「もうムリだよ・・・」

 涙をこらえ、痛い指を必死に動かす。
 真っ黒な手を洗う暇すら惜しくて、朝からほとんど食事もとらず机に向かっていた。


 気がつけば運命の日まで残り三日。

 もちろん勉強はしてきたけれど、その日が近づけば近づくほど頭がごちゃごちゃとして、わかっていたはずのことがわからなくなってきた。

 もう本当に泣きたい。逃げたい。


「ああああぁああぁぁぁぁあ!!もういや!!」

 時間が足りない!!わからない!!いやだ!!

 パニックになって、溜まりきったストレスを吐き出すようにシャープペンを壁に投げつけた。


 長年連れ添った黒のシャープペンが床に転げるのすら見届けず、ぐしゃぐしゃのノートの上に突っ伏す。

 もうだめだよ、むりだよ、こんなに苦しいなんて。
 袖にじわりと涙がにじんでそれがどんどん広がっていく。

 このまま眠ってしまって、次に目が覚めたときはもう試験なんて終わってたらいいのに。大学なんて行かなくていい。もういい。もうやだ。

 本当にこのまま眠ってしまおうかと気持ちが揺らいだ。



 すると、廊下の向こうから足音。

「おい、何また暴れてんだよ」

 ノックもせずにドアから顔をのぞかせたのは――見なくてもわかる――シリウス。


 机で不貞寝している私を見つけたのか、シリウスは小さくため息をついて部屋に入ってきた。勝手に入るな!なんて文句を言う気力すらわかない。


「・・・もうすぐだろ?いいのかよ、寝てて」

「うるさい。もういいの」

 私の返事を聞いていたのか聞いていなかったのか、シリウスはあるものを見て大げさの声を上げた。

「ちょ!元俺のシャープペン投げんなよ!!」


 大事に使えよーなんて言ってくるシリウスに、ぷちんとまた切れた。

 伏せていた顔を上げ、力任せに机を殴り、部屋の隅にしゃがみこんでシャープペンを拾っているシリウスをにらんだ。

 目を見開いて振り返るシリウス。


「シリウスには私の辛さなんてわかんないでしょ!?大学には行かない。行かなくてもやろうと思えば親の仕事も引き受けられる・・・っ。なのに、苦労もしてないのに、偉そうにしないで!!」

 傲慢。

 自分でもそう思ったけれど、もう押しつぶされる寸前だった私には、人に当たるという下賎な方法でしか自分の均衡を保てそうにはなかった。

 私の顔をしゃがんだまま、ぱちくりとした目で数秒見つめていたシリウスは、不意に気まずそうに目をそらした。

「あー・・・、偉そうにしたつもりはなかったんだけど・・・、な」

 よっこらせと立ち上がったシリウス。

 このまま出て行くのだろう。そう思っていたし、それを期待していた私。しかしそれに反してシリウスはすたすたと私のほうに歩いてきた。

 お前にはもうついていけない、わかれよう、そう言うんでしょ。言えばいい言えば。


「別れるんでしょ?」

 私が目を吊り上げてそう言えば、目の前にぬらりと立ったシリウスは眉を寄せていぶかしげな表情をした。

「なんでそうなるんだよ。・・・ほら」

 つい、と差し出された、シャープペン。
 私がそれを受け取りもせずにじっと眺めていると、シリウスは無理矢理私の手をつかんで、シャープペンを握らせた。

 また投げ捨ててやる。

 握らされたシャープペンを放そうと指を緩めようとすれば、まるで読んでいたかのように彼がまたぎゅっと握らせてきた。

「諦めんのかよ」

「シリウスには関係ない」

「今までがんばってきたじゃねえか」

「関係、ない」

「やりたいこと、あるんだろ?」

「・・・」

 あるに決まってる。だからこんなにがんばってきたんだ。
 ・・・がんばってきた。

 寝る間も、遊ぶ間も、すべてを惜しんで。


「でも、でも、もう、無理だよ・・・っ」

 疲れた、もうがんばりたくない。

 また目頭が熱くなって、ぼろぼろと涙が出てきた。


「無理じゃねえって」

 ぐしゃぐしゃと乱暴に頭をなでる優しい手。

 椅子に座る私に目線を合わせるように、彼は腰をかがめた。


「大丈夫。あとは最後の追い込みだ。落ち着いてやれ、●●」


 溜まっていたストレスが涙と一緒に溶け出され、少しずつ少しずつ気持ちが軽くなった。



「ごめん、ごめんね、シリウス。ありがとう」

「いいよ別に。俺だって支えてやってるつもりだったのに、ごめん」

 首を横に振れば、シリウスは一際強く頭をかき撫ぜ、ゆっくりと手を引いた。


 名残惜しく思う気持ちの裏では、少しずつ燃え上がる闘争心。


 『お前にはアンバランスだ』と友人らに言われる、黒いシンプルすぎるシャープペンを握り締め、心の中で「さっきはごめん」と小さく謝り、また机に体を向けた。


 クリアな視界で参考書を覗き込む。

 その視界の端で音を立てないように、そろりそろりと部屋から出て行こうとするシリウス。


「シリウス」

「あ?」

 ドアノブを握ったシリウスは間抜けな顔で振り向いた。
 私は参考書から目を離さないまま告げる。


「お疲れ様の意味をこめて、私に夜食作って」

 「なんで俺が」という表情をしたシリウスだったけど、ふっと小さく笑い、りょーかいと言いながら部屋を出て行った。






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