「あいつ、まだ出てこないのか?」 チョコラブたちとの戯れから戻ってきた葉。 拠点である民宿に戻り、葉は閉じられた襖の前に佇んでいたまん太に問いかけた。 「うん。昨日の晩ご飯も何も食べてないみたいだし」 心配そうに眉を下げて、まん太は葉を見た。 葉は、物音1つ立たない襖の向こうをじっと見据えて、まん太にいつもの笑顔を見せる。 「そっか。・・・今は1人にしといてやろう」 その笑顔に安堵したまん太もつられて笑みをこぼす。 「そうだね・・・」 まん太は、廊下を行く葉の後ろを、何度も振り返りながら早足でついていった。 空腹を訴えるお腹。 けれどどうしても何かを食べる気にはならなかった。 昨夜、私は葉君たちの民宿に招かれた。部屋も、たくさんあるからと一部屋丸々貸してくれた。晩ご飯も用意してくれた。お風呂も、なにもかも。 でも私は一度部屋に入ってからこの朝まで部屋を出ることはしなかった。 気を遣ったまん太君が、襖の向こうに晩ご飯を置いてくれたけど、私は手をつけなかった。 寝ようと思ったけれど眠れず、起きていようにも体は疲労困憊で結局うつらうつらするだけで朝を迎えてしまった。 おかげで気分は最悪。 加えて、昨日のアンナさんの言葉が一晩脳裏を離れず、今現在までストレスが爆発しそうなくらいだ。 『ゴーレムはハオをぶっ倒すために、あたしがいただきに来たのよ』 あんな最終兵器みたいなので『倒す』ってことは、つまり殺すということで相違はないはず。 どうしてハオはあんなにも人から恨みをかってるんだろう。 しかも、恨みによる復讐の最低ラインがハオが死ぬことって。 「はぁ・・・」 いくらため息をついても胸のもやもやは消えることはない。むしろその吐いた息が部屋に溜まって、よりいっそう空気を重くしているようにも感じた。 ハオがたくさんの人から命を狙われていることはすでに間違いはない。 もちろん、ハオがそれを受けるに値する行為を行ったことも。 それが人の命を奪うことであったことも。 「・・・」 そうであっても、ハオには死んでほしくない。嫌われちゃったけれど、生きていてほしい。 でも、ハオがこのまま生き長らえれば、私たち人間が死んでしまう。 死にたくない。 死んでほしくない。 ハオがまだ好きだよ。 こんなことになるなら、ちゃんと口にして言っておけばよかった。 後悔先に立たず。 皮肉な言葉だ。 実は先ほど、葉君が部屋の前まで来た。 今から試合の観戦に行くけど、お前も来ないか、と。 もしかしたらハオ組のみんなが試合に出るかもしれないから私も見に行きたかったけど、その分ハオたちと会う可能性が高くなってしまうので、私は断った。 会いたいけど、どんな顔をすればいいかわからない。 だから部屋でじっとしとくのが一番。 私が断った後、葉君は「そうか」と呟いて、ゆっくり休めよと優しい声で言ってくれた。 なんとなく泣きたくなった。 その日は一日中部屋の中で大人しく過ごした。 葉君たちが帰ってきたのは日暮れ1時間前。 台所からリズムのいい音が聞こえてきた。 ぐぐぐぐと音を立てるお腹。もう丸一日食べてないのか。さすがに空腹も限界。 私はゆらりと立ち上がって襖に近づく。 開けようと襖に手をかけて、一瞬躊躇う。 気分で言えば、1週間学校休んでからの登校みたいなかんじ。 悲鳴を上げるお腹を押さえ、私は唾を飲み込み襖をそっと開けた。 立て付けのいい襖は引っかかることなくスムーズに動いた。 「・・・」 音を立てないように後ろ手で戸を閉めて、私は心地よい包丁の音のするほうへ足を向けた。 「あれ、●●さん」 ビクッ 自分の部屋から数歩も離れないうちに背後から声をかけられる。 振り返ると、あの小さい男の子、まん太君がいた。 私が何を言うべきかを悩んで目を泳がせていると、まん太君はまったくそんなこと気にしていないようで嬉しそうな笑顔を向けてくれた。 「よかった〜。ずっと出てこないから心配してたんだ。昨日からご飯食べてないでしょ?今たまおさんがご飯を・・・」 私の隣に立って、喋りながら廊下を進んでいく。 まん太君の嬉しそうな横顔を見て私もつられて笑みをこぼした。 そして目前まで騒がしい襖が近づいたところで、私が行きたかった場所でないことに気がついた。 私は慌てて立ち止まってまん太君に聞く。 「あの、台所ってどこですか?」 「台所?」 彼も足を止めて私を見上げた。かわいいな。 「台所ならこっちだけど・・・どうして?」 横の襖を指差してまん太君は首をかしげる。 私もお世話になってる身だし、昨日は一度も顔を出さないで失礼なことしちゃったから何か手伝いができたらなと思って。ご飯にも手をつけなかったから、作ってくれた子にも謝りたいし。 その旨を伝えると、まん太君はすんなりと受け入れてくれた。 私は彼と手を振って別れ、台所に入る。 のれんを分けて中を覗くと、そこにはショートカットの女の子が割烹着を着てせわしなく台所を動き回っていた。 「あの・・・」 声をかけるとその華奢な肩が跳ねた。 こちらを見た彼女は驚いた顔をして、ぱたぱたと近寄ってくる。 「どうしましたかっ?もしかしてご気分がよくないのですか?」 瞳を潤ませて彼女は顔をのぞいてきた。 私は苦笑をしてそれを否定する。 「違うんです。何かお手伝いできることがあったらと思って・・・」 「お手伝い、ですか?」 きょとんとした彼女。・・・たまおちゃん、だったかな。さっきまん太君が言ってた。 「そんな!お客様にお手伝いなんて!」 両手をぶんぶんと振って断られる。 けど、それよりもこの焦げ臭い匂いをどうにかしたほうがいいと思う。 「ああ!」 たまおちゃんは大声を上げてコンロのほうに走っていった。 あの人数分を1人で作るというほうが無茶でしょ。 頼まれてもないのに勝手にたまおちゃんの隣に並んで包丁を握った。 「申し訳ありません・・・」 たまおちゃんは本当にそう思っているようで、しゅんと表情を暗くした。 「いえ。私も昨日はご飯残しちゃって、ごめんなさい」 切りかけだった大根をそのままいちょう切りにしていく。お味噌汁の具かな。 「いいんです。●●さんも大変でしたようですし・・・。・・・お料理よくするんですか?」 たまおちゃんは己の手を止めぬまま聞いてきた。 そういえば料理をするのは久しぶりだ。もうこれは体に馴染んだ行為だから、手が勝手に動いてくれる。 「・・・」 思い出すのは、皆と、ハオとのご飯。 向こうで、文句言いながら食べてたハオ。まるでずっと昔のことのようだ。 「うん。・・・料理は好きなわけじゃないけど、おいしいって言ってくれると嬉しいよね」 それが素直な言葉じゃなくても。 「・・・、そうですね」 たまおちゃんは野菜を切り続ける私の横顔を見て、切なそうに微笑んだ。 やがて料理が出来上がり、私はできあがった料理を持って、皆が集っているであろう部屋の前まで来た。 深呼吸をして、襖を開く。 目の前ではとてつもない喧嘩が繰り広げられていた。主に蓮君とホロホロ君とチョコラブ君中心。 各々が試合で使う武器を持ち出して冗談じゃすまない状態になっている。 そんな状態を、呆然と立ち尽くして見ていると、いち早く気づいた葉君が声をかけてくれた。 「おお、お前元気なったのか」 「あっ、はい。ありがとうございます」 軽く頭を下げて、私は喧嘩をしている人たちの間をすり抜けてテーブルの上に皿を並べる。 「お前が作ったのか?」 よだれをたらしながらじっと鮭を見つめる葉君。 ハオとは似ても似つかないけれど、やっぱり何かが重なって笑みがこぼれた。 「いえ、私はちょっと手伝っただけで・・・」 「うおー!飯だ!!」 喧嘩をしていたはずのホロホロ君が横から顔を出してくる。 驚いて、持っていた味噌汁をこぼしてしまいそうになった。 「食っていいのか?」 屈託のない笑みを向けられる。 何も突っ込んでくれないのは嬉しいけれど、食べて良いのか悪いのかはわからない。 「えと・・・」 答えに詰まっていると、後ろのほうでざっと誰かが立つ気配がした。 「ダメに決まってるでしょ」 あの凛とした声。 「食事は全員がそろってから摂るものよ」 腕を組んで目を吊り上げていても、やはり美人である。 「・・・だそうです」 私がホロホロ君に言うと、彼は言い返す気はないらしく大人しく席についた。 どうやら彼女は絶対的な権力を持っているらしい 私はまた次の料理を運ぼうと立ち上がった。 すると。 「●●!」 したったらずな聞き馴染んだ声。 足に擦り寄る温かみ。 まだ一日と経っていないのに懐かしく感じる。 「・・・オパチョ君」 私の足に抱きついてきたのは紛れもなくオパチョ君だった。 嬉しそうな笑顔を浮かべて、抱っこをせがむように両手をあげてくる。 とっさに抱き上げてしまいそうになったけど、それを寸でのところで踏みとどめた。 どうしてオパチョ君がこんなところに。 怪訝そうに私がオパチョ君を見ていると、葉君が口を挟んできた。 「ハオがおいらを監視するために送ってきたらしいぞ」 「監視・・・」 なんでオパチョ君を送ってくるの。こんな小さな子供なのに。 この人たちがいくらいい人でも、ハオとこの人たちは敵対してるんでしょ。葉君たちを疑うわけじゃないけれど、もしものことがあるかもしれないのに、ひどすぎる。 「オパチョ、はじめてのおつかい」 でも誇らしげに胸を張るオパチョ君に、無事ならいいかと頬を緩めた。 私は膝を曲げてオパチョ君と視線を合わせた。手を伸ばして頭を撫でる。 「おつかいか。オパチョ君は偉いね」 「オパチョえらい?」 「うん」 褒められて嬉しかったのか、オパチョ君は皆に「オパチョえらい?」と聞き回りだした。 いつでも変わらない彼がとてつもなく嬉しかった。 また私の近くまで戻ってきたオパチョ君は頬が緩みっぱなしの私を見て笑顔を消す。 でも私は気分が高くなりすぎて、それを気にせずオパチョ君に聞いた。 「皆は元気?怪我とかしてない?」 オパチョ君はこくりと頷く。 安心した。私が心配するようなことじゃないけど、やっぱり友達として気になってたから。 満足して頷いていたけど、オパチョ君はずっと無表情のままだった。 「・・・●●げんき?」 「・・・」 なんとなく、これが身体的な面での質問じゃないのはわかってた。 それでも私は笑って、元気だよ、と返す。 オパチョ君は少しだけ眉間にしわを寄せた。 「ハオさまウソきらい」 ドキ。 「だからオパチョもウソきらい。●●、げんき?」 繰り返された質問。 ああ。どうして私の周りにはこんなに勘が鋭い人が多いんだろう。 嘘をついてもすぐに暴かれる。 涙が滲んだ。 今度は私は答えずに苦笑いだけを返した。 オパチョ君は迫るように私に近づいて、小さな手で私の手を握る。 「●●いなくてオパチョさびしい。●●いっしょかえる?」 期待に輝く純粋な目。 私の心には罪悪感と後ろめたさが沸きだしてくる。 こぼれそうになった涙を隠すように、私は目を閉じた。 「ごめんね。私は帰れないんだ」 「どうして?」 喉が引きつる。 こんなところで泣きたくないのに。 私は唇を噛んで膝に顔を埋めた。 「・・・ハオに嫌われちゃったからだよ」 口にすると広がる穴。 「ハオさま?」 オパチョ君は不思議そうに首をかしげた。 そのまま疑問がはれないような顔でオパチョ君は続けた。 「ハオさま、●●きらいちがう。ハオさま●●すき」 こんなに小さいのに、私を慰めてくれる。 私は少しだけ顔を上げて苦笑いをした。 「ありがとう、オパチョ君。でもいいんだよ、もう」 もういい。もういいんだ。 「よくない!」 また顔を伏せようとしたとき、張り上げられたオパチョ君の言葉。 驚いて目を丸くすると、彼は今にも泣いてしまいそうなほど目潤ませて唇を震わせていた。 「ハオさま●●すき!ハオさまいってた!ハオさま●●にわかってほしかっただけ!ハオさま・・・っ・・・ふぇ・・・っ」 ついにこぼれてしまったオパチョ君の涙。 「・・・」 嘘とは思えない。思いたくない。 どうしようもないこの想いは、抵抗のなくなった涙腺から溢れ出した。 「そっか・・・」 私はオパチョ君をそっと抱きしめた。 擦り寄ってくるその体を抱きしめて、目を閉じる。 オパチョ君は純粋だから、ハオの言葉をきっとそのまま受け止めてきたんだ。 たとえハオが私をまだ好いてくれているということが事実だとしても、彼がもう『私』を必要としてないのはほぼ間違いはない。 必要としていないということは、もう好きではないということでではないのか。 彼は想いではなく思念で動いた。 それが良いとも悪いとも思わないけど、彼がそれを望んだのならそれでもいいと思ってる。 望まれないのなら、そばにいても仕方がない。 もうそれは諦めにも似た感情。未練だらけの諦め。 オパチョ君は、ハオが私にわかってほしかっただけだと言った。 でも、私はそれができなかった。もちろん、今でも。 だから私は帰れない。 「ごめんね、オパチョ君」 「あんたたち。いつまでめそめそしてんの」 投げつけられた2枚のタオル。 「さっさと顔を拭きなさい。あたしはお腹が減ってるの」 仁王立ちをしているアンナさん。 オパチョ君と唖然と見つめていたら、睨まれて慌てて鼻水だらけのオパチョ君の顔を拭いた。 そしてさっさと席についたアンナさん。 私も顔を拭う。 そして顔を上げると、皆さんの口があんぐりと開いていた。 「おおおおお、お前、ハオの彼女だったのか!?」 「おいら、ただの仲間だと思ってた・・・」 「ハオに彼女って、つまんねえギャグだな」 「だんなぁ!こいつら人質にとっていたずら・・・」 「竜さん、さっきも同じこと言ってたよね」 「くだらん」 ホロホロ君、葉君、チョコラブ君、まん太君、リーゼントの人、まん太君、蓮君。 各々が、何を想像してるのかわからないけど、時々青ざめたりしてる。 一気に吐き出された言葉をようやく理解し始め、私は顔を赤くした。 「彼女ってわけじゃないですけど・・・」 そこまで言って、また自分で落ち込んだ。 「あ、いや!喧嘩なら誰でもするよな!なあアンナ!」 「うるさいわよ」 「そ、そうそう!いやぁ〜、でもハオにも人間らしいとこあったんだねえ〜・・・。ちょっと安心した・・なぁ・・・?」 ばっさりと切り捨てられて涙ぐむ葉君をかばうようにまん太君がそう言葉を重ねた。 皆が気を遣っているのがありありと伝わってきて、私は苦笑をした。 しんとなる部屋。 誰がこの空気を打ち破るのかと思っていたら、それは葉君だった。 「・・・おいらたちにお前らの事情はわからんが、お前はハオが好きなんだろ?だったら・・・」 葉君はいい人だ。だから私のことを非難しない。 その後の言葉を聞いたら気持ちが揺らいでしまいそうで恐くて、私はそれを無理矢理遮った。 「皆さんは、ハオがしようとしてることを知ってますよね」 あ、と誰かが小さく声を上げる。 知ってるんだ。 だったらもうこれ以上言わなくても、皆さんはきっと察してくれてる。 口ごもってしまった葉君に申し訳ない気持ちが湧いた。 話題を切り替えようとしたとき、またあの静かな声が響く。 「そんなこと当たり前よ」 待ちきれなかったのか、アンナさんは先に白いご飯を頬張っていた。 「ハオがあんたを好きということは、裏を返せばあんたが弱点。だったらそれをあたしたちは最大限に利用する」 きっぱりといわれた台詞。 「敵として、これは当然の権利よ。文句は言わせないわ」 たくあんを口に投げ込む。 その潔い言葉に私だけならず、その場にいる全員がぽかんとさせられた。 迷いだらけの私には逆に難しいくらいの割り切り。 でも、それが少し嬉しかった。 「・・・はい」 ハオを倒してほしいわけじゃない。 それでも隙だらけの私には、アンナさんの飾りのない性格が拠り所となってくれるような気がした。 箸を止めたアンナさんは私を横目で見て、またすぐに鮭をほぐしはじめる。 「・・・早く座りなさい。冷めるわよ」 1日ぶりのご飯は、おいしくて、どこか苦かった。 |