目の端にちらちらと映るヤツの姿。 視線を流すようにそちらに向ける。予想通り、惜しげもなく笑みを振りまいているシリウス・ブラックがかわいらしい女の子に迫っているところであった。 ひどく目障り。 いらいらと羽ペンを無意味に上下させ、うなり声を上げたい衝動を抑えながら乱暴に教科書を閉じた。向かいに座っていた友人が驚いたように目を見開く。 「どうしたの?」 「集中できない。図書室行ってくる」 教材を鞄に詰め込み、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がると多少の視線がこちらに集まった。シリウス・ブラックの視線も。 「で、でももうちょっとで閉館しちゃうよ!」 「ぎりぎりまで向こうでする。じゃあ、また後で」 手入れを毎晩欠かさずしている髪をなびかせ談話室の扉へ向かう。あー、邪魔。切りたい。 談話室を出る間際、周りの迷惑になっていると自覚のないやつほど性質が悪いということをちょっとでも知らしめるため、キッとシリウス・ブラックをにらみつけた。 ほけーっと私を目で追っていたらしいヤツは私と目が合うと、条件反射であるかのように綺麗に微笑んだ。 むかつく。 ふんと目をそらし、太ったレディが怒るほど強く扉を閉めた。 なによアイツ。人が勉強してるのに気づかないわけ? 周りの子も周りの子。シリウス・ブラックが談話室にいると聞けば、そろいもそろってぞろぞろと。『シャイな』女の子たちは、自ら話しかけることはしない。ただ、わざわざヤツの視界に入るようにして、私が一番だと言いたげに高い声を上げて気を引こうとする。結果、談話室はいっつも騒がしい。それに他の悪戯仕掛人たちが加わればなおさらだ。 シリウス・ブラックも女の子はとっかえひっかえ。昨日まで笑ってた子が今日では泣いてたりすることなんて日常茶飯事。それでもブラック人気は燃え上がるばかりで、ヤツの女の子に対するだらしならすらも『かっこいい』と評判になってきたのだから大問題だ。 人通りの少ない廊下を鼻息荒くずんずんと進んでいるうちに、大炎上していた怒りが徐々に収まってきて、やがて完全に鎮火されてしまった。 足取りも、とぼとぼとしたものに変わる。 「・・・はあ」 目に焼きつくブラックの微笑み。なんで忘れられないんだろう・・・。あそこで私も微笑み返すべきだったの? 「どうしてあんなヤツ、好きになっちゃったのかなぁ・・・」 何度も繰り返してきた自問。答えが出たことは一度もない。 ブラックが談話室にいると聞いて友達を引っ張って行くのも私。わざわざブラックの視界に入るように座るのも私。ブラックが付き合う子は髪が長い子が多いって気づいて、鬱陶しいのを我慢して伸ばして一生懸命手入れしてるのも私。皆みたいに、気を引こうとしてそれなりにスカートも短くしてみたけど恥ずかしくて一日で止めちゃったのも私。私の父親はマグルで、ブラックは純血思想の家系だと聞いて焦ったのも私。ブラック自身は純血思想を嫌悪していると聞いてほっとしたのも私。 でも他の子たちみたいに向かっていけない。別に恥ずかしいとかそういうわけではないのだけど。 だって、自分から好きって言うなんて、それで負けたも同然じゃん。私のこの持ち前の高飛車さ。自覚してても治せない。正直言って、向こうもずいぶんとプライドは高そうに見えるけれど。 これだけがんばってるのに私のほうは見向きもしないなんて、悔しくて悔しくて。 頑張る、スルーされる、悔しい、頑張る、スルーされる、悔しい・・・。このサイクルからどうしても抜け出せない。いつからこれの繰り返しになったのだろうか。 二年ほど前までは自分から向かって行こうと努力していたのに。 たとえば、授業でわからないことを炙り出して、授業が終わると同時に彼の元に駆け込んだり。私をも凌駕するスピードでブラックに飛びついた女の子たちに弾き飛ばされてしまっていたのだけど。 甘かった当時の私の唯一の戦利品と言えば、たった一枚の写真。 盗撮じゃねえかと思いながらも、欲に負け、安くはない金を払って手に入れたのだ。 持ち歩くなんてそんな恐ろしいことできなくて、普段は机の引き出しの奥深くに沈めている。 たまにちらっと見てみるけれど、やはり二年前のものということで、今のブラックと比べれば随分と幼い。今売ればプレミアつきそう。 ぼーっと写真の中の彼を見つめていれば、それに気づいたブラックはにかっと笑ってひらひらと手を振ってくるのだ。すっごく、かわいいんです。 写真の中のブラックを思い出して、ついにやっとしてしまった。私、気持ち悪い・・・。 緩もうとする頬を押さえながらようやく図書室に着いたわけだけれど、閉館するまでの三十分間。私は一秒たりとも集中することはなかった。 談話室に戻ってくるまでは妙に気分が高まっていて満面の笑みでいたのに、到着した途端に冷める。 貼り付けた無表情のまま(見る人によっては怒っているように見えるらしい)談話室に入った。 もう消灯の声がかかったらしく、談話室の明かりはすべて消され、月明かりと階段を照らすほんのちょっとの光だけがぼんやりと談話室に影を作っていた。 さっきまったく課題が手につかなかった分、部屋で頑張らなければならない。 後ろ手でそっと扉を閉めて階段に向かって歩きながら、ふと何かの気配を感じて顔を背けた。 「・・・・・・」 目に入ってきたのは、薄暗い談話室のソファーで重なる男女。互いにまだ服を着ていることは、幸い、と言っていいのだろうか。 その男女は言わずもがな。 「あ・・・」 女生徒に覆いかぶさっていたブラックは目を点にしている私に気がつくと、気まずそうに冷や汗を流して、痛々しい笑みを浮かべた。 数秒見つめあい、さっきみたいに最上級の笑顔を浮かべる。顔は青いけど。 「お、お前も混ざるか?」 「死んだほうがいいと思うよ」 慌てて距離をとる二人をギンと睨み、わざと足音を大きくしながら女子寮への階段に飛び込んだ。 最っ低。 ブラックの手の早さに対してでもあるが、主には自分のタイミングの悪さに対してだ。 トロールのように激しい音を立てながら部屋に入ってきたものだから、部屋でのんびりしていたルームメイトは目をまん丸にして訳を聞いてきた。言わなかったけど。 ただ一人、私の想いを知っている友人だけは何かを悟ったらしく、心配そうな視線を寄越してきたけれど、私はやっぱり曖昧に微笑んだ。 課題なんて手につけられる状況じゃない。鞄をどんと机に置いてベッドにもぐりこんだ。 ルームメイトに背を向け、眠くはないけれど目を固く閉じる。 ここまでくると、ブラックはわざと私に見せ付けてるんじゃないかっていう被害妄想までしてしまう。だって、だって・・・! 先ほどの光景の、焼き残る微笑の、写真の中のブラックがぐるぐると頭の中をめぐり、悶々と思い悩んでいるうちにいつの間にか眠ってしまっていた。 「●●。隈すごいけど、大丈夫・・・?」 「・・・・・・」 最悪。 鏡に映る自分のひどい顔といったら。 しかも昨日はいろいろといっぱいいっぱいで髪の手入れをするのも忘れていた。おかげでごわごわ。たった一日さぼっただけでこんなことになるなんて・・・。 友人は「大丈夫だよ!そんなに目立たないし!ね?」と言っているけど、最初に隈がすごいと言ってきたのは誰だという話。 まあ、今から後悔しても意味がない。とにかく、即興でごまかせそうなところはごまかして今日一日を乗り切ろう。 どうか、できるだけブラックと顔を合わさない日になりますように。 そんな私の願いが通じたのか、午前、午後と授業を終えてもブラックとまともに目を合わすことはなかった。あるとしても遠くからちらりと目で捉えるくらい。 神様は本当にいたのかと驚いたけれど、もしかしたら、昨日の今日で気まずいから顔を見たくない、という理由で避けられているのではないか。それは腹立つ。 「●●、また眉間にしわ」 「あ」 「ソーセージも皿から落ちてる」 「あ・・・」 「ローブの裾がスープに浸かってる」 「ああ!!」 スープにローブの出汁が出てしまった・・・。 うな垂れながらローブを綺麗にしていると、友人は呆れたようにため息をついた。 「そんなに気になるなら、自分から話しかけちゃえばいいのに」 「・・・それはできない」 「なんで?」 プライドが許さない。・・・とは言えないもんなあ。 遠くの席について何やら楽しそうにポッターたちと会話をしているブラックを見て、また無意識に眉間にしわが寄った。●●、と諌めるように名を呼ばれ、すぐに眉間をもみほぐす。 これ以上ダメ出しをされるのが嫌で、残っていたものをすべてたいらげ席を立った。 寮への帰り道。部屋に戻る前にトイレに行っておこうと思い、友人には先に帰ってるように言ってトイレへ向かった。 のろのろと向かい、そこを曲がればトイレというところまでたどり着いた。 いつもなら、たとえ曲がった先から人の気配がしようと気にしないのだけど、かすかに響いてくる声がヤツらのものだというのなら、踏み出そうとした足が止まるのもしかたがない。何?連れション? 冷や汗がたらりと垂れる。 そっと立ち去ろうぜ。気づかなかったことにしようぜ。他のトイレ使おうぜ。 とにかく引き返せと心が言っているのに身体は正直で、ちらりと聞こえてしまった彼らの会話に意識を奪われてしまった。 「またリリーに蹴られた・・・」 「お前も懲りねえなあ」 ・・・。ポッターか。食事時は決まってエバンズに擦り寄ってるな。食事時に決まったことではないか。 横でくすくすと笑っていたルーピンが「そういえば」と切り出す。 「シリウスは昨日の子、どうしたの?」 どこか笑いをこらえたような声音は、返ってくる答えが予想できていると言いたげ。 ブラックは少し言葉を濁す。私も勝手に表情が濁る。昨日の今日だ。 「昨日ちょっと邪魔がはいって、うん。やれなかった」 やるとか言うな!邪魔とも言うな! 「邪魔?もしかして誰かに見られたの?」 ルーピンが声を低くする。明らかに不機嫌そう。監督生だしね。 それに気づいてるのか気づいてないのか、ブラックが自分の世界に入って、思い悩むようにうなり声を上げる。 「見られたっていえば、見られたな。序盤だったけど」 「君が僕の気も知らずに、談話室でいちゃいちゃしてるのがいけないんだよ!」 ポッターの気なんて知るかよ。 「てめえの気なんて知るかよ」 「誰に見られたの?」 言いたいことが被った!と興奮しているうちにペティグリューがブラックに訊ねる。 「あいつ。・・・××」 なぜか言いにくそう。 ん?何その言い方。と首をかしげていると、他のメンバーが、あー・・・と、さも悪いことが起きたかのように声をそろえた。 「あのシリウス嫌いで有名な」 「それは災難だったね」 な、何・・・!? とっさに壁に張り付いて、どんな小さな声も聞き漏らさぬようにと耳を澄ます。 「見た目はシリウスの好みなんじゃない?」 「見た目はな。でも、俺が何かするたびににらまれてちゃあ・・・」 見た目は好みだって!でもなんか嬉しくない! 私そんなに見てたっけ!?ていうか気づいてたんだ・・・っ。 ぐるぐると、絶望の二文字が頭を渦巻く。ブラック嫌いで有名って・・・どういうことよ・・・。 完全に私、いいイメージ持たれてないじゃない。 壁に額をつけうな垂れる。 涙が滲んだ。 もう帰ろうか。盗み聞きなんてやっぱりいいことない。 壁から離れようとしたとき、ブラックがため息混じりに呟いた。それは他人が触れちゃいけない、私のコンプレックス。 「それにあいつ、なんかプライド高そう」 「そんなこと君が言っちゃ・・・」 ・・・・・・。 ぷちん、と私の小さな堪忍袋の短い緒が前ぶれなく弾けとんだ。 自覚してることなのに、人に改めて言われるとこんなにも腹が立つものなのか。 私の中の大人な自分を蹴り飛ばして、トイレの前で集って語らっていた四人の前に飛び出した。 びくりと身体を震わせた四人は、目を吊り上げている私を見て一歩引き下がる。 「××・・・、まさか・・・聞いてたり・・・」 ルーピンの背中に逃げ込もうとしながらブラックが灰色の目を向けてきた。首を横に振ってくれることを心底望んでいるのだろう。 その目とかち合い、眉間に自然としわが寄る。 「あんたにプライドが高いとか言われたくない」 「そりゃあそうだ・・・すみません」 特にそんなつもりはなかったのに、ポッターが合いの手を入れたときにちらりと視線をやるとポッターは睨まれたと思ったらしく黙り込んでしまった。 ポッターよりも今はブラックだ。この燃え上がる怒りをどうしたらいい。 伸ばしたくもない髪を伸ばして、見たくもない光景を見せられて、陰でプライド高そうだとか言われて。 悔しい。 隠れ切れてないブラックをギッと睨みつけた。 私の努力をちょっとは顧みなさいよ! ブラックに勢いよく人差し指を向ける。こんなださい仕種するはめになるなんて思っても見なかった。 昨日のあの子みたいにもっとかわいい表情ができたらいいのに。 「あんたのプライド、絶対へし折ってやる!!」 * 提供していただいたネタでした。 |