朝起きて僕はいつものように着替え、ずっと部屋の内側で、出るタイミングをうかがってきたのに。

「あ、おはよー」

 ようやく意を決して出てきたのに。

「お・・・おはよう」

 案外●●の態度は普通だった。
 昨日の今日だから会話もないまま気まずいままなのかと思ってたけど・・・。

 ・・・もしかして気にしてるのって僕だけ?

 でも昨晩は完全に僕を避けてたようだったし。


 晩ご飯は完全に無言の、圧迫感のある空気だったし、皿を洗い終えた●●は話しかける間もなく自分の部屋に引っ込んだ。

 僕が寝るために部屋に戻ると、少しの間探るような静寂があって●●は部屋から出てきて風呂に入った。


 ここまでされて、僕だけが気にしてるなんて考えはおかしいよね。

「ハオ」

「な、なに?」

 だけど、やっぱりいたって普通な●●。

「今日お祭りだってこと覚えてる?」

 ・・・そんなの覚えてるに決まってるだろ。

「うん」

 今日のこともあるから、昨日は僕もいろいろ悩んでたってのに。


「早くから行って、最後の花火まで見ようね。晩ご飯ももう出店の物ですましちゃおう」

「手抜き」

「うるさい。いいよ。じゃあハオは今晩はひもじい思いしながらすごしてね」

「嘘だよ」


 けらけらと笑って、●●は食べ終えた茶碗を流しに持っていった。

 うーん。やっぱり普通だな。

「・・・」

 ま、●●が気にしてないならいいか。



 午後六時三十分。

「やっぱりまだ早すぎたんじゃない?」

「・・・」


 海に行くときに利用した駅とはまったく間逆のところにある神社。

 周りはマンションやビルが立ち並ぶ下界とは断ち切られたかのように森に囲まれていて鬱蒼としているが、今夜は祭りがあるためかなり明るい雰囲気だ。

 ●●のマンションからここまで三十分ほどかかった。無駄に遠い。

 六時には家を出たから、もちろん今は六時半。

 準備は終わっているし、屋台もちゃんと人がはたらいているが、祭りと言うにはまだ程遠く人が少ない。

 僕としてはこのくらいがちょうどいいんだけどね。


「・・・いいよ。貸切だし」

 ●●も早すぎる思っていただろうけど、悔しかったのか頬を膨らませて意地をはっている。

 貸切とはまたよく言ったものだ。

「かき氷食べよう」

 駆け足でかき氷の屋台に飛び込んでいく●●の後姿を、僕はぼんやり見送った。


 いつもと変わらない●●の格好。祭りだから浴衣でも着るのかと思ったら。

『浴衣?持ってない。しかも1人じゃ着れない』

 だと。

 別に近所の祭りごときで浴衣を着ることもないと思うけど、気分だけでも変えようとは思わないのか。

 本人も別段浴衣とか着たがっていたようではなかったから、それはそれでいいか。


 屋台のほうから●●が手招きをしてる。

 無理矢理考えをまとめて、屋台のほうに歩いた。



 かき氷を受け取ってから、本当はかき氷はあまり食べたくなかったことに気づく。
 隣で黄色のシロップがかかった氷を口に放り込んでいる●●。

 そして手元にある、同じ色の氷を見つめる。
 しかたなくスプーン型のストローを手にとって一口、また一口とゆっくり食す。

 熱い体にはちょうどいい冷たさ。だけどやっぱり時々手が止まった。

 すこし経って、自分の分をすでに食べ終えた●●はそんな僕に気がついたのか、首をかしげる。


「ハオ、食べないの?」

「いや、食べるけど」


 買ってもらってるのに食べないなんて言ったら、●●うるさいもんな。
 ●●に見られてる中、スプーンでまた氷をすくって口に入れる。

 うん。レモン。

 どうだ、と思って●●を見ると、●●はいぶかしげに目を細めて僕からカップを奪い取った。

「いらないなら買う前に言ってよ。もったいない」

「・・・」

 何だよ。気づいてたのかよ。

 ●●は、どうせなら違う味にすればよかったと嘆いている。


 そしてまだ八割は残っている僕のかき氷を『僕のストローで』口に含もうとした。

「あ・・・」

 無意識に僕の口から出た声。
 言ってから、しまったと口を押さえる。

 しかし後の祭りとはこういうことで、しばらく動きを止めた●●は僕が言いたかったことに気づいたのか、徐々に顔を赤くしてかき氷を僕に突き返してきた。


「やっぱりいらない!」

 受け取るしかないそのカップを僕は恐る恐る●●から取った。


 そしてぷっつりと途絶えた会話。

 あー・・・僕のバカ。

 余計なことを言ってまた空気を悪くしてしまった。


 ●●の顔を盗み見ると、●●は何ともいえない表情をして増えてきた人の流れを目で追っていた。

 今は何も言うべきでないと僕は口を閉ざし、●●に倣って人の波を観察することにした。

 ●●の方に面してる体の右半分が変にそわそわする。


 でもそれもちょっと時間がたつと和らいでいって、ぽつぽつとお互いにも言葉を発するようになった。


「人、増えてきたね」

 ●●の言葉に、僕はどっぷりと暮れた空を見上げる。

「随分暗くなってきたしね」

 ポツリと返すと、●●は変な掛け声をかけながら前触れもなく立ち上がった。


「だああ!」

「・・・なに?」


 呆れて、立ち上がった●●を白い目で見た。

 ●●はくるりと振り向いて、いつもの照れくさそうな笑顔を見せた。


「せっかくお祭り来たんだから、もっと楽しもうよ」

「・・・そうだね」

 自然と緩んだ自分の頬を、僕は引き締めることもせずに●●の横に並んだ。



 二人でのんびりと一つ一つの屋台を見て回った。

 ●●がノリでやった射的。一個も玉が当たらなくてバカにしたら僕までやらされた。一個も当たらなかった。

 途中ではぐれるなんてハプニングもあったけど、なんとか見つけ出せた。

 僕を見つけたときの●●の表情は一瞬泣きそうに歪んだけど、すぐにまた笑顔になった。




 やがて祭りも終盤に近づき、残り15分で打ち上げ花火が上がるという時間帯。

 僕らが立っているところは人ごみの中。


 僕は●●にもっと端によることを提案した。

 だが●●はそれを呑まなかった。その代わりに、もっと神社の奥に行かないかと言った。


「なんで?」

 と尋ねる。

「昔ね、友達とこのお祭りに来てうろうろしてたら、花火が綺麗に見れるところ見つけたんだ」

 いわゆる穴場である。

 僕は、跳ねるようにそこに向かう●●に苦笑しながらついていった。

 穴場まではそう距離はなかったが、軽く山を登るため結構体力を使った。


 途中までは木々が増えてゆくばかりで、こんなところから花火が見れるのかと思っていたが少しずつ木も少なくなる。

 ・・・ようやくたどり着いたそこは、見事な雑草畑だった。


「・・・ここ?」

「昔はちゃんときれいだったんだけどな・・・」

 でもせっかく来たのだからと、落下防止のための半分錆びた柵まで近寄った。

 真下を見るとうようよと人の波がうごめいてる。


「ハオ、ここベンチある」

 ●●が見つけた、草に埋もれてしまっているベンチ。


 周りの草を邪魔にならない程度に踏み倒してそのベンチに腰掛けた。


「・・・」


 二人無言で花火が打ち上げられるときまで待つ。

 ここまで来る時間を差し引いたら、そろそろの時間帯だと思うけどな。



 じっと夜空を見上げていると、ひゅるると風情のある音がして黒の壁に大きな色が散った。

 隣で●●が感嘆の息を漏らす。

 僕はただ無言で次々と映っては消えるそれを見た。どちらかというと、言葉も出なかったというほうが正しいかもしれない。


 何ともいえない感情の波が押し寄せて、僕はそれを喉の奥に押しとどめた。


 一度、花火から、倒された草に視線をそらした。

 そして、隣にいる●●を見る。


 ●●の瞳は一心に花火を見つめ、最後まで見落とさぬようにと躍起になっているようにも感じた。


「●●・・・」

 無意識に自分の口から溢れた名前。


 小さな呟きだったけど、彼女は聞き逃さずにこっちを見た。

 はじめは何も言わない僕に首をかしげていたがやがて僕の異様な空気に気がついたのか、●●は眉をひそめた。


「ハオ・・・?どうしたの?」

 さっきまで花火を焼き付けていた目に自分自身が映っていることに、柔らかく心臓が跳ねた。


 そして今更気づく。
 ああ、僕は彼女に惹かれてるんじゃない。

 僕は・・彼女が好きなんだ。

 左手をそっと伸ばして●●の頬に触れた。


 ●●の体がびくりと跳ねる。


「●●」

 越えちゃいけない一線がある。違う世界に住む人間として、それは越えちゃいけないんだ。


 自分の気持ちに気づいてしまっても、絶対に計り間違えちゃいけない。


 でも、それでも僕は。



 ゆっくりと唇を寄せる。

 しかし●●はそれを拒むように後ろにさがった。

 心と呼ばれるものがぐっと痛くなって、ずるいとわかっていても諫めるように●●の名を囁いた。

 その途端●●の瞳が濡れて、後ろにさがることも止めた。


 そのまま●●の唇に僕のそれをそっとふれさせる。
 ふれるだけ。

 一度離して、また口付ける。

 ●●は僕の右手を強く握り締めて、ぎゅっと目を閉じていた。

 愛しくて愛しくて、存在を温かみを確かめるように、何度も何度も。


 最後の口付けを終えて、僕は●●の額に自分の額をつけた。


「●●」

 口にするだけで苦しくなる名。



 ●●。僕は・・・。



「僕は●●が・・・」

「言わないで」

 思いを告げようとした、その言葉を●●は遮った。

 目の前にある●●の閉じられた瞳からは、静かに涙が流れていた。

 はじめて見る、●●の涙だった。


「それ以上、聞きたくない」

 かすれた声で吐かれたのは拒絶の言葉。
 でも震える小さな手で僕の手を握っていた。


 最後まで『一線』を守ったのは彼女だった。





 ハオにキスをされた。

 我慢できずに泣いてしまった。

 でもなぜ泣いてしまったのか自分でもわからない。
 嬉しかったのか、悲しかったのか、虚しかったのか、苦しかったのか。


 ハオの言葉を遮るとき、ハオの顔を見れなかった。ただただ目を閉じてた。


 いつの間にか終わっていた花火に、私たちは何も言わずに祭り会場に下りて家に帰った。

 ハオが少し前を歩いて、私がその後ろを少しずつ距離を離しながらついていった。




 家に着いてもほとんど会話もない。

 私はいつかのようにハオと顔を合わせないように、自分の部屋に引きこもった。
 汗で気持ちが悪いけど、お風呂に入るのはハオが寝てからにしよう。


 それまでベッドに横になってよう――・・・。



 また彼女は自室にこもってしまった。

 たぶん今度ばかりは、明日になれば、ということもないだろう。



 踏み違えたのは僕だった。


 風呂場から出て、バスタオルで濡れた髪をぬぐう。

 頭を冷やすために水を浴びたけれど、それも何の効果もなかった。

 そろそろ体に馴染んできたジャージを纏って脱衣所を出る。


 もう寝よう。

 部屋に戻る前に、向かいの部屋の扉を見る。


 物音ひとつしない。寝てしまったのだろうか。それとも僕が部屋に入るのを息を潜めて待っているのだろうか。


 どっちにしろ今日はこのまま顔を合わせないほうがいい。

 僕はあきらめて部屋に入った。


 相変わらず殺風景な借り部屋。

 部屋の隅においてあるのは、元の世界では必需品だった服や道具。

「・・・」

 僕は髪をタオルで乱暴に拭きながらそれらに近づいた。


 荷物の一番上に投げ出されたオラクルベル。

 近づくと僕の影が落ちる。


 相変わらず何の反応も示さない機械に、複雑な感情がむくむくとわきあがる。

 少しだけ顔をうつむけると僕の髪からオラクルベルの画面に小さな水滴が落ちた。

 でもそれを拭う気にもならなくて、そのままにする。




 すると、死んでいたはずの画面が淡く色を持ち、長い間聞いていなかった機械音が部屋中に響き渡った。


「!!」


 ピピピピピピピピ

 頭の中が真っ白になって、なぜだかその音を止めないといけないような気になり慌てて手を伸ばした。




 だがその手は、わめき散らしていた機械を掴むことはなく、加えて大きな星のシンボルを抱えたグローブにいつの間にか包まれていた。


「これは・・・」

 手を伸ばしていた先は何もない地面で、足の短い草が無節操に生えているだけだった。

 どういうことだ。

 体勢を戻して、自分がかつての服を違わず纏っていることに気づく。

 ジャージなど見る影もない。

「・・・っ」

 急に現実味を帯びてきたそれに、辺りを見回す。

 殺風景な部屋もない。

 もちろん、●●もいない。


 僕は。

「もどって・・・来た?」


 カチリ、と耳の奥で音がする。

 すべてが元通りになった。

 間違ったところに嵌められていたパズルのピース。それに気づかれたピースは有無を言わさず正しい場所に戻される。


「――」

 行き場を失った手で顔を押さえ、ぐちゃぐちゃとした思考を一つ一つ整理した。

 だがある瞬間に、すっと頭の中から雑念が消えて、ただ一つの想いだけが浮き上がってきた。



 そうだ。僕はシャーマンキングになるんだ。

 戻ってくることは当たり前なんだ。

 何も悲しむことはないさ。

 わかっていたこと。



「――ハオ様」

 僕の後ろに現れたいくつかの気配。

 そうだ、僕は。

 しばらくの間忘れていたこの表情。


 振り返ると風が吹いた。



「やあ、ただいま」


 しっとりと濡れた髪が異様に虚しさを膨らませた。




おわり






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