それは一本の電話によるものだった。 『海行こう!』 「ごめん、無理」 ばっさりと切り捨て受話器を元に戻した私に、ハオは何事かと和室から顔を出す。 「どうしたの?」 「あー・・・ちょっと友達から・・・」 なぜ友達からの電話を嫌がるのか、とハオが問おうとしたとき、また電話がけたたましく鳴った。 自分が心底いやそうな顔をしているであろうことを想像しながら、また受話器をとった。 「・・・もしも」 『なんで切るのよ!この間行くって言ってたじゃん!』 あまりの声量に受話器を耳から離する。ハオも目を丸くしている。 「だ、だから、ちょっと忙しくて・・・」 『そんなわけないでしょ。どこに、学生のくせに夏休みのスケジュールがいっぱいいっぱいの人がいるんだよ!』 「ここに」 『嘘つけ、嘘』 ユラは相当興奮しているようで、私の話には耳を傾けようともしない。事実、忙しいというのも嘘なのだが。 どう切り替えそうかと頭を悩ませていると、ユラは前触れもなく、落ち着いた声で一言呟いた。 『・・・もしかして、この間校門の前に座ってた人とか関係ある?』 ひいいっ。 驚きすぎて受話器を取り落としそうになった。 それに今、受話器を離して持っていたせいで、きっとハオにもその台詞を聞かれていたであろう。 そっと振り返ると、ハオはなぜか頬を少し赤くして顔を引っ込めた。 過去の自分があんな恥ずかしいことしたと改めて思い知らされたのだから、恥ずかしくもなるだろう。 (もうあんまりごまかせないなぁ・・) 「ないこともないです・・・」 『今そこにいるの?あの人』 「・・・」 『いるのね』 「・・・はい」 とんでもないことになってしまった。 電話を終えて、ふらふらになりながら和室に倒れこむ。 びっくりしたみたいで、ハオが慌てた様子で声をかけてくる。 私は和室に倒れたままハオにたずねた。 「ねぇハオ。海好き?」 「海?まぁ・・」 そこでハオは何かを察したのか、顔を引きつらせた。 本当に察しが良いな。心が読めるみたい。 「いやだよめんどくさい」 「でももう約束しちゃった」 話をまとめると、さっきの電話でユラに、私とハオが今一緒に住んでることを黙っておく代わりに海に来い、というほぼ脅しの会話が成立したのだ。 しかもハオも連れて来いと。 その真意は聞き損ねたが、クラス中にこの噂が立ち込めてはどうしようもない。 「ごめん・・」 顔を伏せたままハオのほうを盗み見ると、ハオは何か言おうとしては止めるという動きを繰り返して、最後に小さくため息をついた。 「で、いつ?」 「・・・あさってだって」 「あさってか」 じゃあ準備する時間はあるんだね、とハオはもう腹をくくったようだ。 「ごめん・・・」 「もういいよ。ほら、ずっとそこ寝てられると邪魔だから」 「うん」 のそのそと起き上がって、いつもの定位置につく。 テーブルにぐでんと両手と顔をつけて、どうしてこうなっちゃったかなぁと考える。 あまりに沈んでいる私を見かねたのか、ハオが話題を振ってきた。 「・・・他に誰が来るんだい?」 できればあんまり来てほしくないんだけど・・・、というのがにじみ出てる言い方だ。 「私とハオを含めて、女三人と男三人」 どこの合コンだよばかやろう。 「めんどうだな」 私だって、あんまりハオとのこと知られたくないよ。 変なことはないけど、周りに誤解されたら私もう生きていけない。 「あ、そうだった。ハオ、私といとこって設定だから、話し合わせてね」 「いとこ?」 「夏休みだから遊びに来てる、ってことにしてるから」 一応ユラにもそうごまかした。さすがに他人だなんていえない。 「そう」 ・・・意外に軽い。大丈夫かな。 「水着とかいるのかなぁ・・・」 テーブルに顔をつけたまま悩む。 「水着?」 ハオは怪訝そうに私を見た。 「んー。だって海なんだからたぶん泳ぐでしょ?私あんまり泳げないんだけどなぁ」 「だろうね」 失礼だな。 むっとして顔を上げる。 「そういうハオは泳げるの?」 「たぶん」 「ふーん」 本当かな。まぁ、あさってになればわかるか。 てことはハオの水着も・・・。 「僕のは必要ないよ。泳がないからね」 しれっと頬杖をつきながらテレビを見つめる。 「泳がないの?」 「疲れるだろ」 まぁ・・・。嫌なら強要することもないよね。 出費も抑えられるし。 とりえずハオのことはどうにかなった。 だけど、ハオ自身の気分が・・・。 「・・・」 いつも以上につまらなそうにテレビを睨んでる。 「ハオ・・・」 「何」 テレビを睨んだまま返事をする。 やっぱり何がなんでも断ればよかったなぁ。 「ほんとごめんね。やっぱり今からでも断って・・・」 電話をかけに行こうとテーブルに手を突くと、とっさにその手をつかまれた。 「え?」 「あ・・・」 ハオは自分でやったことなのに、自分でやったことが理解できていないらしく手首を握ったままもごもごと呟いてる。 そして、やがて意を決したように真剣な表情になった。 「気にしなくていい」 「あ・・・うん」 そんなに真剣に言うことかな。 でも気にしてないならいいやと、おとなしく座り込む。 座ったはいいけど。 「は、ハオ・・・?」 「ん?」 「いや、『ん?』じゃなくて」 ハオは私が座ってからも、ボーっと私のほうを見て握った手も離さないままだった。 これ、と掴まれてる手を指差すと、ハオは一拍おいてからすごい勢いで手を引いていった。 「忘れてた」 「普通忘れること?・・・ハオ最近ボーっとしてること多いね。大丈夫?」 「年中ボーっとしてる●●に言われたくないよ」 気のせいだったみたい。 |