔を見た、とアスマは密かに思った。
「俺もそう簡単には負けないよ」
 カカシの声にモモカ達は顔を上げる。その顔は誇らしさと嬉しさに満ち溢れていた。
「はい!」
 覚悟しておいてください!だとか、また飯おごれよー!だとかやったー忍だ!だとかを口々に叫び、ケタケタと笑い転げながら少年少女たちは走り出して行った。
 嵐のように過ぎ去った彼らに呆気にとられていたが、ややあってアスマも紅もつられて笑い出す。
「カカシなんなのよあれ……まあ、子供が頼もしいこと言っちゃって」



 三人の忍見習い達は、火影塔前、4丁目の商店街を、何事かと振り返る里の人達の目を気にすることなく走り抜け、3丁目の住宅地も三人は止まることなく全力で走り抜けて、ようやくヒョウタン公園で立ち止まった。
 モモカは肩で息をしながらも、まだ笑顔のままで二人に尋ねた。
「ねえ、二人とも今夜は空いてる?」




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