永遠の名作『ルパン三世 カリオストロの城』ラストシーンのパロディです。誰もが知っているシーンではありますが、ネタバレがお嫌いな方は閲覧をご遠慮願います

「準備はいいか?後で文句言うなよ」






時計塔の崩壊と共に現れた、遠い祖先が残したローマ時代の遺跡を二人で歩いた。
大理石で造られた舞台やアーチ、神殿だろうか、それらの殆どはとっぷりと水に浸かり、辛うじて水上へと姿を現している足場というには不安定なそれへ、我先にとさくらは軽やかに着地すると、にっこりと微笑んで右手を聖司へ差し出す。聖司は「俺の運動パラメーターはそこまで低くない」とぶつくさ言っていたが、一向に姿勢を変えないさくらにほんのりと熱を持った溜息を一つこぼすと、せっかく整った顔を生まれつき備わったのだから微笑めば美しいものを、やはり形の整った眉を不満気に歪め、それでも差し出された右手を取り、さくらに誘われるまま歩みを進めた。


「聖司さんのご先祖様は、なかなか洒落たことをされましたね」

「お前、もしかしてこれを盗もうとしたのか」

「こんな仕掛けがあっただなんて知りませんでしたよ。それに、これはちょっと私のポケットには大きすぎるなあ」


ただひたすらに広がる草原へと出たにもかかわらず、変わらず繋がれたままの手に今更ながら気づき、聖司は人知れず頬を熟れた林檎の如く真っ赤に染め上げた。胸に込み上げる恥ずかしさのまま「さっさと放せ」と振り払うこともできたが、もう少し、きっと一時間も経たぬうちに、この温かで繊細な掌はどこまでも遠くへと行ってしまう。そんなことを一度でも考えてしまったが最後、指先から伝わる体温も、手を繋いでいるという気恥ずかしさも、喜びも、やっと得られた自由も、冷水を頭から被ったかのように冷え切ってしまうのだった。


(お前の隣にいる自由も、俺にあればいいのに)


どこまでも澄んだ青空と、遠く、遠くへと吹き抜けていく風のようなさくらを、誰でもない彼女によって鳥かごのような世界から救われたばかりの自分の小さな掌が繋ぎとめられるとは、聖司は思っていなかった。音楽を紡ぐことしかできない指先が大空に届くはずはなく、風を掴むこともできない。それは人間ならば誰しも同じということがせめてもの救いだった。自分以外の別の男性の腕に抱かれるさくらの姿を、ほんの少しでも考えたくなかった。さくらには誰もよりも自由であって欲しかった、そしてこれからもそうであって欲しいと願う。誰のものでもなく、世界にも縛られない、自由を謳歌するさくらそのものに、聖司は心奪われたのだから。


(それでも)


相反する願いに自分でも戸惑いながら、どうか傍にいて欲しいと、傍にいたいと、禁忌にも似た願いを指先に込めた。わずか数ミリでも近づいた距離と震える指先に気づき、さくらは聖司へと顔を向ける。


「聖司さん」


具合でも悪いと思ったのだろうか、戸惑いがちに揺れた声が名前を呼ぶ、たったそれだけのことではあったが、聖司の心を揺さ振るには充分だった。そのままぐいと手を引き、力一杯にさくらの体を抱き締める。


「痛い、痛いですって、ほら」


聖司の心の内などお見通しなのだろうか、どうか彼を少しでも傷つけることのないよう、さくらはおどけているようだった。人の心にお世辞にも機敏ではない聖司も、今だけはその優しさを嫌でも理解することができた。同時に、どうすることもできない切なさと愛しさに胸が焼け焦がれそうで、腕の中で慌てるさくらなど意に介さず、ありったけの力を込めてさくらとの距離を零にするばかりであった。


「頼む」


さくらの耳元で、澄んだ声が苦しそうに震える。


「頼む、俺も、連れて行ってくれ」


聖司は腕の力を弛め、驚きの色で揺れるさくらの瞳を真正面から見つめた。愛する女性の瞳に映り込む自分の姿はなんと頼りないのだろう、聖司の心のどこか冷静な部分が小さく呟く。それはまるで、彼女の隣に立つには相応しくないのだと真正面から突きつけられるようで、どうか、どうか逃すまいと、聖司はもう一度さくらの体を両腕に抱いた。


「泥棒も、覚えるから。だから、お別れだなんて、言わないでくれ」


腕の中のさくらが一瞬だけ震えるのを聖司は感じていた。そして、さくらの両腕が同じように聖司の背中に回される寸での所でむなしく下ろされるのも、さくらが苦しみを呼吸と共に飲み込んだことも、感じていた。世界が一瞬だけ、止まったような気がした。


「何、を、言ってるんですか、聖司さんは、これからが大事なんですよ。私のような泥棒と、一緒になっちゃあ、いけないよ」


さくらの掌が幼子をあやすようにゆっくり、ゆっくりと背中を撫でる。聖司は応えない。ただ、この温もりを、匂いを、さくらの全てを一生忘れまいと、記憶に焼き付けようと、体全体で覚えていようと、ただただ抱き締めるばかりだった。


「あ、でもね!何か困ったことがあれば私に言って下さいよ。私、地球の裏っ側からでもすぐに飛んでくるからね!」


弾かれたように顔を上げた時には、さくらは普段のさくらに戻っていた。明るく声を張り上げ、無邪気に微笑んで聖司の瞳を覗き込むさくらに、もう迷いは見られない。


(ああ、ああ、どこまでもお優しい奴だ)


上手く、笑えるだろうか。笑えているだろうか。それはさくらにしかわからないことではあったが、さくらは再びにこやかに微笑み、ゆっくりと聖司の頬を撫でて応えた。そう、これでいい。これでいいのだ。互いの想いが一瞬でも触れ合った輝きは、これからもずっと聖司の未来を照らしていくだろう。


(あの時、背中に腕を回そうとしてくれた。それだけで俺は生きていける)


どうか、さくらもそうでありますように。これから一生、心一つを盗み続けたまま世界を飛び回るであろう大泥棒の頬に、聖司は餞別の口付けを一つ、落とした。

20100916

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