ぱたぱたと忙しなく室内を走る足音に眉を顰め、成歩堂はソファーにごろりと横になっていた体を起こした。彼の娘と弁護担当の職員は事務所を空けており、本日の夕飯はなんでも係である小夜子が担当している筈なのだが、それにしては食事の準備と関係があるとは言い難い──大きめの鞄に下着や洋服を詰め込むなど──おかしな行動をとっていた。


「ねえ、何してるの?…今日の夕飯はどうしたのかな」

「ああ、それならご安心を。定食屋さんにカツ丼を頼んでおきましたから」

「え!」


少しの動揺も見せずにさらりと答えた小夜子へ、成歩堂は抗議の声を発する。今日は久し振りに二人きりの時間を、小夜子の手料理を楽しみつつ過ごす約束であったのに、話が全く違うではないか。それにカツ丼は一昨日も食べている。成歩堂は不機嫌の色を露わにした。


「もう、怒らないで下さいよ。冥さんがアメリカから来られるそうなので、お迎えに行ってくるだけですから」

「その割には大荷物だね。泊まり?」

「た、たまには女同士でゆっくり過ごしましょうって、冥さんが…」

「…ふうん」


小夜子には随分と前から世話になっており、それは成歩堂の娘が小学校高学年の頃まで遡る。娘の友人の姉であった小夜子は、成歩堂が極秘任務のため事務所を空けなければならない時など、住み込みで娘の世話や身の回りのことを片付けてくれていた。娘も小夜子を姉のように慕い、小夜子が成歩堂なんでも事務所へ正式に就職してからも、その関係は続いている。

家庭円満に大きく貢献してくれた小夜子に安月給しか与えられない分、出来る限りの範囲で彼女の希望に応えようと常日頃から思っていたが、まさかこのタイミングでやってくるとは思わなかった。二人きりでなければ話せない沢山のことを伝えたかったし、知りたいこともあった。何処か行きたい場所や、美味しいレストランのことや、自分が彼女をどう想っているかなど。しかし。成歩堂は小さく溜め息をつく。今日はたまたま日が悪かっただけだ。時間は自分で作るもの。次はきちんと彼女を誘っておこう。二人きりで、ゆっくりと過ごせる場所──つまり事務所しかないのだが。


「あ、あの、行ってはダメですか」

「ううん、まさか。気をつけて行っておいで。僕、待ってるからさ」


ぱあと輝かんばかりの笑顔を咲かせる小夜子に、成歩堂は苦笑いで応える。こんなに愛らしい笑顔、たとえ相手が女性であっても見せたくないと告げたら、彼女はどんな顔をするのだろう。

少し前ならば、毎日が不安と焦燥に苛まれていた、去勢を張ってばかりいたあの頃の自分ならば、さらりと微笑んで額に一つの口付けも贈れそうな、それすらもいたずらだと笑い飛ばせそうなものを、今やすっかり臆病者になってしまった。特に何ということもなかった、しかし失って初めて大切さを痛感した様々なものを、再び失うのを恐れている。まるで親が幼子にするように彼女の頭を優しく撫でる、それしか出来なかった。

20090223
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