風が寒く感じるようになった季節は、どうしても人肌が恋しくなる。それは歳をとっても変わることは無いようで。

「坊はいつまでも坊ですなぁ」
「坊と呼ぶでない。信玄と呼べと言っておろう」
「ほっほっほ。一国をお治めになる信玄公なれば、このような老いぼれに甘えたりはされぬよ」

背中合わせに体重をかける信玄に笑いながら苦言を呈する。信玄はそんな言葉聞こえていないように、ぐいぐいともたれかかる。体のデカイ男が、同じく体のデカイ男に甘える様子は何とも様にならない。だが信玄の顔は至極満足そうだ。
なまえという男は、昔から体がデカク忍びには向かないと、物心ついた頃から師に言われ周囲に言われ続けてきた。忍びの里に生まれながら忍びを目指すなとはどういうことだろう。だが、忍びという立場に誇りすら持っていたなまえに忍びにならないという選択肢はなかった。
そのため人一倍努力した。
まず体力・持久力は里一番となった。
次に気配を消すことに関して右に出るものがいなくなった。
次に忍具の使い方が師を越えた。
最後に一番最初に綺麗に人を始末した。

「人肌が恋しくなる季節じゃ」

背中にすり寄ってくる主に苦笑しか出てこないが、それも嫌ではない。
忍びとして里一番の価値を持つようになり、今の主、当時はまだ太郎と呼ばれていた。自分よりも年下の主に思わず目を見開いた思い出もまた、愛しき過去の日々である。
自覚しているが、少し甘やかしすぎたかと自分に忠告したいくらいだった。弟のような存在にどうしていいか分からず、ただ可愛く愛しく、甘やかした記憶はそう昔ではない。そのためか、立派に元服し、国を治め、甲斐の虎と呼ばれるようになった今でも、なまえにだけ昔と変わらず甘えてくる。
もうそろそろ甲斐にも雪がちらつき始める。年々その寒さが骨にまで軋むように響く。その度に己の歳を感じずにはいられない。昔は大雪の中、信玄からの任務をこなしていたと言うのに。

「坊に仕えて、もう何十年になるのでしょうねぇ・・・」

ぽつりと何となしに零したその言葉に、大した意味などあるはずが無かった。ただその言葉のどこかに含まれる侘しさを感じた信玄が言葉を紡ぐ。それはどこか虚勢のようでもあったが、確信めいた不安定でもあった。

「なまえとわしは、まだまだこれからだ。付き合ってもらうぞ?」
「ほっほっほ。年寄り相手にそんな無理難題、いい加減に無理ですじゃ」

信玄の言葉に苦笑するしか出来ない。本当に、もういい加減歳なんだと思い知らされる。前線からは退いているものの、まだ現役、信玄付の忍びであり、諜報などの任務には当たっている。だが、それももう限界に来てしまっているようだった。佐助からも体を労わってか、もう引退した方がいいじゃない?とまで言われてしまっていた。佐助にしれみれば、大好きで尊敬しているなまえのことを心配して提案したまでだ。
死んでほしくない。
もう里にでも帰って、のんびりしていてほしいと思っている。
佐助の気持ちをなまえがどこまで把握しているのかは定かではないが、己の引き際に関して、佐助と同じ心持ちでいたのは本当だ。引退。今の自分一人だけで信玄を奇襲から守れるだろうか。若い間者相手に、しっかりとした立ち振舞いを演じられるだろうか。そんなことばかり、頭の中をずっと通り過ぎていく。


数枚残った楓にふわりと初雪が舞い降りた。