世間知らずな馬鹿は


 日の出とともにモモカ達は里内に足を踏み入れる。
 暗部の小隊とともに早朝の里を中央に向かって歩き、その足で情報部に引き渡された。それを了承の下で付いてきたのだから文句は言えない。それでも、モモカは引き上げるカカシの華奢な背を呼び止められずにはいられなかった。
「あの、三代目火影様に会えるかな? もしくは自来也様でもいいんだけど」
 モモカの申し出に眉をしかめ、カカシは何も言わずに去っていった。華奢な背中からはその年に似つかわしくない使命と疲労と諦めが滲み出ていて、どうしてもやるせない気持ちになる。

 情報部に引き渡された後、モモカは素性を徹底的に調べられた。尋問では素直に名乗ったが、今この里に二十一歳の上忍でモモカという名のくノ一はいるはずもない。木の葉の出身だと名乗りながらも、自身の潔白を証明する術を持ち合わせていないモモカに追及の手は厳しかった。口頭での尋問の後には、術による調査が待っていた。
 モモカに調査を行う忍にもまた、見覚えがあった。若き日の、山中いのいちだ。色素の薄い艶やかな髪と意志の強そうな瞳はいのにそっくりだ。だがそれよりも、山中一族の直接脳内を探る術をこうも簡単に使用されることにモモカは驚いた。術自体の失敗、または強い拒否があるとこの術は対象の脳を壊しかねない。だから、疑惑の度合いの低いものや、重要な情報を持ち得る者にはこの術による尋問は許可されない。それがこうも簡単に使用されるとは――。モモカがよっぽど里に危害を加える者と疑われているのでなければ、モモカの知っている里よりも大分、人権意識の希薄なことが伺えた。
 覗けるものならば覗いてみるがよい――私の歩んだ二十一年間を――……。モモカは半ば開き直って、心を解放した。いのいちが直接思考に探りを入れてくるのが分かった。まるでモモカが同化で人の心に触れるのに似ているが、傍から覗き見されていることがありありと感じられるような、そんな心地悪さは似て非なるものだった。モモカは自身のありのままを、隠しもせずに思い浮かべる。第四次世界大戦で見たもの。会った人々。抱いた想い。
 モモカの思考を我が物顔で物色していたいのいちが、弾かれたようにモモカの中から退散していく。
 モモカも意識を現実に照準を合わせ、目の前の男を見据えた。
「……なん、だ、今のは……?」
 若い忍は経験したことのない膨大な想いに、足元も覚束ない様子だった。
 当然だ。モモカのこころは、モモカだけのものではない。
 これまで数多の人々と同化して抱いた想い、巡らせた思考、得た感情、それは途方もないほどの量で、ただ一人の人生では到底なし得ない深さを持っていた。いのいちは頭を振り、今一度モモカを凝視する。モモカは感情を込めずに、いのいちを見返した。
 額に手を当てモモカの存在を見定めるようないのいちと、しばしの間見つめ合った。窓の外ではオオルリの類だろうか、繁殖期を迎えた夏鳥が甲高い声でぴろぴろとしきりに鳴いている。

 それからモモカが再度脳内を探られることはなく、いくつかの調査を受けた後は鍵付きの個室に監禁された。中忍の時に謹慎を受けた部屋よりも扉は頑丈で窓さえない。
 閉じ込められたまま半日は何の音沙汰もなかった。余りにも手持ち無沙汰で痺れを切らして抜け出そうかと思いかけた頃、ようやく扉が開かれた。
 扉の外に立っていたのはカカシその人で、相変わらず暗部の装束に身を包み何の感慨もなくモモカを眺めていた。
「願い通り、三代目への謁見が叶ったよ」
 カカシは言うと、歩き出す。火影へと迷いなく長い廊下を渡る様は、まるでそれが疑いようのない必然だと受け入れているようであった。どこか埃臭い長い渡り廊下。先導するカカシの足取りはしっかりとしていて、既にこの里を担う主力であるという確かな自覚があるのだろう。
 長い渡り廊下はモモカも何度も渡ったものだ。任務の拝命に。または、報告に。またあるいは、誰かの訃報を聞くために。南中を過ぎた太陽が埃っぽい渡り廊下の窓から差し込み、モモカとカカシの影を長く伸ばす。

 やがて見慣れた鉄扉の前でカカシは立ち止まる。控えめにノックするも、その力以上に音が響くことも、何度もここを訪れたことのあるモモカはよく知っていた。「うむ」と低い返事がして、静かにカカシは扉を開ける。
 開かれた扉の奥には、三代目火影のヒルゼンが執務机に向かって座っていた。顔を上げ、入室してきたカカシとモモカを真正面から見据える。つい昨日まで会っていた人だというのに、酷く懐かしかった。それはやはり、転生された魂は別の肉体に宿っているからだろうか。今モモカの目の前にいるヒルゼンは、紛れもなく、彼自身の生きた肉体を以てして生きていた。生きて、間違いなくモモカの目の前にいた。
「モモカと名乗るくノ一じゃな。聞くところによると、木の葉の出身だが記憶喪失だと」
 気だるい初夏の空気を震わせてヒルゼンが言った。ついさっきまで吸っていたのだろう、煙の残り香がしてモモカは懐かしさに眩暈がしそうだった。五感に訴えかける記憶程切ないものはない。匂いはその最たるものだ。里長としての厳しい眼光も、若きを思う優しい声も、種々の想いが詰まった紫煙も、今や遠い昔のことだ。
 モモカは思わず微笑んでいた。モモカの表情の奇妙な穏やかさに気が付き、ヒルゼンは肩眉を上げた。彼がモモカの素性を怪しんでいることも、里に害をなす者であれば容赦なく切り捨てることも分かり切っていたが、里を思うが故のその非情ささえも、モモカには懐かしい大切なものだった。
「……どこかで、会ったかの?」
 探るようにヒルゼンは尋ねた。モモカは目を伏せしばし考える。本当のことを言うべきか否か。
「ええ、ここではない場所で」
 ヒルゼンはモモカをじっと見つめ、その言葉をどう捉えたのかは分からない。カカシは無表情で、成り行きを見守るように微動だにもしなかった。
「ここではない場所とは?」
 ヒルゼンの問いかけは尤もだった。モモカは火影室をぐるりと見まわす。
 初夏の透明な日差しが入り込む懐かしい部屋。五代目の綱手が居た頃よりも整然と片付けられていて、モモカにとってこちらの方が馴染みのあるはずなのだが、忘れかけていた光景だった。盗み聞きの気配は、感じられない。再びヒルゼンに視線を戻す。彼の背後の新緑が眩く瞳に刺さった。
「私が昨日までいたところは、ここよりも十五年の後の世界でした」
 モモカの言葉に奇妙な沈黙が流れた。ヒルゼンもカカシも表情を変えなかったが、それはモモカの言葉を受け入れたからではないことは分かった。
「お主は、未来より時空を超えてきたと?」
 ヒルゼンの問いかけにモモカは首を振る。
「分かりません。その可能性がないとは言い切れませんから。ただし、ある種の強力な幻術の中にいて過去に飛んでしまったと思い込んでいると考える方がよっぽど現実的でもあります」
 また沈黙が訪れる。
「ではここが幻術の中として、それをしたのは誰だ? 誰と戦っていた?」
 沈黙を破り質問を重ねるヒルゼンはまさか手放しでモモカの言葉を信じているわけではなかろうが、存外その声に疑いの色は滲んでいないように思う。
「……まあしかし、事実として儂らは現実にここで生きておるのだがな……。しかし幻術をかけた相手に心当たりがあるなら、言うてみるがよい」
 現実にここに生きている、という言葉にモモカは小さく怖気づいた。窓の外の新緑が鮮やかさを増した気がした。
「……世界の、敵です」
 モモカの後ろに控えるカカシから呆れたような気配が伝わってきた。
「言えぬのか」
 探るような目をするヒルゼンを、モモカは戸惑いがちに見つめる。
「……もし、もしここが現実の、過去の世界ならば……」
「未来を変えてしまうことを危惧しておるのか」
 控えめにモモカは頷いた。本当にここが、モモカのいた世界の過去であるならば、モモカの言動によって変わる未来があるはずだ。死ぬべき人が生き、訪れる絶望や不幸がなくなる。良いように未来を変えられるかもしれない。しかしその一方で、生きるべき人が死に生まれるべき命がなくなるかもしれない。在るはずだった喜びも幸せも消えるかもしれない。不毛な争いを回避できたとして、また別の争いが生まれるかもしれない。
「……世界の敵、のう」
 ため息交じりにヒルゼンは繰り返した。
「して、その時の火影は誰になっているのやら」
 話半分で聞いているはずのだが、彼はモモカの口にする与太話に付き合ってくれるらしかった。
「五代目、綱手様です」
 ヒルゼンは目を丸くさせる。カカシさえもわずかに身じろいだ。
「綱手か……、意外じゃのう」
 本気にしているのかしていないのか、ヒルゼンは顎の辺りを掻いて唸る。
「あの子たちの中の誰かが継ぐにしても、まだあ奴の方が……」
「自来也様が、綱手様を五代目にと推したのです」
 ヒルゼンの思い浮かべる人物が誰なのか手に取るように分かりモモカは続けた。
「ふむ……」
 ヒルゼンはとうとうパイプ煙草を取り出してくゆらせた。モモカの突拍子もない話に、まだもう少し付き合ってくれるらしい。吐き出された濃い煙は、幼き日の濃密な毎日をモモカに思い出させた。
「して……儂はどうやって死んだ? お主のいた場所では死んだのだろう? あの子が火影の座を継ぐぐらいだからのう」
 試すように、ヒルゼンがモモカに尋ねた。
「大蛇丸に殺されました」
 窓の向こうどこかそう遠くない場所で、夏鳥が他人事のように甲高い声で鳴く。
「そうか」
 深く煙を吸い、吐いて、ヒルゼンは静かに呟いた。半信半疑で聞いていたモモカの話を、ただその一点だけは信じているように見えた。いつかそうなる未来を、予想していたみたいだ。
「大蛇丸に殺された儂の跡を、自来也が綱手に継がせたのか」
 しみじみと呟くヒルゼンの言葉に、確かに皮肉なものだとモモカも改めて思う。
「それで、モモカ……と言ったか。お主、その自来也にも会いたがっていたそうじゃの。何故じゃ?」
 ヒルゼンはモモカの希望をカカシから聞いていたのだろう。モモカは神妙な顔で頷く。回答を誤れば、危険因子として片づけられる可能性は重々承知していた。
「私はほんのわずかの時間ですが自来也様と行動をともにしたことがあって――色々なことを学ばせてもらいました。尊敬し、最も信頼する忍のうちの一人です。自来也様に会えれば、何かこの状況を打破できるきっかけが掴めるかもしれないと思ったのですが――」
 モモカを見定めるようにヒルゼンはじっと耳を傾けていた。
「……里には、いないのでしょうね……」
 どこにもその気配が探れないことから、モモカは薄々気付いていた。ヒルゼンの吐いた紫煙がぽかりと、行き場もなく漂う。
「ああ、残念じゃがな。儂にもはっきりとした居場所は分からぬ。元々好き勝手に行動しておった男じゃが、大蛇丸が里を抜けてからはその行方を追って帰ってはおらぬ」
 モモカは目を伏せた。自来也に会ったからといって何か解決の糸口が掴める保障などどこにもないのだが。こんなにも残念に思うのはきっと、また自来也に会いたいという願いがあったからだ。
「それで、お主は今後どうするつもりなのじゃ?」
 モモカは伏せていた目を上げる。相変わらず抜け目のない視線が、加齢により垂れ下がった瞼の奥から向けられていた。むしろ、この里の方こそ得体の知れないモモカをどうするつもりなのだろう。ヒルゼンが亡くなったのはモモカが十六の時だったが、こんなにも腹の底の読めぬ老忍だっただろうか。ヒルゼンが見ず知らずのモモカを警戒しているからだろうか――あるいは――今よりモモカがずっと世間知らずだっただけだろうか。
「帰れるものなら元いた場所に帰りたいのですが、いかんせんその方法も目処も全く立っていません。許されるならばしばしこの里に滞在し、情報を集めつつ今後のことを考えていきたいです。……どうか、私の滞在を許可してくださいませんか」
 モモカは真っ直ぐにヒルゼンを見据えて許可を請うた。
「ふむ」と短く声を発するとヒルゼンは灰皿に煙管の灰を落とす。陶器の灰皿と金属でできた煙管がぶつかる硬質な音が響いた。
「検討する。しばし、待つがよい」
 灰が落ち切った煙管でヒルゼンは入り口の古い鉄扉を示す。モモカはお辞儀をして退出した。

 廊下に出るとすぐに暗部の者が待ち構えていた。背の低い少年――ヤマトだ。
 彼は面をしたままで、モモカに二秒だけ視線を合わせると声も発せずに歩き出す。その足運び含めて、彼から出る音はほぼ無に等しい。モモカはその後を付いて行った。火影公室から一階下り北側に面した部屋に案内される。
 ヤマトが扉を開けた室内には長机が一つとパイプ椅子が五脚、そして先ほどモモカを尋問した山中いのいちがいた。ヤマト同様に監視の役目を仰せつかっているのだろう。
 モモカは入室し、五脚あるパイプ椅子のうちの中ほどの一つに腰かけた。神妙な顔でモモカを注視していたいのいちもややあって腰かける。ヤマトは入り口のところで物言わぬ人形のように立ったままだった。
 しばし沈黙が室内を支配した。窓の外ではやはり燦燦と日が降り注ぎ、名も知らぬ鳥の鳴き声がする。沈黙が続いたままで三十分ほどだろうか、ヤマトがぴくりと何かに反応してモモカを見た。
「呼ばれました。こちらへ」
 端的にヤマトが言った。思いのほか時間がかからなかったな、とモモカは立ち上がる。
「……君の中に、女の子を見た」
 唐突にいのいちが話しかけてきた。モモカは彼を振り向く。神妙な顔で、ずっと話しかけるタイミングを窺っていたみたいだった。
「妻によく似た娘だった――それに、」
 いのいちは言葉を選びながらも、はっきりとした口調で続ける。
「私のチームメイトによく似た男達も――しかし彼らではないが――よく似た若者が戦っていた――……あれは……一体……何と戦って――いや――あの子たちは無事なのか――……」
 モモカの中に垣間見た見知らぬ、しかしよく知った面影を持つ若者たちの身を案じるような言葉を滑らせるいのいちは、俄かには信じがたい一つの可能性に思い至ったようだ。
「火影様がお呼びです」
 無駄な会話を打ち切るようにヤマトが言った。
「ああ、そうだな……すまん……」
 いのいちは自らの馬鹿々々しい妄想を振り払うように頭を振る。ヤマトが部屋の外に出てモモカを待つ。モモカも外からの日差しでやけに陰影の強い室内を横切り、しかし出口のところで立ち止まった。
「……彼らなら立派に戦っています。受け継いだ誇りを胸に。私の知る限りでは、三人とも、誰も欠けていない」
 首を傾ける程度にいのいちを振り返りそう告げるモモカの口元は穏やかに微笑んでいる。いのいちはその笑みを凝視すると、眉間に寄せていた皺を緩めて小さく頷いた。

 火影室に戻るとヒルゼンと、先ほどと変わらぬ立ち位置でカカシが佇んでいた。険しい顔をしながらも落ち着いた心持のヒルゼンとは対照的に、カカシからは穏やかではない気配が感じられる。ヤマトは室内に入らずに、すぐに退散した。
「さて、先ほどの申し出じゃが。お主の身の振り方が決まるまでこの里にしばし滞在することを許可しよう」
 勿体ぶることもなくヒルゼンは言った。モモカの脇に控えたカカシの気配が淀む。
「……ありがとうございます」
 頭を下げて礼を述べながらも、モモカはヒルゼンの真意を掴もうとした。
「正直なところお主が未来から来たなど、ほとんど信じてはおらぬ。しかし嘘を付いているという証拠もない。疑わしきは罰せず、じゃ」
 にやりと、ヒルゼンが笑う。悪戯っ子のような瞳の煌めきに、モモカは何故か自来也の面影を見出した。
「しかしこの里に危害に加えるとなれば容赦はしない。滞在は許可するものの、監視は付けさせてもらう。急を要する事態となれば、こちらの指示には従ってもらう。それから、いくらあったも人手は足りないこの里の細々した雑多なことを、いくつか頼みたい」
 一筋縄ではいかない瞳を見つめ返し、モモカは頷く。監視――は、きっと、主にカカシだろう。人手不足のこの時代につまらない仕事を押し付けられた彼の苛立ちは想像に容易い。
「承知しました。ご厚意、感謝申し上げます――ただし」
 再度頭を下げ、上げたモモカの意志の強い眼差しにヒルゼンは笑みを引っ込めた。
「差し出がましくも、こちらからもいくつかお願いがあります」
 モモカの申し出に居心地の悪い緊張が走る。物言わぬカカシが、吐く息さえ鎮めて見守っている。
「まず一つ目に、私がこの先のことを知っている人間かもしれないことを、里の他の重鎮には話さないでいただきたいです」
「……それは何故?」
 図々しいにも程がある願い出の理由を丁寧にヒルゼンは問うた。一度はその座を後継に譲った老忍とはいえ、その目に宿る眼光の鋭さは衰えを知らない。
「……相談役達や、根を創設したダンゾウ様など……この里のこれからに起こることを思うと信用できません。それぞれの正義があったことも、それが里を想うが故でのことであるのも承知の上ですが……」
 モモカは真っ直ぐヒルゼンを見据えて言い切った。ヒルゼンは眉を顰める。夏の始まりの太陽が、その皺に深い影を落とす。
「これから起こることとは?」
「直近で言えば、うちは一族に対する動きです」
 一切の躊躇いなく告げたモモカの言葉に、先ほどまでとは種類の違う奇妙な緊張を伴った空気が室内を満たした。
 一つ、二つ瞬きをしたヒルゼンはモモカを見つめたままで何を思うのだろう。うちは一族の事件は、ここから五年後の出来事だ。里の創設以前からの因果と、他人を想うが故の愛憎と、そしていくつもの不運が重なりに重なって起きた事件だ。里長であるヒルゼンは今、うちはの名を聞いてどんな未来を予想しただろうか。あの凄惨な事件が起こることを――いや――里がたった一人の少年にそれをさせたことは――想定の範囲内なのだろか。
「それからもう一つ」
 モモカはヒルゼンから目を背けずに続ける。
「里の意向に背くことはしないつもりですが……場合によっては、監視の者の目をすり抜けて、あるいは置き去りにして、行動することがあるかもしれません。そうなっても、彼らを責めないでほしいのです」
 この言葉には、あからさまにカカシの表情が歪んだ。心外で、気に食わないという顔だ。
「お主の監視に付けるのは暗部の精鋭達だが……、まるで、お主が本気を出したら容易く振り払えるような言い草じゃのう」
 ヒルゼンの指摘をモモカは否定も肯定もしなかった。昨夜からこの里に帰ってくるまでのわずかな時間に行動を共にしただけだが、それでもあの小隊の半数は、少なくとも速度だけで言ってもモモカに分があるだろう。モモカは昔から、相手の力量を測ることにも長けていた。
「任務の失敗に対する処罰は甘くはないが、それは無論その時の状況による。経緯や背景も考慮するじゃろう。しかしいずれにせよ、それを決めるのはお主ではない」
 きっぱりと言い切ってヒルゼンは煙管を机に置くと、同じく机の隅の方に置いていた柔らかな布で磨き始める。会話はこれにて終わりだという合図だった。


 火影塔を後にしたモモカは、カカシの案内で昼下がりの里を北に上る。十五年前の里の風景は懐かしくも珍しく、なんだか切ない匂いがした。人々に活気はあるが、破壊されたまま手付かずになっている家屋もままあり、三年経っているとはいえ九尾襲撃の爪痕がそこかしこに見えた。
 モモカは火影から、早速仕事を頼まれていた。仕事と言っても忍とは全く無関係なことだ。住む人の居なくなった古い長屋を整備してほしいというものである。整備をしながらそこに寝泊まりしてよいということだから、二束三文の手持ちしかないモモカにとっては有難い話だった。ただ、この不思議な過去の世界に長居する気のないモモカは、どこまでこの仕事を達成できるか、少しばかりの罪悪感もあった。
 火影塔のすぐ北に延びる商店街は多くの人々で賑わっていた。夕飯の買い出しをする主婦、学校帰りの子供たち、呼び込みの店員の威勢のいい声。この里でわずか三年前に尾獣による未曾有の大災害が起こったのが嘘みたいな賑やかさだ。何度か通ったことのある商店街だが、やはりモモカが知っているものよりも真新しい。肉屋、魚屋、八百屋、お茶処に、向こうに見える大きな呉服屋は、数年後にモモカの姉が嫁ぐ店だ――――……。
 モモカはハッとして立ち止まる。それまできょろきょろと辺りを見回していたモモカが突然立ち止まったので、怪訝な顔で先を歩くカカシが振り返った。
「……何?」
 カカシの問いかけにモモカは静かに首を振る。胸の内は懐かしさに打ち震えていた。
「なんでもないよ、」
 優しい声音で答えるモモカの体が前のめりにつんのめった。
 後ろから何かがモモカにぶつかってきたのだ。その何かはモモカの胸下くらいの背丈の小さな子供である。子供は詫びも入れずに、速度を落とすことなくモモカの脇を走り抜けていく。
 それは、間違いなく、六歳のトウキだった。
「ちょっと」
 モモカにぶつかりそのまま走り抜けるトウキの腕を、素早くカカシが掴んだ。まさか掴まれるとは思っていなかったのか、疾走していたトウキの体は引っ張られ、体勢を崩して膝を擦る。何事かと周囲の人々の目が向けられた。
「なんだよ!!」
 甲高い声でトウキが食って掛かる。赤みを帯びた黒髪が顔にかかり、はらりと落ちた。カカシを睨み上げるその顔は、紛れもなくあの頃のトウキである。
「いいから盗ったものを出しな。手癖の悪いガキだね」
 カカシの言葉に小さなトウキがぎくりとした。その細い腕を掴んで離さないカカシの手はびくともしない。
「ねえ、いいよ。別に」
 モモカの言葉にカカシが呆れた目を向けた。
「……やっぱり、分かっててスられたんだ?」
 カカシの意識がモモカに向いた隙に逃げようとトウキは腕を振り払おうとしたが、モモカに視線を向けたままのカカシが器用に腕を捻り上げ、逆に痛々しい姿勢で地面に突っ伏す形となった。いよいよ通行人の目が気になってきた。
「てめえ! 離せ! クソが!!」
 這いつくばりながら暴言を吐くトウキだったが、カカシが捻った腕をさらに軽く傾けると痛みに呻いた。
「そんな手荒にしないでも……スられたわけじゃないよ」
 痛みに顔を歪めるトウキに慌ててモモカは言うと、懐から小さな包みの飴玉を取り出す。首を傾げてカカシは飴玉とモモカとを交互に見た。
「代わりにその子からはこれをもらったからさ……だから、これでおあいこだ」
 モモカの手にする飴玉と言葉に、痛みに呻いていたトウキが目を見開く。
「いつの間に……」
 カカシでさえも驚いた顔でモモカを眺めていた。ぶつかりざまにトウキに財布をスられたモモカだが、代わりにトウキの懐から飴をくすねていたなど、カカシでさえも気づかなかったのだ。
「だめかな?」と困ったように首を傾げるモモカにカカシはまたしても呆れた表情を見せ、盛大にため息を吐いた。
「……勝手にしたら」
 カカシの拘束が解けてトウキが弾かれたように立ち上がる。土まみれになって膝は擦り剥けている。未知の生き物を見るような目でモモカを睨む姿は追い込まれた手負いの獣のようだった。
「だからあの、代わりにこれもらってもいいかな」
 飴玉を摘まんでモモカが尋ねるとトウキは体を強張らせ、そしてわなわなと震える。こんな屈辱はもううんざりだという顔をしていた。
「ふざけんな! ブス!!」
 トウキは吐き捨てると、モモカからスったばかりの財布を乱暴に地面に叩きつけた。モモカが何か言う暇もなく彼は風のように走り去っていく。
 モモカの手には飴玉だけが残った。結局、モモカが貧しい少年から飴玉をもらっただけになってしまった。
「三年前の九尾事件から貧困層の子供は随分増えたけど……この里の貧しい子供たち皆に同じことをするつもり?」
 カカシの呆れた声に惨めになってモモカは俯く。未来のチームメイトが今を懸命に生きていることが、そんな彼に何もしてあげられないことが、情けなかった。
「そういうつもりじゃないけど……」
 顔を上げてカカシを見ると、呆れた声の割には、存外その顔は穏やかだった。呆れつつも、モモカの行動や思いを疎ましく思っているわけではなさそうだった。そうだ、カカシは本来、優しい男なのだ。
「同情だけじゃ誰も救えないよ」
 カカシの言葉は自分自身に言い聞かせているみたいだ。だから、彼は戦い続けているのだろう。
「……ま、そういう世間知らずな馬鹿は、嫌いじゃないけどね」
 世間知らずな馬鹿が平和に暮らせるような世の為に、カカシは今も、これから先も戦い続けていくことをモモカは知っている。

 捕り物騒動で周囲の注目を集めてしまった二人は、そそくさと賑やかな通りを抜けた。先導するカカシの背中から穏やかな気配が伝わってくるのは、少しモモカに気を許してくれたからだろうか。
 商店街を二つ過ぎ、寂れた住宅街に入る。やけに静まり返った土地だ。きっと、空き家の率が高い地区なのだろう。確かモモカが下忍の頃には、この辺りは今よりもさらに廃れていたと記憶している。老朽化が進んだ建物の中に破壊され朽ちた建物が混在する忘れ去られたような地区だが、それでも住んでいる人が全くいないわけではない。軒先で日に当たる老人や、大きな荷物を抱えて歩く中年女性など、ここで暮らす人は確かにいたし、ある平屋からは元気な子供の泣き声が聞こえもした。
 やがてわずかな人々の喧噪も聞こえなくなった頃、雑草だらけの長屋の前でカカシは立ち止まる。モモカも長屋を見上げ、思わず息を吐いた。
 ヒルゼンはモモカに里への滞在を許可する代わりに、いくつかの仕事を依頼した。そのうちの一つが、この長屋の修繕だった。九尾の件で孤児となった子供たちはそのほとんどが里唯一の孤児院に入っている。しかし子供たちの成長に伴い手狭になってきたことから、別の受け入れ施設の準備が求められていた。そこで住人の少ないこの地区に白羽の矢が立ったわけだが、子供たちが住めるような環境を整備するのに、割ける十分な人員はないのだという。
「全部で三棟あって、各十部屋ずつある。そのどれにも現在住人はいない。入居する子供は十歳以上を想定している」
 淡々と説明するカカシの声を聞きながら、モモカは改めて長屋を眺めた。三つ並んだ横長の長屋はどれも古く、外壁は茶色く煤けている。長屋の周囲にはぼうぼうと草が生い茂っていて、来るものを拒んでいるみたいだ。北側の外壁には蔦が這い上っていた。
「建て直しなら、あの子の方が適任じゃないのかな」
 背の高い雑草を踏み倒して長屋に近づき、モモカは柱を掴んだ。存外しっかりしていて、古さの割には木材としての状態は悪くなさそうだった。
「……あの子?」
「ほら、あの……、一緒の小隊にいた小さい子」
 ヤマトが今何と呼ばれているか分からないが、カカシには伝わったようだ。そして彼は眉を顰める。
「……何でそれを……、……まあいい」
 ヤマトの木遁を知る人はごく僅かなのだろう。モモカが困ったように肩をすくめると、カカシはそれ以上質問を重ねるのをやめた。
「火影様が命じたのは建て直しじゃなく、環境の整備だ」
 カカシも生い茂った草をかき分けながら、中央の長屋の西端の引き戸を開ける。中には机が一つだけ置かれていた。向かいの窓は摺りガラスになっていて、鈍い日が入り室内は明るい。畳は古く張替えが必要だろうが、確かに大規模な建て替えの必要はなさそうだ。
「細かいことは任せるってさ……、分かってると思うけど監視は付くからね。もし遠出をするなら一声かけて。勝手な行動はしないように」
 カカシが事務的に告げる。案外状態は悪くないものの、かなりの手入れが必要なことに変わりはないこの長屋を押し付けられたモモカを哀れむ気持ちはなさそうだった。
 モモカは頷き、カカシの幼い顔を振り返る。礼を述べようとして、ハッとした。
「あれっ」
 モモカは左手首をさする。あるはずのものがそこになかったのだ。上ずった声を出すモモカをカカシは怪訝な顔で見つめる。
「……どうしたの」
 モモカは慌てて服のあちこちを探るがそんなところに入れた覚えはないのだから、当然見つかるわけがない。顔を上げたモモカは不思議そうな顔をしたカカシと目が合う。やっぱり、こうして見るとまだ年端も行かない少年だ。思わず見とれそうになったモモカはそれどころじゃないと頭を振った。
「ない、ミサンガがない」


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