風が気持ちよかった。
空は雲ひとつない青空、快晴。
寒くもなく暑くもない。すごしやすい季節。

「お前はいつ来てもまんまるだねぇ、にゃんこや?」
「うるさい。何度言ってもお前は覚えないな、物覚えの悪いやつめ」
「にゃんこに言われてもなぁ」

縁側に腰掛け、隣で丸まっている招き猫に声をかける。彼が名の知れた妖であることは知っている。だが、別にそんなことどうでもいい。この招き猫がからかえればそれでいい。
懐から小さい小瓶を取り出す。それを視界に捉えた招き猫がぴょこんと面白いくらいに反応する。

「いらないのかい?せっかく持ってきたというのに」
「おぉ!飲む、飲むぞ!」
「にゃんこにやると一言も言っていないんだがなぁ」

どうやら招き猫の中でこの小瓶は最早自分のものらしい。
夏目殿に少しばかりあげようと思っていたのだが、この調子では全て飲み干されてしまいそうだ。勿体無い。

「何が悲しくてにゃんこにこちの甘露をやらねばならぬのか」
「うるさいぞ!早く開けんか!」
「はぁ…悲しいなぁ」

小瓶の蓋を開けて、てのひらに少し中身を注ぐ。
淡い黄金色をした粘度のある蜜。天よりいずる甘く、何よりも美味とされし蜜。
これを得られるのは、こちだけ。それは古来より、ずっと続くこちの務め。いや、こちの罪の在り処。
ほら、と手を差し出すまでもなく招き猫は短い短い前足で手を掴み、一心不乱に甘露に舌鼓を打っていた。早い。

「そちはもう少し情緒というものがないのかぇ」

気持ちのいい季節。気持ちのいい天気。あたりは緑に囲まれ、心がとても和ぐというのに。
隣でぴちゃぴちゃ音を立てられては気持ちのいいものも気持ちがよくならない。だが、そんな憂いもすぐに消える。飲み干しやがったこの招き猫。

「もう一杯じゃ!」
「どうして全部をそちにやらんといかん。夏目殿は?」

辺りを見回してみるが、それらしき気配はない。外出しているのだろうか。

「にゃ、夏目にお前の甘露をやるというのか…!勿体無いことをするな!全部私が飲む!」
「や、こ、うわ……っ」

蓋を開けたままの小瓶に飛び掛ってくる馬鹿な招き猫のせいで、甘露は零れ、後頭部を床に強打した。痛い。地味に痛いとかいうレベルを超えた。痛い。悶絶ものだ。

「てめぇ斑ぁ!」

口調が変わってしまったが許されてしかるべきだ。だって痛かった。


「あ"?」

何事もなかったかのようにすまし、顔を舐めてきた。顔に触れてみると、成る程、甘露が顔にかかったらしい。

嗚呼、得物を捉える感覚に似ていたのかい、斑。
べろっと先ほど手を舐めていた感覚よりももっと生々しい感覚へと変化する。大きな舌で舐められ正直気持ち悪い。

「斑、斑……!」
「何だ?」

近いまま会話をするせいで吐息が直接肌にかかる。斑の、甘露を口にしたことによる、熱の篭った吐息が……
何も言わないこちに何も思わないようで、また顔に舌を差し伸べる。




「やめろ!くさい!」

「はっ!?」


言われた一言で斑の姿はにゃんこに戻った。

「そち、猫だ妖だと言っているが、そういうデリケートなところはちゃんと気をつけるべきなのではあるまい?!」
「うるさいわ!大体動物の口が臭うのは当たり前だろう!」
「にゃんこ、そち、今己が動物であると言ったな」
「ち、違うぞ!!!それは言葉のあやだ!」

「あれ、名前さん。来ていたんですか」


わいわいと招き猫と夏目と騒いでいる横で、小瓶に残っていた甘露が少し零れていた。