「やあやあ。お目覚めかな、王子さま」

 幾百年の眠りから覚めた僕の目に、最初に映ったのは真っ赤に孤を描くくちびるだった。




 遠征を終え、本丸に戻ったものの誰もいない。いつもは庭で岩融と短刀たちがじゃれあっていたり、部屋の隅にはきのこでも生やしそうな陰気をたたえて山姥切がうずくまっていたり、縁側では三日月が歌仙と茶を啜っていたりするものなのだが、今日の本丸はしん、と静まり返って、ただ春の陽気ばかりが暖かかった。

 「まったくもー、主ったらどこにいるんだよ!せっかく遠征がんばったのになあ」

 今回の成果は大成功だった。褒めてもらいたくてうずうずしている加州は、さっさと主を探しに何処かへ行ってしまった。小狐丸や陸奥守は腹が減ったと言って食料を漁りにいき、青江は疲労した五虎退の面倒を看るために残った。
 自分はといえば、相棒の兼さん――和泉守に会いたくてこうして城内を探し回っている次第だ。

 「兼さん、兼さーん」

 名前を呼びながら裏庭を歩く。この城はけして小さくは無いが、使用人というものが一人もいない。審神者の城といえど、普通ならば名も無き骨董にでも姿を与えて、使用人としての役目に就かせるものだが、ここの主はそれを好まなかった。

 「やい、堀川か」
 「主さん」

 涼やかな声がかけられ、そちらを見やると木陰に当の主が座っていた。よく見るとその膝に頭を乗せて、探し人が寝息を立てている。

 「わ、兼さんったら」

 和泉守の寝相に合わせて猩々緋の着物に皺がよってしまっている。しかし主に気にしている様子はなく、その濡れ羽の髪を一房手にとって、長い三つ編みをしている。

 「堀川国広、ただいま戻りました。すみません、兼さんが……」
 「よいよい。格好の良さを自称する割に、なあに、寝顔のかわいらしいものだ。遠征、ご苦労だったな」

 くつくつと紅を引いた唇が笑う。

 「本丸に誰もいなくて驚いただろう。かくれ鬼の最中でな。とはいえ、私と和泉守はこうしてのんびりしてしまっているわけだが」

 大方、鬼の蛍丸が飽いてしまったのだろうて。そう語る主の顔をぼんやりと見る。日陰でみる色白の肌はいっそう透けて、刀の自分よりも人らしくなかった。そう、まるで――

 「まるでもののけ、か?」

 かけられた声にはっとして顔を上げると、三日月のように細められた瞳がこちらを見つめていた。

 「い、いや、その……」
 「はっはっは。そううろたえるのでない、傷つくぞ」

 女性らしからぬ快とした笑いだ。からかわれたのだと気づいた堀川は、主さん、と情けない声を出すしかなかった。

 「おまえが私を畏れているのは知っているぞ、堀川」
 「……!」

 顔色の忙しいやつめ、とまた主が笑った。編みあがったらしい三つ編みを置いて、もう一房和泉守の髪を手に掬うが、やはり一向に目を覚ます気配は無い。

 「力に溺れ、もののけまがいとなった審神者――なあんて、浮世では呼ばれているらしいなァ」

 浮世、なんて面白がって言い回す主に、堀川は力が抜けて訥々と話した。


 『なあ、聞いてるか。大和国の』
 『ああ知ってるさ。“どうかしてる”審神者のことだろう?』
 『そうそう。なんでもあそこに集うのは、短刀から大業物に至るまで、どれも名のある刀剣ばかりらしい。中には国宝や伝説とされているものまであるだとか』
 『天賦の才というやつなのだろうなあ。妬ましいが、なあに、アレではなあ』
 『とうに齢200をこえて、見た目はうら若い女など。もののけに堕ちた身で、よくもまあ、審神者などと名乗れたものだ』


 「ほうほう、それはそれは。して、素直な堀川の君はそれを真に受けてしまった、と」
 「意地の悪い言い方をしないでください……」

 彼女の楽しげな声音に、こちらは情けなくなってくる。

 「なあに、齢200の人間などおるわけがなかろう。私は才能があるからなァ。そのおかげでこうしてお前たちのような優秀でいとしいつるぎたちを従えているとなると、恨みを買いやすいのだよ」

 堀川がなんだか無性にはずかしいような気持ちになって目を逸らすと、主は二本目の三つ編みをそっと横たえた。

 「さあて、そろそろ目を覚ましてはどうかね、お姫さま?」

 突然、ぎく、と和泉守の体が身じろぎする。え、と思う間もなく、主の顔が和泉守の顔に重なった。
 
 1,2、3秒。
 
 ふふ、と悪戯が成功した幼い子どものように吐息を漏らして主が顔を上げると、そこには目を見開いて真っ赤になった和泉守の顔があった。

 「け、兼さん……!」
 「……っ、」

 身を起こして眉根をひずませる和泉守に、主はうっそりと笑んだ。

 「アンタ、気づいてたのかよ……!」
 「すまないねえ、王子さまのキスでなくて。けれどほら、迎えにはきてくれてるから」

 そう言って、主が堀川へと和泉守の肩を押す。

 「〜〜ッ!」

 声にならない声を上げて、和泉守が立ち上がった。
 もしかして接吻したんですか?ねえ?ねえ?とせっつくと、うるさい!と言ってずんずん歩いていってしまう。慌ててその後を追う。

 「……そういえば。なんで、齢200なんですか?」
 振り返って、いまだ木陰から手を振る主にそう尋ねる。すると、彼女は笑みを深めてこう言った。










 「齢200というのは単なる噂だが、私には200年前からの記憶があるのだよ」










 ……もののけというのは嘘でも、どうかしている、というのは本当らしい。
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