ぱち ぱち ぱちぱち ぱち

不規則な音が響く部屋でヘルガーは主人の足元で伏せて大人しくしていた。

ぱちぱち ぱち ぱち ぱちぱち ぱち

その音にあわせてヘルガーの耳も微かに動く。起きている証拠だ。尻尾を主人の足に絡ませるように置いて、ただ静かにその音を聴いていた。
ヘルガーは構ってもらえないこの時間がさほど嫌ではなかった。主人には主人のやるべきことがある。ヘルガーはそれを理解していた。そして主人は溜まりに溜め込んだ仕事をこなさなければならなかった。ここ数日間、主人は机に向かい一心不乱に仕事に打ち込んでいた。全ては自業自得なのだから、ヘルガーは同情も何も沸かなかった。主人は、血も涙もないやつめっ!、と言ったが、仕方ないとヘルガーはただそう思った。これで何度目なのだろう。主人に見えないところでため息をついたのは、もう何度目だろう。
だが前述したように、ヘルガーはこの時間が嫌いではない。むしろ、誰にも邪魔されない二人だけの時間が少しだけお気に入りだった。デルビルの時は構ってもらえず、困らせたこともあった。ただ自分を見てほしくて、一緒に過ごしているんだということを実感したかったのだ。甘えん坊さんめ、とデロデロに甘やかすような笑顔で、デロデロに甘やかしてくれた。ただ、成長していくにつれて、周りをみることも出来るようになった。

子どもから大人へ。
それだけの変化だった。

ヘルガーに進化してからは、構って構ってということもなくなった。その代わり、そっと側に寄り添うようになった。初めて寄り添ったときの主人の顔は忘れられないとヘルガーは思っている。デロデロに甘やかすようなあの笑顔ではなく、優しい、胸がドキリとするような、そんな笑顔だった。
伏せていた顔を少し上げ、主人を仰ぎ見る。いつもかけない眼鏡をかけて真剣な表情をしている。かっこいい、とヘルガーでも思う。いつもそうしていればいいのに、と思う反面、他の人が放っておかないイコール自分が置いてけぼりになる、という方程式を即座に作成してしまった。ヘルガーはブルブルと首を振って考えを飛ばそうとした。
「どうした?」


あ、じゃましちゃった…

ヘルガーが首を振った時に耳が足に当たったようだ。主人の問いかけに、何でもない、という意味をこめてまた首を振る。通じたように、そうか、と笑い、もう少しだから待っててな、とヘルガーの頭を優しく撫でた。撫でられる手の大きさに、暖かさに目を閉じ甘受する。
離れていく温度に閉じていた目を開け、主人を見つめる。にっこりと笑い、また机に向かう。そしてまた聞こえてくる不規則だけど、どこか規則的な音。
「がう」
昔のように甘やかされるような時間ではないが、漂う甘さにヘルガーは一声鳴いた。
大人になったヘルガーにとってこの時間が、子どもの時のデルビルにとってのあの時間であることに変わりはないのだ。