ぐちゃ

ぴちゃ

耳に響くのは嫌な音。
鼻を劈くのは鉄臭さ。
床に赤い水溜りを作り、そこに浸るように横たわる人影。その人影に寄り添うように見える何か。元々薄暗い部屋の中、その何かは物陰に隠れよく見えない。
断続的に聞こえるぴちゃっと雫が落ちる音。
ぶちっと何かを引きちぎる音。
ぐちゃっと何かにかぶりつく音。
音が聞こえるたびにむせ返るように強くなる鉄臭さ。

「もったいないよな」

何かがそう呟く。歪な形をした窓から入ってくる普遍的な月の光に、照らされて見えてくるその光景。横たわる人影に寄り添うは人だった。
横たわる人の腕を持ち上げ、滴り落ちようとしている血液を丹念に舐め取る。指先から地面へ落ちようとする血液を逃さぬよう舌を這わせ、傷口へと至る。
大々的に開けられた傷口は、筋肉ではなく既に骨が見えている。腕だけではなく、腹部にも似たような穴を見受ける。腹部の穴からは腸だろうか。長細いものが出て床へと伸びている。他にも臓器らしきものが飛び散っている。
貪り尽くすように一心不乱に「食材」を食べる人というのは些か狂気を感じずにはいられない。だが、この部屋にとってこれは日常であり、部屋の主の意思はここにはない。このまま食い尽くされるのかと思ったが、不意に部屋の壁がノックされた。

「時間だろーが。つか食いすぎだろ!あとつくしくねぇ!もっと食うなら食うでつくしく食えよ!」

扉が開き、逆光の中こちらを向いている人影があった。癖のある言い回しをするその人影は部屋の惨状を見て眉を潜める。声をかけられた人影の方は食べるのを一端止め、部屋をぐるりと見回す。

「悪ぃ、美味すぎて」 「ったく、てめぇはいつもそうだよな」

はやく出てこいよとだけ声を掛け踵を返す。
残された人影は食材に向き直り額にキスを落とした。痛みも何もない、表情のない顔を血まみれの手で包み、酷く愛おしそうに見つめる。
少し顔色が悪いか、血を流しすぎたようだ。
そんな反省をするが、大した反省でもあるまい。
頬を撫でると青白い肌に真っ赤な線が引かれた。そのコントラストは暗がりの中でも酷く色鮮やかで。薄く開かれた肉の薄い唇に噛み付いた。
意識がない状態でのキスは物足りなく、舌を弄ぼうにも反応がない。ただその唇の甘さを堪能して、ゆっくり、名残惜しく思いながら離れる。
二人の唾液ではなく、一人の唾液が、銀色に反射し、橋をかける。
そろそろ出ないとローテーション通りに自分の回が回ってこないかもしれない。

「独り占め出来たら最高なんだけどなぁ」

それは皆が思うこと。
本心。
欲望。
忠実に。
ただ本能が求めるままに食い散らかしたい。

「てめぇがんなことしたら死んじまうっつーの!考えりゃ分かんだろうが!」

外から怒声が飛んできた。ついでに壁を蹴ったのだろう。嫌な反響音がしている。聞こえていたようだ。

「いいから早く出ろ!」
「分かったって」

赤い水溜りから立ち上がり、ぴちゃぴちゃと音をさせて出口へ歩いていく。廊下の光が少し眩しい。綺麗な青い髪は血が着きお世辞にも綺麗だとはいえなかった。自前であろう服も、元の色が分からない。

「ったく、もうちっとつくしく食えよな!」

部屋の中を見ながら外で待っていた虹色の髪を持つ青年が叱るが、どこ吹く風だった。
いくら食べても満足することがない。
それゆえに毎度のことながら理性でブレーキが出来なくなる。そしてその度に怒られてしまう。学習をしないと言われれば青い髪の毛の青年は、仕方がないと人懐っこい笑顔で答えるのだろう。

「やっぱり、なまえは最高だな」

悪意など全く無い。



食い散らかされた部屋で横たわっていた人の指がかすかに動いた。
瞼がふるりと揺れた。
体中がメキメキと音を立て始めた。
薄く開いていた唇から、もれる息は、音を紡ぎ、やがて声を成す。

「ぁー…おわった、のか…」 影で見えないが喉に噛み千切られた痕があった。空気の漏れる嫌な音がしばらく部屋に充満していた。