二人っきりの家はそんなに広くなくて、心地よかった。そう、二人で丁度いいのだ。一人では広すぎて困ってしまう。
胸のあたりがきゅうと締まるのだ。少し息が細くなって、少し体温が下がる。
一人ではどしようもないのだ。だから、一人じゃなくなるまでじっと我慢する。父親のベッドの上で膝を抱えて、顔をうずめる。眠ってはいけない。こういう時に眠ると必ず怖い夢を見てしまうからだ。ただじっと待つ。よい子の約束だ。

「ただいまー」
「、おかえり!」

ガチャっという音とともに聞こえてくる待ちわびた声に幼い足音が駆け寄る。ボスっと衝撃が走るが、四十路を迎えた成人男性にとって小学生のタックルなんて受け止めるのは容易い。まして我が子ならば嬉しいに決まっている。
帰宅が遅れたことを詫びると、佐助は首をぶんぶんと振り、とろけるような笑顔を父親に向ける。

「大丈夫!俺様ちゃんと留守番出来たよ!」
「そっかー、ありがとなー」

まだ抱き付いている佐助の頭を撫でながら礼を言う。
父親の手を引いてリビングへ行こうとする佐助はまだ小学5年生だった。


夫婦の間に亀裂が走ったのは母親の方だった。夫のことが愛せなくなっていた。慈しみという意味での愛はある。お腹を痛めて産んだ我が子はもちろん可愛い。だが、そこにほんの僅かな綻びが出来上がった。それだけのことだった。家族から離れていくのに時間はかかったが、結果的には時間がかかろうがかかるまいが同じであった。綺麗になったのは父親が三十路手前、佐助がまだ言葉を話し出す前のことである。

それ以来男手ひとつで育ててきた佐助は聞き分けのいい、父親が大好きな子供へとすくすく育っていった。父親の負担を少しでも減らそうと家事を率先してやるようになり、今では主婦も顔負けだと親ばか丸出しだ。


佐助は父親のことが大好きな少年だった。
記憶にさえいない母親のことを恋しく思ったこともあるが、父親がいるので対して気にしたことはない。周りの子どもに母親がいないということを揶揄られたりしたが、そんなことよりも父親が誇らしかったのだ。自分の父親が一番だった。父親のところに自分を産んでくれた顔も知らない母親に感謝する。

母親の分まで俺様が父さん愛してあげるから。

普通に聞けばヤンデレのような台詞も、小学生の純粋な思いだ。父親が寂しくないように、いつだってちゃと自分がいるんだって。
もう一度いう。佐助は父親が大好きな少年だった。




その話題が出たのは季節柄なのだろう、と佐助はお箸で白米を食べながら思う。
夕食の席で父親が「佐助は何かほしいものないか?」と聞いてきたのだ。日付は12月24日。俗にいうクリスマス・イブだった。
今までうちにサンタが来たことはなかったし、父親がいれば基本的な欲求は解消されるので特に何かをねだることもほしいものもなかった。
流石にこの年になるまで何も言ってこないのは子どもとしてどうなんだろう、と焦った父親の本音だ。何か言ってくれればもう多分サンタクロースは信じていないだろうから父親からのプレゼントとして贈るつもりだ。

「んー…何か言わないと駄目な感じ?」
「え?あ、いや、無理にとは言わないが……何もないのか?」
「……ねぇ、何でもいいの?」
「おう!なんでもこい!」

「じゃ…」



佐助の「ほしいもの」はとてもいじらしいものだった。

「佐助、本当にこれでいいのか?」
「うん、これがいい」


「父さんと一緒に寝たい」
二人だと少し狭いベッドにもぐりこみ父親の胸元に嬉しそうに顔を寄せる。
佐助の頭を撫でながら遠慮しているのでは、と頭を悩ます。ゲームやカバン等々、強請ったっていいのだ。子どもに不自由はさせたくない。稼ぎもないわけではないし、多少の贅沢したって問題はない。
もう一度しつこいと怒られるかもしれないが、聞こうとして止めた。
小さい規則的な寝が聞こえてくる。本格的に眠ってしまったようだ。

「まったくこの子は。おやすみ」







というやりとりをしたのがもう6年前になる。時間の流れは遅いようで早かったようだ。佐助もすっかり高校2年生。大きくなったなぁとしみじみする。大きくなってもクリスマス・イブになると佐助のためだけのプレゼントが未だ続いていた。ベッドも前よりも狭くなり、ちゃんと眠れているのか心配だ。
だが、佐助はやめようとしなかった。父親としてはどれだけ大きくなっても可愛い佐助の、唯一と言ってもいいくらいのわがままだった。叶えないわけにはいかない。
佐助のこのわがままは、クリスマス・イブの夜だけだ。それ以外の日は別々に眠る。クリスマスという特別な日だから、と少し恥ずかしそうに理由を話していた。
今年もクリスマス・イブの夜、佐助は父親のベッドで眠りにつこうとしていた。

「佐助、狭くないか?」
「んー大丈夫ー」

大きくなった佐助と二人で寝るため、必然的に密着する形になる。高校生になってもクリスマス・イブを父親と過ごしてくれる優しい息子。いい息子を持ったものだ、としみじみする反面、少し気になっていたことをぽつりとこぼす。

「佐助には恋人はいないのか?」
「は?」
「いや、クリスマスって言えば日本じゃ恋人同士のイベントだろ?父さんと過ごしてくれるのは嬉しいんだが、あんま気を使うなよ?」
「居ないし、興味ないし、いらない」
「お?何だー、照れてるのかー?」
「違うし!あーもう!寝るよ!はい!寝る!明日も仕事早いんだろ!」

小さい頃みたいに父親の胸元に顔を寄せる。そうすることで会話を終わらせた。
頭から父親のクスクス笑う声が聞こえる。声は好きだが、笑ってる内容が内容だけに少しすねる。軽くボディーブローを決めた。
しばらくすると父親から寝息が聞こえ始める。それを聞いてから、佐助はもぞもぞと動き出す。
上半身を軽く起こして、眠っている父親の顔を見る。

子どもの頃よりも老けた顔。皺が増えた。そっと手を伸ばし触れる。暖かいが、昔よりかは体温が下がっただろうか。
時間の流れを感じさせた。少しだけ悲しくなった。どれだけ時間が流れてもきっと自分の願いは叶わないのだろうと佐助は自嘲する。
いつからかは分からないが、昔から持ってた感情が少しベクトルを変えただけのように思う。
佐助は父親が大好きな少年だった。家族愛から、恋愛感情へと。ベクトルは向きを変えただけだが、その向きが別物になってしまっている。
父親はこんな自分のこと、きっと気付かない。気付かせるつもりもないが。

「俺様はさ、父さんさえいてくれれば、それでいいのに…」

唇に落としたい思いをこらえて、瞼にキスをした。
布団をかぶりなおし、胸元に頭をグリグリを押し付ける。背中に手を回しぎゅっと抱きしめる。
寒いんだ、父さん。

最愛の人の温もりを感じながら自分も意識をおぼろげにさせていく。
嗚呼、夜なんて明けなければいいのに。