晩夏




ぱち、ぱち、と時計の針が動く音が静かな部屋に響いている。布がぴんと張った黒いスーツを身にまとった女が、せわしなく腕の時計を確認していた。まるで待ち合わせに遅れている恋人を待つ女のようだ。
部屋の一番前にある机に前傾姿勢で寄り掛かり、中指の爪で机をリズム良く叩いている。「三組遅刻です」肺から思い切り吐き出すような声で女は言った。
壁沿いに立つ部下であろう男は、それを聞くなりとても居心地が悪そうに俯いている。

「本当に事件を解決する気があるのでしょうか」
機嫌の悪さを見せつけるように溜息を吐く女はねえ、と続ける。「ウィズリー刑事」。そう声をかけられれば、先ほどまで俯いていた男がそろりと顔を上げた。血が青いのではないかと思うほどに顔色が悪い。
「…トレイシー警部、お言葉ですが、探偵の性質上仕方のないことかと」
その言葉に肩眉を上げたトレイシーは机を叩く指先を止めてじろりとウィズリーを見た。「遅刻が仕方ないと?」それに叩かれる瞬間の子供のように怯えた顔をしたウィズリーが「すみません」と答えれば、トレイシーは興味なさげにウィズリーから目を離す。
安堵の息が部屋の隅から零れた音がした。


一連の会話を終えたウィズリーは部屋の出口を見つめた。風通しを良くするために開け放たれた扉の上のほうに、“conference room”と書かれた木製の看板が垂れ下がっている。そのままトレイシーの背後、壁に埋め込まれた黒板に視線を移した。黒板には写真が何枚も貼り付けてあり、どれも赤いペンで何かが書き込まれている。
そこから右へと視線を移す。部屋の真ん中から奥にかけては黒で統一された長机を中心に、一人用のレザーソファが沿って並べられている。三脚程空きがあるが、それ以外は殆どの人間が大人しく席についていた。ぱっと見ただけでもすぐに分かるほど年老いた老人も居れば、まだ10代に見えるような若者もいる。まさに“探偵は老若男女を問わない”といった様子だ。
ウィズリーは、そのままそこに大人しく座っている人間たちを人形を眺めるかのようにぼうっと眺めていたのだが、ふと左から五番目の男で目を止めた。静電気に指先を弾かれたかのような衝撃を受け、ウィズリーはそのまま数度瞬きをしたが、やがて思い出したように慌てて目を逸らした。ぱちんと衝撃を受けたのは、目が合ってしまったからだ。
初夏のウィローのような色をした瞳が伏せたまつ毛のすきまから覗いた時、ウィズリーは一瞬どきりとした。なにもかも見透かされてしまったような気がしたのだ。怖いもの見たさというか、びくびくしつつももう一度その男を見たが、もう男はこちらを見ていなかった。やけに高給取りのような質の良い服を着ている男だと思ったが、その服装の雰囲気に負けない綺麗な顔立ちをしている。柔らかそうなココアの色をした髪の毛が、白い肌によく映えた。その瞳がこちらを向く前に、逃げるようにウィズリーは視線を右へと進める。

次に目を止めたのは、若い見た目の少女だった。年相応の甘さを持ったワンピースを身に纏っている。緊張したように目線を下に向けているのを見て「あんな少女でも探偵をしなければならないなんて」と同情したウィズリーだったが、その少女の椅子の背もたれに手が添えられたのを見て、つられるように手を置いた人物を見た。少女の後ろに従者のように立っていた男だ。
男はとても目つきが悪かった。いや、目つきが悪いどころではない。何やらこちらを睨んでいるのだ。それに気づいたウィズリーはまた慌てて目を逸らす。目を逸らしても尚、先ほどまで向いていた方向から視線が刺さるのを感じた。…もう見ることはやめにしよう。
そうして視線が落ち着いたころ、ウィズリーはぼうっと壁掛け時計を眺めて時間が過ぎていくのを待った。


*



トレイシーがウィズリーと会話してから六分後、銀色の頭の女性と茶色の髪の女性がぱたぱたと部屋に駆け込んだ。
「名前を」
「アイリーンだ」
「私はリリー・ピーターソン、アイリーンのワトソンよ!」
アイリーンと名乗る女性の風貌は、探偵だというのが見て取れるような容姿をしている。いったいどんな生活をしているのかと疑うような体の線の細さ、所々切りっぱなしの髪の毛が目立つ頭。鋭く艶めく銀の髪はナイフのようだ。しかし容姿とは打って変わって表情は朗らかで、なにやらワトソンと名乗った少女に話しかけている。対してリリーと名乗るアイリーンのワトソンは、大人びた雰囲気のかわいらしい女性だ。良い家庭のお嬢さんといった様子だが、アイリーンに向ける笑顔は子供のように無邪気だ。春の日向のような温かい二人に対して温度は急降下し、冬の猛吹雪のようなトレイシーの声が尋ねる。
「六分遅刻です。理由を答えなさい」
「ああっ、ごめんなさい!アイリーンが来る途中の店で足を止めてしまって…」
「、ワトソンくん」
トレイシーに正に素直に正しく回答したリリーに、アイリーンは思わずといった様子でアイリーンを呼んだ。あら、言ってはいけなかったかしらと顔を見合わせた二人に、眉間のしわを深くしたトレイシーが手元のファイルに目線を落とした。
「…、席へ座りなさい」


それから八分後、ようやく最後の探偵たちが到着した。
どちらも黒髪の人物だった。秋のストールのような、柔らかそうな髪の青年。隣には冬の路面のような、艶やかな黒髪の女性。どちらもきれいな顔立ちで、会議室にいる一部は一瞬ちらりと顔を上げて見ていた。
「ハローズと、ベラ。間違いありませんね」
「ええ」
そう尋ねたトレイシーに女性の方が頷いた。
「十四分の遅刻です、いったいなにをしていたのですか」そう高圧的に尋ねたトレイシーに、今度は青年がぱっと表情を緩ませて口を開く。トレイシーに対し随分と対照的な表情だった。
「来る途中にね、カフェがあってね!ぼかぁ詳しいことはわからないけれど今日はドリンクが全部割引されていたんだ。だから君も行くといいよ!」
いままでずっとそれを眺めていたウィズリーは思わずぽかんと口を開ける。トレイシーは目を細めた。
「今は暖かい季節だからさ、ううんと、ミルクティーなんてどうだろう?ジジもミルクティーを頼んでいたよね」ジジ。そう話しかけられた女性は「はい、」と嬉しそうに頬を緩ませて返事をした。

先程まで張りつめていた空気は、この二人が来たことによりだんだんと緩み始める。トレイシーが席へ座るように促せば、まるでテーマパークの受付を済ませたカップルのように楽し気に二人が席に着くので、ウィズリーは探偵とは本当に理解しがたいものなのだと改めて思った。
席に着いた後ですら「あ、シャムシャムとおチビくんもいるんだねー」と最初に見た質のいい服の男と、その後ろに立つやわらかい色をした髪の毛の青年に話しかけていた。どちらもマイペースそうな青年と知り合いなのか、なにやら会話を楽しんでいる。
その姿を見ていたウィズリーは、何故かジジと呼ばれていた美人の女性に睨まれて今度こそ地面を見ることしかできなくなってしまったのだった。

緩んだ空気を引き結ぶように、トレイシーがファイルの背面を机にタン、タン、とぶつけた。みんなの視線を集めたトレイシーは、ふっと小さく息を吐いて背筋を伸ばす。そうして眼鏡のふちを一度持ち上げれば、目を細めて言った。
「予定通り、十六名揃いました。本日の遅刻者は六名。次は遅刻しない様に」
先ほどのファイルを捲りながら続ける。「皆様の手元にあるのは捜査資料です。全部で十五頁、足りないものはありますか?…ありませんね」
トレイシーが担当の会議はいつも迅速で良いと評判だが、ウィズリーにはペースが速かった。窓辺に置いてあった資料を手に取って慌てて数えていると、一枚紙を落としてしまう。怒られるかと怯えてトレイシーを見たウィズリーだったが、トレイシーはファイルを見ていて気付いていない。良かった、と資料を拾おうと目線を戻せば、柔らかそうな髪色をした青年が拾ってくれたみたいだ。細くてきれいな指先が、こちらに一枚の紙を差し出している。
「どうぞ」
優しい青年だ。陽の光に照らされたコットンフラワーのような、柔らかい声をしていた。小声で「あ、ありがとうございます」と告げたウィズリーに微笑みを返した青年はそのまま探偵の椅子の後ろへと戻っていく。


それは秋に入る前の、まだぬるい夏のことだ。それぞれ半分ずつ開かれた窓の向こうでは、これから起こる出来事を知りもしないような純粋な青が広がっている。街はいつも通り賑わっているし、時折子供がはしゃぐ声すら耳に届く。この会議室だけが、世界から切り離されてしまったかのように静かだった。
窓から入ってきた羽虫が天井近くを羽ばたく。「あ」黒髪の青年がそれを見つめるように顔を上げて、「きゃあ」と、茶髪の少女は目を背けるように下を向いた。


「…それでは、只今よりカメリア対策会議を始めます。」



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