毎日●●に会うことはない。神出鬼没である彼女は、三日続けて顔を出したと思ったら一週間姿を見せなくなったりと、かなりマイペースである。 それでも僕は着々と彼女自身の情報を聞き集めていた。 一つ目は、彼女の姿は他のゴーストたちにも見られないということ。(彼女は話し相手がいなくて、つまらなかったと言っていた) 二つ目は、彼女の両親はマグルであるということ。(ブラック家の名前を知らなかったのも納得がいく) 三つ目は、彼女は今より昔の生徒であるということ。(今のハッフルパフの生徒たちの顔には見覚えがないと言う) 人目を気にしなくてもよい、中庭の端のほうにあるベンチに座って言葉を交わすのが習慣になった。 いつものように、彼女は僕の隣に腰掛ける"フリ"をする。物体を通す身体のはずなのに、"座っている"ように見せる彼女は実はとても器用なのではないか。 そんなあるとき、彼女が突然呟く。 「私、本当に死んでるのかなーってたまに思うんだよね」 「は?」 膝の上の本から目を離し、組んだ指を太陽に向けてぐっと伸ばしている、なんとも「生きた」人間らしい動きをする●●を間抜けな顔で見る。 自分の死が受け入れられないというのはよくあることだが・・・。 「なんか、実感がわかないなーって」 「・・・」 確か前に●●は、死んだときの記憶が無いと言っていた。 だからと言って死んでいるということを否定できるような状態ではないと思うのだけど。 僕が何も言えずに彼女の横顔を眺めていると、気づいた●●は僕のほうを見て、また「あの顔」を浮かべた。 その話を聞いてから僕はホグワーツの歴代の生徒について調べ始めた。 ●●が何年前の生徒なのか。 どこかに資料があるはずだ。 ひっかかった本は隅々まで調べた。もしかしたらと、飾ってあるトロフィーやメダルの名前を一つ一つ眺めた。 しかし、恐ろしいほどに彼女の断片を発見することなどできなかった。 もしかしたら、あの●●・××という名前も仮のものなのかもしれない。 でも調べるからにはそんなことを言っていては何も手につけられなくなる。その名が本物であることを信じ、黙々と情報をかき集めた。 可能性のあることを●●に訊いて肩を落とすという作業を、この三ヶ月間で何度繰り返しただろうか。 ●●も●●で、出会った当初に比べ徐々に会う間隔を広げてきているので、聞きたいことは山になりかさんで行くばかり。 はじめはただ、知の欲求からくる好奇心を満たすための行動であったのに、ここ最近はどうであろうか。なぜか必要以上に彼女のことに時間を割いてしまっているように感じる。そして本当に、本当にたまにだが、もしかしたらもう彼女は会いに来ないかもしれないと独り打ちひしがれることもあるようになった。 いまや会うのは二週間に一度、十数分言葉を交わす程度。この短い時間の間も、彼女はぼーっとすることが多くなった。 「●●。●●・・・っ。聞いてますかっ?」 「――んあ?・・・ああっ、ごめん。なんだっけ?」 晴れ渡る空を見上げていた彼女は疲れたように微笑み僕を見て、脈打つように点滅する。 僕の気のせいであってほしいが、彼女の鼓動のような点滅のペースが最近目に見えて速くなっている気がする。 このまま●●が景色に馴染んで消えてしまうような錯覚を覚え、胸がぐっと苦しくなったが気づかなかったフリをして、呆れたようにため息をついてみせる。 「・・・だから、今度ダンブルドアにあなたのことを訊いてみようかと思っているけど、どうしますか?って」 「おー!なるほどなるほど。ダンブルドア校長なら何か知ってるかもしれないしねぇ」 腕を組んでうんうんと頷く●●。この行動すらもどこか違和感を感じてしまう僕は短い間に異常に疑り深くなってしまったみたいだ。 「・・・本当に訊いてもいいんですか?」 「え、どうして?」 彼女はきょとんと首をかしげる。 素なのか、隠しているのか。 じっと●●の目を睨んでみたけど、結局怖がられただけで何もわからなかった。 「じゃあ、来週またここに来てくれますか?それまでに訊いておきます」 「了解しましたー」 笑顔で約束を受け入れる●●。だけど、これが守られたのは最初のほうだけ。 今では一週間遅れで約束が果たされることが常になった。 ●●自身が時間の感覚がないと言っているから、仕方ないといえば仕方がない。 それでも懲りずに約束を取り付ける僕はなんなのだろうか。 ぼーっと足元の短い草を眺めていたら、隣で彼女が大きくあくびを漏らした。心臓が縮み上がるほどの緊張が走る。 「・・・、またですか?」 「うん。最近すぐ眠くなるんだよねー」 目をこするうちにもう一度あくび。 死んだものが眠気を感じるというのは珍妙であるが、●●にとっては普通である。 僕がこの●●にどぎまぎさせられる理由と言うのも、●●があくびをした次の日からはいつにもましてこの場所に来なくなるからだ。 だから僕はいつも無理矢理眠そうな彼女を引き止めて目を覚まさせようとする。成功したためしはないけれど、消えていなくなる●●を見たくないから。 うとうとと舟をこぎ始めた●●。すうっと身体が透けていく。 とっさに手を伸ばして肩を掴もうとしたけど通り抜けてしまって呆然とした。 触れられないのはわかってるのに。 驚くほどショックを受けていた僕がはっと意識を取り戻したときには、もう隣には誰もいなかった。 「●●」 返事は返ってこない。 僕の手のひらには、不自然な温かさだけが残された。 「ダンブルドア校長」 珍しくホグワーツの廊下をふらふらとしていたひょろりとした背中に声をかける。 ダンブルドアは小さく声を上げて、僕を振り返りにっこりと笑った。 「どうかしたかね、ミスター・ブラック」 マグル好きのダンブルドアはいけ好かない。けれど●●と約束したからには仕方がないことだ。 周りに生徒がいないのを確認して、それでも警戒しながら声を落とす。 「●●・××という女生徒をご存知ですか?」 彼が、これまで見てきた生徒をすべて認識しているという確信はなかったが、死んだとなると印象も強いだろう。マートルの死の要因もほのめかされている状態であるから、●●のことも同じようになっている可能性も高い。 だとしたら訊ねても無駄であるか・・・。 ダンブルドアは●●の名を聞くと微かに目を丸くした。やはり・・・と落ち込もうとしたが、不思議なことにダンブルドアは微笑む。 「知っておる。ハッフルパフの、明るく、優しい子じゃ」 噛み砕き、自分でも味わうように頷く彼。 確かに、死んでいるのにあの明るさは異常だと思うが・・・。 じっとダンブルドアの顔を見上げていると、彼は青い目で僕を射抜いた。 「しかし、なぜミスター・ブラックが彼女のことを知っておるのかの」 「・・・」 完全に疑われている。 何をそんなに警戒することがあるのか。 「ただ、成り行きで・・・」 彼女の姿が見えないダンブルドアに説明しても信憑性など皆無だ。 目元は弧を描いているけれど安心できない微笑に立ち向かう勇気がはぎとられ、僕は情けないことにも、目をそらして小さくお礼を言ってから早足にその場を去ってしまった。 これじゃあ●●に話すことがない。 また機会があったら訊いてみようか。 約束をしてから三週間。 彼女はようやく中庭に現れた。 いつもの元気な姿を期待していたのにどうであろう。ひどく疲れきった表情をして、顔色(ゴーストもどきに顔色があるかはわからないが)も悪いように伺える。 「・・・大丈夫ですか?」 聞かざるを得なかった。 彼女はにっこりと微笑んで頷いたけれど、脈打つ速度は以前の倍ほどにもなっている。 また隣に座る"フリ"をして、●●は言葉にならないうなり声を上げた。 「眠い」 どきり、と心臓が跳ねる。 「・・・十分寝たでしょう」 「そうなんだけど、もういくら寝ても寝たりない」 レギュラスとの約束があったから、がんばって起きてきたんだからね!と胸を張る●●。笑ってやることなんてできなかった。 不自然に目をそらし、手元の本のページの端をいじる。 「・・・ダンブルドアに訊いてみましたけど、怪しまれただけで何も収穫はありませんでした」 この三週間の間に数度話しかけてはみたものの、ダンブルドアは笑顔で颯爽と去っていくだけ。 他の教師はどうかと計ってみたが、ダンブルドアのほうが一枚上手だったらしい。すでに口止めがなされていた。 ここまでくると、何をそんなに隠そうとするのかが気になってくる。 「そっかー・・・。なんか、レギュラスにばっかり大変な思いさせちゃって、ごめんね」 自分が好きでやってることだから、●●は気にするな。そう言おうと思ったけれど、なんだか変なニュアンスになってしまいそうで一瞬ためらい、結局は言いそびれてしまった。 黙りこんだ僕をどう誤解したのか知らないけど、●●は自身の身体以上に消えてしまいそうな小さな声でもう一度「ごめん」と呟いた。その後に大きなあくびを漏らすものだから、本当に反省してるのかしてないのかわからない。 隣の影がゆらりと動いて、僕は少しだけ首を傾けた。 ●●は僕の背丈ぐらいのところに浮き、だらんと手足を投げ出していた。 「ねむい・・・ていうか、なんかきつい」 彼女の身体が脈打つ。 そのまま空気に溶けてしまいそうになった●●に焦り、膝の上の本が落ちてしまうのも構わず勢いよく立ち上がった。 「どうしたの?」 また幾分かはっきりした●●にほっと胸をなでおろす。 「・・・また、来週ここに来てくれますか?」 ●●はぱちくりとして、力抜けたように微笑む。 「うん」 「じゃあ指切りしましょう」 「・・・レギュラス君、結構乙女だね」 「うるさい」 ●●はけらけらと笑い、目を吊り上げた僕の周りをひとしきり回って、やがて僕の正面に着地した。 指切りだなんて、そんな子供じみたこと言わなければよかった。後悔しつつも、どうにかして彼女をもう一度ここに来させるための鎖が欲しかった。 小指を差し出す。 少しの間をおいて、彼女の先の消えた小指がゆっくりと近づいてくる。 風を切るたびに失われていく色。 消えるな。消えるな。 「あ・・・」 どちらが上げた声だっただろうか。 一際強い風が僕らの間を走りぬけ。 いつの間にか閉じてしまっていた瞼を慌てて押し広げた。 眼前にはホグワーツ城。それを遮る半透明の影はない。 彼女の姿は目の前からなくなっていた。 「●●・・・」 返事は返ってこない。 虚しく残った小指は、ただ冷えて行くばかり。 一週間経っても、一ヶ月経っても、この約束が果たされることはなかった。 → |