透矢君とこうして二人で星を眺めるのは、初めてのことではなかった。
初めてではないこそすれ、多くの回数をこなしたわけでもない。今までに一、二回ほど、庭先で一人佇む透矢君に声をかけて、なんとなく背中合わせに座っただけだったので、なるほど、今まさに余所余所しい透矢君の態度も仕方がないことといえばそうかもしれない。
私達は手入れの行き届いた芝生の上に直接座り込んで、ただただ星空を見上げている。本人に言えば機嫌を損ねるのは目に見えていたのであえて口を噤んではいたけれども、お坊ちゃん育ちの透矢君がまさか芝生の上に腰を下ろすとは思わず、私はこっそりと驚いてしまった。
背中越しに身動ぎする透矢君を感じて、私は今更ながら、もしかしたら天体観測を楽しんでいるのは私だけではないだろうかと思った。そういえば、私が星空を見上げている間、透矢君の「あの」だの「ええと」だのといった戸惑いがちの声を聞いた気がしなくもない。
僅かに体をずらし横目で透矢君の後姿を確認すれば、やはり透矢君の頭は若干下を向いていて、何かを考えているようだった。


「あのう」
「な、なんだ!」


声をかけるや否や、妙に上ずった声を張り上げて透矢君は過剰に反応した。確かに私もずうっと黙ってはいたけれども、なにもそこまで驚く必要もはないんじゃないだろうか。私はただ透矢君の反応に目をぱちくりしていただけだったのだけれど、何らかの反応を返さなかったことが即ち気分を害されたのだと勘違いしたのか、透矢君は小さな声で「すまない」と呟いた。
私は決して年齢の割には人生経験が豊富という人間ではないし、成人済みとはいってもたかだか二十数年しか生きていないけれども、人の心の動きには全くの鈍感ではないし、仮にもという言い方は失礼だけれど、まだまだ駆け出しとはいえ透矢君とお付き合いしている身として、他の人よりはまだ透矢君の心の動きを知っている。
透矢君はただ、私との背中合わせが恥ずかしいだけなのだ。
お坊ちゃんなだけあってエスコートには手馴れている透矢君も「恋人」との手繋ぎともなれば無性に意識してしまうらしく、お付き合いしてまだ三ヶ月も経っていないのだけれど、それでも手繋ぎはほんの数回、キスはたったの一回と、透矢君は愛情表現がとても苦手なのだと立証するには充分だった。
意地っ張りで、見栄っ張りで、感情の表現はとても不器用で、ついでに指先も不器用で、そんな透矢君だからこそ心の根っこの部分はどこまでも素直だということを私は知っている。素直すぎて、もしかしなくとも私よりも随分とナイーブな心の持ち主かもしれなかった。いつだったか、透矢君が素直になれないあまり私の友達につい喧嘩腰になってしまって「透矢君のそういうところ、私はあまり好きじゃないなあ」と口に出してしまった時の透矢君の真っ青な顔といったらなかった。その後、宥めるのに小一時間かかったのも今としてはいい思い出である。
透矢君はつまりそういう人なのだ。今も表情こそは確認できないにしても、背中合わせで、星の降る夜に二人きりで、私達は恋人同士で、さてどう振舞うべきかと透矢君が考え込まないはずがないのだ。


「星、綺麗だね」
「あ、ああ、そうだな」


普段は優等生そのものの透矢君が、実は表情豊かだったりだとか、私の言葉に深く傷ついたり、今はこうして私について考えてくれているかもしれなくて、しみじみと透矢君への愛しさが込み上げてきて、私はもう少しだけ背中をぴとりとくっつける。背中越しに透矢君の体がびくりと震え、そして透矢君も私へほんの少し体重を預けた。
星の綺麗な夜だった。星が美しく見えるためには空気が冷えていなければならなくて、それは透矢君のようだと思った。温かくて、優しくて、星を語る時の横顔はきらきらと輝いているのに、冷ややかな印象はなかなか拭えない。時々、雨雲に隠れてしまうのもいい。いつだってきらめいている必要はないし、時々は曇ってみたり、かっこ悪く泣いたっていいのだ。そこがまた透矢君の魅力なのだろうけれど、透矢君のなかなか見抜けない本当の姿は皆が皆知らなくてもいいことだ。それはきっと私の特権なのだと自惚れてみる。
言葉こそ少ないけれど、今はきっと優しい夜だった。両親も、ちょっと苦手な先生も、からかってくる友達も、全ての人を愛おしく思える夜だ。透矢君と出会ってから、夜は優しいことを私は知った。


「透矢君、あのね、一つ聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?なんだ」


それまでのそわそわとした様子とは一変して、透矢君は私の話を聞く態勢を作ってくれた。私達は背中こそ合わさったままだけれど、透矢君の意識はちゃんと私に向けられているのを感じる。


「透矢君は、どうやって私を見つけてくれたの?私は平凡だけれど、それでも透矢君は私を好きになってくれたでしょう?言い方は変だけれど、他にも普通な子って沢山いるのに」
「な…っ!?」


今度こそ透矢君は完璧に取り乱したようだった。がばりと体全体をこちらに向け、首だけ振り向いた私の瞳を覗き込んでは絶句している。しばらくは陸に上がった金魚のように口をぱくつかせていたものの、一つ息を大きく吸い込むと、暗闇でもわかる、耳まで真っ赤に染まった頬はそのままに、いそいそと元の位置に座り直した。わざとらしい咳払いを一つ落とすと、ほんの少し熱のこもった声が「星と同じだ」と大気に消える。


「北極星は教えたな。夜空で最も光を放ち、旅人を導く星だ」


私は透矢君との初めての天体観測を思い出していた。背中を預けるでもなく、隣に座るでもなかった、二人の距離は目に見えても星と地球のように離れていた頃。夏の第三角形、北斗七星、北極星すらも満足に探し出せなかった私に大きく溜息をついた透矢君は、まるで今とは全くの別人のように思える。


「北極星は、冴子、お前も見つけ出すことができただろう。だが、全ての星が北極星のように目立つわけではないのに、まるで目立たない、小さな、地球からは確認することのできない星にも名前があるのはなぜだと思う」
「ううんと、それはまだ教えてもらってないかな」
「わざと言っているのか?そういう問題じゃない!」


どうやら透矢君が期待したであろう答えとは全く掠りもしない返答をしてしまったらしく、透矢君はそれまで穏やかだった声を荒げた。決して悪気はないのだろうけれども「少しは俺の心を読め!」という昔の捨て台詞が思い出された。出会った頃に比べれば随分と性格は丸みを帯びたが、やはり素直になりきれない性質のようだ。


「そうではなくて、その、見つけたからだ!先人が!目立たなくとも、地球からは確認できなくとも、見つけるべき誰かが見つける。そういう風になっているんだ!そうして、この星は見つけたのは俺だと、俺以外の誰かが決して名乗りを上げないように、名前をつけて、発表するんだ。…わかったか、わかったな!」


よほど恥ずかしい台詞なのだと自覚は充分にあるのだろう、素直な想いをなぜか怒りに込めるという勅使河原透矢の真骨頂がありありと見える。聞いている私の恥ずかしさも相当なものだった。私は一瞬にして真っ赤に熟れた林檎となり、そんな私を見つめる透矢君も益々頬に火を点けたのだった。
恥ずかしい、とてつもなく恥ずかしい。甘い言葉の一つや二つさらりと零れる理人先輩が相手ならば、ふうんと一つ頷くだけなのだけれど、今目の前にいるのは誰でもない勅使川原透矢その人だ。世の女性が望む口説き文句の一つも言えず、むしろ意に反して人の心を傷つけるような言い方しかできない透矢君の放った透矢君らしい口説き文句を、私は一生忘れないだろう。
まだ胸はどきどきとうるさいほど高鳴ったままで、頬の熱も一向に冷めやしないが、それでも胸にふつふつと湧き上がる愛おしさに流されるまま、私は笑みをこぼす。


「じゃあ、私は幸運の星だね。こんなにも素敵な人に見つけてもらえて」
「…用法が少し違う気もするが、まあ、お前がそう思うのなら、それでいい」


私が名前を知らないだけで、夜空に輝く沢山の星は、世界中の誰かに、そしてたった一人の誰かに、今も愛され続けている。
これからもずっと、夜は優しい。私は静かに瞳を閉じた。

20100922
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