輝けるみち






アイリーン・バイオレットと私はその素っ気無い声明文と、その向こうにいる残念そうな男の顔を比べ見た。私達の思考回路は緊急停止した。
事件があまりにもおかしかったからである。
アイリーンは堪えきれず、大きく笑い崩れてしまった。
「どこが、何が面白いんですか!」と依頼者は叫んだ。赤い髪の生え際まで紅潮していた。
「わしを笑うしか能がないなら、どこかよそへ行きますぞ。」
自分より人生経験の無さそうな小娘にバカにされたのだら無理も無い。
「いや、いや。」アイリーンは半ば腰を浮かした依頼者を制し、椅子に押し戻した。
「こんな事件を、みすみす世間の奴らに放っておけますか。すがすがしいくらいに特異な事件です。しかし失礼しますが、幾分、愉快な点があるのも確かです。願わくは、扉にあったカードを発見して、あなたはどう行動されたのかお聞かせ願えないでしょうか。」
「そりゃあアイリーンさん、仰天しましたよ。何をしていいやらわかりませんでした。とりあえず同じ建物の事務所という事務所を尋ね回ったんですがね、どうも誰も知らんようなのです。最後に一階にすんでいる管理人の所へ行きました。その人は会計士なんですけどね、赤毛連盟はどうなったんだ、て聞いてもそんな団体、聞いたこともないって言うんですよ。じゃあ、ペーター・レッドメインって男は知ってるか、と聞いたら、そんな名前、初耳だ、って答えたんです。ですからね、『そんなことないだろう、ほら、四号室の紳士だよ。』って言ったんです。
『え、赤毛の方ですか?』
『そうそう。』
 すると、管理人はうーん、とうなるんですよ。『その紳士の名前はウィル・モーリスといいまして、事務弁護士なんですよ。あの部屋は、新しい部屋を借りるまでの仮事務所なんです。つい先日引っ越しましたね。』
『どこに行けば、彼に会えるんですかね?』
『なら、新しい事務所に行くといい。住所は聞いていますから。……ええと、ティーチ街ですから、ポーラ大聖堂の近くですね。』
 わしは向かいましたよ、アイリーンさん。でも、その住所には膝当ての製造工場があるだけで、ウィル・モーリスもペーター・レッドメインも、誰一人として知っちゃいませんでした。」
「それからどうなさいましたか?」とアイリーンは先を促した。
「クローバー・スクエアの家へ帰りました。うちのあれに相談してみたんですけどね、手の打ちようがないって。ただ、待っていれば手紙でも届きますよ、旦那、ってそれだけ言うんです。でもね、わしは……心の収まりがつかんのですよ、アイリーンさん。こんな……仕事がふいになろうっていうときに、手をこまねいてなんかおられんのです。だから……だからですよ、あんたが困った人の相談にちゃんと乗ってくれる、ちゃんと手助けしてくれる、っていう人だと聞いていたからですね、わしは一目散にやってきたわけなんですよ。」
「ウン……たいへん賢明です。」
アイリーンはワシントン氏にそう答えた。
「あなたの事件は、常識の域を超えた事件だ。喜んで調査しましょう。話から察するに、見かけによらず、たいへん由々しき問題となりそうです。」
チャールズ・ワシントン氏は熱くなり、「ゆゆしき…ああもちろん!わしの、わしの大事な四ポンドが!」
アイリーンはワシントン氏の態度にたいして、こう意見した。
「あなた個人として、その異常な連盟に不満を抱くというのは、筋違いというものです。私なら逆に、ざっと三十ポンドは得をした。Aの項、全ての記事を詳細な知識として手に入れただけでも充分なのに、と、そう理解しますね。連盟からは、失ったものより得たものの方が多いはずです。」「そうかもしれませんが、アイリーンさん。わしはやつらを見つけだしたいんですよ。何者で、どうしてわしにあんないたずらを……もし、もしいたずらとしたらですよ、その目的が知りたいんです。まぁ、いたずらにしちゃあ金を使いすぎですがね。わしに三十二ポンドも使ってるんですから。」
「そういう点は、骨折って明らかにして差し上げます。しかしその前にワシントンさん、2つ3つお尋ねしたいことがあります。最初に広告を見せに来た、その店員、いつ頃から働いていますか?」
「その一ヶ月くらい前ですな。」
「して、どのように?」
「求人広告を出したら、やって来たんです。」
「来たのは彼一人?」
「いいや、十二人くらいおりました。」
「ではなぜ彼を?」
「使えそうで、それに給料は安くても構わないって言ったもんですから。」
「つまり、半額と。」
「ええ。」
「クリス・ウィドーソンの身体的特徴は?」
「小柄ですが、身体は頑丈で、機敏で、三十は越しているのにヒゲもありません。額に、酸で火傷
した白い痣みたいなのがあります。」
アイリーンは椅子から身を乗り出した。どうやら心が高揚しているようだ。
「フフン、そんなことだろうと思った。」
アイリーンはそのままワシントン氏に尋ねた。「その男の両耳、イヤリングの穴があることに気が付きませんでしたか?」
「ええ、ありましたとも。あれは言うには、若い頃、ロマにあけてもらったとか。」
「ははーん!」とアイリーンはおちゃらけて言い、再び物思いに沈むのであった。
「その人はまだ店にいますね。」
「あなたの留守中も、仕事に精を出しているのですか?」
「はい、文句の付けようもないほどに。それに、朝はすることなんてありゃしませんし。」
「よくわかりました。ワシントンさん、一両日中には意見をお知らせしましょう。今日は土曜日、ですから月曜までには解決できることと思います。」
こうして、私達は依頼主と別れた。
「さて、ワトソンくん。」アイリーンは私に話しかけてきた。
「今の…君はどう思う?」
「さっぱりだわ…」私は率直に答えた。
「とても…謎めいた仕事で、何が目的なのかがサッパリ…」
「概して、」とアイリーンは切り出す。
「奇妙な事件ほど、解ける謎は多い。どこにでもあるような特徴のない犯罪が、本当に我々を悩ませる。それはまさしく、ありふれた顔が見分けにくいのと同じだ。しかし、この事件に関しては迅速に動かなきゃならない。」
「これから、どうするの?」と私が尋ねると、アイリーンはこう答えた。
「う〜〜ん……」
アイリーンは椅子に座ったまま身体を丸めた。足を抱え込み、やせたひざを形の良い鼻の近くに持ってくる。目をつむって座る。
「チョコでも食べようかな〜…」とアイリーンがぼやいたので、私は紙袋の中にあった舐めただけで虫歯になりそうなそれをアイリーンの頬っぺたに押し付けた。アイリーンは突然、椅子から飛び起きた。どうやら結論が出たようで、目がビカビカと光り、頬っぺたについたチョコレートもテカテカと光っていた。

「今日の午後、モーリス・ホールでサラサーテの演奏がある。」と、チョコを拭いつつアイリーンは言い出した。
「どうかな、ワトソンくん。2、3時間程時間を作ってくれるかな?くれるよね、くれるな。」
「ええ、ええ!勿論です!」
押され気味に頼まれたので少々たじろいだが、サラサーテの曲は好きだったので特に考えもせずに頷いた。
「帽子を被った方がいいかもね。君は帽子がにあうし。中心区を通っていくつもりでいるから、途中で食事でも摂ろう。
見た感じ、この演奏プログラムにはドイツの曲が多い。イタリアやフランスのものよりもドイツの方が私の性に合う。ドイツの曲は心の内に向かう。私も今、内に向かいたいんだ……さ、いこうか。」
私達は地下鉄でエルダーフラワー駅まで向かった。暫く歩くとコバルト・スクエアに着いた。
今朝、私達が聞いた奇妙な話しの現場である。
みすぼらしく、思わず息が詰まってしまうような、そんな街だった。
煤けた煉瓦造りの二階建てがいくつも建っており、その建物は小さな空き地の四方を取り囲んでいた。
空き地には柵が張り巡らされており、内部には雑草のような芝生としおれた月桂樹の茂みがあった。
この二種類の植物は煙や嫌な臭気に塗れた不快な空気の中、必死に生きようとしているようだった。角の家に行くと、三つの金メッキした球と、褐色の板に白で『チャールズ・ワシントン』と書かれた看板があった。
あの赤毛の依頼人が商売をしている店だ。アイリーンはその店先で足を止める。首を傾げ、店の全景を見据えた。
眉は寄せられ、目の奥が鈍い光を放っているように見えた。その後、街をゆっくり歩き始めた。
また私達が入ってきた角へ向かったと思うと、家々をジッと見つめながら引き返してくるのである。最後にはあの質屋にの店先に戻ってきた。
靴のヒールで歩道をコツコツ、と二、三回意味ありげに音をたててから、店の戸口に近寄っていった。ノックを三回。すぐに扉が開けられて、頭の良さそうな男性が出てきた。髭は生えておらず、あごはつるつるしていた。
男性はお入りください、と私達を招いた。「どうも。」とアイリーンはペコリとやや深めのお辞儀を入れてから、「道を聞きたいのだけど、ここからストレート通りへはどのように出たらよいのだろうか。」と聞いた。
「三つ目の角を右、四つ目の角を左だ。」店員は手短に答えると、扉を閉めた。
「頭の切れる男だな、アイツ。」
戸口を離れ、私達は立ち去ろうとしていた。アイリーンは話を続ける。
「私が見た感じ、奴は抜け目のなさで、デロニカでは四番目だ。大胆さにおいては三番目と言ってもいい。奴と多少の関わりがあってね。」
私は口を挟むことにした。
「…あのワシントンさんのとこの店員さん?赤毛連盟の謎に一枚噛んでいるに違いないわね!貴方があんな事を尋ねたのは、あの人の顔を見たかったからでしょう!」
「え?ああ、顔なんてそんな気にはしなかったな。アゴがツルツルってだけで。そこは問題じゃあない」と、おちゃらけて答えられた。
「むっ。じゃあ何のために?」
「ズボンの膝だよ。」
「へ?…ズボンの膝?…で、どうだったの??」
「フフン。予想通り。」
「まあ!何が何だかって感じだけれど…よかったわ!あ!そういえば、さっき歩道をコツコツやっていたわよね!あれは何だったのかしら!」
「いいかい、ワトソンくん。今は私の行動についての会話に花を咲かす時間じゃあないよ。観察の時間だ。私達は言うなれば敵地に乗り込んだスパイみたいなものだ。コバルト広場のことは大体分かった。さあ、この裏側の街を探索しよう。」
散々気になるような行動、言動をしてきたくせに、アイリーンは早々に話を切り上げてしまった。

コバルト広場を離れ、角を曲がるとすぐその通りはあった。コバルト広場と比べて、画の表裏ほどの差だった。
そこは、中心区の交通を北と西へ導く大動脈の一つである。車道には、行きと帰りの馬車が長い車の流れを作っていた。
歩道では、急ぐ歩行者の群が多く、真っ黒になっている。
信じがたいことだった。美しい店々や荘厳な事務所が一列に並んでおり、これが先ほどまでいた広場の背中合わせになっている。廃れ、活気のなかった広場の裏通りなのだ。
「まあ、なんてこと。表と裏でこんなに違うのね。」
「ああ。…さて。」アイリーンは街角に立ち、通りをざっと見渡した。
「ここら一帯の家々の位置を記憶しておきたい。趣味で、デロニカの正確な位置を頭に入れておきたい。ここはピーチバレー商店、煙草屋、新聞の小売店、シティ銀行コバルト支店、菜食料理店にマグノリア馬車製作会社の倉庫。で、ここから別の区画か。さて、ワトソンくん。私達の仕事は終わった。今度は気晴らしの時間だ。サンドウィッチとコーヒーで一息つこう。それとも、ミルクティーとシンプルなパンケーキでも食べに行くかい?」
「えっ!?もう終わったの!?きちんと説明して頂戴!」
「はは、怒る姿も可愛らしいね、ワトソンくん。さあ、ランチを食べ終えたら、ヴァイオリンの国に行こう。そこは甘美と絶妙と調和のみがあふれている。そこへ行けば、赤毛の依頼者に難題をふっかけられて煩うこともないだろ?」



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