生物には、起源というものがある。
始まりの因で発生した物事の方向性だとか、定められた本質だとか、絶対命令とも呼ばれているが、とどのつまり、本能というやつだ。その本能に従って、俺たち生物はいくつもの生と死を繰り返し、今日こうして沢庵をかじっていたりするわけである。ぽりぽり。
「清光。起きていたのか」
からん、とアンティークのドアベルが鳴って、ようやく部屋の主が帰ってきた。俺は返事をせずに、ソファに体育座りをしたまま一瞥する。ぽりぽり。
「また沢庵をまるごとかじって……どうせ食べきれないんだ、せめて切ったらどうだ?」
苦笑しながら外套と帽子を掛けて、トランクを置く主の背中をただ見つめる。一週間分はゆうに入りそうな大きなトランクだが、彼は旅行に行っていたわけではない。ここ、ロンドンから数キロ離れた郊外に位置する学園都市、通称・時計塔へ行っていたのだ。そこで研究されているのは単なる学問ではなく、奇跡の術――魔術だ。彼はそこでロードと呼ばれる有力者として、教鞭と権力をふるっているらし「権力はふるってないよ……」
「…人の思考を邪魔しないでよ」
むすっとして睨めつけると、彼は困ったように眉根を下げた。
「そう拗ねないでくれ」
隣に座り、髪を優しく撫でられる。しかし俺は顔をフイ、とそむけた。
主、というのは単にこの部屋の主という意味ではない。俺は、彼に飼われているのだ。日本からロンドンへ留学していた俺は、通りすがった魔術師に起源を見破られ、面白半分にそれを覚醒させられた。起源覚醒者は本能に呑み込まれ自我を失ってしまうのが殆どで、俺が正気を保っていられるのは、同郷出身の俺をあわれに思った彼が手を差し伸べてくれたからだ。彼が抑制するための魔力を与え、俺の起源を満たし、よりどころとなってくれているおかげで俺は今も俺として存在していられる。けれど。
「なんでまた、漬けたの」
「え?なんでって……おいしいだろ?」
「嘘。あのナルシストのためだろ」
そう言って、ぺしりとかじりかけの沢庵を投げつける。主がそれを拾って、テーブルの上へよけた。
ナルシストとは、魔術師見習いの和泉守兼定のことだ。同じく日本出身のあいつは、弟子でもないくせに主に懐いていている。この沢庵は、そいつが食べたいと言ったから主が漬け出したのだ。ことごとく俺が手をつけているおかげでまだ奴に渡ったことはないが、主が俺以外のために何かをするなんて許せない。ゆるせ、ない。
「今日だって、早く帰るって言ったのに。……もう明日になっちゃうよ」
ちらりと横目で見た壁時計の針はもう23時50分を指している。足を抱える腕の力を強めると、関節が白くなった手に主が優しく触れた。
「悪かった。会合が長引いたんだ」
心底すまなそうな声を出されて、余計胸が締め付けられる。本当は分かっている。主は忙しいのだ。それなのに、こんな、主を困らせるようなことを言って、
「……俺のことなんか、どうでもよく、なった……?」
駄目だ、という理性とは裏腹に、口から感情がこぼれ出た。自分で言ったことなのに、言葉にした途端、今日一日ずっとぎりぎり締め付けられるようだった胸が苦しさを増して涙があふれてしまう。
「ッ清光、」
焦った主がぐい、と俺の肩を引き寄せて、腕の中に抱きしめられる。訴えるようにその胸板を叩きながらも、ぐしゃぐしゃになったところを見られたくなくて必死に顔を伏せた。
「……っ、ふ……っ」
「ごめん、ゆるしてくれ。本当にすまなかった。さみしい思いをさせたね。ずっと待っていてくれたのに」
うなじ、耳の後ろ、首筋。あやすように何度も口づけが落とされる。けれど、どうしようもなく不安な気持ちばかりが止まらない。嗚咽に肩を震わせていれば、そのまま覗き込まれてキスをされた。
「…っふ、ぅ、ん……あるじ、おれ、もう可愛くない?もう、愛してもらえない?」
「違う。違うんだ清光、そうじゃない」
いっそう強く抱きしめられ、今度は噛みつくように激しいキス。たまらなくなって、必死にその首にすがりついた。
「おねが……っ、おねがいあるじ、すてないで……」
「そんなことするわけない。清光、おまえがなにより一番可愛いよ、愛している」
ぞくぞくぞく。その言葉に背筋に電流が走り、一気に脳髄まで溶けたように熱くなる。火照る体でもたれかかり、回した腕に力を込めて甘えた声を出した。
「あるじぃ……っ、ふ、ぅん……あるじぃ、すき、すきぃ……っ」
「俺も好きだよ、清光」
「あるじ、あるじ……っふ……ぅ」
頭を抑えられて、何度もキスを交わす。絡み合う舌があまりに熱くて、気持ち良い。くだけそうになる腰を主に抱えられて、そのままベッドへ運ばれた。
「清光、」
「っひぁ、ん」
横たえた火照った体に、冷たい主の手が触れる。胸の突起をまさぐられ、喘ぎ声が漏れた。
「かわいいよ、清光」
「っんぁ……ん、あ、ぁッ!」
主の舌が、乳首を丁寧に舐めて吸い上げる。求める言葉を与えられる歓喜と敏感な箇所への刺激で、体も心もどうしようもなく感じて達してしまいそうだ。そのまま熱い舌が肋骨、腹の方へと降りてくる。
「……ふ、ぁ、ん……っあぁ」
何度もびくびくと跳ねる腹を舌先がなぞり、そのまま下腹部へとおりてくる。主の右手が優しく太腿を割り押してきて、促されるまま足を開くと、既に勃ち上がった性器が先走りを溢れさせながらひくひくと震えた。
「さわるよ」
優しくささやかれて、期待で張り詰めた息が漏れる。今にも破裂しそうな性器がそっと握られて、びくりと跳ねる。
「ぁ……っ」
「大丈夫、気持ちよくしてあげる」
何度も竿をしごかれて、鈴口をぐりぐりと苛まれる。裏筋もこすられて、強すぎる快楽におかしくなってしまいそうだ。必死に逃げようとするが、しっかりと抑えられていて動けない。逆に腰を上へ突き出すように浮かせてしまい、身をよじれば強請るように腰が揺れた。
「あっ、ああ……ぁ、ん……っ」
「ほら、イっていいよ」
「ぁあッ!」
びゅくり、と先端から精子が放たれて、俺の腹と主の手を汚した。快感にくたりと体の力が抜ける。
「がんばったね。清光のイキ顔、すごく可愛かったよ」
よしよしと頭を撫でて褒められ、その悦びに体が震える。
「あ……ぁん、あるじぃ……んぁっ」
「大丈夫。そのまま力を抜いて」
精液を潤滑剤に、今度は後孔に触れられる。入口が丁寧に弄られて、ぬぷ、と指が一本侵入してくる。
「ぁ、あ……ぁ、んっ……や、」
体内をゆっくりとなぞられて、喘ぎ声が漏れてしまう。思わず中を締め付けると、開いていた口に舌が進入してきて絡め取られ、嬲るようにキスされた。それに再び脱力するうち、指が徐々に増やされる。
「ね、今何本入ってるかわかる?」
「あ、ぁ……ん、そ、な、わかんな……ァあッ」
優しい声で問いかけられるが、解されきったナカをばらばらに動く指にかき混ぜられ、もう何もわからない。いやいやと首を振ると、主はゆったりと口角を上げて微笑んだ。瞬間、
「ぁあッん!」
ぐりぐり、と感じるところを押しつぶされて、電撃のような絶頂が襲った。
「正解は3本でした。清光のイイとこ、ここだね。気持ちいい?」
返事なんてできるわけもなく、ただ荒い呼吸を繰り返す。しかし、今度はわざと優しく刺激され始め、イキたいのにイけないもどかしさでどうにかなってしまいそうになる。
「ぁ…あ、ぁん……イキたい、イかせてぇ…っ…」
懸命に懇願したが、願いと裏腹にわざとらしく水音を立てて指が抜かれた。くぱぁ、と開いたアナルが外気に晒されされて誘うようにひくつく。
「やぁ……っ、あ、ぁ、も、おねがっ、おねがい、いれて、あるじの、いれてぇッ……あ、アぁッ!」
「よくできました」
必死に強請ると、今度はずぷり、とさっきとは比べものにならないほどの質量が挿入ってきた。たまらず悲鳴のような嬌声が上がる。
「〜〜〜〜ッぁあ!」
「……ッ、清光のナカ、トロトロだ……」
ヒクヒクと収縮するナカが勝手に締め付けてしまい、挿入れられているだけなのに感じてしょうがない。しかし主は無情にも、そのままゆっくりと奥へ肉棒を押し進める。
「動くよ」
「ゃ、あ、まって、ぁ、あぁッ!」
ぐいと腰を引き寄せられ、逆らうこともできずに律動が開始される。
「あっあっあっあっあっあっあっあっ」
激しいピストンに合わせてひっきりなしに嬌声が上がる。ばちゅんばちゅん、と臀部に肌が打ち付ける音と、ベッドが軋む音が、部屋の中を満たしていく。
「あ、あ、もうだめ、だめだめ、だめだからぁ……ッ」
上も下も分からない。ただただ、快楽の渦に落下していくようだ。何度も何度も前立腺をごりごりと抉られて、イキっぱなしのペニスからはびゅくびゅくと射精が止まらない。必死に主の袖にすがって、ただ声を上げ続けた。
「あん、あぁ、っあん、すき、ぁっ、あるじ、すき、すきぃっ」
「っ清光、出すよ……!」
「だして、だしてぇ……っ!あるじのせーし、おれのナカに、だしてえぇっ……!」
何度目かもわからない絶頂とともに、最奥に熱い精子が放たれた。
「ぁ……あ……」
「……ッく」
少し脱力した主の体が覆いかぶさるようにもたれかかる。
「あ、ぁ……でてる……いっぱい、おれのナカに、あるじのぉっ……ぁ、ん」
最後まで搾り取るように腸内が収縮し、体内が主の精子で満たされるのを感じてうっとりと未だ痙攣する腹をさすった。
「っあー……そんなに魔力、嬉しい?」
そんな俺の姿に、困ったように尋ねる主の顔を見る。
魔力の供給は、粘膜接触によって行われる。キスやセックスを通して主から供給される魔力が、いつ暴走するかも分からない俺の起源を押しとどめているのだ。でも、俺が嬉しいのはそういうことじゃない。
「……ううん。魔力もいいけど、あるじのだから、うれしい」
他でもない主に愛されている。それを感じるから、こんなにもひどく幸せになるのだ。
「〜ッ!」
「っわ、」
突然、ぐいっと主に引き寄せられて、そのまま胸に閉じ込められる。乱暴にかぶせられた毛布と体温が心地良い。少しの汗と、主の香りがして、俺は胸いっぱいに息を吸い込んだ。安心、する。
「ね、主。……俺、かわいい?」
腕の隙間から顔の上半分だけを出して主の顔を見つめてそう尋ねると、俺のこめかみに口づけて微笑んだ。
「……可愛いさ。世界一」
その言葉に、思わずにへら、とだらしなく表情が緩んでしまう。
「魔術師に言われる世界一って、なんだか説得力あるなあ」
「はは」
胸板にぐりぐりと鼻先を押し付けて、背中に手を回し抱き締めた。主もまた力を込めて抱き返してくれて、空いた片手で優しく梳かれる髪が気持ち良い。
「もう絶対に遅れない」
「うん」
「俺が一番可愛いのは、清光だよ」
「うん」
「清光、愛してる」
「……うん」
触れ合った体温が溶け合って、境目がわからなくなりそうだ。満ち足りた気持ちのまま、俺は温かい眠りの中へ落ちていった。
長引いた会合が終わり、ようやく開放されたとき、時計は23時を回っていた。早く帰ると伝えていたが、これでは清光ももう眠ってしまっただろう。
それでも少しでも早く帰ろうと急いで講堂を出たが、荷物が足りないことに気づいて結局戻ることになってしまった。静まり返った講堂の中、自分の席に取り残されるようにあった荷物を手に取ると、不意に後ろから声を掛けられた。
『やあ。最近猫を飼い始めたんだってね』
『……いいえ。動物の毛は、私の分野では禁物ですから』
振り向くと、同じロードの一人が立っていた。成りこそまだ幼さを残した美少年だが、ロードともなれば外見など単なる記号、もしくはいつでも取り替えられるアクセサリーに過ぎない。
『へえ……それにしては随分“臭う”じゃないか。本能にしか生きられない、けだものの臭いだ』
クツクツと笑う彼に、鼻を隠して答える。
『そんな話をするために荷物を盗んだのですか?貴方の香水ほどではないでしょうに。本能も理性も捨てて、一体どれだけのものを殺めてきたのです?錆くさくてかないません』
嫌味を返してやれば、彼は顔をゆがめて激昂した。
『先に手を出したのはそちらの方だろう!気づかなかったとは言わせない、“あれ”は僕のものだ……試しに泳がせて様子を見ていたところを、よくも盗ってくれたな!』
『禁術という言葉も理解できない脳味噌には、勿体無い代物です』
雷撃がこちらに向かってきた。魔術のかかったローブを翻して跳ね返すと、大理石の床が黒く焦げた。
『調子に乗りやがって……!その首落としてやるよ!』
『出来ないことを言う姿ほど、惨めに映るものはありませんよ』
再び宙を走った雷撃が頬を掠めたが、つとめて冷ややかに切り返す。魔術師間の争いは茶飯事といえど、私たちはロードであり、ここは時計塔の敷地内だ。大声を聞いて、人も集まってきた。これ以上の騒動となれば、罰則は免れない。
『……必ず返してもらう』
暫しの膠着の後、そう言い捨てると、彼は踵を返して去っていった。その背中を見送りながら、頬の煤をこすり呟く。
『お断りだよ――安定』
「……ぅ……」
「……清光?」
思考にふけっていると、傍らの清光が身じろぎした。起きたのかと思い声をかけたが、どうやらただの寝言のようだ。無意識に温度を求め、足を絡めてすり寄ってくる。ずれた毛布をかけ直してやると、表情を和らげて声をもらした。
「………………ある、じ………………」
暫しそのまま硬直する。しかし清光はそのまま、再び静かな寝息を立て始めた。
「……第一、こんなけなげな生き物が、猫のはずがないだろうに」
いっそ馬鹿馬鹿しくなるほどのいとおしさがこみ上げて、ため息をつく。乾いた汗で張り付いた髪をよけてやり、泣き腫らした瞼にキスをした。
たかだか、この腕に収まるほどの少年だ。それが知らずに戻れない道を歩まされた。目を離せば脆く砕けてしまう、まるでガラス細工の愛玩品だ。獣は、他の魔力供給の術を教えず、体で縛り続ける私の方。
けれど。
「――誰が、手放すものか」
少年の名は、加州清光。その起源は、『愛される』ことである。